第十七筆『報われたんだよ、きっと』
有象無象は蹴散らしただとか。
数の理はもうこちらにあるだとか。
一際目立つ、五メートルは超える程の三体の悪魔のうち一体攻撃を避けながら聞こえるその言葉達は、俺にはどうにも呪いの言葉のように感じた。
ウィルが剣を振るう旅に、その剣は悪魔の爪に阻まれ、そしてもう片方の爪で軽傷を負う。
ウィルの仲間も似たような物だった。
男はその拳を悪魔の腹部に叩き込むが効かず、次にその腕をへし折ろうとするも弾き飛ばされる。
「硬えな畜生!」
叫ぶ男に、悪魔達は下卑た笑みを浮かべている。
「諦めるな! あの時の事を思い出せ!」
ウィルが叫ぶあの時は一体どの時だろうと思いながら、俺はアルが構えた矢じりに火をつける。
「ありがとうございます!」
そう言って的確に数体の悪魔のうちの一体を居抜き、その体を炎で包み込んだ。
そこに違和感が走った。
「―――こっちの方が強い?」
さっきまでの悪魔よりは勿論強そうに見えるが、アルの射撃は当たった。
なのにどうしてか、ウィル達はその悪魔に苦戦している。
本来ならば苦戦こそすれ、乗り切るはずの場面だ。
俺がナイフを持った女が悪魔の背中にナイフを差し込もうとするが、ナイフはへし折れ彼女は振り向き様に壁へと殴り飛ばされる。
「俺達は……、此処までなのか……」
ウィル達のその言葉で、悪寒が走った。
―――これは、物語のお膳立てだ。
物語が主人公の覚醒を促している。
俺達の攻撃が悪魔に届くのは、物語の外の人間だからだ。
悪魔の数など関係無い。要は、ウィルがあの悪魔を打ち倒す事が必要で、それには更なる力の目覚めが必要なのかもしれない。
―――では何故、アルの矢が当たる?
俺は残った悪魔二体のうち片方を打ち倒そうと剣を奮っていたリアを呼び寄せる。
「リア! 俺達でも駄目だ! 一旦引き上げろ!」
どうしてかリアの剣撃も悪魔を打ち倒すに至っていない、だが多少の傷はつけることが出来たようで、リアを追う悪魔の目の前にカークの力で炎の壁を作ると悪魔はそれ以上こちらに来る事は無かった。
その悪魔はリアでも倒せない、きっと俺でも傷つけられないのだろう。
それなのにアルの矢は当たる。
それはつまり、アルは物語の住人だからだ。
だが、同じくウィル達は物語の住人でありながら悪魔に傷一つつけられない。
それは、目覚めの兆し。
誰も死んではいけないという勇者の信義。
それを否定するつもりは少しもない。
だが、時折主人公は誰かの死を以て成長するという物語の皮肉がある。
何度もはいらない、一度くらいで良い。
―――悪魔に傷をつけて狙われ殺された、名も知らぬ少女の死くらいで、丁度良い。
「リア! アルを連れて逃げろ!」
俺がそう言うやいなや、案の定ウィル達と交戦していた悪魔がこちらへと駆け出す。
おそらくは倒されている同胞に気付いたのだろう。
下卑た笑みを浮かべる悪魔達が、戦いを楽しんでいるとするなら、間違いなく強い方を標的にする。
もしくはこれも必要な事なのかもしれない。
ウィルと、その仲間全員の視線が、こちらを向きアルが逃げる事に躊躇いを見せた瞬間に、アルという少女の運が尽きようとしていた。
リアがアルを後ろに下がらせて悪魔の爪を剣で受け止めようとするが、悪魔はリアの事など眼中に無いように、その剣を受け流し後ろのアルへとその爪を振り下ろす。
「この子は、この為に生かされてたって言うのかよ!」
俺は叫びながらアルの矢筒から矢を取り出し、悪魔へ思い切り突き刺すが悪魔は止まらず、俺の後ろで考えたくもないような、肉が削げる音が聞こえた。
ドタっと倒れる音が、誰もの耳に届いたように思えた。
「アルちゃん!」
リアが叫ぶ、そしてウィルが後ろでゴチャゴチャと怒りの言葉を呟いているが、そんな事はもうどうでも良かった。
「許すかよ……、こんな展開を、許せるわけが無いだろ!!」
俺は目の前で嗤う悪魔を全身全霊の力で燃やし尽くす。
燃えない、燃えない、燃えない。
殺せない、殺せないから、その炎を思い切り悪魔の体に当て、ウィル達の方へと弾き飛ばした。
ポケットから聞こえるカークの笑い声が癪だったが、今はそれで良い。
もう今は、それすら愉快だ。
