第七筆『射手の心得と、後は運だけ』
ただ風だけが吹いていた、お互いに眼前に見える開けた場所には少女が一人。
一見して悪魔ではないのなら、此処にいる三人の人間が争う理由等無いはず。
言葉を選んでいるのか、リアは剣を構えたまま少女をじっと見つめていた。
何か言うべきとも考えたが、俺は言葉を飲み込んでリアか少女の次の行動を待った。
本能的に弱者と認識して俺を狙う悪魔達とは違い、少女の弓が狙っているのは明らかにリアだ。
少女の一射目はリアを狙った物だった、なら俺達が立っている狭い路地で俺が下手に注意を引くのは悪手だ。
俺は一歩だけ後ろに下がると、リアはチラリとだけこちらを見てから、少しずつ弓を引いたままこちらを見つめている少女の元へ近づく。
その時のリアの表情が強張っている事に俺が気付いた時には、もう彼女は前方へ走り出していた。
「ち、近づかないでください!」
そう言いながらリアに向かって矢を放つ少女。
リアは目の前に迫る矢を剣を左下に弾き落とす、その時に左下に下がった剣先が、彼女の疾走と共に石畳の上を這いジリリと鳴らした。
「止まれ! リア!」
リアに遅れて路地から飛び出した俺のその言葉が届いたのは、リアが少女の眼前に迫り、剣が少女の腹部を触れる寸前だった。
リアの左足が思い切り踏み込まれ、強く右側に剣を振り上げたのが見えた。
彼女はこうもたやすく、人をも殺すというのか。
目の前が真っ暗になるかのような絶望感が一瞬のうちに体を支配する。
リアの剣撃に反応して、少女はその手に持つ弓でせめてもの防御姿勢を取っていた。
その弓が強固な物であれば、自分に向かい来る刃先にその弓を向けるのは正解だろうと思った。
だが、その防御が心許ない事は、少女の表情とリアの渾身とも思える力の入れ方で分かる。
俺が物語の破綻を思う刹那、リアが少女に向けて放ったのは、剣撃というよりも打撃の部類だった。
「ごめんねっ!」
そう言いながらリアは剣をフルスイングする。
この場合、切り裂くという言葉は正しく無いだろうと思った。
横から振るわれたその剣の刃は、いつのまにか少女の体に対して縦方向に変えられていたからだ。
リアは剣の鋭利な刃ではなく、平な部分で少女をその場から弾き飛ばす。
おそらくその刃で斬り伏せていたなら半分になっていたであろう弓も、少女もまとめて左方向へと転がっていく。
その勢いは激しいものの、少女は何とか受け身を取れているようだった。
リアの行動の意味に気付いた瞬間に、俺は一瞬でも彼女を殺人を物ともしないのだと思ってしまった事を後悔した。
リアの目はもう、少女を一切見ていない。
見ているのは、少女がいた場所の少し奥の、上空。
その視線の先に向けて、彼女は短刀を思い切り投げつける。
少女が数秒前まで立っていたその場所に矢が当たると共に、短刀が脳天に刺さりドサっと絶命した悪魔が広場の端へと落下した。
―――そう、当たり前の事だ。
この世界で、悪魔が人を殺すのならば、どんな人間であれ等しく殺そうとするのならば。
剣を構えた強者よりも先に、剣を持たない弱者よりも先に、自分の存在に気付かずに背中を向けている少女を狙う。
リアは駆け出した瞬間から少女を狙う悪魔をその目に捉えていたのだ。
少女もその事に気付いたのか、左手に弓は持っていたものの、右手に矢は握られていなかった。
「あっぶないじゃないですか!!」
剣を鞘に仕舞いながらリアが少女に詰め寄ると、少女は体を竦ませる。
「ご、ごめんなさい……っ!」
その瞬間彼女達の上下関係が決まった気がした。
「そもそも何で私達を狙うんですか! 人でしょ!」
両手をブンブンと振ってコミカルに怒っているのにギャップを感じたが、ひたすら残念なギャップに思えて、俺は長い溜息を吐いた。
「見てるこっちが一番ハラハラしたけどな……」
呟きながら二人の元に近づくと、少女がおずおずと言葉を返す。
「本当にごめんなさい……。
でも、この時間に外にいるならたとえ人でも撃たなきゃって……」
「見たら分かるじゃないですか、もう!」
リアの言うことはもっともだが、少女にも理由がありそうだった。
