第四十筆『久々に大正解を聞いたよ』
俺も、そしてまたネメは俺以上に酒には強いようだったが、ほんの少しだけ緊張に酔わされているのかもしれない。
「あははー……、美味しいんだけどね。今日は私がちょっといじけた飲み方してるみたいで、やだな」
ネメは注いだばかりの二杯目の酒を半分程煽ってから、大きく溜息をついて語り始めた。
「貧乏くじ引いちゃった。この世界はね、おしまいだ」
一瞬、耳を疑った。
「おしまいって……」
「その通りの意味だよ。私達の干渉では救えない物語だ。
だからこのお話に今後シェオンから誰かが生まれ変わる事は、無い」
ネメは言葉を濁さず、ハッキリと言った。
「ジェーンちゃんの記憶を見て、確信した。
この世界はもう、ニュービーが現れて数日どころか半年以上経ってる。
物語としては後半に当たる部分だろうね。復興の目処なんて全く見当たらないくらいに、終わっちゃってるんだよ」
物語として、そういう展開は往々にして存在する。
けれどシェオンから見たこの物語は、もう必要の無い物語でしか無い。
なぜならシェオンは、魂の中継所、新しい命を送る事の出来ない世界をシェオンはどうするのだろうか。
「じゃあ、この物語はどうなる? 消えて無くなるのか?」
「それは、これから次第。まだ私達はこの物語にいる。
命が送れない結末を迎えたからって、きちんとした終わりを迎えた物語を燃やす程シェオンもサライブも鬼じゃあないよ」
「でも倒すべき敵なんて……」
言いよどむの俺の目を、ネメはじっと見ていた。
「いるんだ。だってそういう風に、出来ているんだもの」
「また、都合が良い話だとは思ったが、まさか上の、あの熱か」
ジョンとジェーンの部屋では押し黙っていてくれたカークが少し驚いたような声を出す。
「うん、カーくんには分かるだろうね。ジョンは六階から上にニュービーを閉じ込めたんだ。
そしてニュービーは血を求める化け物だ。
私達が見たお腹一杯に血を溜めたニュービーがもっともっと際限無く血を吸ったとしたら?」
「ジョンが言う化け物に大変身ってわけか」
「それもそう。けれどジョンとジェーンの二人もまた、物凄く危険な存在。
ジェーンの記憶を見たけど、正確には彼女はちゃんとした名前もある。
けれどニュービーよりもそれに関わる人間の悪いところを沢山見ちゃったみたいだ。
私達人間よりもニュービーのジョンを信用するのもよく分かる。あの子、意外と饒舌なんだよ?」
勝手に人の記憶を覗くのは趣味が悪いという考えは相変わらず同じだった。
けれど、今回ばかりは仕方がないと飲み込んでいた。
「それ、いつもやるのか?」
それでも、俺は一言言わずにはいられなかった。
「契約の条件にしたくらいだ。お主は嫌いだろうな」
カークが面白そうな話かのように食いつく。
その言葉でネメも俺が記憶を覗き見るという行為への嫌悪感に気付いたようで、申し訳無さそうにするかと思えば、俺の目を真っ直ぐ見て、一度だけ強く頷いた。
「必要であれば、私はするよ」
それは、代理人としての覚悟を感じる一言のようにも聞こえた。
綺麗事だけではやってられないという現実。
そもそも、いつかの物語で主人公ごと諸悪の根源を撃ち殺したネメに、こんな事を聞く事が愚問だったと俺自身が申し訳なくなった。
「ああ、悪い。今のは忘れてくれ。
確かに必要なんだ。やらないわけには、いかないよな」
謝る俺にネメは首を横に振り、寂しそうに微笑む。
「良いよ。キミはそういう所があるからきっとリアも」
言いかけて、ネメは口をつぐんだ。
何を言おうとしたのか気になったが、それ以上に今リアは何をしているのだろうと、ほんの数時間前まで顔を合わせていた彼女の事を思い出した。
きっと彼女が此処にいたら、なんて事を一瞬考えて、俺は軽く自分の頬を叩く。
「それで、どうする? 俺達だけで何とかするってわけにも行かないんだろ?」
「ジェーンちゃんの記憶の中のジョンは、酷く厭世的だ。
此処で二人とも終わろうとすら考えてるように見えた。
そして、彼自身が言ってた通りに、記憶の欠如と理性の崩落が見え隠れしてる」
「なら重要なのは……、主人公は、あの子か」
――物語の主人公は、話の終わり頃には成長していなきゃいけない。
想像上の創作の神が呟いたかのように、頭にフレーズが飛び込んでくる。