燃える炎の向こうで、何かを叫びながら悪魔と切り合っているウィルが見える。
俺が弾き飛ばした悪魔は、男が殴り飛ばし、女が俺のナイフでその体を貫いていた。
「勝手に、覚醒してろよ」
ウィルに罪は無い、だが物語はアルの死を選んだ。
それがどうしても、許せなかった。
肩から大量の血を流すアルをそっと持ち上げ、俺は未だ怒りの収まらない心を何とか鎮めようとする。
「リア……、後ろの扉を小屋に繋げてくれ」
リアは何も言わずに頷き、後ろの扉の向こうが、一夜だけだが俺が二人の仲間と過ごした景色に変わる。
炎は未だ、燃え盛っている。
ウィル達の戦う音が聞こえたが、悪魔の叫び声も聞こえる。
「もう、役目は済んだよな」
そう言いながら、俺はその扉の先に進んで、アルをベッドへと下ろした。
リアは扉を閉じてすぐにアルの元に駆け寄り、その手を握った。
「アルちゃん! アルちゃん!」
アルの体から流れる血は、その生命を零したかのようにベッドのシーツを濡らしていく。
この状態でそう長く生きられるとは、思わなかった。
「お姉さん……、すみません。ドジっちゃったみたいです」
アルは物語に仕組まれた展開に気付いていない。
だが、俺は勿論、リアも薄々その事には気付いている。
だからこそ、俺は何も言えずにいた。
「大丈夫、きっと、大丈夫だから……!」
リアは机の上の本をチラリと見てから、アルの手を掴む。
「運、尽きちゃった。
せっかく此処まで生きてこられたのになぁ……」
少しずつ、アルの言葉に力が無くなっていく。
この展開を、俺は変えられなかった。
死ぬべきは、主人公の仲間では無いのだ。
ウィルが言った"あの時"がどの時かは知らないし、もう知りたくもない。
だが、犠牲無くして強くなれないという展開に、俺は負けた。
カーテンから外を覗くと、広場には三人の人間が立っているのが見えた。
キョロキョロと人を探しているように見えたが、もう興味等無かった。
これでこの物語は、先へと続く。
次の頁は、埋まった。
「旅、行きたかった……なぁ……」
アルの命の灯火が消えていく。
「お願いアルちゃん! 駄目、もう少し! 旅に行きましょう、一緒に!」
窓の外のウィルが、人を探すのをやめ、俺達の小屋に背を向けた瞬間、本が青く、そして強く輝くのが見えた。
それに気がついた瞬間、リアが叫ぶ。
「せんせ! 本、取って!」
俺はその言葉に急かされ、急いで本を丸机から取り出した。
「私はこの世界から、アル・アーテを持ち帰る!」
そう叫ぶリアの手は、ずっとアルの手を握ったままだった。
本から放つ光は強くなり、やがて何も見えなくなったかと思うと、次の瞬間俺達は元の世界へと戻っていた。
リアが握る手の先には、傷が癒えたまま静かに眠る少女がいる。
「良かった……、良かったよぉ……」
そう言いながら、リアは眠るアルの手をそっと放して、ポロポロと涙を流す。
「連れて……来たのか」
思いつきもしなかった。
その物語の続きを書けたなら、その物語から一つ持ってこられるという約束。
それをリアは、アルという少女の命の為に使ったのだ。
「物語の傷は……、この世界の傷ではありませんから……」
鼻をすすりながら、リアはぐしゃぐしゃの顔でこちらを見て笑った。
俺は何を持ってこられただろうと思うと、ポケットから聞こえた笑い声で察してしまった。
コイツ、着いてくるって言っていたもんな。
「ん……、あれ?」
アルが眠りから目を覚ますと、体を起こして傷ついていた部分を触る。
「え? お姉さん? 私、死んだんじゃ……」
リアは一旦止んだ涙を目尻に溜めながら、アルを抱きしめる。
「……連れてきちゃった。一緒に旅、してくれませんか?」
アルはそれを聞くと、ギュッとリアの事を抱きしめて、小さく笑った。
「本当に、私には運しか無いみたいですね」
「運命って言うだろ。それでも、運だけじゃないさ」
俺は笑うと、手に持った本の最後の頁を覗いた。
『名も知らぬ少女を救えなかったという後悔を胸に、その剣はまだ見ぬ悪魔を打ち倒す為に振るわれていく』
この物語の続きは、きっと彼らが自分たちで書いていく。
「報われたんだよ、きっと」
そう言って、常ノ魔と書かれた本を閉じた。




