第六筆『そうやって、終わりを目指すわけです』
俺はパチっと小気味よい音を立てて着火口を閉じたライターをポケットに仕舞いながら、リアが今しがた矢を弾き飛ばしていた剣を鞘に収めるのを見ていた。
剥き身の剣という物を初めて見たが、その刃は思っていたよりもくぐもった色合いで、銀色というよりかは鈍色と表現した方がしっくりくるくらいの物だった。
両手で構えていた剣を器用に肩からぶら下げたままの鞘に収めるその姿は妙に板についていて、その手慣れた仕草と、先程の矢を弾く技量から考えて、その実力はかなりの物に見えた。
「得意なのか?」
俺は鞘に収められた剣を見ながら聞くと、彼女は苦笑交じりの複雑そうな顔を俺に見せた。
「私が育った世界も、敵は違えど剣や弓矢での戦いが絶えない所でしたから、子供の頃からこの子だけは、ね」
故郷を思い出しているのだろうか。その少しだけ砕けた口調は俺に向けられた物では無いのだろう。
その剣自体は先程初めて使ったにも関わらず、彼女はまるでその剣が歴戦のパートナーかとでも言うように鞘を軽く撫でる。
その仕草をじっと見つめる俺に気付くまで数秒、彼女は優しい目をして物思いに耽っているようだった。
好きこそ物の上手なれというやつなのだろうかと思いながら見ていると、流石に俺の視線に気付いたようで彼女は慌てて撫でる手をパッと離した。
「ま、まあ! 折れない子はいい子なんで! 当たり引きましたね!」
あはははーと誤魔化すように笑った彼女の過去に興味はあったが、今は聞くべき時では無いだろうと思うくらいには、彼女の瞳は複雑な感情に包まれていた。
「と、とにかく! 情報収集がてら少し周りを見て歩きましょう!
とはいえ、毎回遠くからセコセコ矢を撃たれるのは何ともですね……」
リアは憂いをふるい落とすようにやや早口で出発を促すが、先程の戦闘での状況を思い出したのか、少しずつゆっくりと力が抜けた声に変わっていった。
「囲まれたら申し訳ないが、俺がリタイアだろうな……」
更に不甲斐ない状況を付け足すと、彼女は肩を落とす。
「そう、ですよねえ……。
あ、でもでもせんせーの役割は別の所にありますから、気にしすぎないでくださいね?」
燃やすということだろうかと思い、何となくベルトから下がったチェーンを右手で触っていると、彼女は不思議な事を口にした。
「んと、実は戦うという事について多くを求めているわけではないんです。
して欲しいのは……」
―――展開構築
リアは真剣な顔で、冗談の欠片も無いような真剣な口調で、そんな事を口にした。
「物語の設定から、今この状況から、次の展開を構築する。
それが今、私が先生にだけ出来ると見込んでいる力……先生の一番の武器は、今まで書いてきた、読んできた、見てきた物語が詰まっている、先生そのものなんです」
俺自身が武器とは面白いことを言うと思ったが、俺を見つめる彼女の目は彼女自身の言葉を心から信じているような、強い眼差しだった。
「今、この世界は現実と物語が混ざり合っています。この世界で生まれた人にとってはこの世界が現実で、この世界が全てです。
ですが、空白の頁を埋める為この世界に来た私達にとって、この世界はあくまで一つの物語。
異分子である私達がこの世界に足を踏み入れた瞬間から、空白の頁には既に物語が書かれ始めているんです」
だから……と彼女は右手にある折れ曲がった道を物憂げに見つめた。
「例えば、小屋から出た二人を悪魔が襲い撃退したという今の状況と、複数敵に囲まれると危険だという状況が今なわけですが……」
彼女がそう言いかけるやいなや聞いたことも無い不快な声が耳に届く。
その声に彼女は顔をしかめて、先程仕舞ったばかりの鞘から剣を取りだして、その曲がり角へと駆け出した。
何をしているかと思うのもつかの間、曲がり角から勢い良く悪魔が飛び出して来る。
と同時に、彼女の剣は悪魔の胸部を貫いていた。
「せんせ! こっち!」
言われるがままに彼女の後を走って追うと、後ろからも不快な声が聞こえた。
おそらくそれが最初の一体目と出会った時には遠かったからか聞こえなかった悪魔の声だという事に気付いたと同時に、彼女が言った事も何となく分かってきた。
―――俺達の物語が動き始めているのだ。
戦闘能力の無い俺と、遠方からの攻撃に対処しづらいリア。
道は前と後ろに一本ずつで、目的地も明確には分からない状況。
であれば、物語は、どうなるだろうか。
「挟み撃ちで、ピンチか……」
一人呟きながら急いでリアの後を追う、彼女はこの展開をいち早く察知して駆け出したのだ。
彼女が曲がった角の先から剣戟の音が聞こえる、ということはあの先には少なくとももう一体の悪魔がいて、リアは今手が離せない。
そしてこの場合、狙われるべきはどう考えても、俺だ。
振り向かずとも分かる、リアが今しがた斬り伏せた悪魔は血で滲んだ剣を手にしていたが、俺の後ろにいる悪魔が持つ武器は―――。
「せんせ! 伏せて!」
俺とリアの予想は同じ。
もう少しで曲がり角という所で、剣戟の音に混じりながら、焦りが混じったリアの声が届く。
