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次頁【ネクストページ】の代理人  作者: けものさん
プロローグ『物語は生きている』
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第一筆『物語を書きたいと、思ってたんだよ』

 俺の人生最後の日は、希望に満ち溢れていて、それでいて終わっていた。

転がる酒の空き缶の数はゴミ袋二枚でおさまるだろうか。

ひたすら、ひたすらに物語を書くという事に没頭していた。

適当に食べ、必要として飲む。

酒に頼らなければ何も出来ない程の弱い心は、酒を頼っても何も出来ない程に弱い心へと堕ちていた。

それでもカタカタとキーボードの音を響かせる事だけは続けていた。


 俺は物語に救われて生きてきた。

読む事でも、書く事でも救われた。

書く事は決して大成しなかったが、それでも唯一生きていると実感出来る行為だった。

ただ、それだけで生きていくには俺という男は弱すぎた。


 その日、人生最後の日も俺は大酒を飲み、誤字をしないように気をつけながら誤字まみれの文章を打ち込んでいたから、人の声が聞こえた時は気の所為かと思った。

「うーん、これが無ければ良い人だったんですけど……。

 でもこっちじゃ我慢してもらいますからね」

 とうとう幻聴まで聞こえたのかと少し笑えた。

一人でケラケラと笑いながら、いつのまにか地面に寝そべっている事に気付く。

頭がズキズキと痛むのは、酒の飲み過ぎだろうか。

立ち上がろうとして床に手をやると、ヌルっと滑って俺はその場でまた転倒した。


――また転倒?


 目を開けると、真っ赤に染まる床が見えた。

その光景で、一瞬のうちに酔いが冷めていく。

「あ……、あ」

 酔ってバランスを崩し、椅子から転げ落ちた事が頭をよぎる。

だが、この血溜まりは想定外だ。

救急車を呼ばなければいけないかもしれない、なんて事を思って電話を探そうとするが、身体が上手く動かない。


「すきだったんだけどな、せんせの作品。

 だから、とくべつ」


 その声を最後に、俺の意識は朦朧としていく。

最後に思い出したのは、俺の物書きとして何にもなれなかった日々だった。



『書く、書く、書く、書く』

とは言ってもサラサラと、カリカリとペンの音が鳴る訳ではない。

薄暗い部屋……かどうかの判断は人によりけりとは言え、部屋に一人、閉じこもって、カタカタと文字を打ち込んでいる事を今時分は「書く」なんて言う。

それが数少ない友人達に苦笑混じりに「センセイ」と呼ばれる自分の仕事だった。

それでも初めて数年は、少しだけ鼻が高い気がした。


『書く、飲む、書く、書く』

夢という程の事では無かったけれど、元来外に出るのも苦手で楽しいこともそう多くない自分が志すには丁度良い仕事だった。

ただ一つ勘違いしていた事は、書きたい事を書けると思っていたという事だ。

 今思えば無垢な青年だったのだと思う。あの青年は雑誌のちょっとした商品紹介やカタログの文章はロボットが書いているとでも思っていたのだろうか。

勿論それは違う、当たり前だが人が書いているのだ。

だから、生きる為に書きたくない事をチマチマと書きながら、活きる為に書きたい事を書く生活。

 ただし「センセイ」では無い。

何故なら俺は物語で金を手にした事が無かった、本を出した事も一度もない。チャンスすら無かった。

いくら書いても、いくら書ききっても、芽は出なかった。

それを悲劇と呼ぶつもりは無い。そんな世界だという事は青年と呼ばれなくなった今頃ならよく分かる。



『書く、飲む、書く、飲む』

当たり前だが、言われた事をある程度正しく、ある程度求められた水準に達した状態で渡せば報酬が出る。

ただし、代わりがいないかと言われるとそんな事は無い。俺の運が良かっただけだ。

自己嫌悪は募るが、運も実力の内ですよとこの前雑誌の担当者に笑い飛ばされた。

今の自分の生活が運の賜物であると他人のお墨付きをもらったのは笑い話だろうか。

少なくとも、俺にとっては笑い事ではなかった。



『飲む、飲む、飲む、書く』

ファンタジーに生きたかった、というよりファンタジーを書きたかった。

というよりも、ファンタジーと生きたかった。

中学生活は語るまでも無く、高校生活も語るまでも無く、十数年後の君はこうだよと言われると納得するくらいの毎日。

強いて言うなら、酒を飲むような大人にはならないと思っていた。

飲みたくて飲んでるわけじゃないんだと言っても、きっとあの頃の俺は首をかしげただろうと思う。

 

