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セーブ&ロードのできる宿屋さん本編読了後の方向け
少なくとも十一章まで読んでいないとわからないことが多数だと思われます
「ヒマそうですね母さん。ちょうどいいので、手伝いをお願いできるかな?」
『銀の狐亭』――
王都の中、人通りの消え失せた暗い通りには、そういう屋号の宿屋が存在する。
都市伝説でその存在がささやかれる宿屋は、たしかに外観はホラーじみているし、あたりの空気は微妙によどんでいて、いかにも『なにか』出そうな感じなのだが――
内部は清潔で居心地がよく、さらに出てくる料理はうまいし、寝床は快適なもので、居着いてみれば心地がいい。
しかし、月光は知っている。
この宿屋の居心地の良さは、甘美にして悪辣なる罠なのだ。
最上の癒やしを提供し、客を宿から離れられなくしておいて――
語るもおぞましき悪逆なる修行をおこなう。
そういう、宿屋であった。
月光は宿泊客ではない。
どちらかと言えば、従業員的な存在だ。
宿屋店主の、母親。
ただし、彼女を一目で『一児の母』と看破できる者はいないだろう。
その容姿はあまりにも幼い。
前で合わせて帯で留める服装に包まれた体は、あまりにも細く、小さかった。
顔立ちは幼い。大きな銀色の瞳は大きく、いとけなかった。
獣人という種族なので、耳は頭上にある。
三角形の、ピンと立った大きな耳は、狐を連想させるだろう。
そしてなにより特徴的なのは、腰あたりから生えている尻尾だ。
獣人ならば、尻の上あたりに尻尾があるのは当たり前だが……
太くモフモフとしたその尻尾の数は、十本。
あきらかに過剰であり、異常な本数だ。
しかも、その尻尾はすべてが本物で、月光の困惑に応じて、細かくゆったりと左右に揺れていた。
銀の狐亭食堂――
今、カウンターテーブルを挟んで目の前にいるのが、彼女の息子であった。
アレクサンダー。
よく『アレク』と呼ばれる彼は、年齢のよくわからない容姿をしていた。
二十歳前後にも見えるし、三十代と言われても納得できよう。
四十代と言われれば『若いな』と思いつつも、それでも、『言われてみれば』と思うだろう。
細い目はいつでも笑んでいるようで、まとっているシャツとエプロンという服装は、清潔で、特に変わった着こなしはしていない。
街ですれ違っても忘れてしまいそうな、何歳と言われても納得してしまいそうになる、特徴のない容姿の男――
それでも、彼が、月光の息子だと言われれば『さすがにそれはない』と思うほどには、大きい。
けれど、
「母さん」
アレクはそう言い、
月光は、
「なんじゃ」
ほおづえをつきながら、そう応じた。
アレクは言う。
「手伝いというのは、修行の監督なのです」
「……ああ、また無知で哀れなる犠牲者が来おったか……」
アレクはよく効果的な修行をおこなう。
これが筆舌に尽くしがたいもので、『崖から飛び降り自殺』『服豆自殺』など、様々な者に自殺を強要してきた。
王都には秩序があり、法があり、法を守る番人たる『憲兵』という秩序維持組織が存在するのだが……
アレクはこれら存在にスルーされていた。
彼が女王と懇意にしていることも、スルーされている大きな要因ではあるだろうが……
それ以上に、死人が出ないことが、彼が未だに逮捕されていない大きな理由だろう。
自殺した者が、死なない。
『セーブポイントの設置』。
彼の持つその異能が、『死んでもよみがえる』というありえべからざる現象を起こしているのだ。
だから修行者は死んでも死んでも死なず、最終的には殺してくれと自ら頼むようになる……
しかも、一見してとてつもないサディストが趣味でやってる謎拷問にしか見えない修行は、実際に効果が出てしまっている。
彼の修行により力をつけて、それぞれの問題を解決した修行者は、一人や二人ではきかない。
結果として犠牲者は増え続け、月光は母としてそろそろなにか言わねばならないと思い始めているところだった。
「……あーその、アレクよ。わらわから一つ、よいか?」
「なんでしょう?」
「そろそろ貴様も、修行の監督としてはベテランじゃろう。貴様が奪った命は、もはや数えきれぬほどじゃ。王国を興した大王とて、貴様ほどは他者の命を奪っておらん」
「……はあ? 奪う? 命を? ……誰が?」
「貴様じゃと言ったと思うがなあ!」
「たしかに言われたけど……まあ、その、たしかに、俺は師匠を殺してしまったことがある。三人いた師匠のうち、二人の命は、直接的、間接的に奪った。けれど、それ以外には、誰も殺してないよ」
「修行で飛び降りやらなんやら強要して殺しておるではないか!」
「しかし、みなさん、生きています。一時的に死ぬけれど、その後も人生は続くんだから」
「~! そうなんじゃが……!」
たしかに生きてるけれども!
