第二十二筆『救われないと前には進めませんから』
これは、紛れもない負け戦だ。
グレイの後を付いていきその魔竜の姿を見た瞬間、この物語の続きが無い事を悟った。
時折ギラつく鱗がその身体の硬さを物語っている。
そして、その鱗すらしっかりと見えない程に、黒煙のような――この世界で言えばオーラと言っても差し支えないような目に見える呪いが魔竜の身体を包み込んでいた。
魔竜は、まるで観客席の無いコロシアムを想像させるような空が見える空間で静かに空を見ていた。
心があるのか、話せるのかは分からない。だがその目は恨めしそうに曇天を睨みつけていた。
グレイが「お前らはそこで見ていろ」と言い、何かを呟きながら魔竜へと近づいて行く。
その後姿に、少しずつ薄いオーラがかかっていくのが見えたが、魔竜のソレには遠く及ばない濃度だという事は見てすぐに分かった。
魔竜は近づいてきたグレイに気付いたのかその身体をゆっくりと起こし、グレイを見据えた。
「来たか」
その単純な言葉だけで呪われてしまいそうな、低い唸り声混じりの声は、至極つまらなそうにも聞こえた。
「喋れるんだな……」
「はい、知能はとても高かったはずです。
話せば長いですが、元々は別の名前の人と共にある神聖な龍だったはず」
俺とリアがその光景を遠巻きに見ながら話していると、羽根を広げた魔竜に向けてグレイが杖を向けた。
その先端が徐々に、だが素早く黒い球体を作り出し、グレイはそれを魔竜に向けて放つが、その広げた羽根で黒球は弾き飛ばされる。
地面に埋まる黒球をそのままに、グレイは走りながら懐から短刀を取り出し、魔竜の目に向けて大きく跳躍する。
その一撃もまた、魔竜が瞳を閉じるだけで鱗に弾かれ、鱗が一枚床に落ちるだけで終わる。
魔竜は宙に浮いたグレイを吹き飛ばすかのように咆哮する、それだけで衝撃波がグレイの身体を吹き飛ばし、遠くにいる俺達にまで重圧がかかる。
「クッ……、こんなもん目の前で食らってアイツ大丈夫なのか?」
「身体強化の魔法、ですね。
白いオーラを纏っているという事は赤、青に、緑……。
多少の事では生死に関わる事は無いでしょうけれど、尾撃や翼撃、ブレスなんかが思い切り直撃するとまずいかもしれないです。もしもの時は私達も出ましょう」
その三原色がそれぞれ何を強化しているかは分からなかったが、物語を読んでいたリアが言う
のならばそうなのだろうと、俺は頷く。
「うーん、私も弓があればな……。ていうかリアさんも装備無いじゃないですか!」
アルが焦ってリアに突っ込みを入れると、リアは困り顔をする。
「でもほら……、私結構足速いですし。助けるくらいなら……」
つまりは、今俺達の中で戦闘行動が出来るのは俺だけということになる。
俺は誰にも気づかれないようにポケットのライターを握りしめたが、一人だけ気付いた奴がいたようで「ぬかるなよ」という声が小さく聞こえた。
「甘く見るなっての!!」
グレイは吹き飛ばされながらも笑みを浮かべ、うまく先程地面に埋まった黒球の近くに着地し、流れるように黒球に短刀を突き立てる。
その瞬間黒球が弾け、その地面一体を黒く塗り潰した。
魔竜はそれに足を取られているようだった。
そのままグレイはもう一度、先程と同じように黒球を作り出す、だがその大きさは先程の二倍以上ある。
それを動けずにいる魔竜の腹部へ思い切り放つと、変わらず魔竜はその翼で黒球を弾き返すものの、一瞬バランスを崩した。
「コイツがお前の命取りだったの、忘れたか?」
そう言ってグレイは疾走し、魔竜の懐へと滑り込む。
その一度目の短刀での攻撃はブラフだ、何故ならば今グレイが持っている短剣は、先程とは違い、魔竜のソレと何ら変わらない程の黒いオーラを纏っている。
俺達の位置からも、その黒い短刀が魔竜の鱗を突き破って刺さるのがよく見えた。
だが、グレイの表情が青ざめていくのが分かる。
「その命取りとやらに、二度目があると、思うか?」
その言葉が聞こえた瞬間に、リアが駆け出した。
さっきグレイがカークに言った事と同じ事だ、対策が取られていないわけが無い。
魔竜はバランスを崩したように見せかけただけ、その両の足は黒球が塗りつぶした地面に囚われているが、しっかりと地についている。
「舐められたもの、だな」
その言葉と共に、グレイは思い切り魔竜の翼撃をその身に受ける。
グレイは地面に叩きつけられるが、その途中で何とか受け身を取り、膝を付きながらも懐から輝く石を取り出し魔竜へと投げつける。
「まだだ!」
その石も難なくその翼に弾き飛ばされそうになるが、石が翼に当たった瞬間、グレイは何かを呟いたかと思うと、その石は強い光を放ち爆発する。
その轟音と衝撃に、今度こそ魔竜は身体を崩したように見えたが、もう既にグレイの身体に纏う白いオーラは消えかけていた。
「今度こそ!」
俺はグレイが発した"今度"という言葉に一瞬疑問を抱く。
倒していたなら今度と言うだろうか。まさかこの戦闘自体が数回行われているとでもいうのだろうか。
それを考える間もなく、その戦いには決着が付いていた。
急に魔竜から吹き出た真っ黒なオーラに一瞬たじろいだグレイは、その狙いであっただろう魔竜の眉間に短刀を突き立てる前に、咆哮で吹き飛ばされていた。
今度は受け身も取れず、地面に思い切り背中を打ち、立ち上がれずにいるグレイ。
