第三十七筆『バレない魔法』
モクモクと昇る煙にも、燃え尽きて尚しばらくの間くすぶり続けた化け物達の灰にも、この建物は反応しなかった。
火災保険なんていう言葉が頭に浮かぶが、どうやら楽に燃える程安っぽい場所ではないらしい。
明らかに床は絨毯に見えたが、その一面が焦げた程度で、炎が燃え移るような風ではなかった。
尤も、それを確認せずに勢い余って燃やし尽くした俺は減点だろうなと思いながらネメの方へと目をやると、彼女は少し肩で息をしながら、その笑みが少し崩れかけていた。
「イレギュラーは起こるもんだろ? キョーカン」
柄でも無く場を和ませようかとでも思ったのかもしれない。
俺はそんな言葉を口にしていた。
その言葉にネメはハッとしたような顔をしてから、改めて不敵な笑みを浮かべた。
「ああ……、うん、そうだね。センセ」
その返事で、ネメという人間はこういうやり取りが好きなのだと確信する。
教官と先生というふざけた関係、要は物語的で、かつ軽くてふざけた関係。
だから、彼女に真面目な話はきっと似合わない。
今の彼女はその存在そのものがアクトレスなのだ、それかヒーローだと思っているかもしれない。
もしそうしようと彼女自身が意識しているのならば、俺もそれに準じるべきなのだろう。
「ありがたい事に大火事ってわけにもならなかったし、スプリンクラーでびしょ濡れってわけでもない。
ここは待つのが正解か?」
物語の状況が良くないのは、ゾンビが明確に化け物、及びモンスターと称せるだけの何かに変貌していた事で分かる。
ならば今考える事は『物語』というシステムや『サライブ』という施設、というよりも機関についての話では無く、この『フレームアウト』を打破し、正しい軌道に乗せる方法だ。
「生き残りがいないなんて事はないはずなんだよね。
主人公くんが死んじゃえば物語は開けないはずだから」
何も言わずとも必要な事はさらりと教えてくれるあたり、ネメの教官――正しくは監査官としての責務のこなし方は板についているようだった。
ズケズケと質問を続けるよりかは、彼女と会話をするのが重要なんだと気付く。
「俺達が主役になるなんて馬鹿げた事が無いなら、かち合うのも時間の問題なんだろうな」
「ま、そうだね。物語の登場人物達は、出会うべくして出会うから――それがイレギュラーな介入だとしても」
少しだけ不安げなネメの顔を見て、俺が少しだけ不敵に笑う。
虚構だとしても、笑う。物語に対して、唯一メタファーを持てるのが俺達の特権だ。
そこだけは虚構のアクターであろうとアクトレスであろうと、避けては通れない。
「ただゾンビって呼ぶよりかクリーチャーっぽい奴らがいるあたり、状況は刻一刻と変化しているのは間違いないんだ。
この場で銃声がしてからもう五分か十分くらいは経ってるけれど、誰かが様子を見に来る気配が無いのはめんどっちいね」
ネメは少しだけ唸りながら、肩に届かないくらいの綺麗な黒髪をクシャクシャとかきまわして、暫し黙り込む。
「うーん……、とりあえずお酒でも飲む?」
そして顔を上げた彼女は、事もあろうに冷蔵庫を漁り始めたネメの提案をやんわりと断る。
カシュっと言う聞き慣れた音がして数秒後「やっぱりあま……」という呟きが聞こえる。
「何開けたんだ?」
結局気になってしまう自分も自分だが、チラリと彼女が開けた缶の名前を見ると、持ち手で隠れて文字は見えなかったが、どんな割材を使っても甘くなりそうな紫色の果実の絵が見えた。
「やっぱどんなカクテルでも缶で飲むと家の味がするよね。炭酸を無くしてレモンでも絞ってくれたらまだ飲めるんだけどっ」
「家の酒は便所と、外の酒は緊張しか思い出せない」
「あぁ……、何でも美味しく飲める私とは完全に別タイプの酒飲みだぁ」
そんな下らない事を焼却済み化け物のわずか数メートル先で話す。
そのうちに甘いと言いつつも彼女は酒缶を飲み干し、口の端の薄紫色の液体を服の端で拭った。
「っぷあ! そんじゃ行こっか! 次なる場所には琥珀色の液体が入った瓶ぞあれ!ってことで!」
「だったらそれ、今必要だったか?」
クシャっと潰された酒缶に目をやる、彼女は特に好きな酒を飲んでる風でも無かった。
「ほら、好きかなーって思って」
ネメは笑顔と申し訳無さをシェイクして、その上に適当さをフロートしたカクテルみたいな複雑な表情で笑った。
データとして、俺の事を知ってはいたからこその気遣いだったのだろう。
ただ、俺が酒を飲んでいた事が逃避でしか無かった事を知っているのは、どれだけの時間かは知らないが俺を直接見ていたリアくらいだったのかもしれない。
「飲んでたのは……、それがアルコールだったからだよ」
「うん、そうみたいだ。だからそのうち美味しいお酒の飲み方を教えてあげる!」
それでも、ありがたいことに、どいつもこいつも少しだけおかしくて、優しい人間だった。
「ああ、助かる。ゾンビに銃ときたら、酒とタバコも無きゃな……」
「それにこの世界は小説的というよりかは映画的だ。意外に嫌いじゃないよ」
そう言いながらネメは上機嫌そうに部屋の中の荷物を手早くまとめると、俺にバックパックを渡してくる。
「ちょっと重いけど、これお願い」
手榴弾は別として、銃弾や食料、それに布類からハサミまで、必要か分からないような物も含めパンパンになった少し重たいバックパックを背負った。
