第三十三筆『でも、間に合った』
夢を見ている間はそれを夢と認識出来ないとはよく言うが、俺が今見ているこれが果たして夢かと言われると確かに疑問ではあった。
スレイヴガンドの身体が光り輝き目の前が真っ白になってから、身体の力が抜けて目の前というよりも、視界が真っ暗になっていった事は覚えている。
気を失うという経験はあまり無いが、俺が初めて死んだ時の感覚とよく似ていたから、気を失ったのだろうと思った。
だが、おそらくは夢なのだろう。
何故なら目に映るのは真っ暗な自分の部屋で、聞こえてくるのは幾人もの俺を嗤う声だったからだ。
「要領良く行きましょうよ。
うまくやってく為には必要じゃないですかあ」
聞き覚えがあるヘラヘラした男の声。
名前も思い出したくない、俺が物書きをしていた時にやり取りを交わしていた男の声だ。
「面白いあらすじを書く練習でもしたらどうです?
タイトルもウケるヤツに変えないと、一頁目すら読んでもらえない小説を一生書き続けるんですかぁ?」
夢というよりも、悪夢。
悪夢というよりも、呪いだった。
「切り替えられない人は向いてないですよ。
売れないコンテンツは思い切って捨てましょう! 金がかかってるならまだしも、かかってるのは時間だけなんですから」
それは俺が物書きとして芽が出ない一つの理由でもあったのかもしれない。
「それでも、努力していれば必ず……」
「これで内容もつまらないんじゃ、どうしようもないですよ」
言いかけた俺の言葉を遮ってその男の声は俺にトドメを刺す。
今見ているこの夢もまた呪いのようだったが、叶えられない夢を追うのもまた呪い。
それ以上何も言い返せないのは、本当に俺が面白い物語を書けずに死んだからだ。
「お酒に頼って書いた物語に、何が籠もっているの?」
男の声が途切れたと思えば、次は母の声がする。
その声色には心配ではなく侮蔑を感じた。
声しか聞こえなかったが、表情すら思い出せるのはソレらが実際に言われた言葉達だからだ。
「いい加減腰を据えて仕事に打ち込んだらどう?
貴方、言われた事を書くのは得意みたいじゃないの」
「でも、やりたい事は別だからさ……」
「じゃあ何でお酒なんて飲むのよ」
耳を塞ぎたくなるが、手は動かない。
その言葉達に、仕方ないとは言えなかった。
でも、仕方ないと思っていた。
何かにすがってでも、才能が無くても、誰にも読まれなくても、俺がいつか物語に救われたのだ。
だからこそ、俺もいつかの自分が救われたような物語を紡ぎたかった。
「でも、誰も救えずに死んだじゃないか」
俺の心の中を読んだような言葉を言い放つその声は、知っている誰の声でもなかったが、誰もの声をあわせたような、重い声だった。
まるで、スレイヴガンドが漏らす唸り声のような。
「つまらないまま、死んだんだ。
なぁお前、死んだのに何をやってるんだ?」
確かに、俺は死んだのに何をしているんだろう。
死んで終わったのに、俺は何故こんな事をしているんだ。
「そうだ、死んだ癖に生きるな。
死んだなら死んだままでいろ。お前は今もつまらない癖に」
その言葉は、暗示のように俺の心に染み込んでいく。
確かにさっき光に包まれたはずなのに、俺の心は深く深く沈んでいく。
そして、その声は魔法の言葉のように。
「死ね」と囁いた。
目を開くと、気を失う寸前と何ら変わらない光景が見える。
スレイヴガンドの後ろ姿はまだ光り輝いたまま、白昼夢というヤツだったのかもしれない。
「そうだった」
俺は小さく呟き、右手で自分の首を締める。
黒炎が首元から身体に這っていき力が抜けていく、だが右手には自分の力だと思えない程の握力があった。
どんどん苦しくなっていくが、その衝動は止まらない。
どうしてか、そんな事は決まっている。
――俺は生きる価値が無いから、死んで当然じゃないか。
息はもうとっくに出来なく、どうして立っていられるのか不思議だった。
首を締める俺の目の前で動きを止め倒れこむスレイヴガンド、その向こうにリアの顔が見えた。
その目が見開いた瞬間、リアは俺に向かって飛びかかるように剣を奮う。
