第三十六筆『奴らを、燃やす必要は無いのか?』
蹴破られたドアの先から銃声と思しき破裂音が一発、耳を塞ぐ間も無くもう立て続けに三発。
流石に聞き慣れない音だったせいか、頭がクラクラするのを抑えて静かになったドアの外へとネメを追いかけると、彼女はその細い廊下で少し邪悪な笑みを浮かべながら今しがた撃ち殺したであろう何らかの残骸を見下ろしていた。
「良かったね新人クン、人紛いを撃つ必要は無さそうだ」
彼女の言葉の真意ははかりかねた、原型を留めたゾンビであれば俺はソレを撃ち殺すのに躊躇しただろうかと考える。
「似ていたら俺が怖気づいたと?」
「いいや? キミは怖気づかないよ。例え人だろうと、何だろうとね。
事実、この光景を当たり前に受け止めているじゃあないか」
俺の何を知ってそう言うのかは不思議だったが、俺はその言葉を無言で肯定し、彼女が撃ち殺した"今回の敵"に目をやる。
ドアの近くで倒れているのは、乾燥し黒く濁った炭のような何か。
そして少し遠くに血の池を作っているのは、湿り気を帯びて赤く膨れ上がった何かだった。
愉快そうに笑う彼女が撃ち殺したのは、人でもなければ、ゾンビのようにも見えない。
「黒いのは一度頭を撃ってみたけれど、意味は無いようだから心臓を撃った。
珍しいね、頭で死なないって」
「それで、心臓で正解だったのか?」
俺の言葉を受けて、ネメは乾いた声で笑う。
「あー、撃つ時以外、指はトリガーにかけるなって言うけれどさ。
私としちゃケースバイケースだって考えてる」
銃を扱う人間のその定説は聞いた事があったが、なぜ今そんな話をするのか。
「そんでね、ちなみに心臓もハズレだったとしたら……、どうする……ッ?!」
伏せた状態の黒ずんだ化け物から呻き声が聞こえた瞬間、彼女は思い切りその化け物の頭を蹴り飛ばす。
「武器を持たずに部屋から飛び出す馬鹿で生き残れるのはヒロインだけ! 使えなくてもその銃くらい引き抜くこと!」
言われてハッとする、彼女が先行したとはいえ俺は現段階でほぼ無力に等しく、武器があるといえ振り回される状態だ。
そんな俺が無策で敵がいる場所に現れるのは悪手でしかない。
だが、ここで部屋に戻って彼女に殲滅を任せるのが正解だとは、思えない。
「血も零さない黒いのと、血だらけの赤いの。
ゾンビだって書いてたけど、もう中々、どうかしてんね!」
ネメはその銃で黒い化け物の喉元を撃ち抜くと、黒い化け物はその衝撃で吹き飛ばされ、動かなくなった。
俺はホルスターから抜いた銃を、彼女の見様見真似、というよりも今まで視聴媒体で目にしてきただけの沢山の架空の銃撃手のように構える。
「あはは、様にはなってる。
それに、狙う的も分かってるじゃない」
赤い化け物が血溜まりから立ち上がるのが見えた。
「私の見立てでは急所は口から喉だね。
それでも、身体を撃てば身動きは止まる。
新人くんは当てられるかな?」
挑発するようなその口調を少し意地悪に思ったが、俺はピチャリと音を立てながら走ってくる腹が破れた赤い化け物を凝視する。
おそらくネメがいた位置からは二十メートルかそのくらい、相手が思考出来るのであれば遠距離からの不意打ちと言われても仕方ない距離だ。
「ほら、近いよ? 一発撃てたら私が始末したげる」
彼女はきっと、あえて俺が銃を撃つ為に必要な行為――スライドを引いていない事を言わない。
だから、きっと撃てなかったとしても何とかしてくれるつもりなのかもしれないと思うのは、信用しすぎだろうか。
赤い化け物が近づくにつれて、その頭の穴が良く見える。
その距離で正確に頭を撃ち抜くあたり、彼女の銃撃には迷いも無ければ隙も無いのだろう。
「身体を撃てば止まるんだよな?」
俺は彼女にそう確認したのは、少しの怯えだったのかもしれない。
「うん、止まるよ」
その言葉を聞いて、俺は思い切りスライドを引き銃弾の動きを肌で感じ、銃のトリガーを引いた。
意地でも目は瞑らなかった。
――当たるのを見なければ、誰も次の行動に移れない。
衝撃に跳ねる腕、破裂音の後に、倒れ込む赤い化け物。
「喉から、口」
俺は確認するように、この衝撃を抑えるかのように小さく呟いて、腕が動く事を確認すると同時に数歩前へ出た。
改めて打ち込まれた銃弾によって赤い化け物は新たな血の池を作っている。
