第五筆『火をつけた棒が最強かもしれませんよ?』
本から放たれた光に思わず目を瞑って開くと、俺とリアは木造の部屋の中にいた。
さっきまでいた扉が一つで窓も装飾も無い暗い雰囲気の部屋ではなく、窓からは陽の光が差し込んでいる部屋。
部屋の広さ自体は先程までいた部屋とそう変わらないと思うが、先程の部屋と同じく中心に丸い机があるのに加えて、ベッドが一つと天井程まである棚が一つある分、少し狭く思える。
「ベッドが一つ……」
俺があえて目を逸らした事実にリアはサラッと触れる。
「ま、交代で使えばいっか!」
彼女は笑ってこの部屋、というよりも小屋にいくつかあるドアの先を確認していた。
「右手がお手洗い、といっても中々に古風ですが……。
左手は簡易的な調理場ですかね? お風呂は無しかぁ……」
そもそも男女で同じ部屋とはいかなるものか、と思ったが俺の気にし過ぎなのかも知れない。
生きている時にせめてもう少し……という今や水泡どころか血泡に消えた後悔なんてものが頭をよぎるのは、その棚に立てかけられている剣が目に入ったからだろう。
―――ファンタジーがリアリティを帯びてきた。
そんな馬鹿げた言葉の繋がりがあるか! と叫びたくもなるが、その剣は何かを切り裂くためにあるのだ。
俺はその鞘から抜いた刀身を、振り下ろせるのだろうか。
そう考えているうちに、リアはさっさと立て掛けてある剣を掴んで、鞘についている吊紐を肩にかけた。
「これは、私のですね」
何度も物語の中へ行っていたからだろうか、それとも初めて物語の中に入った俺への配慮からだろうか、またはまるで俺を当てにしていない……というのはあまりにもひねくれ過ぎかと頭を振った。
そして、ひねくれる必要など微塵も無かったようで、彼女は棚の中にあった少し大きめの銀色で少し大げさな装飾が施されたライターを手に取ってこちらに見せた。
「これはせんせーのです、意外とオシャレなヤツでしたね」
彼女の手には少し大きいそれは、昔見た映像作品に出ていた、魔法のライターに良く似ていた。
俺もまた無意識にファンタジーを想像していたからこんな風貌の物が出たのだろうか。
銀色の装飾が目に眩しい。
そして、そのライターの中央には首から下げるには長すぎるチェーンが通っていた。
「これは、こういう事でしょうね」
そう言いながら彼女はいつのまにか服装が変わっていた俺の腰元のベルトにチェーンの片方を固定してから、ライターをこちらに手渡した。
俺はそのライターをポケットに入れる。
「失くさないように、ですかね? とはいえ今の服装だとややミスマッチですが……」
物語に迎合すべき道具は一式揃っているという話だったが、俺がいつのまにか着ていた服はベルト付きの茶色いズボンと、白いシャツに、それにやや大げさなフード付きのマントだった。
流石にマントをつけた事は無かったが、それ以外は今まで着ていた服とそう変わらない。
ただ確かにこの服装に、銀色のチェーンが付いているのはなんともミスマッチだ。
彼女の服装も変わってはいたが、上着は元のワンピースを短くしたような白く長いなめらかな生地の服で、どうやらその下にはズボンを穿いているらしかった。
「そっちは綺麗な服のままで羨ましいな」
そう言うと彼女はどうしてか少しだけ頬を赤らめる。
「で、でももうカモフラージュの魔法が発動しているのでせんせ以外にはこの世界の一般的な服装に見えるようになっちゃってますけどね」
彼女はそう言ってヒラリと上着の裾をめくると、ベルトと、一瞬その上の肌が見え、俺は目を思わず逸らした。
彼女もそれに気付いたらしく、一瞬の沈黙があったが俺はあくまで気にしない素振りで、棚を眺める。
剣は一つしか無かったが、棚にはまだ幾つかの道具が置いてあった。
鞘に入った短刀が二つ
見慣れた幾つかの果実。
流石に包装はされていないものの、干し肉であろう物。
それとこの世界での貨幣がある、どのくらいの価値かはわからないが、大量とは言い難い。
最後に、小型のバッグが一つ。
「荷物持ちは、買ってでるよ」
バッグの中に食料を、外にあるポケットに貨幣を入れ、俺はバッグを肩からかけた。
残るのは短刀が二つ、それを見つめていると、リアはそのうちの一つを手にとった。
「これは、私の」
そしてこちらの目を見て、頷く。
「ああ、これは俺のだ」
二人同時に腰のベルトに鞘をくくりつける。
彼女が後ろを向いてこそっと上着の裾をめくっていたのが少し面白かった。
「意外と平和そうなんですけどねぇ……」
リアが窓から外を眺めて小さく呟く。