その剣から放たれる刃が俺の右手を切り裂くと同時に、首を締める握力が失せ、俺は床に膝を付いた。
「何やってんですか!!」
「何って……」
駆け寄ってくるリアの顔を見るが、俺は一体何をしていたのか理解出来ない。
「死のうと、してた」
「何で!」
「だって、俺は……」
死ねと言われた。
あの一瞬の夢の中で俺は死ねと言われたのだ。
だから死のうと思った。
「お前は自死を求めたか。
俺とは逆だが、それが呪いだ」
目の前で倒れているスレイヴガンドから声が聞こえる。
その声には辛さこそ感じられど、唸るような重々しさは感じなかった。
「抗えない……、だろ。
竜である俺ですら無理だったんだ、人の身で抱えられるわけがない。
でも、間に合った。お前も、俺も」
スレイヴガンドは倒れ込んだ身体を起こし、射抜かれ切り裂かれボロボロになった翼を大きく広げ、咆哮する。
その咆哮はまるで魔法のように地面を揺らし、広場の地面にヒビが入り、割れていく。
「グレイ! 来い!」
そのヒビは次第に地面を裂き、勇者達と俺達のいる場所を隔てるように大きな裂け目を作っていく。
スレイヴガンドの声を聞き、顔をあげたグレイにアルが駆け寄り、肩を貸して二人でこちらへと近づいてくると、勇者達と俺達の間には簡単には渡れないくらいの距離の裂け目が生まれていた。
勇者達が地面の崩落を避けるようにこの場を去っていくのが見える。
尤も、カークに限ってはそうではなく、裂け目に向けて飛び出したかと思うとその身体を炎と化し、「また頼むぞ」と言いながら俺のポケットへと吸い込まれていった。
「あーあ、これじゃ僕の部屋もダメだな……」
あまりの崩落具合にグレイが小さく呟く。
「これで、全員か。少なくともアイツらは簡単には渡れない。
だからまずは、礼をさせてくれ」
黒いオーラが消えたスレイヴガンドの身体は、白く煌めく鱗で包まれていた。
その鱗が光ったかと思うと、グレイの傷を含め皆の傷が光に包まれ治っていく。
だが、スレイヴガンドの身体が霧のように薄まり、まるで今にも消えそうになっているのがわかる。
「呪いを、払うなんてな……。
払われてやっと分かったよ、俺は呪いが依り代になっていたんだな」
スレイヴガンドが呟くと、グレイが苦笑する。
「僕も契約してから気付いた。お互い、呪いに振り回されていたみたいだ。
それで……、兄さんは大丈夫?」
グレイの言葉で皆の視線がこちらに集まる。
アルは俺のした事を見ていなかったようで不思議そうな顔をしていたが、リアは心配そうな顔でこちらを見ていた。
「あ、あぁ……。
大丈夫……、みたいだ」
自ら死を選ぶ事に何の疑問も感じなかった。
俺はそれを恐ろしく思いながら、右手をじっと見つめる。
「お前の心にも何らかの闇があったんだろうよ。というよりも無いヤツなんていない。
呪いってのはそういうのを増幅させる。俺の場合は殺す方に、お前の場合は死ぬ方に。
姉ちゃんが機転を効かせなきゃそのまま死んでたろうよ、救われたな」
スレイヴガンドは神妙な声でそう言い、翼を折り畳む。
「とにかく、助かった。
俺が今までしてきた事が許される事は無いが、これ以上の犠牲は無くて済む」
スレイヴガンドの身体がだんだんと消えていくのを、アルが寂しそうに見つめている。
「償いなら、出来るさ」
グレイはそう言ってスレイヴガンドに微笑みかける。
「兄さん、あの球まだ持ってる?」
「あぁ、これだろ? 壊れて無くて良かった」
グレイに言われ、俺はポケットから小さい球を取り出してグレイへと渡して、その手をポケットへと入れる。
「一緒に行こう、スレイヴガンド。
僕の魔力を食って生きろ」
母を殺されて尚魔竜を救おうとしたグレイという人間は、初めて魔竜を許した人間なのかもしれない。
「あぁ、それも良い。
それが、許されるなら」
グレイはその小さい球を頭を垂れたスレイヴガンドの額に合わせると、その白竜の巨躯は小さい球の中へと消えていく。
「理解されないかもしれないけれど、きっとやっていける。
まずは、アイツらと話をするところからかもね」
