第十三筆『悪魔から見りゃ、人間こそ悪魔なのかもな』
悪魔の尻尾と言えど行き交っていた血液はそう少なくない。
だから俺はわざわざ力を入れて尻尾を握らずとも小屋から持ってきた小瓶は満杯になった。
切り取った尻尾をそっと息絶えた悪魔の上に置くと、その尻尾の切り口からは未だ血液が流れ出している。
まだ何かに使えそうだと俺はその尻尾を傍目で見ながら、石畳にこびりついて乾いた血液の跡をライターで炙った。
すると、この悪魔の血の発火性のしつこさがはっきりと分かるくらいに、石畳の表面が燃え盛る。
「死んで尚燃え盛る、か……」
火をつける為の道具がどれだけ発達しているかは分からないとしても、アルが教会に入る前に教えてくれた油よりは少なくともずっと有用に見えた。
尤も、これで揚げ物なんてしたくないが。
単純に燃やすという事に於いてこれだけ楽な物も無いだろうと思った。
悪魔は火が弱点だと聞いた、そして目にして分かったのは、悪魔という種族の不幸だ。
火に弱いというのは単純に、悪魔という種族の生まれ付きの不幸のようなものだ。
試しに俺はもう一度尻尾を持ち、ライターの火で血液が一切付いていない部分を炙った。
だが、皮膚そのものに発火性は無く、焦げる様子すら見受けられなかった。
ならば、これは戦う上での弱点でしか無い。
傷をつけて初めて悪魔は燃えるようになるのだ。
自分が非人道的な事をしているのはよく分かっていたが、俺は少しずつ溢れる血液が止まりつつある尻尾の切り口を見て、布と縄を探しに小屋へと戻った。
「あぁ……、お疲れ様です……」
リアが俺の手にある血が入った小瓶を見るやいなや、何とも言えない顔で笑う。
「後で弔うよ、悪魔だとしても、やっちゃいけないってのは分かってる。
けどまぁ、そうも言ってられないしな……。
シーツを少し破らせてもらっていいか? あと縄みたいな物があれば助かる」
どうぞどうぞと言わんばかりにいつのまにかベッドに座っていたリアが腰をあげる。
「今アルちゃんから聞いていたのですが、ウィルさん達が炎神の供物になるのは、明日正午だそうです。
私達が逃げている事はもうバレているでしょうから変更が無ければ良いんですけど……」
リアがいつのまにか窓にかけられていたカーテンを指先で触って、外をチラリと覗く。
おそらくその視線の先には、教会があるのだろう。
「その点はきっと、大丈夫です。
ロンおじさん……、ロンは供物を捧げる日だけは数日前から準備をして、何があろうとそれを優先していたように思えます。
時には身内の……奥さんの葬儀よりも優先させていたくらいですから」
「というか、ロンはあそこの教祖なのか?」
俺がシーツを短刀で丁寧に破りながら聞くと、アルからはどちらとも言い難い曖昧な声が漏れた。
「はい、と言えばそうなるのですが、元々は違う方が取りまとめていたんです。
その頃は悪魔の驚異はありましたが、私達はまだある程度まともな生活がありました。
ですが、一人ずつ悪魔にやられていく中、ロンがトップに立った瞬間に教会が悪魔に襲われることが無くなったんです。
それからは見ての通り、それまでは地下牢の存在だって、私知らなかった……」
アルの話を聞いて、尚更ロンが悪魔と契約した可能性が強くなってきた。
であれば供物を捧げる先は神ではなく、悪魔だ。だが、まだ確証は無い。
それに、地下牢が存在を知らなかったというのも不思議な話だ。
「あいつは信じる神にでも自分の砦を望んだのかもな……」
「教会前の広場でやるって聞きましたけど、悪魔は平気なんですか?」
リアが不思議そうに聞くと、アルもまた何とも難しそうな顔で頷く。
「それが……、悪魔は大量に現れるんです。
けれどその日だけは襲ってこない、一定の距離を取ってその儀式を見ているだけなんですよね……」
尚更怪しいが、その悪魔が現れるというのはこちらとしては問題だ。
敵対組織が二つもあるのに、こちらは三人。
真正面から広場へ行くにせよ、リアの力で地下から攻めるにせよ、どちらかとは戦う羽目になる。
「ならまぁ……、外からか……」
小さく呟くと、リアが頷くのが見えた。
「っと、後はロープだけど……」
俺がロープの代わりになりそうな物を探していると、アルに肩を叩かれる。
振り向くとそこには、後ろで一本にまとめていた髪を下ろして、少しだけ大人っぽく見えるアルが立っていた。
「これ、使ってください」
