第四十二筆『お陰で俺も、戦える』
ホテル全体が揺れる度に、ジョンの口から吐き出される紫煙が揺れた。
時間にして一分少しの、本当の一服が妙に長く感じられたのは、未だ状況を物語の手から奪い返せていないからだろう。
――まさか、物語が敵だとは。
そんな皮肉な話があってたまるかと一瞬考える、だがそれは"ただの現状"に過ぎない。
そんな事に思考を持っていかれそうになるのを抑えて、俺はひたすらに次の展開を生きて打開する術を考えていた。
きっと、間違ってはいない。
何故ならきっと、本来ジョンとジェーンはさっきの外からの襲撃で死んでいたか、ジョンの獣化で死んでいたかの二択だったはず、であれば今目線の先に遠い目をして煙草を吸うジョンと、その隣でしがみつくようにジョンにもたれるジェーンが健在という事実は、物語の意思に一矢報いたと言っても良い。
「難しい顔してーるねっ!」
不意に体に重みが伝わる、一瞬ネメが後ろから抱き付いてきたのかと思ったが、そんなことは微塵も無く、俺の肩にはさっきまでネメが羽織っていたコートがかけられていた。
「随分重たい……」
「そりゃそーだよ。
内側に浪漫が詰まってる」
ネメに言われてコートの中を見ると、そこには簡単には数えきれない程度の短銃が括り付けられていた。
一丁一丁は小さい銃だったが、これだけあれば道理で重いわけだ。
俺はその中から一丁だけ銃を取り出して少し触って仕組みを調べる。
それは見た目の小ささの通りに、銃弾が一発だけ入っているようだった。
「気に入ってたけど、先に試験合格の餞別って事でプレゼントだ。
銃弾の数は、お互い気にしない方が良さそうだし、何より私の子を貸して一発で壊されちゃたまんないもんね!」
ネメは床に落ちたままの俺が壊してしまった銃を横目に笑う。
餞別といえど、生きて出られるかは分からないわけだが、彼女の言う事は尤もだ。
もし俺がカークの力と共に銃撃を放てるのであれば、この銃以上に適する銃は無いだろう。
「でも、そう簡単に何発も撃てないだろ。俺らはこの物語じゃ見える場所で……」
「そこは! キミの力次第さ」
含みのある言い方に、改めて思考を巡らすが煙幕を張り続けるわけにもいかない以上、物理的な方法には限りがある。
「それに、多すぎるんじゃないか? この量」
俺がそういうと、ネメは少しだけ頬を膨らませた。
「うーん、うーーーーん! わかってないな!
マント……じゃないけど、コートの下のデリンジャーは女の浪漫なの! 多けりゃ多い程、格好良いんだから!」
その言葉でやっとこの短銃の名前を思い出した。
俺がいた世界で、特に偉大だった人物がこの銃で殺されたのは、それなりに有名な話だ。
「けどそれ、引き金がすっごい重いから、頑張ってね!」
他人事のように笑うあたり、ネメは軽く引くのだろう。
彼女が言うところの女の浪漫を背負って、俺は一発ずつ確実に撃ち倒すというわけだ。
悪くない提案なのは間違い無い。
――ただしそれが、一撃一殺とまでの威力であればの話だ。
俺が長い溜息をついたと同時に、ジョンも最後の紫煙を宙に漂わせて、吸い殻を綺麗なカーペットに押し付けた。
「じゃあ、来る前に用意だな。ジェーン、もうアイツらは敵じゃない。
ビビってやるなよ、可哀想だから」
ジョンがそう言うと、ジェーンは頷いて、こちらに頭を下げた。
ネメがにへらと笑いながら手を振ると、ジェーンは少しだけ頬を赤らめる。
「可愛いもんじゃない、愛故かなぁ……」
ネメの独り言が聞こえる。
ジョンの意識を取り戻させる為に想像したのは決して愛では無かったが、確かにそういう見方もあるのかもしれない。
ある種の共依存は、恋を経由せず愛だけで成り立つ事もある。
「ネメから見て、あの子の射撃のセンスは?」
少し呆けながらぼんやりとジェーンを見ていたネメは、溜息混じりにこちらを見る。
「うーん、ほんとキミは無粋くんだなぁ。
少し肩の力抜こうぜぇ?」
ネメは俺の肩を二度叩いて、ジェーンの方へと歩み寄る。
「ま、タナくんの百倍は上手だよ」