「呪いの根源を消せば、俺みたいに魔に堕ちる存在も消える。
それを以て贖罪と出来るならば」
そうして、一人と一匹は物語を前に進み始める。
リアがこちらに本の表紙をチラリと見せると、その表紙が光り輝いているのが見えた。
「皆は、来ないんだろうな」
グレイが察したように俺達の方を見ると、俺のポケットから声が聞こえる。
「我がいてアイツらがお主の話を聞くと思うか?」
カークがそう言うと、グレイは寂しそうに笑って頷いた。
「それもそうか。じゃあ、ここでお別れだ。
二人の武器は、せめてものお礼として持っていってよ」
「グレイさん……、頑張ってくださいね……」
リアが真剣な顔でグレイの顔を見つめるが、グレイはニコリと笑ってから背を向ける。
「大丈夫、もう一人じゃないから!」
そう言ってグレイは崩落した地面の方へと飛んだ。
誰かが何かを言う前に、白竜の背中に乗る魔法使いが空を駆けるのが見えた。
「がんばってねー!!」
アルが大きく手を振ると、白竜スレイヴガンドはクルリとその場を回ってから、牢獄から飛び立っていった。
「じゃあ、行こうか」
残された俺達は崩れた牢獄を戻り、最初に来た部屋へと戻る。
その間、リアが気まずそうに俺の顔色を伺っているのが見えた。
「大丈夫だよ」
何の事かまでは言わなかったが、俺のその言葉にリアは小さく頷く。
右手をポケットに入れたまま歩くのは、流石に不自然だったのかもしれない。
俺達が来た部屋は不自然にテーブルがあったので分かりやすく、すぐに見つかった。
「じゃあ、私達の世界へ」
リアの言葉に俺とアルが頷くと、リアはテーブルに『スレイヴガンドの呼び声』をおさめる。
そうして暖かい光に包まれ目を閉じた時に、一瞬また気を失うのではないかと不安になったが、目を開けるとそこは神様の図書館、サライブの一室だった。
「ただいまっと、今回は中々骨が折れましたね……」
リアが本をテーブルから取り出して、少し疲れ気味の顔で苦笑する。
その手には魔剣アディスが入った鞘が握られていた。
「でも、良かった。
万々歳でした」
アルは疲れを知らないかのように朗らかに笑い、自変弓をギュッと握り締める。
「あぁ、カークの具現化も出来た。
上手くやるといいな」
「だが、その前に見せる物があるだろう?」
カークのその言葉に、俺とリアに緊張が走る。
「持ってきたわけじゃ、無いんだけどな」
言い訳のようにそう言いながら、俺はポケットから右手を出す。
その右手の甲には、黒い傷跡のようなアザが出来ていた。
そして、力を込めるとそのアザが光り、右手が黒い炎に包まれる。
「憑かれたか……、人の手には余るだろうが……」
淡々と説明するカークの声も少し暗い。
「黒炎を受け続けた右手だけが、呪いの影響を受けたのかもしれない。
リアのお陰であの時は何とかなったが、次はどうなるか……」
「大丈夫ですよ」
透き通る声が耳に届いた。
「大丈夫です」
リアは、何がとは決して言わなかった。
けれど、その言葉がもしあの悪夢のような呪いの中で聞こえたなら、俺はもう間違わないと思えるくらいの確かな言葉だった。隣でアルも頷いている。
「心配するな。
我の炎がその程度の黒炎に負ける事等無い。
逆に使いこなしてやればいいだけの話だ」
驚く事に、カークまでが俺を励ますような言葉を投げかけてくる。
「あ、ありがとう……」
そう言うと、リアはしっかりと頷き「じゃあ、コレ返してご飯にしましょっか!」と笑った。
「まさか呪いを連れてくるなんてな」
カークにだけ聞こえるように心の中で彼に呼びかけると「案外それが最適手だったのかもしれん、案ずるな」と真面目に心配された、
おそらくカークはルールの外だという扱いなのか、それともまた具現化せずにこちらに戻ってきたからなのか、何かを持ち帰ってはいなかったようだったが、どうやら少しだけ暖かい心のような物を持ち帰ったのかもしれない。
俺は呪われた右手をポケットに入れて、グレイの物語が上手く紡がれる事を祈りながら、リアとアルの後をゆっくりと追いかけた。




