第五十二筆『もう、怒りますよ!』
扉の先には何があるか。
思えばリアはこの世界に来てから一度もその手でドアとドアを繋げていない。
彼女にとってこの世界が見知ったものであるなら、その移動は簡単だろうに、どうしてか踏みしめるように歩く事を選んでいた。
俺もアルも、またカークもそれを指摘する事をしなかったのは最初に目にした彼女の死体を見たからなのかもしれない。
その時点から、俺達の間には奇妙な関係が発生しているような気すらした。
この物語に於ける主導権はリアにあるのだと、何となく感じていたのだ。
「じゃあ、開けますね」
リアが隠し通路の出口の扉に付けられたドアノブを回す。
少し重そうな扉を押し込むとギイ、と鈍い音を立てながら隠し通路に薄く光が差し込んだ。
それと同時に、人の気配が空気のように入り込んで来る。
複数人の困惑した声が聞こえたと同時にリアは扉を思い切り蹴り飛ばし、剣の鞘に手をかけ腰を低くして部屋へと入り込んだ。
蹴り飛ばされたドアの先に見えたのは軽装だが腰に剣の鞘をぶら下げた三人の男。
リアはそのうちの一人が剣を抜く前にその喉元に剣を突きつけ、その困惑の隙にアルもまた部屋の入り口付近から自変弓で男の中の一人に狙いをつけていた。
「不躾にすみません。お話があるだけなのでどうか協力をしていただけると……」
剣を突きつけながら言う台詞かと思ったが、どうやら命を人質に取られた二人の男は戦意喪失しているようで、抵抗の素振りを見せなかった。
「バカにするなよ!」と叫びながら剣を抜いた最後の一人も、足元から上がる火柱に剣を溶かされ、髪の毛を焦がされた事で戦意を喪失させた。
灯り目的ではあったものの、蛇を放ったままにしておいて良かったとホッとした。
とはいえ、リアとアルであればそれも必要なかったかもしれないが……、とにかく武装解除した三人は項垂れるようにして地面へと座り込んだ。
部屋を見渡すとどうやらこの場所もそう明るくない場所だ、今まで歩いてきた通路と比べるとマシではあるが、暗くジンワリとした湿り気を帯びている。
思えば隠し通路に入る時に階段を降りたきりだから、此処は未だ地下部分、妙に広い空間に階段と通路、おそらく中央に位置するこの空間には簡単な机や椅子が置かれている。
ポツポツと見える小さい灯りを目で追う限り、此処はアルが恐れていた所の、牢屋なのだろうという事が分かった。
「私の事、分かりますか?」
リアが聞くと三人は首を縦に振る。
それを見てリアは小さく溜息を吐いた、その姿からは緊張も見て取れる。
「この国と、あちらの国の状況を知りたいんですけれど……」
その言葉を聞くと、三人はそれぞれ不思議そうな顔をしてお互いを見たり、リアを見たりしていた。
自変弓を抱えたままのアルの方向は決して見ないあたり、素直に話を聞いてくれそうでありがたい。
だが一番気の強そうな男が口を開く時には、その顔は怒りに酷く歪んだ表情をしていた。
「状況も何も……、アンタらがメチャクチャにしたんだ。
家族ぐるみで国を取るなんてどうかしてると思ったけれど、それを始めちまってからはアンタらが俺らの共通の敵、じゃないか。
笑える話だ、たった数人の人間に国が……」
パン!と膝を強く叩いた後に、クックと引きつったように笑う男の顔は疲弊しきっているように見えた。
土気色の顔が、笑って尚歪んでいる。
「何をしたんだ? お前らは何をした?
まさか、こちらこそ目の前で本人に聞けるなんて思っちゃいなかったよ。
此処にいるアンタの同胞を助けにでも来たのか? 違うよな? あんな駒の命にお前らは少しも興味が無いもんな?」
呪いのように続く男の言葉に、リアの顔は青ざめて行く。
「何を、何を言っているのかわかりません……!、確かに、メチャクチャにしたのは認めます。
でもそれはお互いの国が争った結果でしょう?
