第三十二筆『その呪い、借りるぞ』
まさにその場は感情がぶつかり合う戦場と化していた。
あらゆる負の感情をぶつけ合い、誰もが正の感情を持っていながら、お互いを理解出来ない者達がひたすらに自分の想いを信じて殺し合っている。
尤も、勇者達に一人向かっていったカークについては遊んでいると言った方が正しいのかもしれないが、それでも彼の心は怒りで燃えているだろう。
「来い、虫けら共! つまらん邪魔をした代わりに楽しませろ!」
「魔竜に属する悪魔が、ほざけ!」
勇者は威勢こそ良い物の、その戦力差はひと目見ただけで想像以上だという事が俺にも見て取れた。
カークは勇者の剣を片手で受け止めている、だがその手に傷等残るはずがない。
何故ならその手に纏った炎が、剣を手の寸前で止め、その剣を溶かす勢いで熱を注いでいたからだ。
遠目でもそれが分かったのは、カークの少し邪悪な笑みの後放たれた単純な腹部への殴打により吹き飛ばされた勇者の手に握られていた剣が、返り血では無く熱によって真っ赤になっていたからだ。
周りの仲間達が矢を放とうと、魔法使いが十数本の氷の槍を放とうと、カークは笑いながらそれらを灰にし、蒸気へと変えていく。
カークが一歩進むごとに、勇者達は一歩下がっていく状況はまさに彼らにとっては絶体絶命だろう。
「この……、狂った悪魔め!」
魔法使いの女性が特大の氷塊をカークの頭上から落としながら口走るその罵倒にカークは大声で笑う。
「誰が、何が狂っているかは、我が決める。
少なくとも、今この瞬間、この世界は狂っている」
氷塊が落ちる音がする、と同時にむせ返る程の水蒸気でカーク達の姿が見えなくなった。
おそらくは、カークが溶かしたのだろう。
それから聞こえた音は、木がへし折れるような音と、何度もカークへと向かっていっているであろう勇猛な男の声だけだった。
カークの力に圧倒されている勇者達には、間違いなく義勇の心やこの世界を救うという信念があるだろう。
彼らだって本来ならば正しいのだ。もしたった一冊でも違えば俺達は彼らの為に動いたはずだ。
けれど、この世界が物語だという事を知っている俺達は、言うまでもなくその義勇を挫いてでも止める必要がある。
この世界はかつて彼らが主人公だった世界だとしても、グレイがスレイヴガンドと契約した瞬間から物語の主人公は彼なのだから。
「やるじゃんか……、兄さんもカークも。
皆が来てから、知らない事ばかり、不思議な事ばかりだ」
この物語の主人公グレイは、傷をかばいながらもその杖を魔竜に向けている。
おそらく俺達の知らない沢山の魔法を知っているのだろう。
例えば身体を貫く雷撃だって、カークが放つには劣るかも知れないが炎だって、氷壁だって張れるかもしれない。
けれどグレイは頑なに闇を振りまき、魔竜の動きを封じる事に徹していた。
それはきっと、彼が魔竜スレイヴガンドを救うと決めたからだ。
そして俺達は物語を進める為に来た、はずだった。
だがもう今は、それだけではない。
物語を救う為に此処にいる。
グレイを、スレイヴガンドを救う為に、俺はこの世界で悪と語り継がれても構わない。
「俺も出るぞ、任せていいか?」
グレイに聞くと、彼は何とも言えない顔で笑った。
「正直言うと、かなりきついね……。
傷は深くは無さそうだけれど、力が出なくなってきた。
出来れば早めに頼みたいな。
もし拘束が解けたら、逃げ……」
「限界が来たら、一旦退いてくれ。
アイツを殺すわけにはいかないが、お前を亡くすわけにもいかない」
グレイの言葉を遮って、俺はリアとアルの元へ駆け出した。
魔竜の黒炎を受けた右手が、ズクンと脈打つように熱を持っている。
俺はその右手で炎球を作り出し、リアに振り下ろされそうになっていた前足の付け根へ放つ。
その衝撃に魔竜が一瞬怯んでいる隙に、リアは剣から光の刃を魔竜の腹部に当て、そのままこちらの方へと下がってくる。
「リア! 状況は!」
額に張り付いている汗を拭いながらリアは不服そうな顔で、まくしたてる。
「そんなのこっちが聞きたいですよ! なんですかさっきの!!
