第五十一筆『だから全員で』
会話も無いままに火葬場である広場を抜けると、そう遠くない場所に森が見えた。
ギリギリ道を呼べるような土道を歩きながらリアが口を開く。
「あの村を取られた時点で、ベータはもう駄目でしょうね」
思えば黒衣の集団に襲われた草原の向こうには山が見えていた。
ならばあの村は小さいながらも重要な役目を担っていたのだろうと思う。
迎撃をするにしても、山越えをするにしても、補給場所は必須なのは明白だった。
決して戦争に詳しいわけではないが『空を飛んで爆弾を』という事でも無ければ山の麓は重要な拠点になる事くらいは分かる。
おそらくは山の向こう側にも似たような村があるのだろう。
「とはいえ、ベータはリアを討ち取った」
決して茶化すわけでは無かったが、リアは乾いた笑いを溢す。
「変な話ですよね、私が私を戦争の駒として考えるなんて。
でもまぁ……、あの当時の私は良い駒なのは間違い無かったか……」
歩いていた一本の土道は森の中へと続いていたが、先頭を歩くリアはそれが当たり前かのように道から逸れる。
草むらをかき分けながら聞こえないくらいの声で何かを呟くリアの背中を見て、心配そうにしていたアルに俺は小さく目配せをしてから、リアを見失わないよう後に続いた。
思った以上に考える事は多いらしく、リアが説明も無しに道から外れて歩いていた事に気が付いたのはしばらくしてからだった。
「っと! 此処らへんかな。
というかそうだ、ごめんなさい! 何処行くんだって思いましたよね……」
「いやまぁ……あんまりにも慣れた風に歩いていくもんだから、何かあるのかと」
隣でアルがコクコクと頷いている。
流石にこれで適当に歩いていたら驚くが、流石にそんな事は無かったようで、リアはひとしきり俺達に頭を下げてから、キョロキョロと地面を見渡していた。
そのうちにリアが地面をトンと蹴ると、土を蹴るのとはまた別の音が聞こえる。
「あったあった、この感じだと使われてないんだ……」
独り言を呟いて、リアは暗器の一つであろう小さなナイフを手に取り、地面に突き刺す。
そしてググっと地面に刺した刃先を持ち上げると、地面が動いた。
「ベータの隠し通路です、そこそこ歩く必要はありますが楽に城内まで潜り込めます」
リアはナイフに付いた土を払い、地面もとい隠し通路の入り口を手で押し開けると、その向こうには地下へと続く階段が現れた。
「暗いですね……」
地下と暗い空間は昔を思い出すのだろう、アルが少しだけ不安気な声を出す。
するとリアは一旦こちらの目を見てから「明かりは、ね?」とアルに笑いかけた。
「隠し通路って言うなら、向こうも把握しているんだよな?」
俺が手の平から一匹の炎を階段へと強く滴らせながらリアに問いかけると、彼女は何とも言えない顔で首を横に振った。
「いえ、この場所を知っている人は……、もういません。
私しか知らないはずなので大丈夫です」
ゆっくりと前へ進む蛇炎と共に、リアはアルの手をそっと握って歩き出す。
アルは嬉しそうに、また安心したような顔をしていたが、リアのその手が少しだけ強く握られているように見えたのは、リアがこの隠し通路を知るのと入れ替えに、隠し通路の事を知っていた誰かがいなくなったという事を思い出したからなのだろう。
「ああ、分かった」
俺はそう頷いて、繋がったままの揺れる手のひらを目の前にこの世界にいた頃のリアに思いを馳せた。
暗い過去だろうか。
そう考えた時に、今の彼女の困った笑顔を思った。
死して尚無機質な印象を受けたこの世界の彼女の死体は、言わばリアの言う通りの駒のようだった。
あの顔には苦しみが無かった。
死の間際ですら、自分の死を厭わなかったのだろう。
「人は変わる事が出来るって、信じます?」
目の前のリアが小さく呟く。
この世界に来てからのリアは、気丈に振る舞っている事がはっきりと分かるくらいに心が乱れている。
「どう、だろう。
俺は俺の本質を上手に理解出来ていないからな」
目の前で繋がれた手にキュっと力が入るのが見える。
それは決して一方向からの力では無く、お互いに握りあった手から伝わり合う力のように見えた。
本当は変わる事が出来ると言いたかった。
だが、俺の実感で考えるならば、そう簡単に変わることは出来ない。
俺の中に、未だ忘れられない人生の苦しみがあるように。
アルが暗い地下を怖がるように。
「でも少なくとも、俺の、俺達の知ってるリアは一人だけだろ」
それでも、絞り出すように伝えたその言葉だけは本心だった。
「ん……」と小さく頷いたリアとアルの手は、少しだけ緩んで見えた。
「そも、変わる必要があるかという話だ。
そんなものは自己満足でしかあるまい、必要なだけ、好きなように振る舞えば良い」
聞いていられなかったのだろう、カークが少し苛立たしげに声を出す。