皆に聞こえる距離でそう言いながら、ネメは背中に背負っていた長銃をジェーンに手渡す。
「だから、次は戦えるよね?」
この時の彼女の声のトーンは、何とも形容し難かった。
後ろ姿しか見えないネメが、どんな表情をしていたのかも分からない。
けれど、ジェーンが口を強く結び、頷いたのが見えた。
「そいつの弾なら部屋に行きゃあるな。
良いのか? 姉ちゃん」
「いーよ。
初対面の時、わざと外してくれたお礼」
その言葉にジェーンはハッとした顔をして、また顔を赤らめていた。
「バレて……ましたか……?」
恥ずかしがり屋であろう少女の声は、叫ばなければ小さな鈴の様な可愛らしい声だった。
「もち! そもそもジェーンちゃん、ジョンおじさんより上手いでしょ撃つの。
ホールで共闘した時に思ったけれど、おじさんは照準雑だよね」
その言葉を受けて首をブンブンと横に振るジェーンに「いいから弾取ってこい」とジョンが促す。
まだ、そのくらいの猶予はありそうに思えた。
それでも確実に、群れの気配は近づいてくる。
そもそも、外から来る可能性すらあるのだから、こちら側に四人しかいないというのはどう考えても分が悪い。
「それで、耐えられそうなの? 体」
ネメはジェーンがいなくなった事を確認して、ジョンに問いかける。
「分からん。だがなんとかするしかねえだろうよ。
それに銃をあの子に渡してくれたのも正解だ」
そう言ってジョンは立ち上がると、大きく伸びをしてから、腕を一振りする。
その風を切る音は、人間が出せる音では無いように思えた。
それに、ネメとの戦闘で受けた銃痕も、煙草を吸う前はまだいくつかあり、痛々しく思ったが、もう消えている。
「どうやら、真っ当でいられりゃ、便利な体みたいだしな」
「なら、良いの。
私達は私達だけを守る。
だからおじさんはジェーンちゃんをちゃんと見てあげて」
それは俺達が決めた『二人を守る』という目的とは違う提案だったが、そう言っておく事こそが彼にとって理性を保つ為の大きな楔になるという事が俺には理解出来た。
「あぁ、今度は間違えない。
……しかしよ、姉ちゃん。その"おじさん"ってのはどうにかならねえもんか」
「ならないね!」
チラリと見えたネメの横顔、おそらくは今日一番のスッキリとした笑顔だった。
「そうか……」
そして肩を落とすジョンの後ろからジェーンがトタトタと走ってくるのが見える。
――つまりは、そろそろというわけだ。
「近いな」
もうすぐそこまで迫っているであろう群れの気配に俺が呟くと、三人も小さく頷く。
「俺は上の数を大体知ってるから、乱戦になるだろうと思う。
最後になんか言っときたい事、あるか?」
ジョンが最年長者らしくこの場をまとめにかかる。
その風貌は最初見た時よりも随分と勇敢に見えた。
「私は、後ろから、狙撃します。
……それだけです」
ジェーンの頭を撫でようとしたジョンよりも先にネメの手がジェーンの頭をクシャリと撫でる。
少し悔しそうな顔のジョンと、一瞬ビクっとしてからくすぐったそうにしているジェーン。
「期待してるね、ジェーンちゃん。
私は中距離だね、あんまし近づきたくは無いけどなぁ。
まぁ、近づかれたらその時はどうにかするから気にしないで~」
遠距離中距離の銃撃手がいるのは心強い、バランスが取れている。
おそらくはこの二人であれば射線を強く気にする必要も無いだろう。
「俺はまぁ、前に出るよ。
多少の誤射は良いが、頭だけは勘弁な」
ジョンは笑って胸を張る、銃撃手の二人は苦笑していたが、これで遠中近全て揃った事になる。
そして、三人の目がこちらに集まる。
それも、やや不安げな目をした物語の住人が二人。
ネメはニヤニヤしながらこっちを見ているが、たまったものではない。
「あー……っと、話しておきたい事、だよな?」
「いや兄ちゃんは……、ジェーンの隣あたりに隠れていてもらえれば……」
ジョンの悲しい気遣いにネメが思わず吹き出すのが見える。
確かに、俺は近距離であれ遠距離であれ、そう言われる程度の実力しか無いのは間違い無いのだが、それは縛りが存在するからだ。