その隣に立ち外を見ると、どうやらこの小屋から見えるのは街の中心地のようだった。
両端に店らしき建物がズラリと並んでいる幅の広い道が遠くまで続いている。
その奥には広場があるが、確かに何処も荒廃してはいない、戦いの色が見えないのだ。
おそらく戦争が続く物語で生まれた彼女が平和と称したのはそういう意味なのだろう。
ただ、その中心地に人が一人もいないのは不気味だった。
「ただ殺す為に活動する……」
俺は窓から離れ、丸机に収まっていた本を手に取り開く。
この物語の敵……悪魔の項を読む限りでは、純粋な殺戮のみを行う生物のようだった。
「きっと、建造物の破壊なんかには興味無いんだろうな」
俺はそう言って本をバッグにしまい込んだ。
「そっか……、なら、外に出るのはちょっとした覚悟がいりそうですね」
つまり、此処からは遠くて見えないだけで、実際にはあらゆる場所に朱色がばら撒かれているわけだ。
「それでも、行かなきゃなんだよな。
まずはどうする?」
「とりあえず最優先はこの物語の主人公が死なない事なので、何とかこの世界の主人公さんを見つけ出しましょう。
次に優先すべきは私達が死なない事。一時的ではあるものの、この物語の住人になっていますから、おそらく悪魔は私達をも標的と認識するはずです」
「なら、単純に聞き込み調査からか。主人公の名前は……、ウィルだな」
要はそのウィルが無事奮い立ち、悪魔達を殲滅出来れば良いのだ。
怪我の状態は分からないが、もしかすると俺達がすべきは持久戦になるのかもしれない。
「じゃ、行きましょう。逸れた時の為にこの小屋は拠点として場所をよく覚えておいてください。
私の場合は空間転移が可能ですが、せんせが逸れちゃうとどうしようもないので!」
彼女は小屋の入り口のドアノブをぎゅっと握りながら、ブツブツと何かを呟いてから、ドアノブをひねった。
「セーブ完了、いざ……!」
そう言って、外に出る彼女の後に続き、俺が一歩外に出た瞬間の出来事だった。
―――風を切る音と、金属がぶつかり合う甲高い音。
「せんせ! 私の後ろに!」
リアが俺の前へと飛び出す。
その手には、もう既に鞘から抜かれた剣が握られていた。
視線の先には、二の矢を撃とうとしている何者かがいた、矢を放ったその生き物が悪魔だとすれば、それは俺が思っていた以上に人間に近い。
「ずっるいなあ!」
リアが剣で二の矢を弾いたと同時に、三の矢が飛んでくる。
窓から見える景色に人っ子一人いなかった理由は、おそらくこれだ。
その生物は嗤っている。
その顔を見てこいつは、悪しき存在だと言うことがすぐに分かった。
嗤いながら次の矢が放たれる、それを彼女は撃ち落とすが、徐々に矢が放たれるペースは早くなっていく。
―――奴らにとって、これはただの遊びだ。
ハンティング、と言い換えるべきかもしれない。
とにかく、少なくとも視線の先に見える悪魔の目に映るのは憎しみでは無い。
悦び、下卑た悦びだけがその表情に浮かんでいる。
それをどうにも出来ない自分を、ひたすらにその表情を苛立たせ続けた。
「もう、こっちは遊びじゃないんだけどな!」
彼女も悪魔の表情に苛立ちを覚えていたようで、七本目の矢を弾き飛ばした瞬間、腰にくくりつけた短刀を鞘から素早く取り出し、悪魔に向けて放り投げた。
俺がいる必要があっただろうか、そう思う程に狙いは的確で、八本目の矢は放たれる事無く、その悪魔は俺達の目の前へと転がり落ちる。
初めて間近で見る生物の死に、俺の表情は固まっていた。
「ん、何とも手荒い歓迎でしたね……、弓矢はずるいですよ……」
彼女はそう言いながら悪魔の脳天に刺さった小刀を抜き取る。
「悪い、何にも出来なくて」
見ていただけの俺に、彼女は笑って悪魔の血液がついたままの短刀を見せた。
そして彼女の視線は、俺のポケットにある。
「せんせ、この短刀ライターで炙ってみてくれます?」
俺は言われるがままにポケットからライターを出し、火をつけ彼女の短刀に近づけた。
するとその瞬間、血液がまるで油かとでもいうように燃え盛る。
彼女は短刀が纏ったその炎を目の前にいる動かない悪魔の方へとふるい落とすと、十秒もかからないうちに悪魔の姿は消えて無くなる。
まさかこれ程までとは思わなかった、火は想像以上の弱点だったようだ。
「火をつけた棒が最強かもしれませんよ?」
リアは有り得そうな事を言いながら笑って剣を鞘に仕舞う。
彼女はたった今、死を見て、死を与えたというのに、その表情は全く曇らない。
その事にギャップを感じながら、俺はライターの火を消して苦笑した。