次頁の向こう『スレイヴガンドの呼び声』
風に吹かれ石屑がピシリと音を立てながら岩肌を転がっていく。
建物はそこに生物の気配がいなくなると途端に廃墟になろうとすると言うが、それもそのはずだろう。
かつて魔竜の住処と言われ恐れられた牢獄は、もう十年近く危険な場所として語り継がれていた。
元々人が寄り付くような場所では無かったが、かの魔竜を討伐したと言われる勇者達でさえ何度か魔竜の存在を探した後には寄り付く事が無くなっていた。
魔竜の討伐と復活、そして復活した魔竜は倒される事無く牢獄の崩落と共に姿を消したという噂が人々の心からとっくに忘れ去られた頃、この廃墟と化した牢獄に足を踏み入れる者がいた。
「結局、呪いって何だったんだろうね」
その年に似合わず高めの声を出す青年は、灰色のローブをすっぽりと被っていて如何にも放浪者といった格好だった。
彼は足元も覚束なくなるような廃墟の階段を下りながら一人呟く。
「僕達を縛っていたものって、何だったんだろう。っと!」
降りているその階段が数段分途切れているのを見て、青年は軽やかに飛ぶ。
だが、着地した場所の地盤も緩かったのだろう。
青年は一瞬バランスを崩しかけるが、その瞬間彼の身体が光り輝いたかと思うと、彼の身体は透き通るような大きく白い羽根に包まれ、そのまま地盤が安定している床までふわりと移動した。
「ありがと、レイ」
その羽根はまるで彼自身から生えているように見えたが、青年は笑って何者かに礼を言う。
「気にするな、それに此処は……」
青年の身体から青年以外の声がする、その声は何か言いかけて口ごもるように言葉を止めた。
「壊したのレイだもんね」
青年は立ち止まって懐かしそうに周りを見回す。
彼が降りていた階段の先は完全に崩落しており、次の足場に飛び移る事は難しそうだった。
「いや、そういう事ではなく……」
「良いんだ、もうきっと救った命の方が多い」
青年にレイと呼ばれた声の主は何か言いたげだったが、その言葉を制するように青年は崖に向かって思い切り飛び出す。
すると彼の身体がもう一度輝き、次の瞬間には白竜の上に跨っていた。
「無茶が過ぎるぞ、グレイ」
十年程前から、この世界ではグレイという名の魔法使いとレイと呼ばれる白竜の物語が勇者達の英雄譚の裏でひっそりと語り継がれていた。
名前がよく似た一人と一匹は、巨悪を倒すというわけでは無かったが病に苦しむ人間の元に訪れてはその原因を解決して回るという事で有名だった。
むしろ何かを倒したという逸話は一切残っていなく、その力は偽物だと笑う人間もいた程だったが、それでもその一人と一匹は笑い飛ばして空に消えていったと言う。
勇者の役割が人々の命を奪う元を断つ事ならば、この二人は消えゆく命を食い止める事を役割としていた。
「それでも、呪いの原因は見つからなかった」
凛々しい顔をした白竜が翼をはためかせながら青年グレイに話しかける。
「だからとうとう覚悟をして此処に来たんじゃないか。
嫌がるキミを連れてさ、自分が呪いの原因だったらどうしようなんて、キミらしくもない」
ペチペチと竜の背中を叩くグレイはもう決して子供と呼ばれるような年齢では無かったが、少し子供っぽい口調で白竜に話しかける。
「魔竜スレイヴガンドと呼ばれた俺の住処が何処より呪いに近いなんて事は誰だって考えたら分かる事だろう」
「でも、今のキミは白竜レイだよ。
名前で罪が償われるわけではなくても、あの日からそう呼ばれる程の事だってしてきた。
呪いの存在について分からず終いでも、僕達が最後の被害者だって事も今は分かってる」
自らをスレイヴガンドと呼ぶ白竜は手近な足場にグレイを下ろすと、光の球となってグレイの身体に吸い込まれていく。
「だが、この世界で少なくとも最初に呪われたのが俺だったんだ。
何か残っていたっておかしくないだろ」
「でも、此処は奴らが嫌って程探したはずだよ。
僕がキミと一緒に挨拶しに行くまでは、居なくなった魔竜スレイヴガンドとその呪いを探して血眼になってたはずだもの。
ただ、僕らが顔を出してからは一度も来ていないみたいだけど」
グレイは笑いながら階段を下りきった先の部屋へと辿り着く。
「この部屋はあんまり崩れてないみたいだね。ほら、扉までちゃんと残ってる」
そう言ってグレイが扉に触ると扉が崩れ去る。
苦笑しながらその廃墟の最下層の部屋へと足を踏み入れたグレイは、その光景に思わず息を呑んだ。
その部屋には、まるで何処かの庭園から切り取って持ってきたかのように、満開の花が咲いていた。
その光景に小さく笑いながら、グレイは花を踏まないように部屋の中心まで歩き、天井を見る。
「ほんの少しの光なのに……」
部屋の上に連なる沢山の岩から、雨くらいならば行き渡るだろう。
だが見上げた天井から見える空はほんの少しで、決して日当たりが良いとは言えなかった。
まるで日陰そのもの、ほぼ太陽の光が当たらない場所もあるだろう。
だが、その部屋に咲く花はどの場所であっても等しく綺麗に咲き誇っていた。
「グレイ、壁だ」
レイにそう言われグレイが壁を見ると、うっすらと壁が光り輝いているのが見えた。
「昔、日陰でも花は咲くって言ってた人がいてね」
その壁が光っている理由にグレイは一つだけ心当たりがあった。
それを思い出すと共に、彼の目に涙が溜まっていく。
まだグレイが人を嫌い灰色の心を持つ少年だった頃、日陰で暗い道を歩いていた頃に出会った人達がいた。
「あぁ、知ってる」
泣きそうな声のグレイに、レイが優しい声を投げかける。
「来て、良かったよ」
レイがそう言うと、グレイはグシグシとローブの裾で涙を拭う。
「うん、来てよかった。
大丈夫、此処にはもう呪いなんて無い。
とっくに無かったんだよ」
日陰は未だ、日陰のままあり続けている。
太陽は、その場所全てを照らさない。
それでも、かつて呪いを溜め込んでいたその部屋には、まるでその呪いを慰めるかのように、色とりどりの花達が小さく揺れていた。
かつてこの世界で『呪い』と呼ばれた現象は、スレイヴガンドという魔竜が姿を消してから、一度も見つかっていない。




