第二十六筆『抗うのは、お前だ』
グレイが杖を振って出てきたベッドにももう俺達は驚く事無く、先に眠れというグレイの言葉に甘えて三つあるベッドにそれぞれ潜り込んだ。
グレイの地下室は広く、まだベッドを置けるスペースはあったものの、三つしかベッドを出さなかったグレイの顔を見ると、言おうとしたことを先読みされたかのように「僕は夜型なんだ」と言われる。
久々――とはいっても数日ぶりに入るベッドの中、地下室では陽の光で目が覚めるという事は決して無いものの、ベッドで眠るのは少し懐かしく感じるなと思いながら目を閉じると、俺はすぐに眠りに落ちていたようで、次に目を開けた時にはどうやら朝が来ていたらしかった。
思いの外熟睡していたようで、ベッドから身体を起こすと椅子に座って机に剣を置いて見ていたリアがこちらに手を振っていた。
「ん……、そんなに寝てたか……」
元々寝付きは悪い性質で、周りに人がいると尚更眠れなかったのだが、流石に此処数日の思いも寄らない展開には敵わなかったらしい。
おそらくは朝起きるのが不得意なリアよりも俺はぐっすりと眠っていた事を恥ずかしいような、それでも周りに人がいても眠れた事が嬉しいような、不思議な気持ちで目をこすった。
「おそようですよ、せんせ。
アルちゃんはもうトレーニングに出かけちゃってますよ」
ひらひらと手を振りながら、その手を机に置かれた皿の干しブドウに手を伸ばし、それを口に運ぶ。
「まぁ、確かによく寝たけれど……。
今後俺が先に起きたら毎回"おそよう"って言うからな」
リアは「そんなご無体な……、というかこれすっぱ!」と水を慌てて飲んで、一息付いて咳払いをした。
そんなリアをよく見ると、少しだけ表情よりしゃきっとしている。
さてはコイツも寝起きだったな……と思いながらも、眠る前に見た作業机に座ってる背中が無い事に気付く。
「あれ、グレイは?」
そう言うと、リアは俺の左隣のベッドに目をやる。
「今おやすみになったみたいです」
「律儀に自分のベッドを出して寝るあたり、女子に気恥ずかしい少年の心を忘れていないな……」
そう言うとリアは「意外と忘れちゃ駄目だったりしますけどね」と笑った。
「カークは……、そこか」
俺は作業机の上に置かれっぱなしのライターを手に取ると「流石に我も疲弊する……」と弱々しい声が聞こえた。
「我に眠りが必要無いとでも思っているのかアイツは……」
おそらくは、夜通しの作業だったのだろう。
カークが眠そうな声を出している、ライターの中でどうやって眠るかは置いておいて、俺はライターを俺が眠っていたベッドの枕の上にそっと置いた。
「それで、どうなった?」
「どうもこうもあるまい、お主が今我をベッドの上に置いたであろうが。
身体があればそうはならん」
眠そうな声でカークは呟く。
「だが、あの熱意は買った。
我に尽くしていると言えば言葉が違うとほざきおったが、悪くない。
もう一晩くらいは、付き合ってやってもいいかもしれぬな」
カークはそう言うと、ライターからは何の声も聞こえなくなった。
「アルは……、地下か」
流石に魔竜がいる上階にはいかないだろうと思い、リアに聞くと彼女は頷く。
「私もこれ食べ終わったら行くつもりです。少しでもこの子と仲良くならなくちゃ……」
そう言ってリアは剣を机から下ろし鞘に収めて、干し肉を頬張って立ち上がった。
「ふぇんふぇもひます?」
「行儀悪いってアルに注意してたのは誰だよ……」
俺が少し呆れ気味に呟くと、リアはプクっと頬を膨らませてから、もぐもぐもぐもぐとこちらを無言で見ながら口を動かす。
そして、ゴクンと喉を鳴らしてから、何事も無かったかのようにニッコリと笑った。
「せんせも、来ます?」
数秒の間に、突っ込むかどうするかを考えていたが、沈黙に負けて咳払いをしたリアを見て勝ったと思い、俺は元々考えていた予定を話す。
「俺は、ちょっと用事を済ませてくる。
リアもアルも、強い。グレイだってきっともう大丈夫だ。
なら俺は俺に出来る事をしなきゃな」
俺がそう言うとリアも事情を察したのか「気をつけてくださいね」とだけ言って部屋を出ようとする。
だが俺はそれを呼び止めた。
「これ、預かっててくれ。
万が一って事はない、千が一でもまだ少ない、十が一ってくらいには、俺一人で歩くには危ないけれど、頁の続きを書いてくる」
そう言って『スレイヴガンドの呼び声』をリアに渡すと、俺はリアが立っている扉とは逆側の上階へと上がる扉の方に向かう。
「赤い時は、頼む」
そう言って、俺は扉を開けた。
グレイは少なくとも、先に進んだ。
ほんの少しだけでも救われて、前を向いた。
けれどこの物語はこれで終わってはいけない。
この物語は決して、英雄譚では無いのだ。
それは題名を見た時から気づいていた事だった。
グレイを呼んだのは、魔竜スレイヴガンドだ。
命のやり取りをする前に、聞かなければいけない。
救われるべきは、グレイだけでは無い。
それに、続きの頁を書くだけで終わるとは思えなかった。
「だから、お前をどうにかしなきゃな」
魔竜がつまらなそうに俺の方を見る。
それだけで俺の身体は少し強張ったが、敵意があるなら俺はもう生きていない。
その事にホッとしながら、俺は魔竜に声が聞こえる範囲まで近づく。
「なぁ、スレイヴガンド。
悪意はお前の腹を満たしたか?」
聞くと、魔竜の目がギラリと光る。
挑発めいた言葉は得意では無かったが、どうやら魔竜の怒りは簡単に買えたらしい。
「そんな事を聞きに一人で来たのか。
俺を目の前に、そんな事を聞くのか。
正気では、無いな」
その声は少しだけ寂しそうに聞こえる、殺意はまだ感じない。
「お互い様だろう。
というよりも、正気な奴が少しでもいたか?