センセ! そっちの状況は!! 大丈夫なんですか?!」
「……見たまんまだ。カークの具現化が成功したが、グレイがやられた。
早めにカタを付けてくれってさ……。魔竜も怖いが、カークが勇者達を殺さないかも少し怖い」
それを聞いてまだ不満そうな顔をしているリアは少し難しい顔をして魔竜に向き直った。
「こっちは……、もうちょっと!」
言うやいなや走り出す。
俺達の会話は十数秒程度だったが、その間アルが魔竜の気を引いていてくれたようで、魔竜は丁度俺達に背を向けていた。
「アルちゃん! 退いて!」
二人の連携はもうこの段階で出来上がっているように見える。
最初はグレイの指示に沿って動いていたが、彼が傷を負ってからは指示が来ていないのにも関わらず二人はひたすらルーチンを繰り返すようにお互いが出来る攻撃方法で出来るだけ攻撃を分散させ傷を負わないように戦っていた。
アルを退かせたリアはその光の刃を魔竜の背中に数発当てて、魔竜の振り返りざまの爪撃を剣そのもので受け止める。
だが矢で射られて尚まだ動く翼がゆっくりとリアに迫っていた。
「俺もいい加減、役に立たなきゃ……な!」
俺はライターを炎剣に変え、リアに当たろうとしている翼の一部分を焼き切る。
魔竜はくぐもった雄叫びをあげ、リアは焼き切られた翼の隙間を抜けて魔竜の横っ腹へと光の刃を当てる。
「後は! 頭!」
もうちょっととリアが言っていた通り、もう魔竜を纏う闇のオーラは殆ど払われていた。
だが、その頭部から発されるオーラが薄く身体を包み込んでいる。
濃さは最初の比ではないくらい薄まっていたが、どうやらそのオーラは頭部から身体へと伝わっていっているようだ。
「頭が厄介なんですよね! あのブレス! 魔竜も分かっているのか余程近づかないと避けられちゃって……」
リアと俺は魔竜の攻撃が届かない程度に距離を取ると、アルも俺達の方へと近づいて来るのが見える。
魔竜はグレイの魔法によって足をとられている為に、一旦退けば攻撃からは逃れられる。
だが、それは俺達の思い込みに過ぎない。
さっきのグレイの言葉を思い出して俺は魔竜の足元を見ると、グレイの魔法による黒い霧が消えかかっていた。
「まずい!」
俺はグレイの方を見る事も無く駆け出す。
魔竜が大きく跳躍し、こちらに走ってきたアルを後ろから蹴り飛ばそうとする。
その巨躯から考えられない程のスピードを見て、グレイが今までどれほどの力で魔竜の力を抑えていたのかが痛い程理解出来た。
「アル! 避けろ!」
俺は走りながらそう叫んで、アルが後ろを振り返る。
だが、魔竜の巨躯はもう既に彼女の後ろにあり、その爪撃を避けられたとしても次の一撃を避けられる保障は何処にもない。
――なら、俺が先だ。
俺は魔竜の爪撃を地面を転がるように避けるアルとすれ違うように、炎剣を魔竜の前足へ振り下ろす。一瞬動きを止めた魔竜を見て俺はすかさずアルに「走れ!」と叫ぶ。
そして俺の言葉の通りにアルが駆け出す音を聞いた後、俺の目の前にあったのはさっき俺が焼ききった翼だった。
頭から足先まで、平等に与えられる衝撃と痛み。
さっき上手く焼ききれたのが奇跡だったかと思う程強靭なその翼撃に、俺の身体は大きく叩き飛ばされる。
自分はこんな声も出るのかと思ってしまう程の、自分から出た声にならない声を他人事のように耳にしながら、俺は地面に叩きつけられた身体をゆっくりと起こした。
これで、魔竜は俺をターゲットとするはず。
拘束から抜け出してすぐに近くにいたアルを狙ったのなら、次は俺を狙うのが道理だ。
余程遠くまで叩き飛ばれたようで、リアやアルが遠くに見えた。
命を投げ出したつもりはない。
だがアルを殺されるわけにも、いかない。