これは、いつか俺が何処かで読んだ。誰かの言葉だ。
もしこの言葉が本当であるなら、この物語に必要なのはあの子だ。
「あの子が、あの子だけの意思で立てたなら、たとえ共依存だとしても、ジョンと対等になれたなら……」
それは主人公としての成長する義務を果たしたという事になる。
なら物語は、その神様のロジックを受け止めるしか無い。
簡単に言えば賭けかもしれない。
それでもこれが、もし今戦うべき敵が物語だとするならば、作り手のロジックは必ず存在し、効果は発揮するはず。
「だが待て、そもそもこの物語は終わりなのだろう? 何かする必要があるのか?」
カークが言うその至極真っ当な質問に、ネメは不敵な笑みを浮かべる。
「確かにそれはそう。けれど、此処で帰ってカーくんはスッキリする? 終わって"愉快な話"だと言える?」
ネメは言いながらさっき外したばかりの武装を一つずつ身体に付け直して行く。
「それも、そうか……」
納得したカークの言葉を思わず遮ったのは、他でも無い自分自身だった。
「この物語の続きが、あの二人にとって必要なら、シェオンが必要とするかどうかなんて、関係無い」
俺は水割りを飲み干して、グラスと棚に置く。
「俺達が救うのは、特定の何かじゃない。それこそ、物語を救うだけじゃない。
何かを救った結果として、物語が救われるんだけだ」
カランと鳴る氷の音と、ネメが最後の銃をホルスターに仕舞う音が重なる。
「そう、そうだね。つまりは、そういう事だ。
久々に大正解を聞いたよ。コイツに気づける人は、滅多にいない。
タナくんが知るところでは……リアちゃんだって未だに気付けてないよ」
少しもったいなさそうに、ネメはウイスキーの瓶を棚に置き、こちらを見て笑う。
「物語を救うという答えが正解なら、キミのその言葉は大正解。
この瞬間を以てキミは秘書――物語の代理人を名乗る事を、"神の子ムネーメー"が許そうじゃないか!」
聞こえた名に、違和感等無かった。
ただ、深く問うのも野暮だと思って、頷いた。
記憶を司る神様が監査官だって、もう驚きやしない。
「ジョンを化け物にせず、ジェーンの心を解き、上にいる血溜まりを失くす。
それだけの話だろ?」
銃もロクに撃てずに、大言壮語を吐く。
けれど、物語のアクターとして、そのくらいは言えなくちゃ、格好が付かない。
クク……と言う笑い声は無視して、俺は棚に置かれたウイスキー瓶を開けて、口をつけて一口飲み込む。
「あっ、ずる!」
喉が焼けるような感覚の中で、飲み込んだ途端這い上がってくるような深い芳香。
そして、口の中に残るのは、確かな熱。
たった今仰々しく自己紹介をした神様は「私も!」といって俺から瓶を奪いゴクゴクと飲んでいた。
「あんな辛い飲み物が美味いだなんてな……」
甘党の炎魔様は不思議がっていた。偉そうな割に飲み食いのイメージだけは悉く裏切る、こんな炎魔さえいるのだ。
もう、大抵の事は驚くようなことでは無い。
ただ、生きて、綴ろう。
銃のトリガーを引く恐怖等あってたまるか。
異形に怯える事等あってたまるか。
「じゃあ、出戻りと行こう。
俺達のハラは決まったんだ。
アイツらのハラを聞きに行こうじゃないか」
俺が立ち上がるのと同時に、発砲音が聞こえた。
「といっても、そろそろね」
「あぁ、そろそろだろうと、我も思っていたところだ」
ネメが勢い良く扉を蹴り開けて、左右に銃を構える。
それを追い、俺も廊下へと飛び出るが、まだニュービーの姿は全く見えなかった。
――けれど、これはきっと物語の悪意
それは、ホールまで駆けつけた俺達への発砲に寄って改めて分からされる事だった。
玄関ホールのバリケードが、半壊していた。
ホールには数人のでかっぱらのニュービーが入り込んでいた。
「そりゃ、銃も使えるよな」
俺が小さく呟くと、東館の方からジョンの声が聞こえた。
「よお! 来た、か! お互い、大変だろうが、陣地優先だから悪い、な!」
威勢が良い割に何故か歯切れの悪い声と、聞こえる自動小銃の音と共に、東館側のニュービーが弾け飛んで行く。
「どんどん来るね。タナくんも男見せてよ!」
そう言ってネメは例の柱の影に飛び込む。
「試しにどいつか、一発撃ってみるか?」
同じく例のソファの裏に隠れた俺にカークが楽しそうな声で語りかける。