この物語は、きっと魔法を許さない。
俺は手を開いて、その上に火球を作ろうとする。
だが、勿論火球は現れない。
何故ならこの物語には魔法も悪魔も存在せず、何の説明無しには成立出来ないからだ。
俺がカークと共に能力を使えたのは、おそらく物語の察知外だったから、あの行動はある意味賭けでもあったが、視覚的な情報が無ければどうやら許されるらしい。
ホールに来てからカークが煙幕の中や隠れている時以外にほぼ黙りっぱなしなのもおそらくその影響だ、何故ならこの物語でライターは喋らない。
――なら、根本から変えなくてはいけない。
だから俺は三人に背を向けて、俺が戦う為の、物語への抵抗を始める事にしたのだ。
「なぁ、ジョン。
奇跡って、起こせると思うか」
俺の言葉に、ネメの息を呑む音が聞こえた。
「万が一……ってところか。
どうした兄ちゃん、冗談言ってる場合じゃ……」
ジョンの言葉を遮り、俺は言葉を重ねる。
「日常を生きてたのに、例えば急に、化け物が現れる。
例えば、血を吸って変化していく。
そんな地獄のような事がある癖に、何で奇跡は万が一なんだろうな」
「そんな事、俺が知るわけねえだろ。
起きるもんなら起きて欲しいさ。"起こせるもんならな"」
――掌に、小さな熱を感じた。
俺は振り返って、ジェーンの目をじっと見る。
少し苛ついた顔のジョンには、全部終わったら謝ろう。
「なぁ、ジェーンはどう思う」
ネメはいつもの多弁を潜めて、静かに話を聞いているようだった。
「"奇跡は起こす物"……だと、思います」
「なら、例えば、例えばさ。
奇跡が起こせるとしたら、信じてくれるか?」
さっきまで、俺はこの子の頭に銃を突きつけていたのだ。
助けてと叫ばせたのだ。
それでもこの子は、きっとこの物語の主人公は、強く頷いた。
「あぁ、二人共……ありがとう。
お陰で俺も、戦える」
掌の上に、小さい炎が灯る。
ジョンとジェーンはそれを目を丸くして見ていた。
「兄ちゃん、それ……」
ジョンの言葉に、俺は隠しきれずに思わず不敵な笑みを漏らす。
「ジョンやニュービーに比べちゃ、些細な事だろ?」
その言葉に、ネメが声を上げて笑う。
「ほんっとに、タナくんはわけわかんねーな!」
「クク……、だが、愉快なのは間違い無い」
そして、全員の視線が俺のポケットへと移る。
この物語は、魔法を許さない。
けれど、主人公は奇跡を信じた。
魔法だの奇跡だのは、ただの言葉だ。
魔法というより、奇跡と言った方が伝わりやすいからそう言っただけの話。
――要は俺とカークが、その力の行使を許されさえすればいいだけだ
俺の言葉が届いて、信じてもらえた所で、どうなるかは分からなかった。
それでも、やれる事をやらなければ、俺が此処にいる意味なんて無い。
結果、主導権はどうやらあの二人にあった。
あの二人がそう信じたなら、物語は揺らぎ、従わざるを得ない。
何故ならあの二人は、この話の主人公だからだ。
生きていてくれたからこそ、ちゃんと前を向いてくれたからこそ、俺も真正面から戦える。
「俺は、ジョンと並んで前に出る。
だがハッキリ言って、打たれ弱い。
そこだけ気にしてくれると、助かる」
俺は右手の上に火球を振るい消し、コートの襟を正す。
状況についてこれているのはネメだけのようだったが、俺はギリギリ間に合ったらしい。
というよりも、奴ら……物語側がギリギリ間に合わなかったと言った方が正しい。
「主ら、来るぞ」
カークのその声と同時に、天井がギシリと歪み、入り口側の天井が崩落する。
ジェーンはホール後ろまで駆け出し、ネメはその場で俺の肩を叩いた。
そして、ジョンはその目を血走らせ土埃の中へと飛び込む。
「じゃあ俺らもやろうぜ、カーク」
「クク……」
動き出したのは俺が最後、だが俺の両の手は熱く、血が煮えたぎるように脈打っていた。
俺には血を求める必要など無い。
俺は、ただ脈打つ血が望むままに燃やし続ける次の展開へ、笑いながら歩を進めた。




