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「逃げろ。殺されるぞ」
「……まあ、修行なのだから、それは殺されるのではないだろうか?」
昼間のダンジョン前――
若い女の子冒険者たちに取り囲まれていたロレッタは、そんなふうに首をかしげた。
ここは『三大初心者御用達ダンジョン』の一角を成す、その名も『砂袋の地下空洞』だった。
砂地の上にぽっかりと口を開いた空洞から中へ入ると、内部は流砂地帯となっている。
出てくるモンスターは強くないものの、地形への対応力が問われる構造だ。
そのため、『ダンジョン内部で戦うべきはモンスターだけではない』ということを初心者に教えるためによく使われる場所であった。
が、初心者なので流砂に足をとられ、転び――
結果として、衣服や装備に砂が詰まり、体が砂袋のようになる、ということから、『砂袋』の名を冠している。
ロレッタをとりまく少女たちが邪魔だったので、月光は、彼女の手をとって場所を変える。
ダンジョン周囲に広がる初心者冒険者をターゲットとした市の裏手、あまり人のいない場所に来て、そのあたりの岩にロレッタを座らせた。
彼女はきょとんとした顔で、赤い瞳を月光に向けている。
オーダーメイドの鎧と剣を帯びたその姿は凜々しく、たしかに女性人気が高いのはうなずけるところだった。
逆に、その顔からどうしたってにじみ出る生真面目さと、並の男性なんぞものともしない腕っ節のせいで、男は寄りつかないだろう。
さんざん男を食い物にしてきた月光だからわかるのだ――男性は『弱さ』のない女を好かないものだ、と。
ロレッタには、弱さがない。
あらゆる意味で、強すぎる。
強すぎて、『退く』ということを知らずとも、どうにかできてしまえてきた人生があるのだ。
だが……今は、退くべきだ。
月光はどうにか、彼女に修行をやめさせようと、説得の言葉を探す。
「ロレッタ……わらわは、貴様を嫌ってはおらん」
「はあ……それはなんというか、ありがたいことです。しかしその、最近は深刻な意味で『好き』と同性から言われることも多く、そういう申し出でしたら、ちょっと……」
「そういう話ではない。わらわは善意と好意から、貴様に忠告するのじゃが……次にアレクから持ちかけられる修行は、断った方がいい」
「アレクさんの修行で『断った方がいい』と言えないものの方が、まれではないかと思うのですが……」
「そうじゃが! ……今回の修業はやってはいけない。長年生きたわらわの直感が激しく警鐘を鳴らしておるのじゃ……この尻尾がざわめく時、待ち受ける運命はだいたい『死』じゃった……」
「アレクさんの修行でしょう? それは、死ぬでしょう」
「よく考えろ。『修行』は、普通、死なないものじゃ」
「なにを今さら……たしかに、通常はそうでしょう。けれど心配はない。なぜならば、アレクさんの修行に限り、死んでも生き返るのだから、死なないのですよ」
「くっ……」
侵食度が高すぎる。
ロレッタは(ヨミから話を聞く限りでは)最初、まともな感性の持ち主であったはずだ。
崖から飛び降りろと言われれば『たすけて』と言い――
豆を食えと言われれば、亡き母親が心によぎる。
そういう、まともな感性を持っていた、はずだった。
だが、彼女は変わってしまった……
もともと他者からの影響を受けやすい性分はあったのだろうが……
『死んでも生き返るのだから、死なないのですよ』とかきょとんとした顔で言うところとか、アレクにそっくりすぎて戦慄する。
「ロレッタ、思い出すのじゃ……死ぬのは、おかしい。命を賭した修行をする者はそこそこの数いようが、命を失うこと前提に修行をする者など、いてはならんのじゃ……」
「月光さん……あなたはアレクさんのご母堂だ。息子さんの残虐行為に心を痛めるお気持ちは、察するにあまりある」
「じゃろう?」
「しかし、私はそれを望んでやっているのです。たしかに、最初は彼の品性を疑い、『この人は頭がおかしいんじゃないか』と思ったことも、一度や二度ではない……けれど、彼の成すことには、きちんとした、彼なりの論理があり、実績があったのですよ」
「それが狂人の論理だと言っておるんじゃ!」
「月光さん、息子さんを信じてあげてください。彼の行為は……無垢な新人冒険者においそれとすすめるにはためらいますが、たしかに、私を救ってくださったのです」
ロレッタを説得に来たのに、ロレッタが説得してくる。
なぜこうなった。
月光は新興宗教の興りを見ている気持ちになってきた。
月光自身、ご神体やらなんやらと祭り上げられた経験も皆無ではないが、『世間一般から乖離した謎の理屈』を心から信じ語る者の目は、今のロレッタのように澄み切っているものであったのだ。
いや、それはもはや『新興』宗教とは呼べないのかもしれない。
なぜならば、アレクが修行をつけた者たちは、経済、権力の中枢あたりに多く食い込んでいる……
この国は、この世界は、もしや、とっくに取り返しのつかないところに踏みこんでいるのではないか?
