第四十九筆『だから、斬ります』
想像が出来ない訳が無い。
リアの苦い顔と、乾いた血に塗れた薄汚い部屋。
テーブルだけが嫌味のように綺麗なままの部屋に、俺達は佇んでいた。
これが偶然で無いわけが無い、悪意が存在するというのなら、これ以上の嫌がらせも無いだろう。
リアだけを狙い打つような悪意は、彼女の顔から表情を消させていた。
「あー、はい、此処でしたね」
小さく呟くリアの目には、いくつかの骸が映っている。
俺も、アルもまた目を逸らすことはしなかった。
ただその、みすぼらしい服を着た少女の顔を見た瞬間、顔を覆うのは仕方が無かった。
「やだな、これ、私だ」
無表情のままそう呟く彼女の視界を塞ぐように、俺は彼女を抱きしめていた。
「わわっと……。そんなもう、気にする事無いですよ」
彼女の身体から体温を感じたのが、救いだった。
一瞬だけ笑顔を作った後のリアは「ちょっとこっち、見ないでくださいね」と言い、ドアが開く音が聞こえる。
その音に何か嫌な気配を感じて思わず振り向いてしまった俺に、リアは「もう、ダメですったら」と小さく呟いた。
「悪い……、その、ドアの音が」
「ふふ、そんな。
行く場所なんて無いですよ、安心してください」
リアの乾いた笑いが響く、いつのまにか俺の服を強く掴んでいるアルの手をそっと撫でて、俺は死体を引きずるリアから目を逸らした。
――心を折りに来ている。
リアがどうなのかは分からない、その無表情からは何も読み取れない。
俺はただ、ただひたすらに泣きそうな顔をしていただろう。
その悪意に、少なくとも出鼻は挫かれたと言ってもおかしくない。
誰かがやった事なのだ。
ならば、この物語に於けるゴール、倒す目的が誰なのかすら、今はもう分からなくなってしまった。
「魔法の類い、ですかね。
まあ……、意味わかんないですけど」
死体を外に運び終えたリアは、テーブルの椅子を音も無く引き、座って呟く。
俺とアルも椅子に座りながら、リアがテーブルの上に並べて行く暗器の数々を目で追った。
淡々と、食器を用意するかのようにリアは暗器を並べた。
「私の装備一式は、まぁそのうち手入れしたいくらい感じですけど……。
こっちは普通に劣化してるんですよね、なんだか今になってムカムカしてきた!」
そうやってシンプルに怒ったのを見て、少しだけホッとしたのと同時に、違和感を感じた。
――この物語は誰の心を折りに来ている?
物語が生きているというのなら、それは時間の存在を肯定する事になる。
だからこんな風に生身の死体が腐らずに残っているなんて事はあり得ない。
「この世界は人間をそのまま保つ防腐加工なんて技術は無いですしね。
ただまあ、魔法の概念自体は存在するので……」
「だからってこんな事!!」
アルが憤慨したように口を開いた。
それは悲しみでも恐れでも無く怒りから出た言葉だとすぐに分かる。
リアは彼女の頭をそっと撫でながら首を横に振る。
「嫌がらせは、無視しちゃいましょ?
ただ、こんな事したって私達が嫌がるだけなのにな……」
無視というだけで済む話だと彼女が言うならば、俺もそう理解するしか無い。
ただ、リアとアル、そして俺の間には人間の死を越えた数が違うという現実が伸し掛かった気がした。
「本当に、主か?」
カークが口を開くと、リアは少し難しい顔をした後に頷いた。
「この小屋の外も見ましたが、間違いなく私が家族と刺し違えた場所は此処です。
状況的にもあの時の私の死体と考えて良いかと……、死んでこそシェオンに辿り着くわけですし」
「でも私は……」
アルがおずおずと口を開く、彼女は死の間際にシェオンに運ばれている。
だからこそ、彼女の存在はあの世界には無いのだ。
それは『常ノ魔』の最後の頁に、書かれていた通りの事。
「ただ死んじゃったら、旅なんて出来ないしね?」
リアが笑って、やっとアルの表情も少しだけ明るくなった。
「ん、これでよしですね。
じゃ、この嫌がらせをしたヤツをとっちめに行きますか!」
立ち上がったリアに目をやると、彼女の服装はさっきのリアの死体と同じような、黒を基調とした服に変わっていた。
彼女は見慣れない薄汚れたリボンで髪を括り、フードを被る。
その服に、さっきまでテーブルに並べていた暗器を一つずつ仕込んでいく。
その腰にはこの世界には存在しない魔を帯びる剣を納めた鞘があった。
「でも……、誰があんな事したか分かるんですか……?」
アルもまたリアに倣ってフードをかぶりながら立ち上がる。
二人の視線を受けて、俺も座ったままでネメからもらったコートのフードを被って立ち上がった。
「そのうち分かる……かな? でもまずは向こうに分かってもらわなきゃだね」
リアは小屋のドアを開けながらアルの質問に応える。
小屋の外は廃村と言うにふさわしい古びた村だった。
生物の気配は感じず、壊れた家々が少しだけ並んでいる。
