休筆中その四『でも、まずは』
小綺麗な部屋を見るのは久々だった。
いつかの生活環境は思い出すのも嫌になるが、この真っ白な部屋を汚そうという気にはなれなかった。
尤も、あの破天荒な我が監査官の部屋は物で溢れかえっていたが。
「しかし、手厚すぎる」
司書になれば自分の部屋が与えられるというのも意外だったが、家具一式もある程度揃っている。
ある種のホテルのように他人行儀では無いそれらの家具は、綺麗なのもそうだったが何となく暖かみを感じる。
まるで元々の俺の趣味嗜好を知っているかのような風景だった。
「どうです? 私のコーディネイト」
そんな事を思っている時に聞いたその言葉。
バッとリアの方を向いた俺の顔はさぞかし面白かっただろう。
意味深に笑うリアの顔を見ながら、俺は自分の口からポカンという音が聞いた気すらする。
「お……、おどろいている」
やや片言になりながら言葉を捻り出すと、ポケットから「悪くない」という声が聞こえた。
それと同時にやったー!という無邪気な声が重なり、相変わらず呆けたままの俺の目の前で手がパチンと重なる。
「いえーい」なんて言葉を実際に聞く事なんて無いだろうと思うが、実際にはしゃぐ金髪はそんな事を言っていたし、言葉の意味もそう分からないだろうがとりあえず「いえーい?」なんて言いながらピョコピョコしている薄茶のポニーテールが目の前にいた。
「さ、流石に部屋は支給された物だよな……?」
焦りながら聞く俺にリアが満面の笑みで答える。
「ふふー、大丈夫! 部屋は司書になればもらえます!」
「一緒に選んだんですよー」
一瞬何もかも買い与えられたのかと思い大焦りしたが、そこまでしてもらっても困惑するばかりだから良かった。
だが、シェオンでは大抵の物が簡単に揃うとはいえ、善意であってもリアにそこまでしてもらうのは妙な気分だった。
「あぁ、凄く有り難いが……、良いのか?」
「良いも何も! 選んだだけですし!」
話が変わった。
選んだだけ、という事は……。
「あれ? もしかして俺は財布握られてる感じか?」
俺の呟きを聞き逃したのかリアは台所の方に歩いていく。
「タナトさん! とりあえずご飯食べましょ!」
アルはテーブルの前の椅子に座って、食事を待つ犬のようにフンフンしていた。
「んん? そもそも部屋にいたのって……」
食事を運んでくるリアを横目に見ながら呟くが、リアは少し胸を張って笑うだけだった。
「ほら! これは奢りですから食べましょ!」
これが奢りならどれが奢りじゃないのか非常に気になったが、リアがそうするならまぁいいかなんて甘い事を考えてしまった。
そしてそれ以上に、まずはテーブルの上の料理で腹を満たしたい。
「あ、ああ……」
「ほらー、カークさんの祭壇も私の部屋から持ってきましたよ。
捧げ物もしてあるので置いてあげてください」
俺はカークを祭壇という名のふかふかクッションに置き、一体いくらしたのか分からない椅子に座り、その椅子よりかは幾分か安いであろう食事を眺める。
そして食事に手をつけようとした時に「ん?」という声が祭壇から聞こえる。
その声にリアとアルがハッとしたような顔をする。
「いただきます忘れてました!」
「ネタばらし忘れてた!」
「何故我を顕現させないのだ!」
三者三様の思い出し。
いただきますは大きな声で。
ネタばらしは早めに。
顕現は……、俺が思い出すべき事だった。
毒気を抜かれるというのは、こういう事なのかもしれない。
アルの「いただきます!!」で始まった食事を楽しみながら、そもそも財布を握られてるも何も無く、部屋と同時にある程度の家具も支給されるので本当にコーディネイトしてくれただけというリアのネタばらしに少しだけ胸を撫で下ろし、紹介がてら煙を使った顕現がすこぶる不評だった事に苦笑した。
何故部屋に入れたかと言うことを聞くとリアは「へへー」と笑いながら手をグーパーして見せた。
「それ、鍵付きでも問答無用なんだな」
「扉の向こうをどれだけ知っているかにもよりますけどね。
大体間取りは同じですし、コーディネイトした私ならこの右手でバッチリ開通なわけです」
リアは悪意の無い表情で笑うものの、改めて中々に悪巧みが出来そうな能力だと思った。
だが彼女に悪意が無いからこそ、その能力には好意が持てた。
「だからコイツをあまり見なかったのか。本来の鍵はこれだよな?」
俺がリアの前にデバイスを出すと、食事もそこそこに空いた皿を重ね始めていたアルがキラキラした目でそれを見る。逆にリアは少し眉を潜めた。
「あー……、私ガラケー派なんで……」
「えぇ……?」
「地球ジョークです……。あぁ、多機能って疲れますよね……」
困惑した俺の反応が心に突き刺さったのか、リアは両手で顔を覆って後悔を表現しながら小さく呟く。
地球ジョークなる新たな彼女の能力は忘れる事にして、要は苦手なのだろう。
顔にクエスチョンマークを浮かべながら俺達の会話を聞いていたアルが「触ってもいいですか?!」と言うので渡してやると「面白いですねー!」と言いながらサラリと使いこなしていた。
