第二十筆『正気か?!』
三人と一個のライターは薄暗がりの部屋の丸机を囲んでいた。
とはいえ、ライターは紫色の布の玉座に置いてあるだけではあったが。
俺はパラパラと『スレイヴガンドの呼び声』の頁をめくる
「世界観は……、剣と魔法、そしてドラゴンか。
呪いを撒く龍の牢獄を踏破してからの話……ってあるな」
「私は完結した本編を読了済みですので大体は、というかスピンオフで筆が折れるってあります? 本編はすっごい面白かったですよ?」
リアが不思議そうに『スレイヴガンドの呼び声』の頁をパラパラとめくる。
「本編よりうんと不人気だったもんで、だとか。商業作家じゃなきゃいつ筆を折っても悲しむ人がいるだけで本人に損は無いさ」
「そんなもんですかねぇ……」と言いながらリアは空白の頁を物憂げに見つめていた。
「書くのをやめてしまう理由なんていくらでもある。
飽きたとか不人気とかじゃなしに、趣味で書き続けていた人間にとっては仕事だとか病気だとかで書けなくなる日だってあるから、そればっかりは何ともな」
――書いている最中に死んだ人間だっているしな。
そう思ったが流石に言えなかった。
理由を知らない人間から見れば、俺がネットに連載中だった作品も"筆を折った"と言われても仕方がない。
「そういえば、サライブに置かれる本の条件とかってあるのか?」
少し暗い話をしてしまった事が気になり、俺は自分から話題を変える。
「そうですねぇ……、まず少なくとも、とにかくそれが物語として何処かに存在しているというのが第一です。
構想だけだったり、誰かの頭の中にあるだけじゃサライブはそれをアレだけの数の本棚があっても一冊として認識しません。
ですが、逆にそれが世に出さえすれば本である必要もありません。所謂ネット小説だってサライブがその存在を認知すれば本として本棚に収まっているはずですよ。……挿絵はありませんが」
リアが『スレイヴガンドの呼び声』をパタンと閉じ、丸机の端に置き、こちらに笑顔を向ける。
「最初にせんせの本もあるって言ったじゃないですか。
といっても、最後の一作品はサライブが認知する前に……」
「って事は文量も関係してるって事か?」
リアの顔が暗くなりかけた瞬間に俺は質問をぶつける。
最後の一作品はまだ数話しか書いていない状態で断筆している事になる。
認知する前に俺が死んだなんて事を、リアには言わせたく無かった。
「……ですね。ある程度物語が進み、設定が敷き詰められて初めてサライブはそれを認知します、とはいえまちまちです。そこらへんはお上様の判断なんでしょうね……」
説明を続けるリアの話をアルが難しそうな顔で理解しようとしているのが目に入り、俺はそろそろ本題に話を移すことにした。
「それで、結局この"呼び声"は何が問題なんだ?」
リアはその問いに何とも言えない微妙な笑みを浮かべて、本を撫でる。
「スレイヴガンドは人を絶望に落とし喰らう魔竜でこの物語の大敵、言わばラスボスでした」
頭にクエスチョンマークを浮かべていそうなアルに「倒さなきゃいけない最後の敵の事」と耳打ちすると、小さく「ありがとうございます」と返ってくる。
「本編は、そのスレイヴガンドを打ち倒し、その龍の名を冠した牢獄に捕らえられた人間達を救い出す所で終わっていたはずです。良くあるといえば良くある剣と魔法の冒険譚ですね」
「ですが……」とリアは困り眉のまま話を続ける。
「であれば、復活か何かであろうな」
カークがそう言うと、リアは何か言いたげな顔をしてから、頷く。
「主人公達と競い合う少し嫌味な魔法使いの男の人がいたんです。
一応最後は主人公達とも共闘して魔竜を倒すのですが、どうやら彼は魔竜が倒された後、主人公達と仲が悪かった事が公に出てしまい迫害を受けたらしく、元々はそんな彼の成長譚だったんですが……。はい、復活させちゃったみたいですね……」
「ちょっとした悪役に脚光を浴びせようとしたら迷走して手に余った感じか……」
聞いた感じ、ちょっとしたダークヒーローの心を強くする話のはずが、手の作られない悪役に進化している。
「そんなやらかし魔法使いさんの名前は?」
アルが何処と無く悪口のような事をさらっと言う。
「この作品での、やらかしたまま放置されている主人公の名前は……グレイさんです。
闇の魔法の使い手で、本編でもかなり強かったですよ」
リアが溜息を付きながら、本を丸机の先へスススっと動かす。
「良いのか? 下手すりゃ俺達でドラゴン退治だぞ?」