渡されたそれはゴムのように伸縮性こそ無かったが、俺が必要としている長さには充分な太い紐だった。
「いいのか?」
「ほんとは、髪ごと切っちゃおうかなって思ったんですけど、それもなんだかなって」
アルが物語の登場人物に名前が書かれていない理由が少し分かった気がする。
確かに今バサっと髪の音が落ちるタイミングかと言われたらそんな事は無いが、物語であればやりかねない。
髪は女の命とは良く言う。
たとえそれが決意の証だとしても、女の命を賭さずとも状況が変わらないのならその命は取っておいた方が良い。
「切るなんてとんでもない!!」
リアが椅子から飛び上がる。
「流石に切りませんよ」と笑っているアルに胸を撫で下ろしながら、俺はシーツを少し多めに切り取った。
女性が髪を切るという行為が時々誰かの力や、決意を呼び覚ますってのも、分からない話ではないのだが。
「その方が大人っぽく見えるよ。切るのは勿体ない」
そういうイベントは、主人公達に任せたい。
俺はアルからもらった紐とシーツから切り取った布を持って、瓶を机の上に置く。
「先に言っておくけど、ごめんな」
その瓶を見て、二人は何かを察したようで、神妙に頷く。
「リアは刃先に、アルは矢尻にこの血液を塗って、乾かしておいて欲しい」
その言葉を聞いて、アルは少しだけ身をすくめたが、意外に先に瓶の蓋を開けたのは彼女だった。
「俺のライターで撃つ瞬間に、斬りに行く前に火をつける。
それでとりあえず悪魔については何処をかすめても一撃だと思って良い。
ただ、発火剤が俺のライターだけってのは心許ないが……」
説明している間に、アルはその矢筒からそう多くない数の矢を取り出し、チャポンチャポンと血につけては机の横へ並べて行く。
「これでこの部屋、火気厳禁ですね……」
アルは笑って、瓶をリアの方にそっと渡した。
「覚悟は出来てますよ。
このくらいへっちゃらですから」
その言葉を聞いて尚申し訳無いと思いながら俺は小屋の外に出て、悪魔の尻尾を拾い上げる。
もう血液はほんの少し滴る程度にしか流れていなかったが、その尻尾にもう少しだけ役立ってもらう事にする。
俺はシーツから切り取った布で尻尾の切り口をグルグルと巻いて、アルからもらった紐でその布ごと尻尾の切り口を縛った。
そして切り口の付近を少しだけ強く握りしめると、次第に布が赤く染まって来た事を確認した。
布から血が滴る程では無いが、少なくとも染み込んではいる状態。
「これが最初の武器なんてなあ」
そんな展開あってたまるかと思いながらも、思えば最初に選んだのはライターだという事を思い出し、何ともありきたりで見覚えのある選択をしたもんだと少し笑った。
小屋に戻ると机の上には赤く塗られた剣があった。
二人の顔が俺の獲物を見てげんなりとしている。
「あー…………。異教徒ならぬ、邪教徒誕生って感じですね……」
アルが椅子に座りながら頭を抱える。
「それに、もうこの子達、長く使うのも無理ですよ、絶対錆びますし……」
リアが複雑そうな顔で半分程の量になった瓶と、その隣に置かれた血塗られた武器を眺める。
「でも、明日を逃せばそもそもが終わりだ。
ウィルを助けて、ロンも追い詰める。
真正面から、悪魔の群れを突っ切る為には、な……」
俺は棚からありったけの瓶を机の上に出し、それらの蓋に小さな穴を開けて行く。
それと、さっき切り取ったシーツの布を細くちぎり終えると、バッグから本を取り出して、丸机の窪みに収めた。
「こいつはもう、此処にあってもいいよな?」
リアが頷いたのを確認すると、俺はバッグの中に入れっぱなしだったいくつかの食料を、まだ綺麗なベッドの上にそっと置く。
そしてその代わりにバッグには瓶を詰め込んだ。
「こんな時だけどこれ、もし良ければ二人で食べといてくれ。
俺の分は、良い」
俺は机から半分程悪魔の血が入った瓶を手にとって、扉を開ける。
切り裂く事に慣れるのにそう時間はかからなかった。
悪魔を切り裂いては瓶にその血を溜め、血を浸したシーツを蓋の穴へと通していく。
ヒーローは、主人公はきっと、こんな事をしない。けれど、俺には必要な事だった。
「悪魔から見りゃ、人間こそ悪魔なのかもな」
十分な量の血液が瓶に溜まったのを確認し、自分の体の火の付きそうな所に血液が付いていないことを確認してから、俺はやっとその冒涜の数々の報いをするかのようにライターに手をかけ、その悪魔の死体に火をつけた。
声も出さずに燃えていく悪魔を、俺は黙って見ていた。




