第十一筆『私の炎は、傍らに燃えず』
健常な人間が言うに事書いて「死ぬ事が幸せ」なんて言う世界が、あってたまるか。
もう、俺とリアの心は本来の目的がついでのようになっていた。
アルがすぅすぅと寝息を立てる横で、俺達はこれからの事を話す。
「はっきり言えば、情に流された。
けれど、この物語をどうにかしなきゃアルだって生き延びられないのは分かってる」
リアはその言葉に大きく頷く。
「良かった、見失ってるわけでは無かったんですね……。
そう、結局はこの世界の現状を変えない限りは、どうしようもないんです。
たとえアルちゃんをこの街から遠く引き離した所で、意味なんて無い。
だからこそ、アルちゃんが生きて尚ウィルさんをどうにかしなきゃいけない」
現状の把握は、お互いに早く済んだ。だが、現状の打破については、目処が立たない。
たとえ、ドアからドアへと移動出来るリアの魔法を持ってしてもだ。
「ひとまずはこの牢屋が扉であって良かった。扉があるなら、その先を変える事自体は出来ます。
ですが、この扉を開ける権限が私にはありませんから……、取り上げるは鍵、奪い返すは武器と言った所でしょうか……」
「どちらも簡単では無いですが」と溜息を付くリアに打開策は無いようだった。
とはいえ俺にも打開策は見えずにいる。
武器も道具も無い、俺達が供物として殺される事と、ウィルがその前に殺されるであろうことだけが分かっている。
「この部屋の鍵が開かれた瞬間に転移は可能なのか?」
「可能と言えば、可能でしょうけれど、この世界で強く意識に残っているのは私達の小屋と、他にはこの教会の入り口くらいだと思います。
強く認識した扉でなければ上手く、繋がらないんです」
その欠点は不便と言えば不便だが、それ以上に便利だったので何も言えなかった。
つまりは、少なくとも退却だけは可能だということなのだ。
だが、それから先のビジョンは全くに見えない。
俺達が元の小屋に戻ったところで何が出来るだろうか。
そして、この教会の入り口にいた所で何が出来るだろうか。
「せめて、武器を取り戻して、アルちゃんをちゃんと味方に出来れば……」
リアが難しい顔をして眠っているアルを眺めている。
その洗脳とも言える程の信仰を断ち切る為に必要なのは、おそらく怒りだ。
現状の歪さについては気付いている、けれど何も出来ない。
それは間違いなく、それこそが全てだと思い込ませた人間がいるからだ。
「俺らより先にウィル達が供物となるなら、そこが俺達のタイムリミットだ。
逆に言えば、ウィル達を上手く救えたなら形勢逆転の可能性もある」
そもそも、ウィルがこの場所に囚われの身になってしまった事自体が、物語の歪み。
悪魔だけを相手にしているのであれば、おそらくはすんなりと話は進んでいたはず。
けれど、人間の余計な敵が現れてしまったから、こうなってしまった。
敵は一つに絞らなければいけない。
一つの状況に於いて、憎むべきは一つの勢力で無ければどうしたって挟み撃ちになるのが物語の常だ。
「アルちゃんだって、その認識を改めてもらわなきゃ私達は結局アルちゃんにとっての敵でしかないんですよね……」
リアが肩を落とす。
だが、俺の予想が正しければ、ロンという男の体には、契約の証が広がっているはず。
ただのサディストとは思えない。だが俺達がそれを確認するのはあまりにも危険な賭けだ。
それでも、此処に閉じこもるよりかは余程マシだ。
「リアの衣服の認識阻害が役に立つかもしれない」
そう言うと、リアは不思議そうな顔をして、こちらを見る。
「その服、どう見えるかを変えられるんだろ?
なら、リアルな血に塗れた服装として認知されるようにも出来るんじゃないか?」
リアはコクリと頷く。
「徒手空拳の経験は?」
聞くと、リアは少し嫌そうな顔をしてから、自分の右腕をポンポンと叩いた。
「えぇ……、得意ですとも……」
なら、作戦は決まった。
流石に血みどろの女性は、治療してもらえるはず。
「悪いな……、リア。ちなみにアドリブは?」
「苦手ですよ! 苦手ですとも! だから失敗続きだったんです!」
リアが憤慨する声で、アルは目を覚まし、その目をこすりながらこちらを見る。
「ふあ……、すみません、寝ちゃってました」
その言葉にリアは優しく頭を撫でた。
「んーん、良いんです。それよりもちょっとだけ、手伝ってくれますか?
