第五十六筆『悪いがこの話は、もうハッピーエンドだ』
剣を振る力を持ち合わせていない物書きと、ペンを握る力を持ち合わせていない神。
けれど両者はお互いに、許されるか許されざるかわからない程度のズルをして、剣をぶつけ合っている。
物書きが思い描くのはこの次の展開、そしてこの展開にたどり着いた理由。
――ネメはどうしてこの物語で計画を始めた?
「なぁ、こんな風になるなんて、思ってたか?」
言いながら俺は両手で強く握った柄を、大きく横振りに薙ぐ寸前に左手を放す。
その左手には炎。
リアから受け継いだ重く、そして白い俺の剣とは対照的に、ネメの剣は黒く、軽そうな剣だった。
俺の剣が薙ぐ為にあるなら、ネメの剣は裂く為にあるようだ。
俺の剣はネメの剣を弾き、勢いをそのままに俺はネメの顔面へと炎を突き出す。
「分かんないな、だってみんな勝手するんだもの。
ところでタナくん? 掴むよ?」
ニヤりと笑ったネメは俺の左手の炎をものともせず俺の手を取る。
肉が焦げる音が聞こえても、ネメはその痛みすら無かったように俺の目を見て笑う。
その瞬間、意識がグラつく。
記憶が、混濁する。
入ってくるのでは無い、塗り替えられる。
「さぁ、一個ずつ塗り替えてあげる」
怒りが、スッと引いた。
少しだけ、幸せな気分になる。
何故なら俺達の敵である所のリアはもう倒したのだ。
あとはネメを倒せばいいだけ、アルは逃してしまったが、大した事じゃあない。
――敵? リアが?
その思考に悪寒が走り俺は思わずネメから距離を取る。
何故か軽く飛んだつもりが俺の身体能力を越えた距離を跳躍していた。
だが、だからこそ距離感が掴めていなかった。
「ダメだなあ、ダメだよ。
強い人の立ち回りを知らないんだキミは。
だからダメなんだよ、タナくん?
ほーら! 後二歩分足んないよ!」
眼前に迫った黒い剣を手に持っている剣で払いのける。
この剣にも見覚えがない。
――もう、塗り替えられている。
それだけは分かった。
「なぁネメ、何から消した?」
例えそれがネメにとって戯れであっても、俺は聞かなければいけない。
「大事な物から消していくのがセオリーだと思わない?
私の事が大好きになるのは、最後の最後。
だってタナくんは私には勝てないもんね」
そう言いながらネメは俺の剣を掻い潜って俺の肩を切り裂く。
滴り落ちる血を見て、何かを思い出しそうになるが、それもまた痛みに邪魔されて塗り替えられていく。
「なぁカーク、最初の約束、覚えてるか? アイツを反故にしたいと思うんだ」
ネメが、俺のポケットの中の相棒の事を序列の下に置いていたのが、笑えた。
「忘れてたまるか、あんなくだらん命令。
だがそうだな、主が許すというならば」
良かった。
だったらちゃんと、戦える。
ネメの目的は、俺の記憶を塗り替えて下僕にすることだ。
そして、おそらくその行為は彼女が作り出した設定の彼女にしか出来ない。
だからこそ彼女はこの物語を作戦の場に選んだ。
――大丈夫、覚えている。
本来の彼女の力は記憶の保持とその共有。
相手の洗脳ではない。
だが彼女が作り出した物語に洗脳の力を持ったキャラクターを産み出せばそれも可能になる。
だから、この場を乗り切れば、彼女の目論見は潰えるはず。
俺はチェーンの千切れたライターを取り出して、ネメの方を見て笑う。
「なぁ、ネメ、俺は少しでも持っていかれるわけにはいかないんだ。
リアを見た瞬間に、俺の中から怒りが消えるなんて事を、俺が疑問に思わないわけ、無いだろうが!」
俺はライターの炎をつけると同時に、天井へと放り投げる。
「契約終了だ、カーク! 塗り替えた俺の記憶を、喰らってくれ!」
カークと俺が最初にした約束、それは俺の記憶を覗かず、変える事をするなという事だった。
だが、契約が途切れた今、カークのその力で、俺の記憶を塗り替えられる前に戻すことは、容易い。
そして記憶が戻ったその瞬間に、俺の心に怒りが戻ってくる。
必要な怒り、ネメを討ち滅ぼすべき理由の、一番大事な一つ。
――ネメは、俺がリアを愛したという事を、最初に消したのだ。
俺は剣を両手で持ち直した。
怒りは痛みを凌駕する。
炎から聞こえる声からは未だかつて聞いたこともない程の熱を感じた。
「最終局面、最終局面というわけだ! ならば喰らおう、つまらん塗り替えなど、喰らおう、燃やそうではないか!」
ライターの炎が燃え盛り、人の形まで膨れ上がったかと思うと、そのライターを炎の腕が握りしめた。
顕現した炎魔は、満足そうに微笑んでいた。
「タナトよ、此処だ。
この瞬間を待っていた。一番愉快でたまらない。
見誤らないのだから、お前は面白いな?」
「正解だと言うなら、有り難い」
駆ける物書きと、飛翔する炎魔。
そしてそれをふてくされた顔で眺める神。
俺に出来る事は、その可能性を手繰るだけだ。
「俺の仲間を、手にかけたな?
