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そもそも――
そもそも、アレクの修行はすでに『厳しい』。
『命懸け』ではなく『命の喪失保証します』というのがデフォルトの修行を繰り出してくるのだから、それはもちろん厳しいだろう。
それを『より厳しく』とはなんなのか?
死ぬほど、では生ぬるい、実際に死ぬ、修行を、厳しく?
月光には想像がつかなかった。
まさか『セーブポイントなしでやりましょう』とか言い出すのだろうか……
「これからの修行は、死んではいけません」
まさかの死亡禁止であった。
「もちろん、俺の修行は死ぬ覚悟を持ち、命を賭してやっていただくことで効果が出るものです。その基本路線は変わりませんし、安全のためにセーブもしていただきますが……『キャップ』にとどくまで修行をしていくとですね、修行者に安心感が出てきてしまう。『どうせ死んでも生き返るんだから、命、まあいいや』と」
命、まあいいや。
なんだろうその人生で一度たりとも使いたくないフレーズは……
「痛みに立ち向かい、苦しみに耐え、それでも生き抜こうとする覚悟こそが大事……かつて母さんに教えられたことですが、なるほど、それはどうやら、すでにやっていたことでもあったようです。だからこそ、これからは死んではいけない。命は大事なものですからね」
なにか言ってる。
まあしかし――実際問題、アレクは『基本のおさらい』と言った。
アレクの修行の『基本』とは――
飛び降り自殺。
豆食い自殺。
この二つを基本とし、あとは修行者の適性によって分化していく感じだろうか。
飛び降り自殺(死んではいけない)とは、いったいどういうことなのか?
アレクは語る。
「飛び降りたあと、崖にとりついて、上まで戻ってきてください」
豆の方は?
「……母さん、どうやら俺はあなたたちに事実を語らねばならないようです」
「なんじゃ」
「人は――豆を食べても、死にません」
「……いやッ! いやいやいや! 死ぬほど食わせるじゃろうが!」
「今のあなたたちの耐久力ならば、十二分に豆袋になることが可能です。というかね、俺はなれましたよ、豆袋」
人は豆袋ではない。
人は――人だ。
豆の収納スペースではないのだ。
しかしそんな常識はアレクには通用しない。
かくして始まるのは『死んではいけない死ぬ修行』。
もちろん――
「死んでしまったら最初からやり直しです」ってさ――
◆
そこからの残虐きわまる修行について、月光は語る言葉を持たない。
ただ、わかったことがある。
人は、つらいことがあればくじけるが……
あまりにもつらいことがありすぎると、折れた心が妙なつながりかたをするのだ。
修行をする意味を何度も考えた。
なぜ、こんなことをしなければならないのか?
それはまあ、もちろん、自分で決めたことだ。
月光が、しなくてもいい修行を、自分から引き受けたのだ。
ロレッタとともに死ぬために。
死んではいけない修行を。
なにかがおかしい。
「わらわは気付いたんじゃ。死にたいと思っておった。いつか死んでもいい日が来ることを待ち望んでおった。しかしそれは『死にさえすればなんでもいい』わけではなく、苦しみもなく安らかに眠ることを望んでおっただけだったんじゃ。ああ、『死』とは『救い』の言い換えじゃった。苦しみもない自由な、自由な……」
ロレッタは途中から言葉に応じてくれなくなったので(たまに「フフッ」と笑うだけで言語を忘れてしまったようだった)、修行中、月光はずっと一人で喋り続けていた。
声を出していないと心がおかしくなる。
そう、人の心は不思議だ――
最初、『なぜ、こんなことをやらされねばならないのか?』という疑問ばかりが頭を占めていた。
しかし、次第に、心が『修行をするのは正しい』と思いこもうとしていく。
この洗脳に、月光はあらがい続けた。
「こうも酷い目に遭うと、逆に充実感があるもんじゃのう。なあロレッタ……ロレッタ? ああ、そうか、貴様は『向こう』に行ってしまったか。しかしわらわは思うんじゃ。貴様の言うことには一面の真理があった……正しい。充足感がある。だって、こうまでおかしなことをやらされとるのに、なんの意味もない『ステータス』とかいうのが上がるだけなんておかしいじゃろ。充足じゃ。わらわはそう、望んでやっておる。心を満たすために、修行を――」
――違う。
「――違う、違う、違う、違う……! ああ、違う! 充足などない! この修行はあくまでも修行でしかなくって、ああ、修行、とは……?」
月光はぶつぶつとつぶやき続ける。
ロレッタは無表情のままで、たまに思い出したように「フフッ」と笑う。
なにか、月光には見えないものが見えているのだろう。
月光はロレッタの様子を見て、己の口から絶え間なくつむがれ続ける言葉を聞きながら、思う。
「誰か、教えてくれ。――わらわは今、なにをしている?」
――わたしはいま、なにをしていますか?
