表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
9/9

金・銀・銅(とパンドラの甕)・人・鉄 4

 あるとき、エピメテウスは甕の中がどうなっているのか気になって、パンドラに訊ねました。

「あの甕には善いものがたくさん入っているんだね。中はどうなってるのかな」

「気になるからって、ふたを大きく開けたりしないで。甕いっぱいに詰め込んであるし、善いものはどれも役に立つのが大好きで、早く外に出たいと思っているの。だから、ふたを大きく開けると、軛から解かれた若馬みたいに、善いものたちは外へ飛び出ていってしまうの。わたし、善いものを取り出すときは、いつも甕のふたを少しずらすだけにしてるでしょ」

 そう言われて、エピメテウスは甕の中がますます気になりました。

 だからと言って、ふたを取ったりしたら、パンドラの言うとおり、善いものは出ていってしまうんだろう、と思いました。でも見てみたい。

 そんなことを何度も考えるうちにエピメテウスは、手許に置いてあるのに見ることができないのは不幸だ、と思うようになりました。遠くにある不利益より、近くにある利益のほうが大きく見えるのと同じでした。太陽より自分の手のひらのほうが大きく見えるのと同じでした。

 エピメテウスは、いつも、そのとき思いついたことを、あとさき考えずやってしまっていました。湧き上がってきた欲望をすぐに充たさないと気が済まないんです。次にどうなってその次にどうなって、という将棋の先の手を読むようなことがどうしてもできない性分でした。いや、訓練すればできるようになったのかもしれません。しかし、そのような先を読むやり方を身につけようともしませんでした。身につけるための訓練が面倒臭いということもありましたし、そんな訓練をするのは今の自分を否定するように思えて嫌だったからということもありました。今の自分のやり方は間違っているんじゃない、自分で選んでこういう行動をとっているんだ、気に入っていて、だから変えるつもりなんてないんだ、と思うことにしていました。


 エピメテウスはあるとき、とうとう、ふたを取って甕の中を見てしまいました。

 しかし、中の状態を確認できたかどうか……。

 ふたを取ったとたんに、

 ――どんっ。

 と、空気を震わせて、何かが勢いよく飛び出していったからです。エピメテウスは思わず目をつむりました。つぎに目を開けたときには、甕は空っぽになっていました。間違いなく空っぽに。

 空っぽになった甕の底を気が済むまで眺めたあと、エピメテウスは散らかしたおもちゃを片付けるように義務的に甕のふたを閉めました。

 ゼウス様の思惑通りになったんです。


 ゼウス様はこれでエピメテウスが絶望するだろう、と思いました。いままで手許にいくらでもあった善いものがすべて失われたから。

 ところが、エピメテウスは普段通りでした。ゼウス様はパンドラに指示して、エピメテウスのようすを始終、観察させていましたが、彼は落ち込む気配も見せませんでした。それどころか、パンドラが見るかぎり、以前よりも幸せそうでした。

 何より不思議だったのは、空になった甕ですね。あの〈善いもの〉が入っていた甕を、エピメテウスは大事に保管していたんです。きちんとふたをしたままで。それで、ときどき甕を取り出しては、ふたを少しだけ開けて、中をのぞいていました。古代ですから、もちろん現代よりものを大切にしていました。すぐにゴミにはしません。空になった甕は入れ物としてつかえます。たとえ木切れだって炊きつけにつかいました。でも、エピメテウスは空になった甕を、そのように使いまわししていたのではなく、ただふたをしたまま保管していたんです。

 ときどき一人で甕をのぞきこんでは、にやにや笑い、張りのある弾んだ声で明るくひとりごとを言う。パンドラも夫のようすを見ていて気味が悪かったみたいです。

 ――まだ善いものが残っているんだろうか。

 ゼウス様はパンドラに甕の中を確認させました。パンドラも夫の行動と態度を不思議に思っていたので、ゼウス様の指示通り、甕の中をたしかめました。

 たしかに甕の中は空っぽでした。間違いなく、何も残っていませんでした。

 間違いなく。

 しかし、その後もエピメテウスの行動は変わりませんでした。

 パンドラはふたたび甕の中を確認しました。

 間違いなく空っぽでした。何度確認しても、空っぽでした。

 しかし、その後もエピメテウスの行動は変わりませんでした。

 我慢できなくなったパンドラは、エピメテウスに翼ある言葉をかけて訊ねました。

「あなたは空っぽになった甕をいまだに大事に保管してる。そして、ときどきあの甕を開けて楽しそうにしている。あれは何をしているの? 甕はもう空っぽなのに」

 エピメテウスが答えて言うには、

「たしかに善いものは全部出ていってしまったけれど、甕の中にはまだ、善いものの匂いが残っている。その残り香を嗅いで楽しんでいるんだ。甕をとっておけば、善いものの残り香だけはいつでも嗅げる」