上手くいけば、旅に出られますよ」
そう言うとアルは、クスクスと笑う。
「リアさん、そんなの、無理なんです……って……」
だが、リアの服装が目の前で血に濡れた格好に変わった瞬間に、アルは言葉を失った。
「え、リアさん……、これって」
「外の世界にはね、分かんない事がいっぱいあるんです。
だから、この場所だけが全てなんて思わないでください。
私達は、この世界を、救いに来たんですから」
その言葉を言うやいなや、リアは床に落ちていた石を拾い、額に強く擦り付ける。
「ったぁ……」
額からツゥっと血が流れる、彼女はそれを丁寧に口元に塗りたくり、まるで血を吐いたかのような様相に仕立てた。
「あのね、アルちゃん。私達の敵は人じゃない、悪魔なんだ。
だから此処に留まるわけには、いかないの。
もしも、アルちゃんが炎神の供物としての死よりも、人間として生き続ける事を望むのなら、私の事を信じて欲しいな。
それに、今から起きる事も、ちゃんと、自分の目と心で受け止めてくれたら、嬉しい」
そう言うと、リアはもう少し尖った石を見繕って、自分の肩に強く押し込む。
そしてそこから滲む血を、改めて口元に塗りたくった。
「リアさん、やめてください……! 一体何を……」
困惑するアルの顔を見て、リアは小さく微笑んでから、人が変わったかのように牢屋のドアをドンドンと叩いた。
「助けてください!! 誰か!! 助けてください! 供物になる前に殺される!!」
アルは変わらず怯えるようにリアの行動を見ていたが、それを止める事はしなかった。
その叫びが地下牢へと響くと、数十秒で牢屋の前に見知らぬ男が飛んで来た。
「私は供物に相応しくないと、彼女が!」
そう言うと、アルは一瞬何かを発しようとしたが、さっきのリアの言葉が頭に残っていたのか、押し黙る。
「来い、お前は別室だ」
牢屋の鍵が一瞬開けられ、リアが牢屋から連れ去られて行く。
彼女は一瞬だけこちらを見てから、小さく頷き男の後ろを付いていく。
その時に、牢屋の扉の取っ手を強く掴んでいた事を、俺は見逃さなかった。
「リアさん、何で……」
牢屋に取り残されたアルと俺は、話さなければいけない事がある。
「リアは、諦めていない。
実はな、俺も出会って間も無いんだ。
けれど、こんな時でも諦めてないみたいだ」
そう言うと、アルは寂しく笑う。
「それは、此処を知らないからですよ……。
神様でも信じていなければ、此処では生きていけないんです」
「神様より、俺達を信じろってのは、流石に無理か」
「あはは、無理ですよそんなの。
お二人とはさっき会ったばかりですよ?」
アルは笑う。けれどその顔はもう、信仰に塗り固められた笑顔では無かった。
「その、会ったばかりのお前を、身を挺して悪魔の矢から守ったヤツがいただろ?」
俺がそう言うと、アルは口ごもる。
「今この状況をどうにする為に、そいつは一人敵陣に身を投げたんだ。
それでも、俺達の事を信じられないか?」
アルの目尻に涙が溜まっているのが見えた。
さっきのような偽りの喜びから出た物ではなく、本心から流れようとしているように見えた。
「信じて、救われますか?
私の罪は、許されますか?」
彼女は震える声で、俺に問いかける。
「俺達は、神様じゃないよ。
それでも……」
言いかけた所で、足跡の一つも、前には誰一人もいなかったはずの扉が、ガチャっと開いた。
そこから俺のライターと短剣、赤い光が漏れ続けているバッグが放り込まれた。
そして、古ぼけた弓と、錆びついた矢筒も一緒に放り込まれる。
「それでも、私達は救います。
そして、許します。
アルちゃん、真実を見に、行きましょう」
アルの目から、一筋の涙が流れた。
牢屋に戻ってきたリアの服装は、その扉をガチャリと閉め、いつの間にか綺麗な白いいつもの服に戻っていた。
ただ、その左肩には先程までは無かった痛々しい傷が見える。
「一発もらっちゃいました。でもお手柄ですよね?」
笑うリアに俺は苦笑する。
「どうやって見つけた?」
「見つけるというかなんというか、誰でも見つけられますよ、赤い光がギラギラしていたもので」
正念場は、どうやら此処らしい。
「取り戻せばそりゃ、危険信号の光もおさまりますよね……」
俺達の会話に入れずに、弓を手に取りじっとしているアルに、リアは笑いかける。
「ねぇ、逃げちゃいましょう。
アルちゃん、炎はね、傍らにあるだけじゃ駄目なんです」
リアが牢屋の扉に鍵を差し込み手をあてる。
ちゃっかり鍵も拝借していたようだ。つまりは様子を見に来た男は運がなかったのだろう。
「私は、こんな場所よりも、ベッドのある小さな小屋が良い」
それは魔法か、自己暗示か、そう言いながらリアは少しずつ扉を押し込む。
「私は、諦めない。私の炎は傍らに燃えず、私の炎は心の中に」
その言葉に、アルの顔が上がる。
「これが、私の神様がくれた魔法だよ。
ねえ、炎神が何かしてくれた? アルちゃん、貴方自身が選んだ一歩で、こっちにおいでよ」
光を放ち開いた牢屋の扉の向こうに、俺達の小屋の風景が映る。
リアは一歩踏み出して、扉を開けたまま、微笑んでいた。
「良いんですか、本当に? 私は二人を騙していたのに?」
アルは、相変わらず震える声でリアに問いかける。
「ごめんねくらいは、言ってもらいますからね?」
そう言って、扉に向かって一歩進んだアルの手を、リアは強く掴んで、扉の向こうへと招き入れた。
俺は、神に救われる事を祈りながら救われなかった少女が、人に救われた瞬間を見ていた。
そして、俺自身がその光景に救われながら、扉をくぐった。
―――さあ、この物語を終わらせに行こう。
まだ、本は赤い光を放っている。
だが、これから先の展開はもう、誰にも邪魔させない。
「そろそろ俺も、やり返さなきゃな」
俺は小さく呟き、俺は牢屋との繋がりが無くなった扉を見ながら、ライターを握りしめた。