――あなたはいま、なにをしていますか?
――これは、げんじつですか?
――きっと、たぶん、ゆめなのでしょう。
――げんじつですか?
――どうやって、ほしょうできますか?
あなたがいる場所が夢じゃない証拠は、どこに?
◆
それは長い夢から目覚めたような心地だった。
月光は食堂にいる。
銀の狐亭と呼ばれる宿屋には極上のサービスと料理があって、その中でも月光は『ケーキ』を食べられるティータイムを好んでいた。
甘く柔らかな生地を何層も重ねてあいだにクリームと生のフルーツを挟んだケーキは、王都においてさえあまり見られない逸品だ。
ケーキと呼ばれるものはドライフルーツを混ぜ込んだ生地を焼いた硬いパンのことを指すのだから、銀の狐亭のケーキは『ケーキ』ではなく『柔らかケーキ』と呼ばれるべきだろう。
カウンターテーブルで友とティータイムに興じている。
月光は生きる喜びを噛みしめていた。
生きる喜びはたっぷり甘いクリームと、フルーツのみずみずしい甘酸っぱさがあった。
「……そういえば、我らはいつ『友』となったのかのう、ロレッタよ」
カウンターテーブルで横に座る赤毛の少女に問いかける。
彼女は澄んだ赤い瞳を月光に向け、穏やかに小首をかしげた。
「さて、私も記憶にないな。しかし……友とはそういうものだろう。きっかけなど、覚えていないものだ。私はそう思う」
それもそうだ、と月光は思った。
だから、ケーキ食べを再開する。
二人して意味もなくほほえみ合っていると、厨房の方向からアレクが現れた。
どうやらお茶のお代わりを持ってきたらしく、二人の空になったティーカップに新しい、よい香りのお茶が注がれる。
「お二人ともお見事でした」
アレクが言う。
口の端をクリームで汚したロレッタと月光は、同時に、同じ方向に、同じ角度だけ、首をかしげた。
「俺の予定より半日早く『キャップ』を外されたようで。ロレッタさんはともかく、母さんまでそれだけ早くカリキュラムをこなせるとは、思ってもいませんでしたよ」
きゃっぷ?
わからない。そんな単語は聞いたこともない。
月光とロレッタは互いに顔を見合わせ、鏡合わせのように首をかしげ合う。
その動作があんまりにも息が合っていて、二人は同時に頬をほころばせた。
ああ、クリームが、甘くて、おいしい。
「お二人とも、そのリアクションはいったい……あの、今朝方まで修行をおこない、『キャップ』を外しましたよね?」
しゅぎょう?
そんな言葉は人生で一度も聞いたことがない。
月光はなんだか笑った。
しゅぎょう、しゅぎょう。
言葉の意味はわからないが、ひどくニヤついてしまう。
それはきっと楽しい言葉なのだろうと月光は思った。
だって、目の前のロレッタも、笑っている。
ヒクヒクと頬を動かして、こらえきるのが大変そうに、笑顔を浮かべているのだ。
笑顔を、浮かべている、のだけれど――
「ロレッタ、泣いておるのか?」
「月光さんこそ、涙が流れているが」
なぜだか、二人とも、泣いていたようだ。
よくわからない。
きゃっぷ。
しゅぎょう。
わからない。わからない、わからない、わからない。
なにがなんだか、わからない。
でもそれは、なぜだか笑って、なぜだか泣ける、そういうものみたいだった。
心と頭がふわふわしている。
スポンジケーキになったみたい。
フォークを置いてあたたかいお茶のそそがれたカップを持つ。
両手の平で抱きしめるようにすると、温かさが心地よくて、また涙があふれてきた。
カタカタと震えているのは、世界だろうか、自分だろうか。
しゅぎょう。
月光はなにかを思い出しそうになった。
でも、思い出そうとするとすごくイヤな気持ちになるから、きっと、忘れていた方がいいことなんだろうとも、思った。
なにかを失っているのだろう。
でも、得がたいものを得た。
ともだち。
ふたりは、なかよし。
それはとってもすてきなことで――
なかよしな子といっしょなら、どんな困難でも乗り越えられるような、気がした。