第十二筆『生き延びてきて、良かった』
バタン、とリアが小屋の扉を閉めたと同時に俺とリアは大きく溜息を吐く。
「これでひとまずは振り出し……、よりかはマシでしょうか? それともそれ以下でしょうか?」
リアが苦笑するが、俺は首を横に振る。
「あの子がいるから、ずっとマシだよ」
ベッドに腰掛けた俺の視線の先では、アルが不思議そうに恐る恐る扉を開けて、そこに広がっている世界に目をパチクリさせている。
「こんな事って……、って悪魔?!」
どうやら俺達がこの小屋から出ていった時にリアが倒した悪魔の死骸を見てしまったらしい。
「だーいじょうぶです、出掛けにちょっと……」
リアは丸机の前にあった椅子を引きながら言う。
丁寧にアルが座る為の椅子も引いてから、リアは奥の方に座った。
少しキョロキョロと外を見回したアルは、おそらく俺達が出会った路地が目に入ったのか、納得したように扉を閉めて、こちらに向き直る。
「教えてください、本当の二人の事」
アルの目からは、怯えも困惑も消えていた。
もう戻れない場所に来ている事は外の様子を見た時点で気付いたはずだ。
そして、あの牢屋から一歩前に進んだだけで、ありえない場所にたどり着いたという奇跡にも、気付いている。
彼女が今まで見てきた神の奇跡が『悪魔が侵入して来ない扉』だけであれば、扉の行き先をその手で変えるという奇跡を目の前で起こしたリアは神の使いだと思ってもおかしくはない。
もしくは悪魔との契約者と思う可能性もあったしれないが、あの扉から眩い光とリアの優しい笑みを見てそう思うのであれば逆に俺が彼女を狂信者と呼ぶ羽目になる。
もし、彼女の心根がそこまで信仰を元にしていたならばきっとリアを拝みか殺しかしただろう。
だが、アル・アーテという少女は意外リアリストなのだと分かった。
「二人の事と、私に出来る事を、教えて下さい」
その決意を感じる強い声で、アルはこの状況に、食らいつきに来た。
守るべきだとか、救うだとか、そんな事を思っていた自分を少しだけ恥じた。
―――この子は、戦ってきたのだ。
例えば、自分達を無残に殺す悪魔達と。
例えば、自分の心を狂わせない為に飲む毒のような信仰と。
例えば、分かっていながらどうしようも出来なかった自分の不甲斐なさと。
―――だからこそ、アルはあの扉をくぐったのだ。
自分達を無残に殺す悪魔達を打破する為に。
自分の心を狂わせてきた信仰を捨てる為に。
どうにか出来るかもしれない可能性の為に。
「生き延びてきて、良かった」
アルが小さく呟いたその言葉を俺とリアは聞き逃さなかった。
リアの目が少し潤んで見えたが、それを振り払うように彼女は笑った。
「とりあえずは座りましょう!
せんせ、バッグから二つ林檎を出してもらっていいですか?」
言われて俺はバッグからリンゴを二つ取り出す。
「一個はせんせが食べていいですよ!」
そう言いながらリアは立ち上がり、俺から林檎を一つ受け取り、棚にあった皿を一つ丸机に置いて短刀で器用に皮を剥き始めた。
「私達がこの世界をどうにかしに来たって言ったら、信じてもらえます?」
シャリシャリと音を立てながら林檎が回る。
「……今言われたら、少しは。
けれど、今だからこそだとは、思います」
アルはその林檎をじっと見ながら返事を返す。
思えば、この世界でも林檎は林檎なのだろうかと思いながら、俺も手にとった林檎を一口齧るが、そう変わらない林檎の味がした。
こういう時の果実は酸っぱいのが定番かと思えば、ごく普通の甘い林檎だ。
蜜林檎とまでは言わないが、美味しい。
「私達はですね。
この世界の大事な人を助けに来たんです」
林檎の皮を剥き終わり短刀を鞘に戻したリアは、いくつかに切り分けた林檎が乗った皿を丸机の丁度本が収まっていた窪みの所に置く。
リアはその時その欠片を口に運んで、アルの言葉を待っているようだった
「大事な、人とは……?」
アルは目先の林檎よりも、話の続きの方が気になるらしい。
「ふぃるはん……、んん!! ウィルさんって人があの地下牢にいるって言っていましたよね? ん、んん!」
一方リアは二欠片目の林檎を急いで飲み込んだようで、むせていた。
あの牢屋から抜け出せてリラックスするのはいいが、どうにも気が抜けている相方の代わりに続きを俺が話す。
