第三十九筆『やっと大人になれたね!』
ジョンの部屋に入ると、彼は入るなり粗雑に自動小銃をベッドに立て掛け、ふんぞり返るように部屋隅の椅子に座った。
首でベッドに座れと合図され、俺とネメは二つあるうちのベッドに腰掛ける。
ジェーンはジョンの座った椅子の横に背もたれにするように地面に座っていた。
「そんで、姉ちゃんと兄ちゃんは西館からか? もうそろそろ飲むのにも飽きたからそろそろ見回ろうとは思っていたが」
ジョンは棚に並んであるウイスキーらしき瓶の中から数少ない未開封であろう瓶を手に取りパキリと蓋を外した。
「安酒だが、お前らも飲むか?」
自分でグイと口をつけた後に、彼は空のグラスを手に取り俺達にもそれを勧めたが、俺とネメは首を横に振る。
「それよりも、私達状況が知りたいの。なんせビビって部屋を転々としていたもんだから」
「そのまま西館をぶらついてりゃいいのに、何でまたこっちに攻めてくんだよ。
しかもそんな重装備なら、西館中の食い物を食い切るまで遊んでいられるじゃねえか」
ジョンはもう一度ググっとウイスキーを煽る、それを見たジェーンがジョンのコートを少し引っ張っているのが見えた。
ジョンは少し眉を潜めて、口から少し溢れた茶色い液体を拭いながら瓶を棚に置いた。
甲斐甲斐しくジェーンはその瓶の蓋をジョンから受け取って瓶を締めている、ややキツく締めているように見えた。
「ノックが聞こえたもんだから、二匹でいいのか、二体でいいのか、二人でいいのかは分からないけれど、そいつらが襲って来たってわけ」
ブラフに次ぐブラフ、だが本当の事を言うわけにもいかない。
だがジョンは笑いながら軽く膝を叩いた。
「何だ? お前ら"ニュービー"にビビって逃げて来たのか?
そんなナリで? 世間知らずがいたなんてもんじゃねえな。
あんな奴ら、殺したいなら千匹だろうが殺せるだろ、そんな重武装してりゃ」
敵の名前が"ニュービー"だと分かるだけでも前進ではある。
新参者、初心者を意味する言葉ではあるが、その理由はあまり想像したくない。
「襲われたら驚くでしょうよ。
見たこと位はあったけれど、私らが引きこもってる間にどうなってるわけ?
「知るかよ、急に大勢血が吸いたくなったんだとよ。
そのうちに自分らで言い出したんだよ"俺らはニュービーだ"ってな」
「何……、あいつら喋るの?」
「だって人じゃねえか、喋るさ。あいつらは血を吸いたいって理性がトんでるだけだ。
そりゃまぁ、ニュービーも卒業したらただの化け物だけどな」
ただのゾンビ話の延長線上にあるかと思えば、何処かおかしい設定が付け加えられている。
これは、自我を持つ血吸いの化け物"ニュービー"とその果てにいる化け物の話だ。
「なんでそれなのにアンタらは平気で、こんな安全な場所があるんだ?」
俺が問いかけると、ジョンの視線はゆっくりと俺の方へ向いた。
その目は笑っているように見えたが、何処か諦めのような色の瞳だった。
「それに、アンタらの名前もおふざけにしちゃ度が過ぎてる」
「そりゃま、俺もニュービーだからな。いつか消える自我に執着する程この世に未練なんて無い。
俺ん中じゃあ、ニュービーはもう死人だと思ってる。だからジョン、俺はジョンで良いんだよ。
正直、もう名前は思い出せねえんだ。"ジョン・ドゥ"なんて下らない事ばっか覚えてる癖にな」
そう言いながらジョンはコートの下の服を捲りあげる。
そこには、幾つもの生々しい銃創が赤く蠢くように鼓動していた。
「俺が人じゃない証明はこれで良いだろ。けどまぁ、この嬢ちゃんは人でなぁ。
何人に一人いるのかは知らんが、お前らも人みたいだな」
ジョンは隣にいる少女ジェーンの頭を軽く撫でて、疲れた顔で笑う。
