第二十五筆『僕がそこから出してやろうか?』
憎しみや苦しみ、復讐心が原動力だったとしてそれらが無くなった人間がどうなるかという事を見る機会はそうそう無い。
けれど、グレイの場合はそれらが消えた事がかなりプラスに働いたようだった。
「憑き物が、落ちたみたいだ」
グレイが真面目な顔で呟く。
グレイの母親の言葉を最後まで聞き取る事は出来なかった。
それでも彼の母親にとって、彼は"大事な"存在だったのだ。
人にバカにされても、虐げられても、その一言だけで救われる時がある。
自分にとって大事な人の愛は、自分の敵からの罵詈雑言に負けるなんて道理があってはならない。
「僕、やっちゃいけない事、したよな」
グレイは顔をあげて、丁度目の前にいたリアの顔を不安そうに見た。
だがリアは首を横に振り、笑って剣を鞘に収めた。
「間に合って良かったですね」
リアのその言葉は、笑いながらも少しだけ厳しく聞こえた。
笑顔のリアの顔を見てほっとしていたであろうグレイの顔が少しだけまた引き締まる。
「あぁ……、皆がいなきゃこうはならなかったよ。
本当に、都合の良い時に出てきてくれたもんだな」
グレイは知ってか知らぬか、俺達の目的を言い当てるように軽く笑う。
その顔は、自分で言っていた通り本当に憑き物が落ちたようで、温和な雰囲気さえ感じられた。
「つまらんが、それで良いのだろうな」
その声に、グレイはフッと笑う。
少し嫌味なカークの言葉も、グレイの心には刺さることはなくなったようだ。
カークがさっき少しだけ優しそうにフッ……と笑った事は、言わないでおこうと思った。
「じゃあ、戻ろう。
腹ペコがいるから、是非何か与えてやってくれよな」
俺はアルをチラっと見てから、ヒトガタがいなくなりガランとした広場に背を向ける。
「簡単な物で良ければ、出すよ。
皆の力もよく分かったし、今日はあの部屋で休もう」
その言葉にアルが「何が食べられるんでしょうねー」とリアに笑顔を向けて歩いていくのを、俺は最後尾で見守っていた。
すると、グレイがリアとアルを先に行かせ、俺の元へ駆け寄って来る。
俺と足並みを揃えながらグレイは「兄さんも、ごめんな」とリアよりはいくらか雑な謝罪をしてくる。
こう見れば、年相応の少年なのだ。
本当なら頭をガシガシと撫で回して気にするなよなんて言いたかったが、そんなに粋な生き方はしてきていない。
それでも、求められなかった人生を送って、笑われる人生を送って、憎しみを抱き続けた人間の為に、俺が言える事は一つだけだった。
「頼りにしてるぞ、リーダー」
俺はポンとグレイの肩を叩いて、その目を見る。
これは、物語を進める為の言葉かもしれない。
グレイがハッとした顔をしてから、強く頷く。
「こんな僕みたいな……日陰者を、勇者だのリーダーだの。
ほんと、正気かよ……」
グレイがそう言いながら、小さく笑みをこぼす。
懐に入れていた『スレイヴガンドの呼び声』が青く光っているのが分かった。
すっかり忘れていたが、牢屋から出る時に持ってきていたのだ。
思えば今まで一度も光を発していなかった、赤くさえ光らなかったのは、魔竜がグレイを殺す気が無かったからなのだろう。
本が青く光ったのは、俺の言葉のお陰という事では決して無いだろう。
最後のひと押しが、たまたま俺の言葉だったというだけだ。
けれど俺は決して、物語を進める為にグレイを励ましたわけではない。
グレイは、認められるべきなのだ。
「日向と日陰、どっちも同じ地面の上なのにな」
一人呟くと、グレイは声を出して笑った。
「兄さんも、日陰者なんだね」
だからこそグレイを、認めたかったのかもしれない。
世の中は、日に当たる者ばかりが讃えられる。
仕方のない事なのは俺もよく分かっているが、日陰から出られない人間もいる。
不器用だったのかもしれない、タイミングが悪かったのかもしれない。
すれ違いだったのかもしれない、それでもグレイは日陰にいて尚努力を続けたのだろう。
でなければ、物語の決戦に姿は現せない。
「まぁ、日陰に咲く花だってあるさ」
「意外に面白い事言うなあ兄さんは」
ポケットから「全くだ」と言う声が聞こえて、だんだんカークの事が分かってきた気がする。
偉ぶるには何ともズレた偉ぶり方、偉いという割には話に割り込んでくるあたり、意外とこの炎魔様は人懐っこいというか、寂しがりなのかもしれない。
「夜は等しく日陰、簡単には咲かずとも一夜で枯れる花も無い。
咲かせた花を枯らすなよ、グレイ」
その証拠に、小童という言葉がいつの間にか。
グレイといいカークといい、分かりやすいくらいに人の評価が透けて見えるあたりが、少し微笑ましかった。
「そうだ!」
急にグレイが大きな声を出して、前の方を歩いていたリアとアルが飛び上がる。
俺も何事かとグレイを見ると、グレイは興奮気味に俺のポケットを見ていた。
「カーク! 僕がそこから出してやろうか?」
それは、思いもしなかった提案だった。
確かにグレイは魔竜をも死から蘇らせる程の力を持っている。
だとすればカークの肉体を作り出す事も可能なのかもしれない。
「本当か?!」
カークからも今まで聞いた事の無いくらいの大きな声が出て、改めて前を向いて歩き出していたリアとアルがもう一度飛んでいた。
「ポケットのそれ、見せてもらわないと詳しくは分からないけれど、それって封印されてるんだろ? 理由は聞かないけどさ、出たいんだったら代わりの身体を作ることも出来るかもしれない」
俺はそう言うグレイに、チェーンをベルトから外し、ポケットからライターを取り出してグレイに手渡した。
「そう来なくっちゃ!」
「そう来なくては!」
似た者同士の二人の声が重なる。
三度目の大声の後に、それ以上の大声で「男性陣! 静かに!」と言うリアのお叱りを受けて、俺達は少ししょぼくれながら部屋に戻った。
というより俺は怒られ損だった。
部屋に戻ると、グレイは部屋の照明を少しだけ明るくした。
その心情の変化が部屋の照明にまで現れるのかと一瞬笑いそうになったが、単純に作業をする時の明かりが欲しかっただけだったようだ。
俺達の前に簡単な食料を渡してから見たこともない道具が並ぶ作業机のような机の上にカークのライターを置き、ブツブツと言い始めた。
「なんだこれ……、何にも見えないし、そもそも封印じゃない……?