「いや、多分当たらない」
だから俺は、ポケットから緑色の発煙手榴弾を取り出した。
「ネメ! コイツの使い方は?!」
バスバスと銃を持ったニュービーに鉛玉を食らわしていたネメはこっちを向いて軽いジェスチャーをした。
「了解!」
理解するのにはそれで充分だった。
そして、俺が狙うべき、カークの一撃で仕留めるべきは――
「そりゃ、穴だらけになっても動いてるアイツだよな」
おそらくは、アレが血を吸った果ての化け物、バリケードが大きく揺れ、入り込んで来るニュービーの中でも一際大きく、人間の姿を保っていない、四足歩行の真紅の化け物。
その脈打つ身体は、信じられないスピードで血液が巡っているのだろう。
そして張り詰めた四肢の全てが筋肉の塊だとすら思えた。
口は大きく裂け、背中の皮膚は破れ肥大化している。
頭すら必要無いのだろう、血肉を食らう為の口を運ぶ為だけに発達したとしか考えられないような、化け物だった。
ニュービーが新参者であるならば、ヤツはもうニュービーと呼ぶのもおこがましい程に進化している。
強いていうなら獣化ニュービーとでも言うべきか。
ネメもおそらくアイツの存在をすぐに感知し、より多く銃弾を浴びせたのだろうが、それでもその身体に小さな穴を開けるだけで、その銃撃をものともしていなかった。
「なぁカーク、アイツ、やれると思うか?」
「当たれば、な」
――なら、当てよう。
俺は発煙手榴弾のピンを抜き、獣化ニュービーの方へと放り投げる。
溢れる緑色の煙に、獣化ニュービーや他のニュービーの動きが一瞬止まる。
遠くから当てられる自身なんて無い。
だが、俺が放り投げた煙の発生源と同じ場所にヤツがいるならば、この銃をヤツの身体に突きつけるのならば。
「カーク! 力込めろ!」
トリガーを引いた手が大きく跳ね上がり、痛みと痺れが同時にやってくる。
耳をつんざくような銃声と同時に、獣化ニュービーの叫び声がホール中へと響き渡った。
「もう、一撃!」
そう言って引いたトリガーは軽く、銃弾が出る様子はなかった。
「オシャカじゃねえかよ……」
「やりすぎたか……」
だが、それでも良い。
何故なら今この瞬間、俺達を見る事が出来る存在など、いないのだから。
俺は銃を落とし、両の手で獣化ニュービーの身体を思い切り掴む。
「なぁカーク、愉快だろ? サプライズだ!」
そして全力を以て、その体を焼き尽くした。
「クク、カカカ!!! 悪くない、悪くないぞタナト!」
煙のせいで酸素が足りなくなっているのも丁度良かった。
誰にも気付かれずに、炎だけが獣化ニュービーを包み込む。
燃やし尽くしたとまで把握は出来なかったが、煙にまみれ酸欠気味の俺はその場を離れる。
「無茶すんなぁー!」
ソファまで戻った俺は、妙にゴツいガスマスクのような物をかぶったネメを見る。
「でも、助かったよー!!」
その声に軽く左手を振る、右手は未だ、痺れていた。
「仕事は、出来たろ」
「ああ、愉快だったな」
やがて銃声が止み、煙が消えた頃ホールは血の海へと変化していた。
残るニュービー達の遺体。だが一体だけ、東館の方からゆらゆらとこちらへ歩いてくるニュービーが目に映る。
その後ろには、ニュービーが羽織っているコートを引っ張る少女がいた。
「そりゃ、これだけご馳走がありゃな」
「ここは、私の番だ」
ネメは柱から身体を出し、意識があるのか無いのか、銃器も持たずにこちらへ歩いてくるニュービー――ジョンと対峙する。
「ねぇ、ジョン。
理性無くしちゃったらその子、守れないじゃんか」
届かない、聞こえない。
もうニュービーは、生きていないと彼は言っていた。
「ねぇ、ジェーン。
引っ張るだけじゃ、彼は止まらない」
届いているのに、聞かない
ジョンに頭を撫でられて微笑んでいた少女の顔には、涙が滲んでいる。
ジョンの吐息混じりの声は、さっき燃やし尽くした獣化ニュービーによく似ていて、その爪はウイスキーの瓶の蓋を開けるには手間取りそうな程、鋭く伸びていた。
「じゃあ仕方ない。
目ぇ覚ますまで相手するから……」
ネメは、静かに両手で拳銃を構えた。
「ジェーン! コート離して!」
その声にジェーンがコートを離した瞬間、獣化寸前のニュービーは、ネメへと飛びかかった。