とりあえず道と呼べそうな道はあるものの、それ以外の場所は青々とした雑草が生い茂っていた。
種類は分からないが、アルの背丈程まで伸びている植物もある程だ。
「センセ、ごめん」
リアに続いて歩いていた俺は、少し歩を落として隣に並んだ彼女に小さな声で謝られる。
その顔を見ると、ハッキリと分かるくらいの申し訳なさが滲み出ていた。
「弔ってもらって、良いですか。
ちゃんと、灰にしてあげて欲しいんです。
きっとそれで、"向こう"も分かるから」
辿り着いた場所を見て、大体理解はしていた。
広場の中心に見える、布で隠された物体を見てから、俺はリアの顔を見ずに頷いた。
数人分の身体が重ねられているであろう布の前に俺は跪き、右手をそっと添えた。
炎が布を伝い、人へ辿り着く。
最初に燃え尽きるのは布、それは当たり前の話だ。
だからその後に見えるのは、ただ燃え続ける、燃やし続ける死体だけ。
だがその死体は炎の中で尚燃え尽きず、死体へ戻ろうかとするかのように原型を留め続けた。
「朽ちる事も許されんか」
カークが呟くのと同時に、炎の火力が上がる。
人型がバチバチと音を立てるのを見て、俺は左指を擦り紫煙を燻らす。
どれだけ死に慣れていたって、こんなものは見るべきじゃない。
リアとアルの表情を振り返って見る事はしなかった。
どんな顔をしていたとしても、俺はきっとショックを受けただろう。
それに、俺の顔も見られたく無かった。
だからただひたすらに、その悪意を見据えながら、燃やし尽くした。
魔法同士の戦いと言っても過言では無かったのかもしれない。
カークの力を借りて尚簡単に燃え尽きないその死体達は、数分経ってやっと燃え尽きた。
燃え尽きる瞬間は一瞬だったように思える、バチッと弾ける音がしたかと思った瞬間に、もう灰へとその姿を変えていた。
それはもしかすると、死体にかけられていた魔法にカークと俺の魔法が上回った瞬間だったのかもしれない。
俺は汗と少しの涙に塗れた顔を拭い、立ち上がる。
まだ紫煙に包まれた中で、リアの声が聞こえた。
「ごめんなさい、センセ。
でも、必要な事でした」
「ああ、分かるよ」
灰を遺して、俺達は広場を後にする。
道はきっと、リアが知っている。
俺とアルは何も言わないまま、ほんの少しだけいつもより早足の彼女の後を追った。
無言のまま、数分も歩いただろうか。
広場からずっと纏わり付いて離れない死の気配が、俺の足取りを重くした。
リアが立ち止まってこちらを振り返り、少し遠くの広場に登る煙を見上げた時が、緊張のピークだった。
「ねえ、私ね」
少しだけ震えた声。
「ほんとは、結構頭に来てるんです。
私の仲間に、こんなのを見せた事」
拳も震えている。
「だから……」
怒りを帯びたその拳が開かれ、右手が剣に添えられる。
アルが自変弓に手をかけるのと同時に、俺も察した。
――必要な事だったのだ。
リア達の死体に施された魔法を打ち破るという行為は、必要な事。
何故ならば、俺達の存在を物語と、あの悪意を用意した奴らに知らしめなければいけなかった。
だから、俺とアルは緊張していた。
リアもまた、たった今まで我慢していたのだ。
その秘めた怒りが、やっと本当の意味で、言葉に宿った。
「だから、斬ります」
そして、リアはこの場全ての人間に向けてその言葉を言い放つ。
何人いるのかは分からなかったが、リアの視線の先に黒衣の人間がいるのが見えた。
黒衣の人間というよりも、黒衣の集団と言うのが正しいだろう。
リアのアディスが抜かれ、リアは俺とアルの間をすり抜けるように大きく踏み込み、背の高い雑草を斜めに斬り落とす。
その瞬間に、雑草の色が赤く染まった。
まずは二人、飛びかかる間も無く、集団から二人の命が消えた。
「こんなとこでごめんね、アルちゃん」
「いいえ、目の前の敵が射抜けなきゃ射手失格ですし。
だいじょう、ぶ……!」
アルはボウガンの形態になった自変弓で、小型の矢を草むらに数発打ち込む。
「です!」
肩に矢を受けた黒い人影を目の前にして、アルは器用に利き手に持った自変弓を逆の手に持ち替え、腰から抜き取った小刀でトンと相手を押し出した。
草むらに倒れ込み、赤黒くなった黒衣の人物はもう動かない。
「センセ! 早いんで気をつけて!」
「大丈夫、もう遅い」
俺は黒炎を地面に振り下ろすと、それは無数の蛇のように分散し、草むらへと入り込む。
こいつらは人を食う炎に化けた呪いだ。
目には見えずとも、黒衣の敵の足元へと滑り込む。
その呪いを受けた人間に纏わる悪意に痺れかける頭を軽く振り、困惑している黒衣へと火球を放り投げた。
俺の黒炎に絡め取られた敵性勢力に躊躇無くアディスを振り下ろすリア。
外れたフードから見えたその横顔が、この状況にも関わらずいやに綺麗だった。
俺達を襲う奴らと同じ黒衣に身を包みながらも、彼女のその姿は物語の主人公そのものだった。