俺の手から落ちた炎剣の炎は消え失せ、もはやただのライターになっていた。
その命の価値を比べてしまえば、俺の方が低いと分かっていても、卑屈なこの命ですら投げ出すわけにはいかない。
それでも、目の前に迫ってくる魔竜の開かれた口の中で燃え盛る黒炎に、俺は諦観を見出してしまいそうになっていた。
だが、その瞬間遠くから俺の頭に声が響く。
「それしきで炎を絶やすな!」
遠くから、カークの声が頭に響く。
俺の声は、届かない距離。
だが、カークの声だけなら届く距離。
眼前に迫るのは、魔竜の黒炎。
「火種はお主の手で掴めばいいだけの話だろうが!」
さっきから脈打つ右手が、更に大きく跳ねるように疼いた。
黒炎を、呪いを受け止めた右手が疼いている。
「あぁ、俺はお前と契約したんだ。
お前の力は、俺の力だもんな」
カークには届かないが、俺は一人呟く。
「ありがとな、カーク。
お前と契約して、本当に良かった」
そして俺は両手に炎を纏わせ、黒炎を受け止めるように手を前に出す。
今度はその炎を飲み込むカークの力は無い。
だから、その炎は俺の身体を飲み込んでいく。
意識を失いそうになるような身体の倦怠感と、熱を出した時のような感覚。
燃やし尽くされるのではなく、俺は自らの熱で病死するのでは無いかと思う程に、その炎は痛みではなく苦しみを与える物だった。
「目ぇ……、覚ませよ……!!」
俺の言葉は魔竜には届かない、吐き出して尚呪いは消えない。
吐き出され続ける黒炎の中でも俺の手の炎は未だ紅く、それだけが希望かのように燃え盛っていた。
そして、右手が破裂するかと思う程脈打った後、黒炎は止んだ。
俺が膝を付くと、リアの剣が風を切る音が聞こえた。
酷い頭痛の中、顔を上げると魔竜の後ろ姿が見える。
どうやら、リアが魔竜を切りつけ、魔竜はそちらをターゲットに変えたようだ。
「タナトさん! 私のせいで!」
そう言いながらアルが近づいてくるが、俺はそれを左手で制止した。
「大丈夫、大丈夫だよ」
その左手は、まだ俺の炎で紅く燃え続けていて思わずアルは立ち止まった。
アルの心配そうな顔に笑いかけ、リアと魔竜の方を見る。
魔竜の足元の拘束はもう完全に解けていた。
距離も離れてしまったし、無理も無い。
「こんっのぉー!」
リアが叫びながら剣を振るう。
だがそれは今までのようにオーラを剥がす為ではなく、魔竜の猛攻を防ぐ為の防御に過ぎなかった。
「タナトさん、その手……」
アルの言葉に、俺は自分の右手を見て、苦笑する。
これはまるで、古に伝わる病気にかかったみたいじゃないか。
そのうち、右目も疼き出すかもしれない。
「道理で、さっきから右手が疼くと思ったんだよ」
俺の右手の炎が、黒く燃え盛っていた。
俺は、痛み気怠い身体のまま魔竜の背に立つ。
「なぁスレイヴガンド。
その呪い、借りるぞ」
そう言って、俺は思い切り右手の黒炎を魔竜の足元へと叩きつけた。
効かないなんて事を考えている暇はなかった。
この黒炎に直接の痛みは無いのだろう、だから一瞬やはり効かなかったかと落胆しかけたがそれは違う、この炎は動きを鈍らせる。
そして身体の中から焼き尽くす漆黒の炎なのだ。
「リア! やってくれ!」
言いながら俺は黒炎を魔竜へと放ち続ける。
それにより動けなくなった魔竜の前方から、少し経って強く眩い光が見える。
どうやらその光の刃の力を溜めるにも、充分な時間を稼げたようだ。
「これで! 最後!」
そして、溢れんばかりの光が魔竜の身体を包み込んだ。
足元の黒炎すらもかき消すその光に、誰もが目を瞑っただろう。
目を開けた時に見える景色を願いながら、俺は膝を付き、気を失った。