それがお前らの言うドラマ"チ"ックだというなら、笑わせる」
意外な事に、カークが向かう先はリアの元。
俺は剣をネメへと振るうが、カークはその手でリアの周りを包む杭を握りしめ、溶かし尽くしていた。
「何でよ! 溶けないように作ったんだってば! だって溶けなかったじゃない!」
俺の剣を受け止めながら、ネメが叫ぶ。
「もう、お前だけの物語じゃあ、無い!」
俺は渾身の力でネメの剣を弾き飛ばすと、ネメは部屋の隅へと下がっていく。
杭から開放されたリアは、静かに目を閉じている。
戦力差を理解出来ない程、ネメも愚かでは無かったのだろう。
彼女は膝を付いて、その場に座り込んだ。
「じゃ、まぁおしまいだ。
何だ、つまんない、つまんない終わりだなぁ……」
ネメが不貞腐れたように呟く、つまらない結末。
救いようの無い結末だった。
物語は滅茶苦茶に書き殴られて、キャラクターは殺された。
――それでも。
「それでも、お前は書いたんじゃねえか」
――ネメが知るべきは、その行為の、裏側。
「つまらん、つまらんがな」
小さくカークが溢す。
その言葉にまだピンと来ていないネメに、俺は言葉を続ける。
「この物語を作って、リアを産み出した。
リアを見ながら、俺を見つけた。
俺達を見ながら、この話を終わらせた。
それは、紛れもない。物書きとしてのスタート地点なんだよ、ネメ」
終わらない物語に意味はあるだろうか。
つまらない物語に意味はあるだろうか。
けれど書き始めなければ、書かなければ終わらない。
憎しみであっても、それが物語の終焉に至るのならば。
「お前は、結局お前の我儘を拗らせて、話を終わらせたんだよ。
リアを殺して、俺達と剣を交えて、それがお前の話だったんだろうよ」
リアを殺す意味なんて、知らない。
必要だったなんて、思わない。
俺だったらきっと、俺だったらきっとと考えても、これはネメの物語。
「あ……、あ」
ネメが涙を溢す。
その涙に揺さぶられる感情も無い。
「それに主人公が、立ち塞がる敵を殺した。
悪いがこの話は、もうハッピーエンドだ」
その言葉に、ネメがコクリと頷いた。
――だから、此処がゴールだ
俺はリアの横に剣を並べて、涙を流しながらボウっとしているネメの元へと近づいた。
「お前が、お前の中に少しでも善良な心が残っているなら、分かるよな?」
そう言って俺は、俺が弾き飛ばしたネメの剣を拾い上げる。
「カーク、お前も来るか?」
カークへと笑いかけると、彼は首を横に振った。
「飽きたら行く。
それまでは、コイツを見ておいてやろう。
どのように足掻くか、中々愉快だ。
向こうの事は、頼むぞ」
カークは、どうやらこの世界での炎魔を演じる事にしたらしい。
それも悪くない。
彼は何処吹く風、けれどきっと俺達の旅には満足してくれただろうと思う。
「じゃあな」
「ああ、我が炎は傍らで、充分笑わせてもらった」
ライターをこちらに投げ渡されて、俺はそれをギリギリの所で受け取った。
カークはそれを見てクク、と笑う。
「結局、お前が主人公をやりゃよかったんだ。
呪いに見えるかもしれないが、やれよ。
加筆修正も大事な作業の一つだって、知ってるだろ?」
カークとネメを見て、俺も笑った。
そして、俺は思い切り自分の心臓をネメの剣で突き刺した。
物語の失敗例として、目の前に広がる神と悪魔の姿が光に包まれ見えなくなっていく。
そして眼前の光がサライブの小部屋へと移り変わった瞬間、俺は「司書権利」という言葉を泣きながら叫んでいた。