傍らの黒い化け物は、一滴も血を流さないと言うのに。
ネメが喉から口だと言った時に何となくこの化け物達の優劣には気がついていた。
おそらくは、元々は同じ人間。
――そして、元々は同じ化け物。
「死んで尚勝ち負け、か……」
俺は血の池に一歩踏み込みながらスライドを引き、うつ伏せになったまま藻掻く赤い化け物の喉元に銃を押し当てトリガーを引いた。
同時に、衝撃に身を任せるように後ろへと下がる。
銃口の先から吹き出る血を受けないように顔は背けていたが、どうしてか本能的に痺れる腕でスライドは引き直していた。
さっきの失態を取り戻すには、これくらいと思いながらも、慣れない事はするもんじゃないと腕が悲鳴を上げているのが俺にだけ聞こえる。
もしかしたら傍目で見ていたネメにも聞こえていたかもしれない。
「ふーーーーん」
ネメの声が聞こえる。
次に聞こえるのは俺がしくじった場合に聞こえてくる銃声かもしれないと思っていただけに、少し安心した。
「怖気づくなんてもんじゃない、いくら私がちょっと舐めてたからってさぁ……」
少し、遠くにネメの声が聞こえる。
そして身体の力が抜き、膝を付く、そこが血溜まりではなくにホッとしている自分に少し笑いが出た。
「っておーーい。こりゃまぁ……、意地だけでやるもんかなぁ」
その声を呆然と聞いていると背中をパシンと叩かれ、俺は我に返る。
「思った以上に良くやったもんだけども、次の手が無きゃ真っ白になったままお終いだよ!」
「いいや、その点は……、ネメがいるからな……」
嫌味を返すように小さく笑ってネメの顔を見上げると、彼女は頭を抱えるように手で額を押さえてから、溜息をつく。
「あぁもう手ぇ震えてるし……ほら立って! どうせ生きてる人は待ってなくても勝手に来るだろうから、部屋戻るよ!」
その声に促され、俺は銃をホルスターにしまった。
「残り、七発」
「大した新人クンだな、畜生め……。
銃の訓練生でも無いってのに……」
その呟きにほんの少しだけしてやったりと思いながら、俺達は部屋に戻った。
部屋に戻りお互いがベッドに座り息を整える。
先に口を開いたのは俺からだった。痛む身体や興奮した脳よりも、俺達には会話が必要だと思ったからだ。
「ドア、蹴破る必要あったか?」
とはいえ、軽口が先に出た。もう既に敬語やなんやかんやという自分ルールは吹き飛んでいた。
少し生意気な気もしたが、彼女相手にはそれも悪くないと思う自分さえいたくらいだ。
二発撃っただけでトリガーハッピーな人格に目覚めたと思いたくはないが、少なくともトリガーを引いた事は自分にとって何らかの意味を持っていたようだった。
「その方が映えるでしょ、それともドア越しに何発も撃ち込んだ方が良かった?」
ネメもまた、その気安い言葉が気に入っているようだった。
「俺はそっちの方が好みだけれど……。
しかし、急にやらせるもんだよ。
驚く暇も無かったけれど、アイツらは何だ?」
「何だろうなぁ……。
でもま、正確に言えばアイツは何だ? が正解だろうね」
俺が思ったように、むしろネメの言葉によって誘導されて気付いたように、彼女は黒と赤の化け物について思案を述べる。
「ポイントは血だろうね、常々不思議だった。
人を喰らうゾンビ、なんて言うけれどさ、食ったもんは何処に行くの?って」
「そう言ってしまえば、吸った啜ったも意味が無くなる」
要は乾いた黒は血を吸えなかった結果、湿った赤は血を吸った結果の化け物だと言うことだ。
「キミは見ていないけれど、赤いヤツは相当量腹に溜め込んでた。
だから、何らかの意味はあるんだと思うよ。
ついでに言えば、明らかに黒いヤツの方が凶暴だった。
なんせ赤いヤツなんて遠くで私と目が合いながら撃たれたくらいだもの」
そう考えるとヤツらは何らかの目的の為に血を求める人か何かの果てだと言うことは分かる。
もしかすると、その果てにもっと凄まじい何かがいるのかもしれないが。
「どちらにしろ、その血を啜る為の口、というより喉を潰せば諦めもつくのはそう間違っていないだろうとは俺も思うよ。血がキーワードだろう、それをどうするのかは……さっぱりだけれど」
本に情報が無いだけに、もはや現地の生き残りに聞くしかない。
「ったく……、筆が途切れた所まではちゃんとゾンビだったんだけどなぁ……」