少し心地よさそうな顔をして嬉しそうな顔をした少女を見るネメの横顔は真剣そのものだった。
「コイツは感染らないが、罹らないヤツもそうそういない。
簡単には死なねえが、生きるには血を飲むしか無い、でも飲みすぎると化ける」
だから、その腹に銃創を作り続け、余分な血を流すというわけだ。
生きる為に飲み、壊れない為に撃つ、それは一つの地獄のようにも思えた。
「いつか俺が化ける寸前、通りがかりの嬢ちゃんが俺の腹を撃ち抜いて目が覚めた。
もうとっくに俺は人じゃあ無いが、一瞬垣間見た血の池の向こうは地獄だ。
だから、それからは戯れにボディーガードをやってるってわけだ」
「その割に雑用は任せてるみたいだけど」
ネメが言うと、少女はブンブンと首を横に振る。
「主人がどっちかなんてのはどうでも良い。
嬢ちゃんがやりたい事はやらせるし、俺がやりたい事はやる。
どうせ、こんな世の中になっちまったんだ、好きにやりゃいいんだよ」
その厭世観に、何処か共感してしまう自分がいた。
それが、いつかは終わるのだとしても。
共依存であるとしても、この二人はそうやって生きていくのだろう。
それがほんの少しだけ羨ましいと思うのは、きっと不謹慎なのだろうと思いながら俺は二人を眺める。
「原因だとか、そういうのに興味は?」
俺が聞くと、ジョンは鼻で笑いながら首をかしげた。
「無いね。無いどころか。ニュービーは新しい生態系を作り上げてる。
ニュービーも成長すりゃ人を追い越す、人はそのうち取って代わられるさ、もう殆ど残っちゃいないけどな。
血を吸う度にその多幸感に壊れそうになる。全員の理性がトんでも、それはそれできっと幸せなのさ」
それでも、彼は理性を保ちながら人間である少女を守っている。
見た所少女の身体には傷一つ無い。
彼の理性は使命によって保たれているのだ。
だがこの物語は、何処を終着とすべきなのかが分からない。
不意にネメと目が合うが、彼女も同じ事を考えているようだった。
「ん、とりあえずは分かったよ。
色々ありがとうね」
そう言いながらネメがベッドから立ち上がると、ジョンが棚に手を伸ばして、まだ開いていないウイスキーの瓶を「ほらよ」とこちらに放り投げた。
「ととっ、危ないな」
言いながらネメが瓶を受け取ると同時に、ジョンは軽く笑う。
「姉ちゃんは落とす柄じゃないだろ、それに俺の顔を見た回数よりもコイツを見た回数の方が多かった」
少しバツが悪そうな顔をした後に、ネメは素直にジョンに礼を言って部屋を後にしようとする。
「じゃあね、ジョンおじさんに、ジェーンちゃん。
また来るね」
そう言ってネメはジェーンに手を振るが、ジェーンは何とも言えない顔をしたまま頷くだけだった。
「あぁ……、ネメが意地悪するから……」
「あぁそうだった! じゃあ仲直りの握手だ!」
ネメはジェーンに手招きするが、おずおずと迷った素振りを見せる彼女にジョンが首で合図すると少し不満げにネメの前に来て、二人は握手を交わした。
その瞬間のネメの表情の変化に気付いたのは、おそらくは俺だけだ。
それは彼女が、少なくとも笑顔を作ってはいられたから。
おそらく、何らかの記憶を引っ張り出したのだろう。
押し付けられるなら引っ張り出せるのも道理、握手をせがむならずっと黙りっぱなしの彼女の方が良いというのも、道理だ。
「ズッこいな」
「うるさいな」
俺とネメはお互いにだけ聞こえるように話しながらジョン達の部屋を出た。
「とりあえずは、仲間か?」
「私達から見たら、まだ分からない。物語から見れば主人公というよりも"駒"みたいなもんだろうね」
俺達は東館の廊下を出てホールを横切りながら、とりあえず西館一階の部屋を物色して食料を集めながら、丁度良さそうな部屋を探す。
途中で食堂を見つけたが、食料を探す俺に対してネメは氷やら水やらを熱心に集めているように見えた。