文化的にアルの世界では一切存在しなかった物だったので少し意外だったが、確かにアルは飲み込みも早いく細かい作業が得意そうだと納得しながら、チラリとリアの方を見る。
彼女は未だ顔を覆った両手の指の隙間から楽しそうにデバイスを操作するアルを見て「若者め……」と唸っていた。
それは若さじゃないんだ、とは口が裂けても言えなかったが、興味本位で覗いていたカークが「そこはこうではないか?」なんて事をアルに言っているのを聞いてしまったリアは、一旦丁寧に自分の目の前にある皿を避けて、音を立てずに机に突っ伏していた。
「大丈夫、向き不向きってあるから……」
「ガラパゴスに帰ります……」
俺の世代ならまだ分かるが、もはや通じない層もいるであろうガラパゴスの話を擦り続けるリアを生暖かい目で見守りながら、楽しそうにスマートなデバイスを弄り回すうら若き少女と永遠を生きていそうな炎魔のコンビを見てその絵面に少し笑った。
つまり、毒気を抜かれるというのは、こういう事だった。
食事が済み、リアが淹れてくれた……というよりも台所から運んで来た茶を飲んでいると、リアに土産話をねだられる。
アルとカークは未だデバイスに夢中のようだった。
俺が「個人情報に辿り着かれるのは少し抵抗があるが……」と漏らすと、リアは「どうせ重要な情報は本人じゃなきゃアクセス出来ませんし? 出来ないらしい? ですし? 飽きるまでやらせときゃいいんですよっ」と少しだけ毒づいた後、少し真剣な顔で俺の目を見た。
「どうでした? ネメさん」
第一声がそうなるあたり、やはりネメは中々に奇抜な存在なのだろう。
「酒を奢ってもらった」
「えぇ……、禁酒の誓いは何処へ……」
そんな事をした覚えは無かったが、確かに最初は飲むつもりなど無かった事を思い出す。
「掴みどころが無かったな。
でも何だろう、悲しい人に見えた」
それを聞いたリアは少し難しい顔をして頷く。
「強い人ですけど、あんまり良い立場では無いって聞きます。
神様の事は?」
「あぁ、彼女が神の娘ってヤツか? それが本当なら、あえて教えてくれたように感じたな」
ネメは言うべき事、というよりも言いたい事の取捨選択が激しいタイプだと感じたからこそ俺も素直にそれを信じている体で話を続ける。
「実際にそう……なんだと思います。
だからネメさんは物語を継がなければいけない立場なんです」
その言葉でピンと来た。
あの纏う悲しみの正体は、それだ。
私は物語を作れないと言った彼女の言葉。
神の子は神。サライブが神の図書館であるならば、ネメがすべき事も決められているはず。
「本来は、監査官なんて立場にいる人じゃあないんです。
物語の中に入るのはそもそも司書の仕事なんですから、神様がする事じゃないのに……」
悲しそうに語るリアを見て、彼女のその優しい心根を改めて確認した気がした。
どうにかしたいと思っているのだろう。
だが、どうにも出来ないとも思っているのだ。
「本当に、現実こそどうしようもない物語だ」
そう呟いた俺の心根は、どうだろうか。
俺が感じたのは憐れみだ。
それはきっとリアが抱く感情とは少しだけ違う。
「いつか、報われると良いですよね」
「ああ、いつか救われると良い」
そして、彼女を想って口から出た言葉も、ほんの少しずつ違った。
言葉は、人を裏付ける。
救われるだなんて、まるで誰かに丸投げしているような言葉を思わず口走っていた自分の事が、俺はやはり好きになれなかった。
「でも、まずは」
それでも、そう思いながらも、俺は目の前の女性を真っ直ぐに見据える。
――救われるのではなく、救うのならば。
俺にそこまでの力は無い、それでもやる事があるとするなら、そういう事だと信じる事にした。
それは、死して尚こんな世界で生きているという現実を飲み込めた時から、いつの間にか産まれていた感情だった。
救えるならば、救う。
だが、救うにも、順番がある。
何故ならば、この世界に来て一番最初に見た悲しい顔は、目の前にいる女性の顔だったのだから。
何故ならば、あの世界から俺を救ったのは、目の前にいる女性だったのだから。
「リア、お前の物語を救いに行こう」
その言葉に、リアは一瞬キョトンとした後、目を大きく見開いた。
そして、その綺麗な翠色の目が、細く笑う。
「センセ、ちょっと変わりましたね」
少しだけ涙声のリアが茶化した。
格好をつけたつもりは無いが、最初にリアが自分の物語を見て胸を撫で下ろした時から、いつか言うつもりだった。
だから、ちょっとした、気障な告白のようなもの。
まず俺は、その世界を救いたいと思っていたのだから。
「まだ酒が残ってるのかもしれない」
俺が照れ隠しに真面目な顔でそう言うと、リアは目を拭って「もう!」と笑ってから小さく「ありがと」と呟いた。
この俺の人生という物語を終わらせなかった彼女の為に、あの世界で途切れるはずだったはずの、何にもなれなかった俺の物語を続ける事を許してくれた彼女の為に、俺は救うという言葉を口にしたいと思った。
俺の間違いだらけの人生の中で、想像だけではどうしようもないこの現実で口にした言葉が、どうやら彼女にとって嬉しい出来事になった事に、俺はそっと胸を撫で下ろしながら、まだ少し熱いお茶を飲み干した。