その恐ろしい想像に、月光は身震いした。
「わらわがどうにかせねば……世界がダメになる……」
「あなたはいったい、なにを背負い、なにと戦っているのだ……」
「わらわはとんでもないものを産み落としてしまった……しかも、その恐ろしさを正しく認識できる者は、じょじょに減っていっておる……あ、なんじゃこれ……涙が……あまりに絶望的な戦いのせいで、涙が出てきた……」
「大丈夫ですか? ハンカチを……」
「いらん。……とにかく、正気に戻ってくれ。貴様は……貴様は、もっと幸福な人生を歩めるはずなんじゃ。のう、風呂沸かしなど、使用人にやらせればいいじゃろう? 『風呂』と『命』は交換してはならん……同じ重さではない……わかれ……」
「たしかに、風呂と命は同じ重さではありませんね。セーブしている時に限り、命はなによりも軽いリソースとなるのです」
「アレク!? ……ああ、いや、ロレッタか。……今な、貴様がアレクと重なって見えた」
「さすがにそれは……お疲れなのでは?」
「そうかもしれん……」
もう、どうでもいいような気持ちになってきている。
そもそも、どうしてロレッタのためにここまで心を砕かねばならないのだろうか?
ロレッタと深い付き合いは――まあ、『ない』とは言わない。
幾度か彼女の死を看取ったこともある。
けれど、死を看取った相手など、ロレッタだけではない。
……かつて、夫や息子の死を看取ったことだって、あるのだ。
もうちょっとこう、取り返しのつかない方の『死』を……
そうだ、取り返しがつくのだ。
ロレッタは死んだ。何度だって死んだ。これからも死ぬだろう。
けれど、取り返しがつく。
だって、セーブするから。
そうだ、生きている。セーブをすれば、死んでも生きているのだ。
それに本人も納得して死んでいる。
なら――いいんじゃないか?
好きにやらせても、いいんじゃ、ないか?
「……違う!」
月光は全身に力をみなぎらせて叫んだ。
死んでも生き返るから、いいのかもしれない。
好きでやってるんだから、放っておけば、いいのかもしれない。
でも、そうじゃない。
問題はそこじゃない――不可逆ではない死だから、好きでやってるんだから、そういうことが問題ではないのだ。
そういうことを繰り返すうちに、誰も、アレクの行為を異常だと思わなくなることが、問題なのだ。
常識の歪み――
月光は己の背負っているものを知る。
「くっ……ふふっ……ふはははは……! おかしなもんじゃのう。このわらわが、まさか世界の摂理のために戦う日が来ようとは……! この、摂理から外れて生まれ、摂理の外で生き続けてきた、わらわがのう……!」
「月光さん、お疲れのようですが……」
「なに、疲れたとも言っておれんわ。……わらわは、貴様にアレクのおかしさを思い出してもらわねばならん。これは、わらわの役割じゃ。数々の頭おかしい連中とかかわり続けてきた、わらわの……」
「アレクさんがおかしいというのは、まあ、一義においてはおっしゃる通りだと思います。たしかにおかしい。けれどそれは、彼の修行の恩恵にあずかったことのない者の言い分だ。あなただって、アレクさんの力添えにより目的を達成したのでしょう?」
「そうじゃ。その通りじゃ。それでもなお、やつの修行はおかしい……」
「まあ、個々人の主義主張についてとやかくは申し上げませぬが……世の中には様々な考え方があるものです。あなたは『おかしい、やめろ』と言う。私は、おかしさは認めるが、一方で正しさも認めており、彼の修行が私に有益だと感じているので、修行は行います」
「主張と主張が対立した時――かの国家創造主アレクサンダー大王が、どのような手法をもって意見を押し通したか、貴様は知っておるか?」
「いいえ。寡聞にして存じ上げませんが……」
「『殴り合い』じゃ!」
月光の十本ある尻尾が、ぶわりとふくらむ。
彼女の周囲には拳大の火球が浮かびあがり、それらは放たれる時を今か今かと待っているようだった。
ロレッタはさすがに慌てた様子を見せる。
「げ、月光さん、市で攻撃魔法を発動するというのは、やめた方が……」
「うるさーい! 貴様を倒して修行をやめさせる! これは、今まで力で勝利を勝ち取ろうともせんかったわらわの、人生初の力押しじゃ! 覚悟せい!」
「くっ、本気か……!? 襲われる理由がまるでわからない……!」
「覚悟ー!」
月光の火球がロレッタに向けて放たれる!
こうして、月光の、ロレッタを救うための戦いが始まった……