第四十四筆『待たせたな、相棒』
不安げなネメ達の視線を目の端で捉えながら、もう数分の攻防が続いていた。
カークの噛み殺す程度の笑い声は、そのうちに止み、ただひたすらに切り裂き、燃やす。
時折体に当たりそうになる大型ニュービーの攻撃は、俺の体に纏わりついて離れない炎に触れた瞬間、滑るように受け流されていく。
――炎魔は、負けない。
そもそも、今この体は相手の攻撃が当たるように出来ていないのだ。
炎が身に降りかかる攻撃全てを邪魔していると言って良い。
それは最早、炎の域を越えているが、カークは炎魔だ。
その出自を聞いた事は無いが、彼の体が炎で出来ているとするならばおかしい話ではない。
俺の体は一時的に『炎の固体化』を可能としているようだった。
俺の体の周りに、決して破れない炎の壁が出来ている。
水でもかけられたら別かもしれないが、それでも一瞬で蒸発させてみせるのだろう。
このバリアとも呼べる身に纏う炎を破る術は自分の事ながら思い浮かばなかった。
だからきっと、炎魔は負けない。
――だが、このままでは勝てない
何度切り裂き肉を削いでも、俺を掴もうとしたその腕を一つ灰にしても、減らない。
俺の体を依り代に顕現したカークは、至極真面目にニュービーを殺そうとしている。
それでも、ニュービーの再生速度が尋常ではない。
その赤い肉塊は、幾つの命を喰らい、どれだけの血を啜ってきたのだろう。
一本の腕が灰と化したところで、質量が減っているという感覚も無かった。
すぐにまた何処からか新しい腕が生え、炎を壁を滑らせて行く。
「これは、つまらんな」
カークが俺の声でそう呟くのと同時に、俺は急に足の力が抜けて転びそうになる。
「死なず、殺せず、そんな物愉快であるはずが無い」
彼の言いたい事を、俺は理解していた。
だから、両の足を踏みしめて、ニュービーの拳を受け止める。
「せっかくだ、くれてやるから遊ぶがいい。
尤も、つまらんがな」
カークの悪態と一緒に、カークが放っていた熱が冷めていく。
炎の壁は薄まり、両手の爪も人間並みの物へと戻っていた。
「やっぱり、俺にインファイトは向いてないみたいだ」
俺が言うやいなや、ニュービーの拳が俺の肩を掠める。
その一撃は俺の体の炎の壁を振るい落とし、俺を入り口付近の壁へと叩きつけた。
ギリギリ体に纏っていた炎の壁のお陰で痛みはそう多く無かったが、炎魔の興醒めは自分勝手に俺を死の淵へと立たせる。
体にみなぎっていた全能感が薄れていく、だがそれが残念だとは思わなかった。
炎魔の力でも圧倒出来ないなら、戦うよりも、考えるべきなのだから、これで良い。
これで終わるかと思っていたが、物語は諦めが悪い。
まるで、俺にそいつを殺させないと言わんばかりに、その炎を打ち消すのだから、仕様がない。
だが、炎魔との共闘も意味がないわけではない、大きな収穫があった。
たった今まで数分間と言えど、俺の体を操った炎魔の動きは、人間を超えていた。
悪魔なのだから当たり前だ。俺はただの人間でしか無いが、それでも悪魔に使われた俺の体は、まるごと再現出来なかったとしても、その動きを覚えている。
――だから、次は躱せる。
その腕を燃やし尽くした後、ニュービーの生えて間も無い新しい腕にはまだ爪がついていない。
だから単純な打撃が目の前に迫る。
今の俺にそれを受け止める力は無いだろう。
だが、僅かな時間で、カークとニュービーはどれだけの攻防をしていただろうか。
カークが飽きて戦闘を放棄する程度には、受けて躱してを繰り返していたのだ。
その腕も、何本目だったか覚えていない。
本来一対一の戦い等、殺す気でやればそう時間がかかるものでは無いのだ。
なのに当たらない炎魔と死なない化け物は、それを続けた。
その結果見えたのは、当たらない為の動き方。
「ちょっと時間が欲しいんだ、思い切りやれよ」
俺はその拳の真下をくぐるように身を下げ、一直線に駆け出す。
後ろでは思った通りの轟音が響き渡っている。
壁が崩れる音を聞きながら、俺は右手で黒炎を床に撒き散らしながらネメ達の元へと走った。