銃弾だけは背負っていても取り出しやすい場所に収納し、試しに背負いながら二発分の銃弾を取り出してマガジンに装填する、それを見てネメは意外そうに、そして少しにやけながら顔で俺の顔を見ていた。
「順応してるねぇ、頼もしい限りだ」
「ネメは良いのか? 結構撃ってただろ?」
彼女の使っていた銃も、名前や形式は分からないものの、見た目から考えるとそう何十発も撃てるタイプでは無いはずだ。
「良いの、私はね」
そう言いながらネメはベッドの上の毛布と枕を重ねて、そこに向けて絶え間なく銃弾を浴びせる。
音は流石に大きくは無かったが、数十秒後にはその毛布と枕はベッドメイクが泣いて逃げるような有様になっていた。
明らかにその手に持っている銃から出たとは思えない数の弾丸の後が残るベッドから彼女は振り返り、その銃を持った手をこちらに見せて来る。
その顔は『ニコニコ』と周りに文字が出ていそうな程楽しそうな笑顔だったが、俺は彼女が銃をこちらに見せた意味が分からず、何かギミックがあるのかと銃を凝視する。
「あ、じゃなくてじゃなくて、こっちね!」
彼女は銃をホルスターにしまって、改めてその"右手"をこちらに見せる。
綺麗な手だ、印象としては肉体派だったから傷の一つもあっていいものなのに、なんて事を思いながらボウっと彼女の手を見ているといい加減ネメも痺れを切らしたようで、少し拗ねた風に口をとがらせた。
「細い指だなんて言ったらぶっ飛ばすからね?! もう、手でも無くてこっち! こういうオシャレに疎いのは減点かもしれないな!」
そんな理由で減点なんてあってたまるかと思いながら、彼女がブンブンと振るその右手にはシュシュがついていた。
「ん……? あぁ、シュシュか? でも何で……」
シュシュをつけているのは見えていたし、そういう物かと思っていたから気にもとめなかった。
ただ、大人びた彼女の格好と、その重武装に不釣り合いだと思わないことも無いが、それを突っ込むのはそれこそ野暮だと思って黙っていた。
「これ、無限シュシュ!」
ネメはそう言って何処かで聞いたようなチートアイテムの存在を口にした。
「あぁ……、そういう……」
思わず名前を復唱してしまっていた俺の何とも言えない顔を見て思う所があったのだろう、彼女は少し不満そうな顔をする。
「伝わりやすい方がいいでしょ? 私、銃も兵器も大好きだけど、面倒な名前だけはやなの。
何とか社製何とかの何とか何十何とか何とかってヤツ。
それがロマンだと言う人もいるけれど、私はデザートイーグルはデザートイーグルで良いし、ピースメーカーはピースメーカーで良いの。だからこの子は無限シュシュ」
その圧に俺は数度頷くが、名前についての彼女のこだわりはともかく要は彼女はゲームで言う所のチーターだ。
だがそれを罰される事の無いこの世界でなら、最強を自称するのも納得出来る。
「名前は、分かった。確かに分かりやすい方が良い、良いよな。
それでそのシュシュ、魔法だよな?」
そういうとネメは満足そうに頷き、右手をヒラヒラと振る。
それに合わせて揺れる薄緑色の無限シュシュを見て、色の組み合わせとしてはショッキングピンクじゃなくて良かったと他人事ながら思った。
「そ、魔法だね。無限って言いつつも銃弾を増やしてるわけじゃあなくて、このシュシュをつけた手から放たれたあらゆる武装――私の場合は銃であって銃弾だね。それが発射されたという事象を巻き戻すっていう魔法がかかってるの。
だから私が右手でトリガーを引けば、その弾は相手に風穴を開けたっていう事実を確認した後に発射される寸前まで巻き戻るってわけ」
魔法という理解を越えた現象を抜かせば単純な理論ではある。
それに、原理を聞いてしまえば、確かに強いもののチートと呼べる程ではない。
要は何らかの危機的状況でその右手の銃の中に銃弾が無ければ一発も撃てず、一発しか入ってなければ当然効率は下がるだろう。
それに、右手で撃たなければただの銃。
「便利だけど、少し大変そうだ」
「だからこその予備達なんだなー」
ネメが開くマントの下には幾丁もの銃が見えた。
「替えの銃弾はいらない、マガジンを装填する手間が惜しいからね。
この子達が私の使い捨ての守護神達」
銃が好きだと言っていた割には、少し割り切った言い方だった。
だが、名前の件と合わせて彼女がその自らの武装に何か思うところがあるのは見て取れた。
「バレない魔法、か……」
「バレる魔法しか無いタナくんは大変そうだ」
先の事を考えながら呟く俺に、少しも大変そうだと思っていないような口ぶりで軽い慰めを言いながら部屋を出ようとするネメ。
「ただ……、銃がその爆発を以て銃弾を撃ち出すのであれば」
「考えようかもしれんがな」
その声が、腰あたりから聞こえた。
ポケットの中では無く、ホルスターの中の銃から聞こえたあたり、思った以上に考えが似ている。
というよりも、俺が火という物に対して理解が深まり始めているのかもしれない。
「あ、あー……、でも手加減してよ。壊れても貸さないからね……」
その手は無かったという顔をして俺の銃を見るネメに、愉快そうな声が響く。
「なぁお主よ、次の一発は衝撃に備えて撃つ事を忘れてくれるなよ」
クククと笑うカークに少しだけ不安を思いながらも、次の一撃に少しだけ胸が踊るあたり、やはり俺は炎魔に似てきたのかもしれないと思いながら、俺とネメと喋る銃ことカークは部屋を後にした。