「上のバリケードはジョンの餌場だったって訳だ」
「都合良く、いや都合悪く私達のトコに漏れ出しては来るけどね」
おれたちは西館一階の奥に丁度良さそうな二人部屋を見つけ、荷物を下ろす。
ネメも少し気を緩めたようで、その武装を部屋の隅にガシャリガシャリと置いていく。
「持ちすぎじゃないか? よく動けてたな……」
「うーん、タナくんのシェオン順応度はまだまだだねぇ。私のこのヘアピンの説明でもしよっか?」
その前髪につけられた金色のヘアピンが小さく光るのを見て、俺はため息まじりに説明を断った。
「さぁて! どうしようか! シャワーもあるしご飯もあるしお酒もある! ベッドはフカフカだ!」
あらかた武装を外し終えると、ネメは宴を始めると言わんばかりにジョンからもらったウイスキー瓶の蓋をキリリリと開けて氷の入ったグラスに注いでいた。
「でも話す事もある」
悪いとは思いながらそのノリに水を差すと、丁度ネメはグラスに水を注いでいる所で、何とも言えない気持ちになった。
「うん、知ってる。だからほら、これ」
ネメが綺麗な指でマドラーを使ってカランカランとウイスキーの水割りを優しくかき回している。
氷がクルクルと回るのを見つめていると、彼女はその水割りをこちらに渡してきた。
一瞬受け取るのを躊躇ったが、少し寂しそうなネメの顔を見ると受け取らずにはいられなかった。
「たまには悪くないよ、きっと。
それにこれ、全然安酒じゃないし……ね」
ネメは底が浅く平べったいグラスを選んで、大きめの氷を幾つか探してカランと放り込む。
そこに水無しで注がれたウイスキーは俺に渡した水割りよりも色濃く、彼女がジェーンから受け取った記憶から滲み出る感情の濃さを現しているようにも見えた。
カラカラカラと、氷とウイスキーの交わる心地よい音が十数秒響いた後、ネメはイタズラっ子のような顔で笑った。
「じゃ、乾杯しよっか」
「こんな物語の中で、乾杯するものなんてあるか?」
俺のちょっとした疑問にネメは少し唸ってから、少し微笑んで俺の背の高いグラスの口元に彼女のグラスの底をカチンと合わせる。
「私があの子を通して見た今までの事と、私達があの人達に出来るこれからの事が、報われる事を祈って、乾杯」
久々に飲んだ酒の味は、俺が知っている酒の味ではなかった。
「……凄いな」
思わず声が漏れる程に、ネメが作ったウイスキーの水割りは美味しかった。
「でしょでしょ? この味が分かるなら、タナくんも安酒かっくらい続けた甲斐があったかもね」
言うだけの事はあるし、的を射ていた。
比べる酒が無ければ、この味は分からないのかもしれない。
「ま、良いお酒に良い氷とお水がありゃね。
こんなもんなんです! タナくんもやっと大人になれたね!」
ネメは得意そうに胸を張っていた。
いつからか酒に溺れた記憶ばかりだったが、それを塗り替える人が現れるとは夢にも思わなかった。
食堂で彼女が氷や水を探したのがこの為だったと思うと、少し目頭が熱くなりそうだった。
「大人か……、俺もこういう大人に会えてりゃな」
「ちょっと! 私を以て大人というのは少し納得いかないな!
ハッキリ言って、君が死んだ歳とそう変わらないからね!」
そう言いながらも褒められた事には気付いたのか、少し照れながらネメは反論してくる。
「要は、生き方なんだ。
タナくんはタナくんの何かがあるでしょ」
そうであればいいと思いながら、もう一口水割りを口に含み、飲み込んだ。
「じゃあ、俺の何かを探す為に、物語の突破口を探そう」
「このくらいで、酔っ払っちゃ駄目だからね。
思った以上にこの物語は、難しそうだ」
そう言ってネメは自分のグラスの酒をグイっと煽り、二杯目を注いでいた。