そういうことじゃない。『生きてればいい』という話ではなく、殺していることもまた事実なのだが……
うまく言えない。
彼が『死』と思うことと、世間が『死』と思うことは、まったく違うのだ。
そこに差異があるのはわかるのだけれど、月光がその差異を一言で言い表せないため、アレクは首をかしげるばかりなのである。
「……アレクよ、わらわは貴様を更正させたい」
「更正……いいよね、そういうの。不良になった子を、親が更正させようとする……健全な親子関係っていう感じだ。けれど俺ももう二人の子持ちなわけだし、母さんの更正ごっこのために不良になるには、ちょっと年齢を重ねすぎたっていうか……」
「今現在! すでに! 貴様は! 倫理にもとる存在なんじゃ!」
「母さん」
「なんじゃ」
「倫理とは?」
「……は?」
「もちろん、言葉の意味は知っているよ。『人として守るべきルール』――それが倫理だ。では、この場合に言われる『倫理』とは、どのような意味か? ひいては、『人として守るべきルール』とはなにか? そういう話になってくるね」
「いや、なってこない。なぜならば、貴様が倫理を外れた者だというのは自明の理だからじゃ」
「そう述べる根拠は?」
「普通の人は、人の命を奪わない。そういう平和な時代なんじゃ、今は」
「俺も、人の命を奪ってはいないよ。まあ、前述の通り、二人の例外は除いてね」
「そうではなく……!」
月光は気付いた。
――会話がループに入りかけている。
やはり必要なのは、『アレクの心を揺さぶるワンフレーズ』だ。
なにかこう、強固で誤った彼の価値観を打ち砕ける必殺のフレーズが出てこない限り、のらりくらりと哲学的問答に持ち込まれてしまう。
持ち込まれるというか……
アレクは心の底から『自分は間違っていない』と思っているフシがあるので、持ち込んでるとか誤魔化してるつもりはないのだろう。
ただ、『なんでこの人、いきなり倫理とか口にしてるんだろう?』という純粋な疑問が、彼の表情からは伝わってくる。
これは、勝てない……
月光はふっと口の端を上げた。
「わかった、わかった。今回はわらわの負けじゃ。降参しよう……しかし、わらわはあきらめぬぞ。貴様を真人間に戻す……長年、母親らしいことはしてこなかったわらわじゃが、きっと、貴様をまともにしてやるからな……」
「なんだかよくわからないけれど、目標を持って邁進するのはいいことだと思うよ。がんばって」
「うむ」
「それで、手伝いの話なんだけれど」
「……新たなる犠牲者がまた来たんじゃな」
「犠牲者って……まあ、『新たなる』ではないよ。ロレッタさんの修行をね、そろそろ完了しようと思って」
「まだやっておったのか……」
ロレッタ・オルブライト。
赤毛が特徴的な、貴族の少女だ。
宿屋に居着いているメンバーの一人であり、口癖は『私もそろそろ実家に帰らねばならないな』だ。
簡単に騙されそうな純朴さと生真面目さを併せ持った少女である。
月光も最初は『貴族だし、なにかのおりに役立てるために、コネクションを作っておくか』という思いで接していたのだが……
あんまりにも生真面目なもので、だんだん放っておけなくなってきたところだった。
最近では娘のように――と言うと、ロレッタの年齢的に(おどろいたことにまだ十代の小娘である。二十代かと思った)失礼かもしれないので、孫のように、だろうか――思えてきた。
「あやつもな……なぜ、わざわざこんな宿屋に……一時は実家に帰ったじゃろう……なぜ戻った……なぜ、こんな……」
悔しくてたまらない。
アレクの修行は、修行をつけた者の心に消えない傷を刻む。
その『傷』を受けた結果どういう反応をするのかは、修行者の個性にもよるが……
ロレッタは『順応』するタイプであった。
つまり、アレク色に染まっていくのだ。
最初はアレクの突飛な言動に戸惑い、おどろき、つっこみなんぞ入れていたロレッタであったのだが……