「ちょっと! いくらカーくんの力が使えるからって無茶しすぎだと思うんだけど!!」
ネメは走ってきた俺を少し大きな声で叱咤して、俺の肩を一瞥してからホッとした顔をする。
俺はその言葉に手を上げて「悪い」とジェスチャーをしながら、少し不安そうな顔のジョンとジェーンにも苦笑を向ける。
「やれるかと思ったんだけどな」
「フン……、くだらん化け物を作ったものだ」
カークの不愉快そうな声がポケットから聞こえてくる。
炎魔の力を使っても倒せない物語のとっておきを、俺達だけで倒そうとしたのが間違いだったのかもしれない。
だが、それでも多少の戦果くらいは持ち帰りたか
ニュービーは俺が撒き散らしてきた黒炎と、壁にめり込んだ腕の処理に時間がかかっているようで、こちらに来るまではもう少し余裕がありそうだった。
「それで、どうすんだよ兄ちゃん。
ヤケにガンガンやってたが、キリが無さそうだったぞ?」
ジョンが口元を抑えながらこちらへやってくる。
このむせ返る血の匂いは、彼には辛い物があるのだろう。
ジェーンが彼を心配そうに見えていたが、ジョンは覆った手を振って笑いかけていた。
「あぁ……、アイツは一発一発じゃ駄目だ。
だから、復元させる暇も与えずにどうにかするしかない」
「するしか無いって言っても、そんな立派なのは持ってないよ?!」
ネメが自分の武装をバラバラと床に放り出す。
彼女の強みはその手から放たれる無限の弾丸、有象無象を倒す分には良いかも知れないが、こういう敵とは相性が悪い。
だが、もし彼女のシュシュが魔法であるならば、望みはある。
「なぁ、ジョン、ネメ。
二人の持ってる銃で一番連射が効くのって、どれだ?」
その言葉に二人は不思議そうな顔でこちらを見る。
後ろでは、ニュービーがゆっくりと歩き出す音が聞こえていた。
「私の中ではこれだけど……」とネメが言いながらジョンの顔を見る。
「あぁ、俺のサブマシンガンが一番早いだろうな」
その言葉を聞きながら、俺はニュービーへと向き直る。
「そいつ、取ってきてくれ」
そう言うのと同時に俺はこちらへ向かってくるニュービーへと駆け出した。
だが、隣にはジョンの姿もある。
ジョンは俺の顔を見てニヤリと笑ってからジェーンに向かって叫んだ。
「ジェーン、物は分かるな?! 頼んだ!
……兄ちゃんばっかに任せてやるかよ」
それを聞いて、俺もまた笑いながらゆっくりとこちらへと殺意を向けるニュービーを見据える。
「ネメ! 通路側、注意しといてくれ!」
「言われなくても! あーもう! そりゃそうかもしんないけどさあ!」
ネメの悪態と共に、後ろで銃声が聞こえる。
そりゃそうだ。
物語は聞いている。
だから、邪魔をしにくる。
「ジェーンが持ってくるまでの我慢だ。
やれそうか?」
俺は消えゆく黒炎を見ながら、ジョンに問いかける。
「あぁ、アイツなら大丈夫だよ」
どうやら、質問の仕方が悪かったらしい。
余程信用しているのか、ジョンは誇らしげにジェーンは大丈夫だと言う。
だが、その顔の小さな諦観に、溜息をつきたくなった。
「あの子はこれからも、アンタと生きるんだからな」
俺はコートのデリンジャーの引き金を引きながら言う。
返事は待たなかった、表情もあえて見なかった。
結果だけが全てでは無い事もあれば、結果が全ての事もある。
今この状態に於いては、生き残るという結果が全てだ。
――だから、俺は銃を手に取る。
きっと、だから彼もまた、その身に宿した獣性を解き放つ。
ジョンの飛躍と共に、俺が両手に持ったデリンジャーが火花を咲かせた。
その巨体であれば、大型と呼んで差し支えない程の巨体であれば、近づかずとも外れる事はない。
それでも器用に腕を撃つ自信は無い、だが腹部に穴が開いた衝撃によって一瞬よろめくニュービーにジョンの鋭く伸びた爪が突き刺さる。
俺は即座に両手のデリンジャーを投げ捨て、次のデリンジャーの引き金を引く。
硬いトリガーを思い切り引いた後、カークの炎の力と共に爆発的に飛び出す弾丸は、標的を貫くというよりも肉を吹き飛ばす衝撃の為に存在しているようだった。
後ろからはまだ銃声が聞こえる。