「そのウィルって奴が、どうやら悪魔への切り札らしい。
って、この本に書かれてる」
「あ! せんせそれ駄目です! 私達以外には文字が見えません!」
俺達のやり取りを見ながら、アルも少し緊張が解けたのか、切り分けられた林檎を恐る恐る齧ると「美味しい……」と感極まっていた。
その反応から見て、果実の一つすらロクに食べられないような環境だったのだろう。
なら、俺の林檎も雑に齧らずにアルに渡せば良かったと少し後悔する。
「とにかく、ウィルさんって人をどうにか助け出すのが、私達がここに来た理由なんです。
彼が死んじゃうと、この世界は……、悪魔に滅ぼされます」
それを言うのは酷だと一瞬思ったが、簡単に信じられる話でも無ければ実感が生まれるような言葉でも無いので黙っていた。
というよりも、そもそも本が俺達にしか読めないなんて今知ったあたり、俺も聞き役に徹する方が良さそうだ。
「それは、予言……のような物、でしょうか?」
アルは彼女らしい喩えをしながら、少し怪訝そうな顔をする。
その顔から本当にこの子は信仰を強制されていたのだなと分かる。
「予言というかなんというか、難しいですね……」
リアはうーんと唸りながらシャクシャクと林檎を食べていると、急にハッとした顔で最後の一欠片になった林檎を指差す!
「ん!」
それに手を伸ばしかけていたアルが勢いよくその手を引っ込めた。
「あ! すみません! あまりに美味しくて……」
「じゃなくて! この世界は、誰も水をあげない林檎の苗木!
ちゃんと実をつけるまで育てないと、枯れちゃうから! あ、最後の一個どうぞ!」
まるでちゃんとした説明では無かったが、それでもアルにはそれで良かったようだ。
アルはリアのその勢いにクスっと微笑んで、最後の一欠片をそっと半分にして、口の中へ放り込む。
「林檎の苗木……、うん。
難しい事は分からないけれど、分かりました。
私は、お二人に付いていきます」
アルはそう言うと、テーブルの上の皿に残ったもう半分の林檎の欠片が乗った皿を、そっとリアの前へと移した。
「次は、私に出来る事を教えてください」
リアは心底嬉しそうに、皿の上の林檎を手にとって、丸まんま齧り付いていた俺に向かって笑った。
俺も大きく頷いて返事をする。
とりあえず、後はリアに任せて良いだろう。
「まずは、悪魔の一歩上を行かなきゃな……」
俺は腰掛けていたベッドから立ち上がり、棚の瓶を持って小屋の扉へ近づく。
「少し小屋の前にいるよ」
「え?! あ、ん?? はい!」
何かと勘違いしたのか、リアは赤面して返事をする。
「すぐ戻る」
そう言って座ったままのアルの横を通ると、すれ違い様に「ありがとうございます」という小さな声が聞こえた。
おそらくはアルが複雑な表情でもしていたのだろう、リアが「あ……」と呟いているのも聞こえた。
アルはすぐに俺がこれから何をするのかが想像出来たのだろう。
それが、死者を弄ぶ行為だということも。
「燃える方が悪い」
誰に聞こえるともなく呟いて、俺は外に出て扉を閉じる。
目の前には、悪魔の死体。
戦いは、高貴であってほしい。
どうあれ命をかけて果たし合っているのだから、ある場合を除いて高貴なものであって欲しいと俺は思う。
それぞれに理由があり、それの食い違いでこそ戦って欲しい。
だからこそ、勝者も敗者も等しく、価値があって欲しい。
強い人は、今から俺がする事を当たり前にこなすだろうか。
殺せるなら、奪えると言うだろうか。
だが、目の前にいる元生物だって、決してこうなる為に戦ったわけではないだろうに。
「あくまのしっぽって言うじゃないか。
最初にやり始めたのは、俺じゃない」
俺は自分を納得させるように独り言を言う。
記憶に新しい、歪な悪魔の笑みが同情等いらないと言っている気がした。
それは、俺の都合の良い解釈なのは、間違いない。
けれど俺が戦う為には、俺を展開させる為には、これしか無かった。
「出来れば契約して、手から炎でも出せるようにして欲しかったよ」
俺は懺悔のようにそう呟いて、俺を殺す為に現れリアに殺された悪魔の尻尾を切り落とす。
そうして、その悪魔の血が瓶の中へ滴って行くのを、静かに眺めていた。




