第四十六筆『キミと一緒ならもしかするかもね!』
戦いは終わった。
誰もが満身創痍というわけでは無かったが、少なくとも俺とジョンについてはお互いに壁を背に座り込んでいた。
「兄ちゃん、火ぃ頼めるか?」
ジョンが懐から取り出した吸口が赤く染まっている煙草に、俺は人差し指で火をつける。
それを見たジョンがハハ……と小さく笑い、目を細めて煙草を口元へ運ぶ。
「世話、かけたなぁ」
再び血なまぐさいホールに紫煙が揺れる。
決して煙草の匂いを心地良く思ってはいなかったが、今はその匂いが愛おしくすら感じた。
「お互い様ってことで」
俺達はお互いの相棒を遠目に見ながら、深く息を吐き出した。
彼のそれが安堵だったのか、心配からなのか、それともただ深く吸い込んだ紫煙を吐き出したのかは分からない。
「兄ちゃんも大変だな、あんなじゃじゃ馬見たことねえや」
どうやら俺の安堵は、彼から見れば溜息に見えたらしい。
「信じられるか? 実は出会って間も無い。
だから何にも知らないし、ああやって笑うのも……今知ったよ」
自分を称して物語を終わらせる人だと言った彼女は今、ジェーンの頭をそっと撫でていた。
その笑顔は優しく、非情だと感じた彼女の独白とは程遠い表情に見えた。
しかしその後の耳打ちの後に何か、おそらく武器の類いを手渡したのを見て、やはり彼女はどうあれ彼女なのだという妙な納得をしてしまった。
「でもこれだけは分かる。悪い事吹き込んでんだろうなぁ」
俺が呟くと、ジョンが声を上げて笑う。
「こんな世界で良い事吹き込まれるよりかはずっとマシさ、だろ?」
「違いない」と笑いながら、俺はジョンの言葉に、少しだけ胸を痛めていた。
生き続けるという事は、戦い続けるという事だ。
生かしたという事は、戦わせるという事だ。
この物語がもし平和であれば、物語としてのハッピーエンドが存在するのならばまだしも、サライブないしシェオンはこの物語を人の産まれるべき世界だとは認識しない。
それがどういう事なのかは分かっているし、それでも俺はきっと彼らを救おうとしただろう。
「なぁジョン、余計な世話だったか?」
もし、そうであっても、それでも俺は救っただろう。
だからこれは余計な一言。
「あぁ? そうだな。
まだ生きなくちゃいけねえや」
「だったら……」
だったら悪い事をしたと、表面上だけでも謝れば俺の気は済んだのだろうか。
だが、その言葉を遮るようにジョンは俺の頭を左手でグシャグシャとかき回した。
「真に受けんなよマヌケ、女にモテねえぞ」
笑いながらジョンは俺の頭から手を離した。
そして、右手でまた煙草を吸う。
「こんなに美味いのは久々なんだ、それだけで釣りが来る。
さぞかし、酒も美味いんだろうな。 なぁジェーン!」
こちらを見たジェーンに、ジョンは杯を傾けるジェスチャーをすると、彼女は走り出す。
「可愛いもんだよ」
「パシリじゃねえか」
「アイツはそれが嬉しいんだってよ。
やる事、与えてやらなきゃな」
どちらにしろパシリのような気もしたが、彼らの関係性はきっとそれで良いのだろう。
ジェーンが息を切らして持ってきた缶酒を俺らは受け取って開ける。
少し羨ましそうに見ているジェーンに「いつか大人になったらな」と彼は笑い、ジェーンも嬉しそうに頷いた。
その言葉に、本当に救われた気がした。
彼らは『いつか』を語ったのだ。
これからも、きっと葛藤はあっても、俺はその『いつか』を聞けたなら、俺は俺の行為を許せる気がした。
「あー、さっさと飲みたいとこだが、何に乾杯する?」
ジョンは意外と縁起を気にするタイプらしい。
だから俺は笑って、彼の缶に真正面に自分の缶をぶつけた。
「俺達の未来に」
「ベタだが、まぁいい。
死ぬまで生きようじゃねえか」
二人で飲んだその缶酒はやはり苦かったが、それもどうしてか、悪くなかった。
ジョンは実に美味しそうにその缶酒を飲み干す。
そしてその空き缶に煙草を落とし、クシャリと握りつぶした。
「じゃあ、頃合いだな」
「あぁ、頃合いだ」
別れを意識していたのは何も自分だけでは無い。
立ち上がって、俺達は固く握手をする。
「お前らの事はよく分からん。
だが俺らの事もお前らは分からんだろうさ。
それでも、悪くなかった」
その言葉に俺は頷く、そしてジョンは痛いくらいに手を握った後に、ジェーンを呼んで自室へとい帰っていく。
ネメの「じゃあねー!!」という明るい声に、ジェーンが振り返って手を振るのが見えた。
「今生の別れにしちゃ、淡白だよな」
俺が言うと、ネメが笑う。
「そーいうもんだよ。
特に今回の場合はさ、ジェーンはともかくジョンあたりは違和感に気付いてる。
だからこれでバイバイが一番都合が良いの」
「そういうもんか」
「そーいうもんだよ」
言いながらネメと俺も自室へと歩く。
彼女は鼻歌混じりで上機嫌そうだった。
「アレ、何あげてたんだ?」