ネメも少し困った風な顔で呟いていた。
要は物語が正しい軌道に乗らなかった場合の展開はもはや想像出来ないのだ。
だから早い段階で軌道に乗せる必要がある。
遅ければ遅い程、物語は勝手に動き回るという事なのだろう。
「何でこんなきつい所を研修に選ぶ? まぁ研修という言葉も何だかなぁとは思うけれども」
その言葉にネメは少し言葉を選ぶように真面目な顔をした後に、ヘラっと笑った。
「私が強いから、かな!」
その答えに、俺は思わず先の戦いでの疲れも忘れ笑う。
「ちょっと、笑わないでよね。
考えてみてよ、キミが体験した二つの物語に私がいたらどうだった?」
そう言われ考えてみれば、戦力的には確かに申し分無い。
ただ、問題が無いという事も無いように思えた。
きっと、力で全て解決しただろうと思う。
誰にも不審に思われずに、何なら彼女の銃器ならば世界観にそぐわずとも使い方によっては魔法の類いだと思われても問題は無い。
ただ、その想像の先にアルはいなかっただろう。
そして、グレイは救われただろうかと考えると、少しだけサライブの司書という仕事の意味が分かった気がした。
それと同時に、司書達のそれぞれの意義も問われる気がした。
「アンタがいたら、きっと全部楽だった。
だからこそ、俺は考えるさ」
その言葉にネメは満足そうに頷く。
きっと、俺が思っていた事にも気付いているのだろう。
彼女は力そのものだ。だからこそ、俺は考えなければいけない。
「ところで……、邪魔だと思い口を挟まずにいてやったが」
そう思っていたところで、ポケットから少し辟易とした声がする。
俺は考えなければいけない、そう思っていたところだった。
「奴らを、燃やす必要は無いのか?」
そう、考えなければいけなかったのだ。
赤子は泣きながら生まれる。
では、叫びながら生まれたソレは、なんと呼ぶべきだろう。
「カーク、いつから気付いてた?」
部屋のすぐ傍で聞こえる絶叫の中、カークに聞くと、彼は鼻で笑う。
「意地が悪いとは思うだろうが、だったら我を"邪魔だ"などと二度と言うな。
最初から、最初からだ。
死は常に炎と共にある。甘んじたな、死を」
「甘んじるべきではなかったのはお前だったよ。
悪かった」
俺がカークに謝る間に、絶叫の主はドアの目の前に姿を現していた。
絶叫の主は、赤と黒の斑模様が蠢くような身体に湿り気を帯び、乾いた目をしている。
――黒が赤を吸ったか。
きっと、赤の血が黒に届いたのだ。
乾いた身体は、際限なく吸ったのだろう。
その口を必要としないほどに。
「意地が悪いのは今回だけだ。
だが、今のお前達はこういう方が"燃える"のであろう?」
その言葉に苦笑したのは、どうやら俺だけのようだった。
思わず意地が悪いのはいつもだろうと言いたかったが、思わず言葉を抑える。
というのも、ネメが焦った様子で銃を構えたのが見えた。
俺もホルスターに手をかけるが、ネメの制止によりその銃を抜く事は無かった。
「私が殺るから、キミ"達"はその後すぐに燃やして!」
ネメのその言葉の後に響き渡る何発もの銃声、そして絶えず響く絶叫の中、俺はポケットからライターを取り出した。
「カーク、本当に悪かったよ。
だけど、多少は手加減してくれ。燃えすぎると……そう、本に悪い」
ネメに戦闘を任せた余裕からか、思わず口から出た軽口が心地よかった。
だからこそ、ネメも少し笑っていた。
銃弾の雨が降ると思ったが、その実、響いた銃声は五発に満たない。
倒れる赤黒い化け物は例えた所で血の池程では無いくらいの血を吹き出しその場に倒れる。
「これだけやりゃあ、休む暇も無いかなあ。
次は多分人だ、一応用心……ね」
そう言って少し疲れたようにベッドに座ったネメとすれ違うように俺はカークの火をライターで起こす。
「だからお前、手加減だって……」
その炎は火炎放射か何かと言わんばかりに燃え盛り、俺は本日二度目の接射をする羽目になった。
誤魔化せたかどうかは分からないにしろ、目の前で燃え盛る化け物は間違い無く絶命しただろう。
赤と黒が交じる身体が焼ける臭い。
それを二度と嗅ぎたく無いと思いながらも、この狼煙のように上がる煙に気づき、仲間と呼べる者が来る事を俺は吐き気をこらえながら小さく祈っていた。