「どれもこれも喰らえ、過去現在未来全て自分なのだから、臆せずして受け止めろ。
そんな事で悩んでくれるな、つまらんぞ」
フン、と言いながらまた黙り込むデリカシーの無い炎魔の言葉が今は少しだけありがたかった。
何故なら、リアが堪えきれず笑いを溢したからだ。
「はは……。
伊達に神様やってないですよね、カークさん」
小さい笑いでも、少しだけ緊張が解けたように見えた。
不遜な態度であっても、カークの年の功と言い換えても良いような精神は見習う所もあるように思えた。
彼の言う『つまらない』という言葉が、いつもと同じようで少しだけ違う意味に聞こえたのは
それでいて、アルがコクコクと頷くのも後ろから分かった。
結局のところ、アルにとっても未だにカークは神様なのだ。
人は変わる事が出来るかという問いに答えは出ないまま、俺達は薄ぼんやりとした代わり映えの無い隠し通路を真っ直ぐと進んだ。
「私は私か……」
リアが一人呟いてから、意を決したように少し大きな声でまくし立てた。
「それでもきっと、この世界での私はうんと悪い子だったから……。
だからね、多分怖いんです。これからそういうのが全部バレちゃうだろうから」
「殺した数なら、負けませんよ」
今度はアルがリアの手を強く握った。
「人じゃなくても、人だとしても、目の前に立ち塞がる何かを殺さなきゃ生きていけないなら、それはきっと仕方の無い事だったんだと、思います」
アルもまた、殺しを躊躇わない。
「だから、私が殺してリアさんとタナトさんの罪が軽くなるなら、私が殺したい」
強く、はっきりとした言葉だった。
俺が草原で黒衣の集団を手にかけた時のアルの言葉と表情の理由。
俺はそれを恐怖のような物だと思っていたが、それは違ったのだ。
彼女は、俺がその罪を背負う事に、嫌悪を感じていたのだ。
「全員で背負えば良い。最善に手を伸ばし続ける限り、お前は許すよな?」
「くだらん、我が許すも許さぬも無い。
ただ、その刃の、その矢じりの、その炎の、その先の敵意を殺さねばお主らが殺される。
ならば殺せ、一人目を殺した時から、同じ事だ、百人目も千人目も、その罪は変わらん。
必要なら、いくらでも殺せば良い。殺しで遊ばなければ、罪等一つに過ぎない」
その言葉に、リアが何とも言えない気の抜けた声を出した。
「あーあ、やっぱり神様っぽい。
カークさんって悪ぶり切れない所ありますよね」
「そこが良いんですよ」
梯子を外されたかのようなリアとアルの発言に、思わず俺とカークは溜息をついて軽く笑った。
「道化の華だな」
「つまらんことで死なれるくらいなら、道化もまた一興。
死んで花実を枯らすくらいなら、殺せばいいだけの話だ」
「殺しの無い所から来た俺には実に新鮮だよ」
――なのに、俺は。
人間は変わるだろうか。
誰が変わっただろうか。
もしかしたら、と悪寒が走る。
その言葉を、今なら口に出してしまえそうだった。
だから、その不安を口にした二人に倣って、俺もそっと心を開いた。
「あぁ、でも俺は意外と、相手を殺すのに躊躇が無いみたいだ。
一番変わったのは、俺なのかもしれない」
その告白に、カークが声を上げて笑った。
「言うじゃないか、やっと言う、やっと言うのだな。
分かっている、人が変わる証明が自分だと、分かっているではないか」
その笑い声が隠し通路に響き渡る。
リアとアルは何も言わず、立ち止まった。
立ち止まった理由は目の前に出口があったからに他ならないが、何も言わないのは俺の言葉を待っているからだ。
「だから……、だから全員で背負おう。
これまでも、これからも」
生きる為に殺す。
きっと二人とは桁が違うだろう、強さもまた大きく違うだろう。
それでも、進まなければいけないなら、乗り越えなければいけないのなら、俺もまたその手を赤く染めようと思った。
「何も感じなくなった時が、終わりだ」
「なら、幾千と殺してきた我は終わりか?」
カークが笑いながら俺に問いかける。
「いいや、お前にとって殺しは遊びじゃない。
殺すべきと遊ぶだけのお前は、まだ終わっちゃいないだろ」
カカッと笑うカーク。
振り向いたリアとアルの顔は、笑ってはいなかったが、真っ直ぐに俺の目を見ていた。
だからもう、頷くだけで良かった。
俺達には、俺達しかいない。
正解か不正解か、そんな事は分からなくても、この先に何が待っていたとしても、扉は開く為にある。
「一人で歩いていた時は、長く感じていたんですけどね」
リアは、少しだけ顔を綻ばせてから、出口の方へ振り返り、ドアを開けた。
今度はアルが俺に目配せをして、リアの手を離した。
皆が、思った以上に不安で、思った以上に大人なのだと思った。
「だから面白い」
そう呟いたカークの言葉に、俺は誰にも見られないように頷いていた。




