第十八筆『ああ、幸せそうだ』
状況を整理する必要はあった。
だが、思ったよりもそれは簡単で、リアに言わせると「滅多にするもんじゃないんですけどね」の一言で済む話だった。
要は、物語の世界から持ってこられるのは何も物だけでは無いという事だ。
人でも、獣でも、喩えば悪魔でも構わない。ただ、相手がそれを望んでいなければいけなかった。
だから旅に出たいと願ったアルはリアの手を握ったままこちらの世界に来られたし、俺のポケットで笑う炎魔はちゃっかりとこちらの世界に来ていた。
「ただ、愉快である。だが暗いな、此処は」
カークが言うと、リアとアルが目をパチクリしてこちらを見る。
思えば契約をしたとは言ったものの、紹介などしていなかった。
「悪い、俺も持ってきたみたいだ、炎魔カーク、ロンを崇めてた神だよ」
俺は頭を掻きながらポケットからライターを取り出す。
「持ってきたとは生意気な。どれ、この姿を見せてやろうではないか」
リアとアルがその声に一瞬身構えるが、いつまで経ってもカークの姿は現れない。
あの図体をこの部屋で晒すのはやめてほしいとは思ったが、どうやらカークはその姿を表せないらしく、困惑している声が聞こえて来る。
「どうしたのだこれは……! 我が体が顕現しないだと……」
その言葉に、リアは困ったように答える。
「あー……はは……。
多分……そのライターに宿ったまま、こちらに来ちゃったんです。
物語から存在を持ち出すというのはすごく複雑な原理でして……、」
「つまりカークは、あくまでライターとして持ち出されたという事か」
リアは何とも言えない顔しながら頷くと、カークの怒声が聞こえる。
「何たる不手際、何たる侮辱!
我がこの発火具如きに押し込められたままだと?」
その様子からどうやら周りの言葉も聞こえ、周りを見る事も可能のようではあったが、その姿は現れないままのようだ。
「仕方ないですよう……、カークさんが生身のまま来ないんですもの……」
「生身のままなら俺が拒否していたとも思うが……」
そんな話をしていると、アルが不安気にこちらに近寄って、ライターを見つめる。
「カーク様、なのですか?」
それは、かすかに残った信仰だったのかもしれない。
ロンは炎神とは言っていたが、その存在は隠されたまま。
その実、神では無く悪魔だったわけだが、アルにはカークが存在するという事自体が感激に値する物だったらしい。
「如何にも、我が炎魔カークである。
小娘はあの醜悪な男の下僕であったな」
姿を表せない事は一旦置いておくようで、俺のライターことカークはアルに向かって話しかけている。
「はい……、はい! 覚えてくださっていたのですか?」
流石に長い間信じてきた存在の声を聞いたからか、少し感極まっているように見える。
つまり、アルにとって信仰は真実であり、ロンという男の支配だけが虚構だったのだ。
「我は神では無いが、魔もまた信仰によって力を得る存在である。
お主の信仰はより厚かったからよく覚えている。あのロンなどという男とは比べ物にならぬくらいにな。
愉快な小娘よの、ロンなどではなくお主と契約すれば良かったとすら思うぞ」
不思議な縁もあるようで、アルとカークが妙に気が合いそうなのはその信仰からか、それとも同じ物語出身だからか、分からないが俺とリアはお互い顔を見合わせて苦笑した。
感動するアルと、ライターの中で胸でも張っているであろうカークを思いながら、俺達はとりあえずリアの提案で部屋から出ようとする。
「とにかく、常ノ魔は無事次頁が綴られました。
なのでとりあえずしばしの休憩としましょう。
アルちゃんとカークさんにも、この世界の事を教えなければいけませんし」
そう言ってリアはドアノブに手をかけると、思い出したようにこちらを振り向く。
「そうだ! 私はアルちゃんを、せんせーはカークさんを連れてきましたが、二人があの世界から持ち出す物がまだでした」
「体だ」