それに駆け寄ったリアが「一旦逃げないと!」と言い何も言わないグレイに肩を貸したと同時に、魔竜は二人に向けて大きく口を開く。
その中に、黒い炎が見えた瞬間に、俺はリアの前へと駆け出し、叫ぶ。
「カーク! その力借りるぞ! 負けてくれるなよ!」
俺は両手に炎を揺蕩え、それを思い切り地面へと叩きつけた。
「それはお主次第だが、しかしこれは……」
魔竜の少し前で燃え上がる炎柱、燃やす為ではなく守る為の炎にどれだけの力があるのかは未知数だった。
だが、魔竜のその黒炎は炎柱を貫く勢いでこちらに迫り来る。
「リア! そのバカを連れて逃げてくれ!」
駆け出す音を聞きながら、俺は向かい来るその黒炎に両手を向けて、全身全霊で炎を繰り出す。
紅い炎柱を貫いた黒炎が、もう一度俺の紅い炎とぶつかり合う。
だが、そのぶつかり合いは次第に黒炎の方が俺の炎に引き込まれるかのようにスッと消えていった。
「やはりな、つまらん……」
カークがそう言うと、目の前には黒いオーラも無く、敵意も無さそうな魔竜の姿があった。
「手を抜いたな、魔竜」
「分かるのか、外野」
二人というよりも、どちらかというと二匹同士で何らかを分かり合っているようだが、俺にはさっぱりと分からない。
それよりも、魔竜の低い唸り声が何処と無く聞き取りやすい声に変わっている事が気になった。
「これ、どういう事だ?」
「分からんか? 此奴は手を抜いておる。
そもそも、あの小童を殺す気も無いのであろう?」
カークがそういうと魔竜はゆっくりとその場に座り、空を見上げた。
「姿も見えぬ客人は察しが良い。
殺してやりたいのは山々だが、殺せない訳がある」
魔竜の溜息は、軽く地を揺らした。
「魔竜、貴様あの小童と契約をしているな?」
「ああ、アイツは気付いていないがね。
この茶番を初めてどれだけ経っただろうか」
どうにも話が見えないが、この魔竜は先程までグレイと戦っていた魔竜と同じなのかと疑うくらいに、まともに話が通じている。
むしろグレイの方が話が通じなかったくらいだ。
「どうにも話が見えない、契約内容は何なんだ?」
「アイツは、俺を蘇らせた時にこう言った。
"お前は絶対にボクが殺す"と。
俺は屈辱的にも蘇らされた身だ、それが契約になった。
だから俺はアイツを殺せない。俺を殺すアイツが死んでは契約が消滅する」
「そんなの、契約した時にグレイが分からないなんて事があるのか?」
魔竜は鼻を鳴らして、空を見た。
同じように空を見ると、薄く膜が張っているのが見えた。
「あの結界だ。
アイツは"俺があの結界を破る事が出来ない"という事が契約だと思っている。
確かに後からそれを契約内容として伝えられたが、俺は最初の一言を契約と受け取っていた。
だから、あんな結界は簡単に破れる」
だが、そうなると話がおかしくなってくる。
この魔竜はグレイのワガママに付き合い、いつか殺される為だけに無益な戦いを続けているというのか?
この場所から逃げ出すことも出来ながら、グレイを主としてひたすら付き合い続けているというのだろうか。
「哀れんだか」
カークが呟く。
「俺は闇を纏う魔竜だ。
そしてあいつは俺に引き寄せられるようにして現れた闇の魔法使い。
境遇なんて似たようなものだ。世界を滅ぼしかけた魔竜が情を抱くなんてお笑い草だが」
どうしてか、人間味を感じてしまう。
ならば、この世界の主人公はまるでこの魔竜スレイヴガンドではないか。
この魔竜の運命こそ、哀れみそのものだ。
悪意とまでは言わないが、人間に振り回されている。
今までどんな行いをしていたか俺は知らない、それでも今この瞬間の魔竜は、人の為にただ生き続ける哀れな竜だった。
「ならば、殺してやろう」
カークが少し神妙な気配を出しながら放つその言葉に、魔竜はその大きな目を瞑って答える。
「出来るなら、殺してくれ。
俺を蘇らせるまでの間に、腐る程アイツの独り言を聞いた。
その境遇も、因縁も、俺が魔に堕ちた理由とそう変わらん」
その言葉にどう答えるか迷っていると、後ろから少女の声がした。
「やりましょう……!」
振り向くと、少し目に涙を浮かべたアルが立っていた。
どうやらグレイの事はリアに任せ、俺達の話を聞いていたらしい。
「ただし、魔竜さんは本気で。
説得は、私がします。説明も、私がします。
おにーさんも、カークさんもそれで良いですよね?」
アルのその言葉に、カークが大きな声を出して笑う。
「まさか、豪胆ではないか! しかも本気でやれとは、見直したぞアル!」
「だって、道に迷った人はちゃんと救われないと前には進めませんから」
それはきっと、アルがその生涯で培った、信仰や救済という考え方から出た言葉だったのだろう。
アルは、魔竜を真っ直ぐに見据える。
「あぁ……、良い目だ」
魔竜は小さく呟く。
「やった事は覚えている。殺した人間は数知れず、手加減等いらない。
俺はもう生きていちゃいけない、誰にも知れ渡っちゃいけない。
あの結界だって、俺が破れない結界なら誰も破れないとアイツが思い込んでいるだけで、ある程度の力を持つ者であれば簡単に破れる。
だからこそ、誰かに知られる前に、終わらせてくれ」
そう言うと魔竜は目を閉じた。
俺とアルはお互いの顔を見合わせてから、小さく頷いてグレイの部屋へと向かう。
ライターから「哀れ……か」と小さい声が声が漏れ聞こえていた。




