第三十四筆『だって、私達は救えるんだもの』
司書になるための試練、リアはそう言ったが俺は小さな葛藤に苛まれていた。
とりあえず流されたまま、死後は無では無いという喜びに乗じて今まで来たが、この先はこの場所で生きていくという覚悟の決め所のような気もした。
本来ならば何かしらの物語へと新たな生を受けるのが、この魂の中継所シェオンのルールなのは分かっていたが、新たな生とは何だろうか。
もし、何もかもを忘れて最初からやり直しなのであればそれは生だろうか。
俺はそれが何よりも怖く、だからこそそれと向き合う為にタナトと名乗っていたのだ。
だが果たしてこの先に、伸ばした自我の延長線上に幸せが待っているかと考えるのも難しかった。
――俺は生物を殺している。
「何にせよ、天国には行けないはずなのにな」
俺の地球での死因は決して自殺ではない、だから地球で最も名のしれた神であれ地獄には送らないはずだ。
だが、このシェオンの神様は、殺しすらも場合によって許しているらしい。
何にせよ分からない事だらけだった。
だから俺は、進む為でも戻る為でも無い。
ただひたすらに、知る為に司書になろうと思ったのだ。
リアに教えられた部屋をノックし、返事を聞いたあとに扉を開けるとその光景は凄まじかった。
大体の事は大体の物がなんとかしてくれるであろうこの場所でこれほどまでに部屋が散らかるという事があるのだろうか。
右を見れば食事のトレイが幾段にも重なり、左を見れば紙束が散乱している、そして目の前でニヘラと笑う黒髪の女性を見れば腰に重火器。
気が強そうでいて、また端正な顔付きだが、フレンドリーな笑顔を浮かべてこちらへ近づいてくる。
「やあやあ、よろしく新人くん。
今回のキミのパートナーさんだよ」
笑顔を崩さずに手を上げながらこちらに近づいてくる彼女に俺は少し怖気づき後ずさるが、女性はケラリと笑う。
「クク、怖がってるね! でも慣れたもんだよ、
ほら、はいタッチ!」
ハイタッチなんていつぶりか、そんな明るさに満ちた行動した記憶があまり無い、もしかしたら初めてかもしれない。
まだ名前を知らない彼女の手に恐る恐るハイタッチすると、その瞬間頭の中に彼女の名前が浮かんだ。
「……ネメ……さん?」
「よし、私の自己紹介諸々は終わり! 面倒だから敬語だとかはやめてね!
キミの事は、追々教えてもらう楽しみにさせてね。タナくん!」
そのハイタッチが何だったかというと、記憶の転送のような物だった。
どうしてそれを今自分の事のように考えられるかと思えば説明のしようが、ないわけでもなかった。
与えるべき記憶だけをまとめて相手に送りつける、それが彼女の力の一つであるという事が名前や性格、好きなもの嫌いなものなんていうプロフィールの記憶と共に送られてきた。
おそらくこれらは質問で答えられる範疇の事をまとめた記憶なのだろう。
『めんどーだから、大体はこれで済ませてるの、整理は自分でやってよね!』
という俺が到底考えるわけでもないような言葉が頭にポンと浮かぶあたり、その力は奇跡か魔法か、だがもう今更信用しないなんてことも無かった。
「すごいですね……」
「"すごい"でしょ!」
褒めているにも関わらずネメさんは少し剥れながら俺の言葉を反復する。
「はい……、本当に……」
「じゃなくて! "すごい"
ですねが邪魔だね! とりあえず一冊分は共闘するんだからラフに行こう、ぜ!」
わざとらしく明るく振る舞う、というよりもややオーバーに明るく振る舞うネメさんに俺はやや苦笑しながら二の句を返す。
「でも年上の人にタメ口というのは……」
「年齢の情報なんて伝えてないけどね?!」
その勢いのある性格が少しだけ苦手な気がしたが、その勢いに悪意が無いという様子に、少しだけ心を開きかけている自分がいた。
「おねーさん的には、チョロい男子は嫌いじゃないよ!」
「チョロかないですよ……、それにやっぱり年上なんじゃないですか」
むくれた俺が面白かったのか、ネメさんはケタケタと笑う。
明るい人、そういう印象が強かった。
ぶっきらぼうな人、そういう印象はとりあえず保留にした。
「まぁまぁ、適当に行こう。
ちゃらんぽらん半分、状況に対しての誠実さ半分で、上手くやろうじゃないか!」
ネメさんは柔らかな笑みを浮かべて、そっと手を伸ばしてきた。
それが握手の前兆だと分からない程鈍くも無かった俺は、その手を握る。
その瞬間に入り込むのは、これからの情報の全て。
「実は、話すの面倒だとか?」
聞くと、ネメさん……ネメは手を離してすぐに振り返り物で溢れた部屋を歩き回り何やらリュックに物を詰めていた。
「んー、それもそう。
けれど、続かないんだ。この仕事、特に今からキミがやる司書試験、合格したってやめる子が多いの。
だからあんまり、ね」
一つ、物語は私達の世界では無い。
一つ、物語の続きを書くだけが仕事では無い。
一つ、物語で出来る事はそう多く無い。
一つ、物語にとって司書は喜ばれるべき存在では無い。
一つ、物語が望むのは終わる事、続く事では無い。
格言のように頭に詰め込まれる情報についての説明まではつかなかったが、何となく想像出来ることは多かった。
「これだけは大事な事だから、口頭で伝えるよ。
物語に対して、私達は余計な事をしている。
司書と物語は、言わば敵対関係にあると言っても過言では無いんだ。
だから、夢は見ない事。あの世界で傷つくとしたら、人にやられるわけじゃない、物語にやられるんだ。
それだけは覚えておいてね」
ネメは肩から重火器をぶら下げて、腰には本物を見た事は無いが投げるパイナップルが数個。
その顔は、もう笑ってはなかった。
「つまりは、余計なお世話の押し売りと?」
「言うね、キミ。
まぁつまりはそーいう事、でも苦しんでいる世界があるんだもん。
救わない道理は無いでしょ? だって、私達は救えるんだもの。
でもさ、生きていたら自分で進めたい気持ちは、分からないでも無いじゃない?