最近は感覚がアレクに寄っており、大しておかしいと思っているふうでもなく、おかしなことを言うようになってしまった。
「ロレッタ……あやつには、もっと幸福な人生があったじゃろう……ちょっと老けとるが美人じゃからな……しかも貴族……なぜ、運命はこうも、善き者に厳しいんじゃろうな……」
「母さん、ロレッタさんにご執心だね?」
「あの不器用さはなあ……方向性は違えど、友を思い出す。『狐』と呼ばれたあの女と同じ一途さを感じるんじゃ」
「……似てるかなあ?」
「似てるとかではない。なんと言おうか……たぶん、似たような死に方する感じじゃ。大事なものに執心し、それに殉じる気がすると言おうか……わらわぐらい色んな人物を見ているとな、『あ、こいつこんな死に方しそう』というのがわかるんじゃ」
「なるほど。俺は?」
「貴様は死ななそう……」
「ははは。やだなあ、俺は無限の寿命があるわけじゃないからね。いずれ死ぬよ。必ず」
「いや、貴様はなんかこう、『あれっ?』って感じで長生きしそうなんじゃ……まあ、まあ、よい。それよりロレッタにかける拷問について聞こう」
「修行ね」
「それでよい」
「ロレッタさんは、お風呂を作る修行中なんだけれど……」
なにを言っているんだ、と思いかけたが、月光は思い出す。
お風呂を作る。
これはとてつもない魔術師的技量が求められる行為なのだった。
アレクの言う『風呂作り』というのは、『風呂桶を作る』『中に水を生成する』『湧かす』『維持する』という四つの魔法を、壁で仕切られた場所から、他の作業をしつつ行うというものである。
人類は基本的に魔法の同時使用ができない。
しかし求められるのは四つの魔法の同時使用であり、しかもこれをノールック、片手間で行うことになるのだ。
それ、覚える必要ある?
貴族なんだし、財産も土地もあるんだから、普通にお風呂を作って、使用人とかに沸かさせたらよろしいのでは?
月光はそう思えてならないし、実際にそう忠告もしたのだが……
ロレッタはこう答えたのだ。
『一度始めたことを投げ出すことはできない。私にも誇りがあるのだ』
不器用にもほどがある。
その不器用さのせいで風呂作りの修行が難航していて、何度も合格判定を逃しているぐらいなのだが、それでもやっぱり不器用と言ってやりたい。
「のう、アレク、貴様の口から、ロレッタに言ってやれ。もう嘘でもいいから、『あなたは充分にできる』と……あやつ、そうでもせねば、自分から引き下がることはないぞ……」
「大丈夫だよ。ロレッタさんは並列思考が苦手で、魔法同時発動が安定しなかったけれど……さすがにそろそろ、できるようになる」
「しかしな、『並列思考が苦手だからどうにかする』は貴様の修行らしくないではないか。貴様の修行は主に『スキルの習得』と『ステータスの向上』を行うもんじゃろ?」
スキル、ステータス。
そういうものが、あるらしい。
アレクは特殊な知覚で、人の能力を見抜いているのだ。
「――じゃからのう、そんな、『並列思考ができるようにする』という、知育のようなことは、そもそも貴様には不向きではないかと思うんじゃが」
「そうだね。だから、俺もそういう教育的なことはしてないし、しようと思ってないよ」
「では、どのようにして、あの『不器用と生真面目に手足を生やしたらこんな姿になりました』とでも言うべきロレッタに、魔法の同時発動なんぞ覚えさせるんじゃ?」
「同時発動させないことにしたんだ」
「は?」
「『同時に四つ』は、難しいことがわかった。だから、一つずつやってもらおうと思って」
「どういう意味じゃ?」
「ほとんど『同時』と変わらないぐらいの、連続発動をしてもらおうかなって。つまり――時間の流れを遅くしてもらおうと思っているよ」
アレクになってきた。
「……時間の流れを遅く? なんじゃ、ついに貴様の技術は時間さえ操るようになったか」
「さすがにそれはね。まあ、できたら格好いいんだろうけど。そうじゃなくて、時間っていうのは、主観的なものだろう?」