だがその前に、俺は自ら切り伏せられて倒れている悪魔の方へと飛び込んでいた。
俺の頭の上で風を切る音がする。その直後、壁に金属が当たる音が、この展開予想の正解の音のように聞こえた。
二の矢が来るまで、おそらく数秒。
曲がり角の先では、未だに続く剣戟の音。
物語は、俺を殺そうとしている。
現実の物語は、こうも死が近いものか。
俺は倒れ込んだ状態のままポケットからライターを取り出し、体制を整えて立ち上がると同時に、切り伏せられて絶命しているであろう悪魔の血液に向かって、思い切りライターのスイッチを押し込み、その炎を押し当てた。
死んでるなら、良い。
死んでるなら、良いと自分に言い聞かせながら俺は角を曲がり、後ろで炎の熱を感じる。
悪魔自体が燃え尽きるまではあっという間だったが、血液自体が油のような役割をしているのはリアの短刀に火をつけた時に気付いていた。
曲がり角には悪魔の血が広がっていた、ならばこれで。
「火葬という事でどうか一つ……」
初めて殺生に関わったからか、ひどく脈打つ心臓を落ち着かせる為にブツブツと言う俺の肩をポンっと叩いて笑顔が俺を横切った。
「やるじゃないですか! っと!」
気づけば剣戟の音は止み、リアは俺とすれ違うようにステップを踏み、炎を器用に避けて俺を追っていた悪魔を袈裟斬りにしていた。
これで最初の合わせて四体、この数分で命のやり取りを四度行ったというわけだ。
「つまりは、ああいう事だよな?」
まだ悪魔の血で燃えたままの石畳を挟んで、俺は剣についた血液を振い落しているリアの背中に語りかける。
こういう事ならば、今は立ち止まっていても大丈夫だと思うのも、一緒のようだった。
「上出来どころの騒ぎじゃないですよ! そう! ああいう事です!」
彼女はゆっくりとこちらを振り返り、剣を鞘に収めて妙に高いテンションで跳ねるように言う。
そして俺が肩から下げた鞄を指差す、倒れ込んだ時に汚れたのかと思いバッグを見ると、ぼんやりと中が光って見えた。
それはうっすらとした青い光で、どうやらこの世界、物語が書かれた本の表紙から放たれているようだった。
「本、白紙だった所開いてみてください」
彼女に促され本を開くと、合点が言った。
「こうやって、続きが書かれていくわけか」
白紙だったはずの頁に、俺とリアがたった今行った行動が文章として書かれていた。
「そうやって、終わりを目指すわけです」
俺が本を閉じ、バッグへ仕舞うと、リアはスッと手をこちらに差し伸ばした。
いつの間にか石畳の炎は消えていて、先程より近い位置にリアの顔が見える。
思わず顔を見つめると、彼女は少しだけ拗ねたような顔をしてから、俺の左手を取って、握った。
「改めてよろしくの握手って事ですよ! もう!」
そう言ってブンブンと二回程握った手を振ってから、彼女は手を離してはにかむように笑った。
「これは、本には書かれることは無いですしね!」
確かに、と思いながら俺も笑うと、彼女は少しリラックスした様子で道の先へと歩を進めた。
物語の予想と、展開の構築
簡単な事だとは思えないが、言わんとしていることは分かる。
きっと、本来ならば矢は当たり、俺は死に、物語は終わるはずだった。
決してご都合主義では無いという事も、分かった。
動かなければ、展開を自分の手で変えなければ駄目なのだ。
何故ならこの物語の主人公は別に存在する、だが俺達は物語の住人では無いのだ。
異分子だからこそ、出来る事がある。
まだ上手く整理の付かない頭で色々と考えていると、リアが少し気の抜けた風に口を開いた。
「でも私、せんせーが上手くやるんじゃなくて、誰かが助けが来てくれると思ったんですよねえ」
何とも都合の良い事を言うものだと思ったが、確かにそういう展開も無くもないとは思った。
例えば俺に矢が当たる瞬間に、何者かの剣がそれを切り伏せる。
もしくは矢が放たれる瞬間に、俺の後ろに迫っていた悪魔を矢が射抜く。
そんな展開だって無くはないはずなのだ。
けれど誰も現れなかった。
なら、それが正解だったと思うしかない。
望めば与えられるというわけでは無さそうだった。
「悪い事ばかり起こるってわけでも無いんですけどねー……」
そう言いながらリアは道端の石を蹴った。
その石を何となく目で追った時に、鞄が赤く光っているのが見えた。
「リア!」
不穏な気配を感じて呼びかけた俺の声にリアが鞘から剣を抜く。そして響く金属音。
「まーた、赤、ですか」
リアはちらりと俺の鞄に目をやり、呟くと前を見据える。
またということは、おそらく挟み撃ちの寸前でも、気付かないだけで赤く光っていたのだろう。
だが、見据える先にいたのは、悪魔ではない。
そこには、頭の後ろで一本にまとめた薄茶色の髪を風にはためかせながら、こちらに向けて弓を引く少女がいた。
いっそ、今じゃなくてもそのうちに助けとして現れるのが物語の筋じゃないかと文句を言いたくなったが、成程こういう出会いもあるかもしれないと、その少女が話の分かる子であることを小さく祈った。