……たとえ筆者が消えてもね」
――それは、ひどく歪な関係だった。
物語は生きているとリアは言っていた。
だが、それよりももっと適切な言葉を使うとするならば、物語は足掻いているのだ。
でなければ人なんて簡単に死ぬ、たとえ勇者であっても、主人公であっても。
けれどそれが起きないという事は、何らかの力が働いている。
それでも潰えてしまう世界を救うべきなのか、今はまだ分からない。
物語は生きている、けれど一言も語らない。
「リアちゃんが教えてくれなかっただろう全部を、キミにはこれから知ってもらうよ。
あの子は甘っちょろいからね、可愛いけど、ずっと可愛いまま、甘っちょろいんだ」
話を聞く限り、当たり前だがリアとも知り合いらしい、だがその顔は少しだけ寂しそうに見える。
『可愛いまま、甘っちょろい』
それが、彼女のいいところだとも思える俺は、きっと同じくまだ甘いのだろう。
「とにかく、物語の敵は私達の敵だけれど、物語そのものも私達の敵になり得るという事は覚えておいて。
魔法が無い物語で魔法を使うだとか、余りにも違和感ある行動は、露骨に潰しに来るよ」
今までに、俺達は明らかに不自然な妨害を食らった。
それは『常ノ魔』でも『スレイヴガンドの呼び声』でも同じだ。
それが物語の放っておいてくれというサインであるならば、これは間違いなく、ただの余計なお世話だ。
「助けてくれとは、言ってないか……」
「そうだね、助けてくれとは言ってない。
けれど此処は神様の図書館で、この世界は魂の中継所、全部燃やしちゃ、渋滞が起きる」
ネメが一冊の本を手に持ちながら扉の前にいる俺を横切ろうとする。
俺がそれに合わせて振り返ろうとすると、耳元で小さく声が聞こえた。
「ただ、燃やすのも私達の仕事のうちなんだけれどね」
その冷たい声のトーンに、覚悟を決めろと言われている気がした。
「行くよ、新人くん。
それと、ライターくんも」
俺と、それにカークの事にも気づいていたらしい。
「不服だ、我の名を知っているなら、そう呼べば良い」
空気を読んで静かにしていたカークが声を出すと、ネメは笑いながらドアノブをヒネる。
「じゃ、タナくんとカーくんだね。
じゃあ行こう、現実を見に」
カークが何かポケットが騒いでいたが、俺は思案の中に誘われ、ネメの後を追うのがやっとだった。
だから何度か見た世界間移動の部屋までの移動はあっという間の事だった。
何度かネメに話しかけられたような気がするが、空返事をしていたという事に気づいたのは部屋に入ってからだった。
「んー、大丈夫? おねーさん重いのはしんどいなぁ。
パーっと行こう、それで進むもやめるも、ハッキリと行こう。
少なくとも今から行く物語で、キミは司書としてリアちゃんが教えてくれなかった事を経験するからさ!」
ネメは励ますように、あえて明るい口調を取っているように思える。
俺はひたすら思案していたが、実は一番現実を知りその心の重さを隠しているのは彼女なのではないか。
なんて事を会って早々思うのは俺の悪い癖ではあったが、彼女の身体中を包む力の数々を見ればそう思うのも仕方ないように感じた。
「じゃあ、始めよう」
ネメが椅子を引かず、立ったまま手に持った本をテーブルに置く。
「タイトルはフレームアウト。
セーフラインはとっくに超えてる、状況は五段階のうちの五。
転送先はそうだね……、多分大きな施設の一室かなー」
本を開いてもいないのに彼女はスラスラと本の内容とその状況の予想を話していく。
「ちなみに……」
「ちなみにキミ達が行った悪魔のトコは五のニ、竜のトコは五の三ってとこかな」
俺の言葉を遮ってネメは俺が聞きたかった事を先回りして答える。
どうやら、俺が言わずとも俺が経験した大体の情報は伝わっているようだった。
「相手は不死者だ、魔法の類は無し、時代は現代的だね。
まぁ死者自体が魔法みたいなもんだけれどさ。まぁ……要はゾンビ物ってヤツだね」
「となると、カークの存在は……」
「はっきり言えば邪魔、だね。簡単に出てこれなくて逆に良かったくらいだ。
今のキミが出来る大体の事は、この物語では物語を刺激するイレギュラーでしか無い。
だからこそ、まぁ頑張ってよ」
ネメはあっけらかんと言うが、俺にとってはそんな生易しい話では無い。
ポケットのライターからもなんとも言えない不満そうな声が聞こえる。
要はカークは見ている事しか出来ず、俺が二度の物語の経験で得た力についても意味が無い。
これでは戦力外通告もいいところだ。
「あえて、この物語を選んだんですか……?」
俺の敬語にムっとして少し睨まれる。
そういえば敬語が嫌いだと、二回記憶の押し付けをされた時に二回とも重要事項として含まれていた。
「あえて、だよな……?」
俺が言い直すと、ネメは少し意地悪そうな顔をして「そうだよ!」と言いながら本を机の中心?に納める。
本から発される光に包まれる中「もしこの物語を何とか出来たら褒めたげる。でもま、拳銃の使い方からだけどね」という笑い混じりの声が聞こえた。
 