思えば、小屋から広場を見た時にも出歩いている人間がいないことが不思議だったのだ。
それは悪魔がそこら中にいるからだと思っていたが、少女が俺達を襲ってきた事を考えるとどうやら理由はそれだけでもないらしかった。
俺は変わらず怒っているリアをたしなめて、怯える少女になるべく優しい声で話しかける。
「君がアイツらの敵であるなら、少なくとも俺達は君の味方だ。
君がリア……彼女に放った矢の事と彼女が君を剣で叩き飛ばした事とをお互い水に流して、最悪な初対面を無かった事に出来ないか?」
そう言うと、少女は少し表情を綻ばせて、警戒を解いてくれたように見えた。
まだ少し不満そうな顔をしているリアを横目でチラチラと見ながら、少女は弁解を初める。
「あ、ありがとうございます。それと、本当にごめんなさい……。
悪魔側に属する人かと思ったんです。
この街で私の知らない人はもう、そう多く無いので……」
状況は思ったよりも悪い事がその言葉で分かる。
単純に、人と悪魔の戦いではなくなっている事と、想像以上に人が亡くなっているという事。
言葉に含まれる情報だけではなく、少女のその暗い表情からも現状の人間側の不利は見て取れた。
「えっと、それで、お兄さんとお姉さんは一体……?」
言葉に詰まった少女、がこちらの顔をまじまじと見ながら問いかけると、リアはやっと子供っぽい怒りの表情をやめて、真面目な顔で背筋を伸ばした。
「私はリア、彼はタナトさん。悪魔を倒す為に、流れて来た旅人です」
それを聞くと少女は目を丸くする。
「こ、こんな街にですか? 何の目的が……」
どうやら深く考えず口走ったらしく、言葉に詰まるリアの代わりに、俺が答える。
「この世界……、この街が悪魔にヤラれちゃ困るんだ。
君達と同じ事だよ」
"君達と同じ事だ"という事を強調して言うと、少女は訝しげではあるものの少しは理解してくれたらしい。
だが複雑そうな顔をして唸っている。
「確かに……、悪魔側に属した人達が悪魔を倒しているのは見たことがありません……。
力になってもらえるならすごく助かりますけど……。
でも……」
だからと言って、知らぬ人をすぐに信用出来るかと言われると、確かに怪しい。
子供っぽく見えて、中々芯はしっかりしている子のようだ。
「だったら、武装でも解きますか?」
そう言ってリアは肩にかけた剣の入った鞘を肩から外し少女の横に置く。
「あ、いえ……そこまでしなくても……」
そう言いながらも、少女は止めるに止められずにおどおどとしている。
俺達にその矢を向けていた時の雰囲気とは大違いだ。
「俺は、これくらいしか無いが……」
そう言って、ポケットのライターを出すと、少女はそれを見て不思議そうな顔をした。
「それは武器……、ですか?」
まさか、ライター一つでこのやり取りを体験するとは思わなかったが、この世界に無いものであれば、当然だったのかもしれない。
だが、それは思った以上に重要で、信頼を得る為のやり取りだった。
「武器というよりも……」
そう言って俺はライターの火をつける。
それを見た途端に、少女の表情が変わる。
「炎が、出てる……」
彼女は魔法でも見たかのように驚いていたが、俺から見れば燃料の入ったライターでしかない、そしてその炎は有限だ。
俺は早々にライターの蓋を閉めて、それを少女に手渡そうとする。
だが、少女はブンブンと首を振って、それを受け取らなかった。
「良いのか?」
「炎は、人間の最初の知恵で、悪魔と戦う為の最後の力……。
疑って本当にすみませんでした。力を、貸してください」
少女は俺達を真っ直ぐ見つめる。
その眼差しにリアが強く頷くと、少女の目に光が、炎が灯ったように見えた。
「私はアル・アーテ。
ほんの少しの射手の心得と、後は運だけで生き延びてきました」
その少女、アルは小さく笑って、右手をそっとこちらに差し出した。
「よろしくね、アルちゃん!」
俺はいつの間にか笑顔になっていたリアがその手を掴んでブンブンと振るのを見ながら、さっきまでお互いが武器を握りしめていた右手同士が、笑顔と力の強さは違えど、握り合っている事に胸を撫で下ろす。
肩からかけたバッグの中からは薄く、青い光が漏れていた。