国取りなんて私達は……」
「じゃあアイツらは何だよ!」
そう言って俺の蛇に髪を焦がされた男が牢屋の方を指差して叫ぶ。
「俺の娘は、どうして俺を殺そうとするんだ?! 誰も彼もアンタらが狂わせたんだろうが! 残った奴らは全員いつああなるか怯えて暮らすだけだ。
国なんぞ、欲しけりゃくれてやっただろうに、欲しけりゃ……」
そう言いながら男はカクっと頭を垂れたまま、動かなくなった。
それに気付いた二人の男が、アルの自変弓の射線にいるにも関わらず、飛び上がるようにして立ち上がるが、その時にはもう遅かった。
「たかが骨如き、されどこうなればもう殺すに易い」
あっという間の出来事だった。
リアは真正面にいたからこそ、反応が遅れたのだ。
そして、真後ろにいたからこそ、俺にはその行動がはっきりと見えた。
項垂れた男の頭に薄ぼんやりとした光が吸い込まれた瞬間に、彼は目の前で立ち上がろうとする男の背中に、自身の左手を思い切り突き刺していた。
それは手刀と呼べる物などではない、ただ力任せにその手を押し込むような、自傷を伴う行動。
軋む音の後弾けるような血飛沫と共に曲がった指が背中から抜き取られた時には、一本の骨が手に収まっていた。
男はその骨を口に咥え、幾重にも折れ曲がった左手の指をバキバキと音を立てながら右手で無理やり拳に変えると、もう一方の男の横っ腹にその左拳を叩きつける。
大の男が数メートル先の壁まで叩きつけられる光景が目に映った後に残るのは、殺意の塊。
それは異形と呼んでも良い程だった。
顔貌は一緒でも、たった今まで話していた男とは、明らかに別人。
その声色すらもまるで何者かに人格を乗っ取られたかのように変貌していた。
「面白い物を見た」
その男はリアの顔を見て、驚くような声を出して口元を歪める。
状況が分からずとも、その存在が危険だということはこの場にいる誰もが分かっていた。
だがリアが剣を鞘から抜くよりも早く、男はその先の尖った骨をリアの首元へと突きつけて嗤う。
「遅い。こんな屑の身体を使っているというのに詰められるのか? なぁ、リア」
男が殺意と共にその骨という名の暗器を振り下ろす前に、その右腕はアルの自変弓によって射抜かれていた。
男はバランスを崩すがリアの反応は遅く、剣を振るという事もせずただ立ち尽くしている。
その隙に男は右腕を射抜かれた痛みも感じないかのように牢屋の方へと跳躍し、一つの牢に前に立ちその扉をアルに射抜かれた腕で殴りつけはじめた。
「見せてやろう、見せてやろう、お前にも、見せてやろうじゃないか」
――もう、人間ではない。
リミッターが外れているとしか思えない。
アルの攻撃は続き、もう男は足や肩も射抜かれている。
だが肝心の急所にだけは当たらないように身体をずらしているように見えた。
アルの顔は焦りに滲んでいる。
それでも人間が死ぬだけの血液ならもう出ているはずだ。
人間が壊れるだけの痛みはもう与えているはずだ。
それでも骨の砕ける音と共に牢をこじ開けた男を見て、俺は恐怖を感じていた。
「何……で……」
震える声を出し青ざめた顔をしたリアと、何も言わずリアよりも前に立ち、真っ直ぐに自変弓を牢に向けるアル。
俺もまた両手に炎を携えながら、恐怖を振り切るようにして一歩前に出る。
その視線の先、牢屋から男を引きずって出てきた少女は、あっけらかんとしてこっちを見ていた。
「私、どうして生きてるんでしょう?」
その第一声は、問いかけだった。
不思議そうな顔をしてこちらを見つめている、その顔は無垢な少女のように見えた。
「よいしょ」と言いながら引きずった男の手から骨を奪い取る。
「ねえ、私はどうして生きてるんです?」
もう一度問いかけを投げかける。
だが、その問いかけに答えを返す者はいない。
「あ……あ……」
リアの絶望が小さく漏れる。
明らかに、イレギュラーの度合いを越えている。
あの日、初めてリアに会ったあの日は、まだ大丈夫だと彼女は笑っていたのだ。
それなのに、状況は、まるでリアを狙い撃つかのように悪化している。
「もう、怒りますよ!」
――少女のその口調はまるで、いつも隣にいて、聞き慣れているような。
「なあ……面白いだろう? リア」
少女に引きずられたまま、息も絶え絶えの男が嗤う。
――男は、その少女を今なんと呼んだ?
「ねえ、私……、いや、貴方はどうして生きているんですか?」
まるでリアから感情を抜き取ったようなそんな口調で、少女もまた嗤っていた。