流石に目の前のニュービー程厄介では無いにしても、少し心配に思った。
だが、ジョンが脇目も振らず戦うのだ。
その、相棒を信じられる気持ちが少し羨ましくも思った。
だから俺もまた、振り返るのはやめて、次の銃撃を用意する。
銃撃は確かにニュービーの歩みを止めている。
それに、ジョンの爪撃にもうっとおしそうにニュービーは腕を振り回す。
だが、それでも倒せる気配は少しも無い。
背負ったままの小さなリュックの中にも解決策は無いだろう。
「このコートも軽くなったもんだよ」
響き続ける背後の銃撃と、俺が十数秒に放つ銃撃がしばらく続き、もうコートの裏にはデリンジャーが少しあるだけで、ネメの浪漫は品切れになりそうだった。
ニュービーの体に開いた穴の数では、撃ち込んだ数ははかれない。
何故ならもう既にあれだけの衝撃を以てしても、その傷は塞がっていくからだ。
ジョンとの攻防もジリジリとジョンが劣勢へと追い込まれていく。
際限なく動き続けるニュービーに比べて、ジョンはニュービーの腕を受け止めるのに、精一杯に見えた。
「食えるもんなら……食ってみろ」
ジョンが何かを思い出したように、小さく叫ぶ。
そして受け止めていたニュービーの腕を押し返し、大きな目玉に爪を突き刺すが、それでもニュービーは一瞬怯むだけで、その目から血を吹き出しながらもジョンを突き飛ばす。
「代わるよ」
俺と隣まで吹き飛ばされたジョンに一言残して、俺はジョンの代わりに前へと出る。
左から来るニュービーの腕を右手で掴みながら横に避け、残り少しとなったデリンジャーを目玉へと撃ち込む。
酷くグロテスクな光景だが、その眼球の穴すらすぐに癒えてしまうのだろう。
覚悟を決めて、俺はまだ腹部に開いたまま穴に右手を突き刺し、炎の力を込める。
だがそれでも、その鼓動は止められない。
唸りを上げるニュービーの声は聞こえたが、それは怒りを孕んでいるかのように聞こえた。
まだ、あと少し、燃やせる。
そう思いながら力を込めるが、どうやらそれは誤りだったらしい。
体に大きな衝撃が走り、俺は後ろへと吹き飛ばされる。
一瞬何が起こったか分からなかった。
背中を打ち、息ができない。
体には、無数の切り傷も見えた。
苦しみに喘ぎながら、その視界の先には、三本目の腕が生えた化け物が目に映った。
「んだよ……、もう、人ですら……」
進化し続ける化け物に、思わず声が漏れていた。
最早、人としての存在すら捨てる事を強要されている。
本来の結末は、どうだっただろう。
――たとえ作者だって、こんな化け物は作らない。
ぼやける視界に、人影が移る。
「兄ちゃんには、こいつを何とか出来るんだろ?
なら、殺させるわけにゃいかないんだよ」
その人影の両腕がその化け物に引きちぎられ、ゴミのように吹き飛ばされたのと同時に背後の銃声が止んだ。
そして手にサブマシンガンを持った少女の元へ、俺は全身の痛みを振り切りながら駆け寄る。
「間抜けは、アンタじゃねえか」
振り返らなかった。
――彼は俺を信じたのだ。
「ジョン……!!」
叫ぶ少女の声に「大丈夫」と一言告げて、彼女のサブマシンガンを手にとった。
――だから俺も、彼を信じよう。
「ジョン……。すぐ、終わらせるから……、生きてろよ」
俺はそのサブマシンガンを手に、ネメの顔を見る。
彼女がこちらに近づいてくるのがぼんやりと見えた。
意識が朦朧としているのか、距離感がつかめずに倒れそうになる俺を、ネメは受け止める。
「待たせたな、相棒」
思った以上に、疲れた声が出て自分で笑いそうになった。
俺が差し出すサブマシンガンを、彼女は神妙な顔で受け取る。
「これだけじゃ、足りないと思うけど?」
ネメの挑発的な台詞に、俺はクスリと笑う。
「だから、こうするんだろ? 照準は、任せた」
俺は、ネメが指をかけたトリガーの上から、自分の指を重ねる。
――この話はもう、終わりにしよう。
唸りながら、今までよりも俊敏にこちらへと向かってくるニュービー。
悪意を持って俺達に迫りくる物語を終わらせる為に、俺達は終わらない銃弾の嵐の、始まりのトリガーを思い切り引いた。