リアが使ったのもそうだったけど、何でこんな僕の知らない魔法ばかり……」
俺達はその少し離れた場所でテーブルを囲みながら食事をとっていた。
アルが干しブドウを嬉しそうにパクツキながら「なんか急に元気になりましたねぇ……」と微笑ましそうにグレイを眺めている。
「俺達がアルを連れてきた時も同じことを思ってたけどな」
保存が丁寧だったのか、柔らかく味が濃い干し肉を噛みながらリアに同意を求めると、リアは「あははー……」と笑って目を逸らした。
「むぅ……、あそこまででしたぁ……? というよりこれ美味しい!」
アルの場合はむしろ食事に関して元気が良すぎる、グレイが「アル、ちょっと集中したいから静かに……」とあくまで柔らかめに注意をしていたが「ふぁっひあんはひはわいでいはのに、ほのふちが!」とアルは憤慨しながら干し肉を頬張っていた。
確かに『さっきあんなに騒いでいたのにどの口が!』と言いたくなる気持ちは分からなくは無いが「食べながら話すのはお行儀が悪いですよー」とリアにリアルなお叱りを受けアルは少しシュンとしていた。
だが干し肉を飲み込み、水を少し飲んだ頃にはもう明るい顔に戻っていたアルは、後ろ姿のグレイに向かって少し小さめの声で話しかける。
「それで、グレイはカークさんの身体、どうにか出来そうなの?」
アルとグレイは年齢が近いからか、いつのまにかお互いが呼び捨て合い、気安い話し方になっていた。
その打ち解け方が少し羨ましくも思いながら、まだ少し皿に残っていた干しブドウをつまむ。
「あぁ……、原理は分かった。
というかカーク、お前封印じゃないなら先に言ってくれよな……」
グレイが不満そうにカークに話しかける。
「我が封印などされるわけが無かろう。
仮の住居の鍵が無いようなものだ」
「そう! それだよ! そんなの知るわけないじゃないか……、最初からそう言ってくれれば……」
グレイはブツブツ言いながらライターを手に取りこちらを振り向いて、俺達が囲んでいた机の上にライターを置き、椅子に座って水を一口飲んでから説明を始めた。
「つまりは、カークが出たいと思っている事が重要なんだ。
でもこの……、ライターで良いんだっけ? ライターには鍵がかかっている扉がある。
だからカークは出られないんだけど、鍵穴はあるんだ。
だから声も聞こえるし兄さんに力も伝達させられる」
カークの入っているそれがライターだとは並んで歩いていた時に説明していたが、俺の炎がカークから伝達した力だという事は教えていなかったはずだ。
けれどどうやらグレイにはその程度お見通しだったらしい。
「つまり、その鍵穴から力が漏れ出しているっていう事なんだよね。
出られないと思い込んでたでしょ? でも実際は力や声は出ている。
という事はつまり、出ようと思えば出られるのさ」
「えぇ……? カークお前それ……」
困惑しながらライターを見つめると、珍しく焦ったカークの声が聞こえる。
「そんなわけあるか! ……何度試しても出る事は出来ん」
偉そうな口調が一瞬普通の話し方になった事に突っ込むのは野暮なので放っておくとして、グレイがポケットから幾つかの球を取り出していた。
「そりゃ、何も無しには無理だよ。
でも、カークの依代になる物体を用意出来れば一時的ではあるけどライターから出られるはずだよ。
本当は身体を召喚出来れば良かったんだけれど……、鍵穴が小さいからその全てを定着させるのは僕には出来無さそう……」
グレイが唸りながら頭を抱えている。
「依代は生物じゃ駄目だよね……、カークが入っていない間その生物をどうやって連れ歩けば良いんだって事になっちゃうし……」
想像以上にグレイはカークを実体化させる事について真剣のようだった。
説明が済んだからか、干し肉を一枚だけ口に咥えてグレイは作業机の前に戻っていく。
「ちょっと時間もらうよ、皆は好きに休んでて、魔竜と戦う日までには間に合わせる」
そう言うグレイにアルが「随分真剣だよね」と俺がさっき思った事をそのままぶつけると、グレイは小さい声で呟いた。
「増えるだろ……」
「へ?」
頭にクエスチョンマークが浮かんでいるアルに、グレイは背中で答える。
「仲間……、五人に増えるだろ」
グレイが恥ずかしそうに言うその言葉に、カークの大笑いが部屋に響く。
リアは「フフッ」と声を出して嬉しそうに微笑み、アルはその言葉の恥ずかしさにあてられた「もう……」と溢していた。
魔竜との決戦まで、残り二日。
カークはひとしきり笑った後に「本当に愉快だ」と小さく溢し、俺はそれに「そりゃ良かった」と言いながら、この物語の続きに一筋の希望を感じていた。