「私のワガママではありますが、出来れば……、お願いします。
一度救われた世界が、軌道に乗った物語が、消えるのは私、見たくないです」
それはその作品への愛着からかもしれないが、リアの目は真剣そのものだった。
どうせ、何処へ行っても命のやり取りがあるのは間違い無い。
ならば、その目を曇らせる理由は無かった。
「悪魔がいたなら、ドラゴンもいるさ。
その本も、今日開くか明日開くかの違いでしか無い、だろ?」
「私は、何処へでも!」
「我よりも強いとは思えぬが、ドラゴンとやらの見物と行こうでは無いか」
二人の強い眼差しと、愉快そうなライターからの声が、リアの表情を明るくさせる。
「ありがとうございます……! じゃあ……!」
そう言って、リアは『スレイヴガンドの呼び声』を丸机の窪みへとハメる。
「せんせーには前にも言いましたが、とりあえずまず私達が行きつく場所は所謂セーフハウス……、ある程度外敵から狙われにくい場所に着くはずです。
まずはそこで準備をしましょう、少し眩しいですよ!」
リアが言う途中にもう既に本から溢れる光は強くなり、言い終わると同時に目の前が真っ白になった。
そして、目を開けると俺達は牢屋の中にいた。
「えぇ……」
思わず声が出た、一瞬前にリアが言っていたセーフハウスとは何だったのか。
こんなのアウト中のアウトだ。
リアも「あれ?! え?!」と困惑していた。
アルは「私のトコより綺麗だなー」と呑気な事を言っていたが、此処が所謂スレイヴガンドの牢獄の中なのであれば、事態は緊迫しているなんて話では無い。
「装備、も無いな」
俺が溜息を付きながら牢屋の扉が開かないかとガチャガチャやっていると、遠くから足音が聞こえた。
「誰かいるのかっ!」
男の声は俺が牢屋の扉を触る音に気付いたらしく、こちらの方へと走ってきているようだ。
リアが身構え、アルはその後ろへと隠れ、俺はライターを手に取り、扉から一歩下がる。
そのうちに部屋の前で足音が止まり、焦っているような男の声が聞こえた。
「待ってろ! すぐ開ける!」
その言葉の通り、牢屋の扉はすぐに開かれ、その向こうにはキリっとした顔付きで、ローブを身にまとった男が立っていた。
「お前ら何でこんな所にいるんだよ?! 正気か?! 魔竜に見つかる前に逃げるぞ! こっちだ!」
その男は俺達を急かすように言い放ち、俺達も何が何やら分からぬまま彼の後を追う。
「なぁ兄さん! 名前は?」
俺がそう聞くと男は少し苛立ちを見せながらその名前を告げた。
「ボクを知らないなんて正気か?! あの魔竜を一度倒した男だぞ!?」
正気くんと呼んであげたいくらいの勢いで俺達の気を疑う彼にリアはピンと来たようで、その名前を呟く。
「グレイ……さん?」
その言葉を聞いて、男はニヤっと笑った。
「そっちの女は分かってるじゃないか! そうとも、ボクがグレイだ。
あの魔竜を打ち倒したグレイに助けられた事、誇りに思えよな!」
やらかし魔法使いが、目の前にいた。
それも、カークとはまた別のベクトルで偉そうにしている。
人間だけに鼻につくのか、それとも単純にその全身から漂う嫌な奴感から鼻につくのかは分からないが、確かにコイツはライバルキャラ的な雰囲気だよなと思いながら、グレイが無数にある石畳のうちの一つを押し込むのを見ていた。
「とりあえずこっちに来い! アイツは此処を知らんからな!」
『アイツ』が誰なのかは分からなかったが、その階段をくだりきった先には、少し広めの部屋があった。
「じゃあ、話を聞かせてもらおうじゃないか。こんな所にいるなんて、正気じゃないぞ?」
偉そうなやらかし魔法使い、もとい正気くん事グレイに言われ、リアとアルだけ椅子が与えられていた。俺の分が無いあたり、いい性格をしている。
だが、グレイの口調から感じるそれは悪意には見えない。
そもそも、俺達を助けるという行為に迷いが無かった。
もしかしたら話せる奴なのかもしれないな、と思っていたところでポケットから余計な茶々が入る。
「ふむ、感じるそれが魔法の力というヤツか。
面白い。それに巨大なのがこの頭上で渦巻いておるわ」
「誰だ?! まだ誰かいるのか??!」
その手で小さな杖を取り出し、声がした方向、つまり俺の方へ向けるグレイ。
説明する前にカークに話されると余計な事しか起こらないのは分かっているのだが、この自由な炎魔を止められるわけも無く、俺はライターをポケットから取り出しリアとアルが座っている椅子の前に置かれた机の上に起き、両手をあげた。