カークが即答するも、沈黙が続く。
「望めばすぐに現れるはずなんですが……、もしかしたらカークさんは物として扱われている可能性がありますね……」
踏んだり蹴ったりな炎魔を憐れみながら、俺がライターをポケットに仕舞う。
「まぁ……、代わりに暴れてやるさ……。
お陰様で、炎に強い縁が出来たしな」
カークにそう言うと、フンと鼻を晴らすような音の後に「つまらなかったら承知せぬぞ」と自分がこの世界ではどうにも出来ない事を知ってか知らぬか強気の返事が返ってきた。
「それに、そのうちに依代か何かが見つかる日も来るさ。
そんな物語はきっと、いくらでもある」
そう言うとライターに閉じ込められた炎魔カークは「ならば良い。我は見物しながらそれを待つ、急げ」と言い静かになった。
俺達がそんなやり取りをしている間も、アルは何を持ってこようか頭を悩ませているようだった。
「ねぇお姉さん、この権利って、受け渡す事出来ないんですか?」
アルがリアに聞くと、リアは少し困った顔をして答える。
「一応、アルちゃんが望めば私かせんせーに受け渡す事は出来ますが……、何も持ち出したい物無いんですか?」
リアが変わらず困った顔でアルを見つめると、アルは二カッと笑う。
「だって、私は私を持ってこられたんです、私があの世界に必要なものなんて、一つもありませんよ。
だから、お姉さんにあげます」
そう言うと、今度はリアが頭を抱える。
「そう言われても……、私もアルちゃん以外には……」
リアは悩んでいるようだったが、俺には是非持ち出して欲しい物があった。
「なぁ、扉の封印、持ってこれないか?」
悪魔避けとして使われていたが、もしかするとそもそも魔物避けに使える可能性もある。
それに、悪魔という存在は色んな物語に登場する。
扉についての魔法を持っているリアがそれを身につけるのは、悪い事ではないと思った。
「扉……、成程……。では、それで」
そう言うと、リアの両手が一瞬光る。
「これで、私に新たな力が芽生えたはずです。
アルちゃん、ありがとね」
リアとアルは笑いあい、今度こそリアはドアノブを掴む。
「じゃあ、とりあえず私の部屋に戻りましょ、本を返却するのは、休んでからでも良いですし」
そう言ってリアが数言呟くと、機械音の後に、開いた扉から光が漏れた。
「あ!」
扉を明けかけたリアが、もう一度何かを思い出したようにこちらを振り返る。
「今度は何だ?」
聞くと、リアは俺の方では無くアルの方を向いていた。
「アルちゃん! 私の事は、リアで良いからね! お姉さんって柄でもありませんし!」
そう言い放って、リアは扉の向こうへとトンッと跳ねるように進んだ。
「はい! リア……さん!」
そうしてアルもリアの後に付いていく。
「かしましいな」
カークがポケットで小さく呟く。
「ああ、幸せそうだ。
お前はどうだ? 愉快か?」
本を片手に、リアとアルの笑顔を見ながら、俺はゆっくりと歩きながらカークに問う。
「あの小娘達の笑顔に興味は無いが、少なくともあの腐った世界よりは、余程期待が持てるぞ。
あんな世界、滅ぼしてやろうかと思っていたところに、これは僥倖である。
死んでくれるなよタナト……死神の名を冠する奇人よ」
ククと笑うカークの言葉を俺は一人受け取り、小さく笑った。
「愉快なのは、こっちなんだけどな」
それでも、あまりにも沢山の死を見た。
怒りと、恐怖を見た。
それでも、抗えるという幻想の中にある現実を見た。
だから、俺はこの必然と偶然が組み合わさって生まれた三人と一体の集団に、ほんの少しだけ胸を踊らせていた。
「せんせ! 早く!」
リアが呼ぶ声に、俺は歩を進め、扉を締める。
「お兄さんの事は、先生って呼べばいいんですか?」
その話も、しなくちゃいけない。
俺の、俺達の物語はまだ続くのだ。
殺風景なリアの部屋に戻って、ソファを進められた俺は、そこにゆっくりと腰掛けて、笑い合う二人を見ていた。




