第二十七筆『炎が傍らで』
誰かしらに叱咤されるんだろうなと思いながらグレイの部屋の扉を開けると、そこには相変わらず眠っているグレイがいた。
それに、アルと一緒に訓練しに行くと言っていたリアも変わらずにそこにいる。
彼女は俺が扉を開けるやいなやこちらにバッと目を向けて、数秒置いて長い溜息を吐く。
「あぁぁ……、良かった……」
「心配かけたな」
リアに申し訳ないと思いつつも、俺は一人で魔竜に会いに行く必要があった。
情をかけて勝てる相手では無いことは分かっている。
グレイはともかく、リアやアルはスレイヴガンドの悪行が呪いによる物だという事実を知れば葛藤を生ませてしまうだろうと思った。
だからこそ、その事実は戦力として一番心許ない俺だけが知っているべきだ。
「待つの苦手なんですね私……、自分の事なのに初めて知りました。
何度追いかけて隠れていようかと思ったか……、幸い本とにらめっこしているだけで済みましたけど……」
「表紙の色は変わらなかったか?」
聞くと、リアは小さく頷いて、本を俺に手渡してくる。
「変わってたら此処にいませんよっ!」
少し強めのバトンタッチのように本を俺の手にパンッと置いた。
「それで、何を話してきたかは教えてくれるんですよね……!」
俺はこちらに詰め寄るリアから思わず後ずさるが、此処で全てを話すわけにはいかない。
「話すというよりは、ちょっとした確認がしたかったんだ。
それで、リアに一つ頼みがある」
首を傾げ、前のめりになるのをやめたリアに俺はスレイヴガンドの呪いの事だけを避けて、説明を続ける。
「魔竜と戦う時、ヤツを切り裂く時だけで良いから退魔の力を剣に込めてくれるか?」
退魔の力という言葉にリアは一瞬ピンと来ていないようだったが、少し考えてから思い出したように肩からかけてある剣が入った鞘を見る。
「退魔! なるほど! 魔竜ですもんね!」
リアはそう言いながら剣を鞘ごと壁に立てかける。
もしかすると俺がいない間に本が赤く光りでもしたらすぐに出られるように準備してくれていたのかもしれない。
「そう、魔竜が纏っていたあの黒いオーラをもしかすると断ち切れるかもしれない」
リアが上手い事話の根本から逸れてくれたお陰で、俺はして欲しいことを告げるだけで済んだ。
嘘はなるべくつきたくない、だが本当の事を言わないという事も似たようなもので少し心が痛んだ。
「でも、そうであればずっとじゃなくてもいいのでは?」
「……万が一ということもあるしな」
リアが「確かに……」と呟いている。
ハッキリと誤魔化した、つまり嘘をついた自分に心が痛んだ。
だがそれでも『魔竜は呪われている、救いたいから殺さないように手加減しつつ殺されないように上手く立ち回ってくれ』なんて事を言えるわけが無い。
唯一言えるとするなら、と考えて俺はベッドの上に置いてあるライターを見た。
「とにかく、そんな感じで頼む。
改めて心配かけて悪かったよ。俺は部屋で少し休んでから行くから、先にアルの所に行っていてくれ」
俺はベッドのライターを手に取り、机の上に置いて椅子に座る。
「ん、わかりました。
まだ剣に魔力を込めるっていうのも慣れてないですし、アルちゃんの所で練習してきますね。
せんせはごゆっくり~」
ひらひらと手を振りながら、リアは先程壁に立て掛けたばかりの剣を改めて手に取り、そのまま肩にはかけずに地下へと続く扉の外へ歩いていった。
「……それでカーク、物は相談なんだが」
グレイが寝息を立てている事を確認して、俺は無言のライターに話しかける。
「確かに我にとって睡眠など必要のない些細な戯れであるにしても、目覚めさせたというのならばつまらん事を言うなよ」
炎魔の寝起きはすこぶる良かったが、機嫌の程は何とも言えなかった。
このまま話してもいいかとも思いグレイをもう一度見て考える。
俺とリアが普通に話していても目が覚めなかったのなら声を潜めていればいいかとも思ったが、万が一聞かれても困る。
何とも言えず部屋を見回していると「まどろっこしい」と頭に声が響いた。
俺が驚いてライターの方を見ると、いつもの笑い声が続けて頭に響く。
「我が契約者と意思の疎通すら出来んとでも思ったか?