「なーいしょ!」
その笑顔が作られた物か自然な物か、もう俺には判断が付かなくなっていた。
だが、見える部分にだけ気を取られていてはいけない。
きっと彼女の心は笑っていない。だがそれでも、彼女は笑う。
マヌケな俺の前で、彼女は笑っているのだ。
「また難しい顔してるねぇ、せっかくの大団円なんだから笑わなきゃ!」
ネメは俺の顔を覗き込んで、また笑う。
「お前が笑えば笑うさ」
そう言うと、ネメは声を上げて笑った。
一本取られたかと言うように、膝を叩く。
「んっっとに!! キミの乙女心のオの字もわかんない感じ、凄いよね!」
「お前の場合は、乙女心だけで語れるような心してないだろ」
俺のちょっとした嫌味は、彼女にとっての核心を突いたようだった。
一瞬、彼女の顔が固まってから、誤魔化すように小さく笑う。
悲しいが、その表情は本物だという事が分かった。
溜息を付きながら、彼女はハリボテの笑顔でこちらを見る。
「面倒な女だと思わない?」
「あぁ、思うよ。
それでもお前、記憶を消せないんだろ? なら面倒なのは仕方無い」
「そういう事じゃなくて、でもまぁそういう事でもあるのか。
キミも大概だ」
彼女の手を伝って流れてきた記憶を、一つずつ思い出すつもりはない。
それは俺にとって少しずつ薄れていく物だ。
けれど彼女にとっては違う。
彼女が記憶する事の神であるならば、その忘れられない膨大な死と終わりを背負って尚笑顔を作れるのが奇跡のような事だ。
「でもね、何だかんだ嬉しいのは本当なんだ。
だから私は、この嬉しさを時々思い出して生きていくの。
いつか、この小さな喜び達が、悲しい記憶を塗り替える日も来るかも知れない」
寂しげな横顔を眺める、思えば俺はネメの歳も知らない。
あの記憶の中の彼女はいつも同じ風体だった。
「塗り替える日、来ると思うか?」
「どーだろなぁ……。
キミと一緒ならもしかするかもね!」
その声色は冗談だとすぐに分かったから、俺も「買い被るなよ」と苦笑した。
「酷いなぁ、そういうとこだよ、そういうとこ」と笑うネメは、もうアクトレスの顔に戻っていた。
部屋に付いて、本をテーブルの端に置く。
「ちょっと飲んでこっか?」
ネメの誘いに首を振る、すると彼女は「そっか」と呟き、飲み残していたボトルに直接口を付ける。
制する暇もなく、彼女はグッグッとその瓶の中身を煽っていく。
アルコール度数は相当高いはずなのに、彼女はびくともせずにそのボトルを飲みきった。
「ふぅ……、ごちそーさま。
しかし、本当に悪くなかった。
キミは良い秘書になるよ」
『ふぅ』では無い、倒れてもおかしく無い量を一気に飲みながら、少しも動じていない。
真似してはいけない酒の飲み方の最たる物を今目の当たりにしてしまった。
「それは有り難いが、そっちも本当に良い女優になれそうだ」
要は俺と一緒に水割りを飲んだ時は軽く酔ったフリをしていたという事になる。
ネメはシシシと笑って、瓶を置く。
「私は最強って言ったでしょ?
私、お酒を美味しく飲む為の飲み方はいくらでも知ってるけれど、酔う為の飲み方は知らないんだ」
「勝利の美酒も形無しだな」
「乙女心的には、色々と複雑だけれどね」
そう言いながら、ネメはこの物語を机の中心に置く。
「そういえば、なんでこの物語、なんでフレームアウトってタイトルだったんだろうな」
光り始める本を見ながら、ふと呟く。
「気付かなかった? ジェーンの事。
これはあの二人の話だけれど、主となるのはあの子。
いつだって私達の視界から消えていたでしょ?」
言われて気づく。
初めて会った時、ジョンに物を頼まれる度、そして戦闘中も彼女の姿を見ている人はいなかった。
「つまり、フレームアウトした彼女を守る話か」
「かもねってだけ、もしかしたら別の意味のエンジン停止なんていう意味かもしれない。
ま、こうなっちゃうともう作者のみぞ知るってとこだよね。つまり永遠に分からない」
そんな事を話していると、目の前に手が差し伸ばされた。
視界が真っ白く染まっていく中「お疲れ様」という言葉と一緒に、ネメは俺の手を握る。
その瞬間流れ込んできたのは、今回の話に於けるネメの記憶だった。
俺は、その記憶の中身に苦笑しながら少しだけ強めに彼女の手を握り、悪戯っ子のような顔で笑うネメに向かって笑って「お疲れ様」と返した。
本当に、極々当たり前の話。
人間は色んな感情で出来ている。
しかし、このちゃらんぽらんに見えて、真意を読ませるつもりもない癖に、最後の最後で掌から今回の全部を伝えてくる少し面倒な彼女。
ただ、その記憶は他の悲しい記憶と違って、俺も忘れようが無いだろうと思った。
「買いかぶり過ぎだ」
改めてそう言いながら、少し赤らんだ顔の彼女を見る。
「何のことだか」
彼女が言いながら手を離すのと同時に俺達は光に包まれ、この物語の舞台から文字通りフレームアウトしていった。