『飲む、飲む、飲む、飲む、書く』

俺が酒で洗い流しながら手に入れる出来高の収入をブロガーが安々と越える事に嫉妬も無い。

というよりも、俺が酒で洗い流しながら続けているこの仕事は、誇るべき物だという事にも気付いている。

ただ、ただ、俺は「センセイ」になりたかったし、夢の世界を書いていたかった。

酒と仕事の片手間に、もう幾つ作品を書いただろうか。

それでも、当たり前だ、書き終えられたからと言って面白いとは限らない。

ただ一つ自分を褒めたいのは、どんな話でも、書き終える事だけは出来た。

尤も、それも酒が無ければどうなっていたか分からないが。

 死ぬまでにあと何度物語を書けるだろう。

震える手でキーボードをうちながら、俺は死を怖がりながら今日を生きる為に過剰な量の酒を飲み干していた。


『飲む飲む書く、飲む書く、飲む、書く』

仕事をクビになった。代わりが見つかったらしい。

運で食いつないで来た「センセイ」の成りそこねの厄介払いという訳だ。

これで思う存分、好きな事が書ける。

ネット小説のアクセスが無かろうと、賞をもらえなかろうと。

幸せだ。


 多分、幸せだ。

幸せなんだ、そう信じ込もうとした。



 書く、書く、飲む、書く。


 飲む、書く、飲む、書く。


 飲む、飲む、書く、飲む。


 飲む、飲む、飲む、書く…………。


 ダン! という大きな音で目が覚める心地がした。

藁をもすがるという事なのだろうか、朦朧とした意識の中でキーボードの線でも引っ張ったのだろう。

文字列が見える。R……E……D……S……A……Caps Lock……、英数。

同時にキーが押された為にパソコンから鳴っている警告音が何重にも重なって聞こえる。


 早く続きを書かなくちゃ、書きたい事はいっぱいあるんだ。

今度こそ、今度こそは、俺も誰かが喜ぶ物語を。

俺だけが楽しいだけじゃない、誰かも楽しんでくれるような物語を


――――書きたいと思っていた。


「書きたいと、思ってたんだよ」

 独り言が溢れたと同時に、体から力が抜けた。

ローラーのついた椅子が後ろに下がると同時に、キーボードの上に置いていた頭が支えを失った。

警告音が止むと同時に、頭の中だけで響き渡るような、形容しがたい何かが壊れる音を聞いた気がする。

それと同時に意識が消えていくのを感じた。

酒を大量に飲んでいたからだろうか。

痛みは、少しも感じなかった。



「だったら、書かせてあげますよ」

 どれくらい時間が経っただろう。

意識を失う前に呟いた俺の独り言に、少し遅れて誰かが返事をした。

酒の飲み過ぎで、幻聴でも聞こえたのだろうか。

そもそも、俺の頭はどうなっただろうか、どうして物事を考えていられるのだろうか。

少なくとももう、幻聴であれ何であれ、きっと俺は言葉を発せないだろうと思った。


「一生終わらない物語達の、続きで良ければ」

 その声は透き通っていて、耳をスッと貫くような、綺麗な声だった。

 目を開けるのが、少し怖かった。

夢を見ているのだとしたら、こんなに皮肉な事は無い。

「ほら、さっさと目を開けてくださいよ。センセ」

 俺を『センセ』と呼ぶその言葉には、苦笑も嘲笑も含まれていないように感じた。

少し弾んだような綺麗な声が耳に届いている。


 目を開けるのが、怖かった。

試しに指を少しだけ動かしてみる。

指はちゃんと動くし、目を瞑っていても入り込んでこようとする光が少し鬱陶しく感じた。

 

 それはきっと、ずっと暗い部屋にいたからなのは分かる。

それがきっと、ずっと暗い気持ちでいたからなのも分かる。


「起きてくださいよお、お酒は抜けてるでしょ?」

 あんなに酒を飲んだはずが、頭もさっぱりとしている。

耳も聞こえる、どうしてか、酒が冷めたならそろそろ、痛みが来るはずだ。

酒を入れたグラスを落とした時の掃除で、それは経験済みだ。

深い切り傷や、強い打撲の痛みは、体内のアルコールが消えると共にやってくる。

それがどうしてか、未だやってこない。


 不思議に思っていると、俺に声をかけた何者かがブツブツと独り言を呟いているのが聞こえた。

「もう、せっかく私が…………してあげたのに……」


 今、思わず笑ってしまうような事を聞いた気がする。

都合の良い夢を見ているのだろうと思った。

 それは、物書きをして長い自分が一度も書かなかったジャンルだ。

書かなかったというか、書けなかったのだ。

けれどそれらの事は良く知っていた、流行りだからといって嫌いだとも思わなかった。

ただ俺には書けないなと、羨望の眼差しで見ていたジャンルだ。

 

――そう、それはまるで。


「ほんと、まるで」

 酒で潰れていたはずの声が、すんなりと出て少し驚いた。

久しぶりに聞いた、自分本来の声に懐かしさすら覚える。

俺が目を開けながら呟いたその言葉に、少しだけ怒っているような女性の声がかぶさる。


「これじゃ異世界転生か何かみたいだ」

「せっかく私が転生させてあげたのに!」

 

 これが夢幻でなければ、俺の人生最後の日は、どうやら転生最初の日になったらしかった。

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