心は読まぬ、契約だからな。だが場所を選ぶくらいであれば、このくらい良かろう。
話してみろ、口は使うでないぞ?」
グワングワンと頭に響くその声に慣れるには少し時間がかかりそうだったが、声は出さずにカークに話しかけようと頭の中で念じる。
「あ、あー……。
これで、伝わるのか?」
「情けない声だ。
我程になれば遠く離れても言葉を伝えられるが、お主だと精々この部屋が良いところか」
どうやら確かに声には出さずとも伝わっているようだが、何故この炎魔は嫌味を混じらせるのか。
「慣れない事をさせるからだ。
でもまぁ……、お互い様にはなるか」
そう言うとカークは少し間を置いてから「言ってみろ」と頭に声を響かせる。
「単刀直入に言う。
もし依代が出来たとしたら魔竜を、殺さないで欲しい」
「ハッ」と、自分の耳にカークの笑い声が聞こえ、その声にグレイが寝返りを打つ。
一瞬焦ったが、グレイはまた寝息を立て、次のカークの言葉は頭の中に返ってきた。
「笑わせるな、せっかくの機会に手を抜けと?」
「手を抜いてどうにかなるのはお前くらいだろ?
最悪、誰かがトドメを刺しそうになったら止めてくれ。
魔竜の精神は呪われている……だからこの物語はアイツも救わなきゃ終われない」
「フン……、憑かれておったか。
道理であの娘に退魔などと口酸っぱく言っていたわけだ」
「何だ、聞いていたんじゃないか……」
狸寝入りとは卑怯な、とは思いながらも『睡眠は戯れ』と言うあたり、そこまで必要なものではないのだろう。
それにカークであれば、その睡眠よりも愉快かもしれない話を聞く方を取るのだろうなと思った。
「魔竜は気を抜いて戦える相手じゃない。
けれど、お前なら気を抜いて尚多少の余裕があるだろ?」
そう伝えると、ライターから少しだけ上機嫌そうな「当たり前だ」という声が耳に聞こえてくる。
「ならば、是が非でも我の依代はどうにかさせなければな」
「あぁ、じゃないと本当の勝負に勝てない」
此処で初めて、俺とカークはお互いの声で会話をした。
リアとカークに目的を伝えられて少しホッとはしたが、まだ前提条件が揃いきってはいない。
グレイと戦っていた時のスレイヴガンドがその呪いに抗い手を抜いていたとしたなら、自分を制御出来なくなり、本当の意味で魔竜となったスレイヴガンドの力は計り知れない。
カークがその力を存分に使える状態にする為にグレイには何とかしてもらわなければいけないし、俺は自分の能力に自信が無いとは言え死ぬわけにも、仲間を殺されるわけにもいかない。
「じゃあ……、少しでも役に立てるように俺も行ってくる。
とは言えお前を持っていくわけにもいかないから、出来る事は少ないけどな」
そう言って俺はライターをベッドの上に戻し、地下へと続く扉の方に歩き出す。
「思い込むな馬鹿者、声は遠くへ届かずとも、我が炎は常にお主の傍らにある。
お主は炎魔カークの契約者、存分に研鑽を重ねろ」
そう言われ、まさかと思い右手に軽く力を込めてみると、指先にポッと小さな炎が現れた。
「早く言ってくれよ……」
「言う必要があったから言っただろう」
確かに、ライターを手放す事が無かったからそれもそうなのだが、何ともこの炎魔は意地が悪い。
俺は指先の炎を吹き消して、扉を開け、地下への階段を歩く。
「炎を傍らに……か」
アルとカークの物語から聞き続けたこの言葉も、俺にとってやっと現実味を帯びてきた。
指をパチンと鳴らして、その手に這う炎を見ながら、俺は俺自身に与えられた力の使い方を考えていた。
「というよりも"炎が傍らで"か」
カークはどう思っているのか分からないが、いつの間にか彼の事を信用して仲間として話していた自分に気づき、俺は少し笑って指先の炎を消した。