「……んんん? 主観的? 時間が?」
「同じ『一秒』でも、場合によって感じ方が違うんだ。たとえば『待ち合わせ時間に一秒遅刻した!』って言ったら、『なに言ってるんだこいつは』って思うじゃないか」
「そうじゃな」
「でも、戦闘中、目の前にモンスターがいる時に、一秒間ボーッとしてたら、『なにをしてるんだ!』って怒鳴られても仕方がないよね」
「そうじゃな」
「音ゲーと戦略ゲーでは、『一秒』の価値が違う」
「なぜ貴様は、わらわにわからぬ言い回しでまとめたがるんじゃ」
「だから、ロレッタさんの素早さを上げる。すると、相対的に世界が遅くなるんだよ」
「しかし、あやつは現状で、すでに大したもんじゃろ。ほぼ人外の化生級の実力者じゃろ。十代の若い女なら肌で水を弾くことはあろうが、肌で剣を弾く乙女なんぞ、あいつと他数名ぐらいじゃろ」
「だから、『キャップ』を外そうと思って」
「キャップ?」
「ある程度までステータスが上がると、『壁』を感じることがある。俺はこれを『キャップ』と呼んでいるのだけれど、それを外して、ロレッタさんの素早さを、もう一段階上に引き上げたいと考えているんだよ」
「具体的にはどのような方法で外すんじゃ?」
「『キャップ』の正体は、『急に次のステータスに成長するまでの必要経験値が増えること』なんだ」
「ふむ」
「たとえば、レベル九九から一〇〇までに必要な経験値が十だとしたら、『キャップ』のはまっているレベル一〇〇から一〇一に行くまでには、急に、経験値が千とか必要になる」
「いきなり百倍なのか……」
「まあ、これは『たとえ』であって、キャップのある場所は人により異なるし、必要経験値を今は『十から千になる』と表現したけれど、そのたとえでいくと、十から百で済む人もいる。ただ、何人かのキャップを外した経験から言えば、対処法は同じだよ」
「なんじゃ?」
「基本をおさらいする」
「……」
「より厳しめに」
「…………」
基本。
飛び降り自殺や服豆自殺などが思い起こされる。
それを、より厳しめに?
月光は自分の体が小刻みに震えているのを自覚した。
彼女もまた、アレクの修行を受けたことがあるのだ……その時に刻みつけられた心の傷は、月光に『動悸』『息切れ』『細かな震え』などの状態異常を起こさせる。
しかし、月光はなんでもないふうを装って、
「そうか。ああ、そうじゃった。修行の手伝いはいいがのう、わらわも、今、ちょっと用事を思い出したんじゃ」
「忙しいならまあ、無理に手伝ってくれなくても……」
「いいや! いいや、手伝う! 手伝うから、わらわのおらぬあいだに、勝手に修行を始めるでないぞ!」
「まあ、ロレッタさんがダンジョンから帰ってくるまでは、なにもできないけど……」
「というかあやつ、なぜ冒険者なんぞ続けとるんじゃ……税を納められる立場じゃろ……金ならいくらでも他の方法で稼げるじゃろうに……」
「ギルドで知り合った子に頼まれて、後進の育成みたいなことをしているようだよ。お陰で今は『冒険貴族』と呼ばれて、若い女の子に人気だとか」
「女性人気なのがあやつらしいのう……ま、まあ、とにかくじゃ。待てよ! わらわがいないあいだに、勝手に修行なんぞ始めるでないぞ! よいな!」
「わかったよ」
「ロレッタがもし、わらわとすれ違いに宿に帰ったら、前に渡された『通信の魔石』に連絡を入れるんじゃぞ!」
「わかったよ」
アレクは素直な狂人なので、ここまで言っておけば勝手なことはすまい。
だが、『善意』というカオス要素を持ってもいるので、予断を許さない状況ではある。
猶予がない。
月光は急いで椅子から立ち上がると、宿屋の外へと走り出した。
目指すのは、ロレッタのいる場所だ。
――忠告せねば。
修行をもちかけられるが、やめろ、と。
死ぬぞ、と。
すれ違ってもいいようにアレクには釘を刺したが、なるべく無事に遭遇したいものだった。