だから喰って来たんだろう? そして、喰うんだろう?」
スレイヴガンドはグレイと契約を結び、知らずのうちにグレイの不殺を誓ってしまったと言った。
だが、それならばグレイはどうして何度も負ける必要があっただろう。
「魔竜と魔法使いだとは言え、情が芽生えるには、甘すぎる」
あの地下のヒトガタ達を見て、確信した。
喰らって来た人に情が芽生えたなら、ああいう事にはなっていない。
この魔竜の言葉は、何かがおかしい。
「ヒトガタ――お前が喰った人間がああやって呪いだけになって現世に留まるのなら、お前程の存在が殺された時の呪いは、どれほどだったかって、考えたんだ」
その言葉に、魔竜から徐々に殺気が溢れてくる。
だが、それとは反して、そのギラついた目は虚ろになっていくのが見えた。
今頃本は赤く光を放っているかと考えながら、魔竜の目を真っ直ぐに見つめる。
この物語は、英雄譚ではない。
だから決して、魔竜を殺す事で終わる話では、無い。
「結界は、契約通り破れない。
例えば、物凄く強い力を秘めた魔法使いでも喰わない限りは、だろ?」
昨夜リアに、魔竜は生きる為に人を喰らっていたと聞いた。
グレイの中の募るばかりの憎しみは、もう既に見ていた。
もし俺の言う事が間違いであれば、それでも良い。
だが、どうしても確かめなければいけない。
この魔竜の、物語に於ける存在をハッキリさせなければ、この次の頁には進めない。
「多少は聡いが間違いだらけだ」
魔竜の声が唸るように低く響く。それは呪詛のように俺の耳を蝕んだ。
「お前は疑念を持ったな。あの少女には通じなかったが、お前は疑念を持った。
だが、それもまた決まっていた事だ。
俺の呼び声が届いたようで、何より」
魔竜の言葉に、俺はこの物語の題名を思い出しながら、後ずさる。
「おいおい、逃げてくれるな。答えを教えてやる」
俺もまた、この魔竜の呼び声に誘われ、この場所に連れ出されたのかもしれない。
だが、この時を待っていた。
「喰らうは絶望。悪意など喰らってたまるか。
悪意、そして疑念。人間の弱さに付け込む事など容易い。
死して尚、俺の呪いは消え去る事などは無い。
そして、情が湧いていないというのも、間違いだ。
全く、こんなに似通った人間を見つけたのに、殺してたまるか、あんなに良い依代」
その言葉は、昨日聞いた言葉とはまるで違う、冷酷な言葉だった。
殺してくれと魔竜は言った、俺は生きていてはいけないと。
だが、今はどうだろう。まるで心をすげ替えたようだ。
「言っておくが、お前らを殺せばあんな結界、すぐに壊す」
その言葉とは裏腹に、魔竜の目からは、一滴の雫が溢れていた。
その震える程の殺気を前に、魔竜は俺に一切攻撃をしてこない。
言葉と表情、行動のチグハグさ、そして先日との性格の変貌に、俺は一つの確信を抱く。
「元々は、立派な龍だったんだってな?」
俺が鼻で笑うと、魔竜はその怒りを顕にする。
「黙れ!! 今殺されたくないのなら、黙れ。
まずグレイを喰らう、そして次はあの少女だ、そしてグレイを運んだあの女、最後にお前を喰らおう。 楽しみにしているぞ、精々抗え。
抗って、俺を殺せると高をくくって、殺されろ」
その言葉には、悪意しか含まれていなかった。
だが、それでもその目だけは虚ろなまま、雫を鱗に伝わせたまま、俺を真っ直ぐに見据えている。
「俺達も、負ける気は無い。
地を這う闇と、翼を射抜く弓、息吹を受け止める盾と、黒炎を焼き尽くす紅炎」
俺のその言葉を、魔竜は静かに聞いている。
「そして"魔を断つ剣"を持って"魔竜"に会いに来る。
抗うのは、お前だ」
そう言って、俺は魔竜に背を向ける。
後ろ背に一言だけ、魔竜に伝えなければいけないことを思い出した。
「グレイも、一人じゃない」
その言葉に一瞬、魔竜の唸り声が止まるのを聞いた。
「あぁ、それは、結構な事だな……」
疲れ果てたような魔竜の声を聞いて、俺は確信した。
確かめたかったことは、ただ一つだけだった。
山のように人を殺し、喰らったたという魔竜が自分を殺せとまで言う急な改心
そして地下に残る人の呪いと、たった今豹変した態度。
それは、見落としてはいけない矛盾。
――魔竜スレイヴガンドは、呪われている。
ならば俺達のすることは、魔竜を殺すことではなく、救う事だ。
でなければまた、誰かが呼び出され、同じ事が繰り返される。
「アルには悪いけれど、手ぇ抜いてくれたら助かるんだけどな」
俺は小さく呟いて、魔竜がいる広場を後にした。
魔竜を救うまで、残された準備期間はあと一日。
魔竜の精神状態が限界に近いのは、魔竜の殺気や声色から見て取れた。
俺は左手につけたままの盾を右手で触りながら、グレイが眠っている部屋へと戻った。