「匂いを嗅ぐだけで、あなたは幸せなの?」

「幸せだ。善いものの残り香を嗅いで、それ以上は何も望まないようにすれば」

 パンドラが重ねて訊ねました。

「でももし、甕が壊れてしまったら?」

「甕の破片を眺めて楽しむ」

 さらに訊ねて、

「わたしが破片を捨ててしまったら?」

「甕のことを思い出して楽しむよ」

 この答えを聞いたゼウス様は、エピメテウスは善いものの残り香や想像だけで満足できる空っぽな存在で、空っぽだからどんな状況に陥っても希望だけは失わない、これでは絶望をあたえられそうにない、いや、自分が絶望をあたえるまでもなくエピメテウスはすでに絶望に充たされていて自分でそのことに気づいていない救いがたいやつのだと判断し、いえ、そう思うことにし、彼にこれ以上の絶望をあたえようとするのをやめました。


 この事件で、ゼウス様はプロメテウス様をカウカソスの巨石に縛りつけました。

 しかしプロメテウス様は、自分の肉体を縛られることで、ゼウス様の精神を縛りました。

 というのは、これ以後ゼウス様は、プロメテウス様のことを持ち出されたび、後ろめたさから、いろいろなことに譲歩せざるをえなくなったからです。さらに思慮の女神を呑み込んだことで、ゼウス様の後ろめたさはいや増しに増されたんです。


 一方、エピメテウスとパンドラの間には女の子が生まれました。ピュラーと名づけられて、プロメテウス様の子デウカリオンと結婚しました。


 その後、ゼウス様は結局、青銅の種族を滅ぼすことにしました。思慮がついて冷静になったゼウス様は、争いばかりの青銅の種族を見ていられなくなったみたいです。

 今回は大洪水を起こして滅ぼしました。ただ二人、黄金の種族に近くてお気に入りだったピュラーとデウカリオンだけを残して。


 あらかじめ神託を得ていたピュラーとデウカリオンは、箱船をつくり、必要品を積み込んでおき、洪水が来たとき箱船に避難しました。箱船は水に沈んだ世界を九日九夜ただよい、十日目に水の上に突き出たパルナッソス山の頂へ漂着しました。どこかで聞いたような話ですが、この話、ワタシも、ヘブライ人がギリシア人をパクったのか、ギリシア人がヘブライ人をパクったのか、ちょっとわかりません。

 ことが済むと水はすみやかに引きました。自分たち二人だけになった世界でこれからどうするか、ピュラーとデウカリオンは途方に暮れました。とりあえず水が引いたあとのまわりのようすをたしかめるため、山を下りますと、南側のふもとに神託所を見つけました。これはお導きに違いないと思い、二人は犠牲獣をささげて神託を求めました。「人間の種を戻す方法を教えていただきたい」とね。

 この神託所、秩序と掟の女神テミス様の神託所でして、テミス様から神託が下されました。

「神託所を出、母の骨を後ろに向かって投げよ」

 二人は「母の骨」というのを「母なる大地の一部」と解釈しまして。神託所を出ると石を拾い、後ろに投げました。するとその石から人間ができ、これが第四〈英雄の種族〉の種になったわけで。

 

      ◆

 

 ここから第四の「英雄の時代」は、ご存知ギリシア神話の時代です。半神(ヘーロース)と呼ばれる英雄たちの戦いと冒険の時代でして。

 ある者は、カドモスの地テーバイの七つ門の下に、オイディプスの家畜をめぐる戦いに斃れ。

 またある者は、ヘレネのため、イリオス城下の聖なる戦いに。

 そして死んだ者のうち、ある者はゼウス様のはからいによって、渦巻く極洋オケアノスの外なる至福者の島々(マカローン・ネーソイ)に送られ、〈命の糧〉と住居をあたえられました。

 トロイア戦争終結の紀元前1184年が時代の境目です。

 ここからあと、もう少し時代が下がると灰色の「鉄の時代」となります。〈英雄の種族〉の血統も途絶えたわけではありませんでしたが、それ以外に〈鉄の種族〉をゼウス様が造りまして。ですから、「鉄の時代」以降の人間は、〈英雄の種族〉と〈鉄の種族〉が混在しているわけです。


 第五の「鉄の時代」以降は神々の降臨もなくなり、やがて地上は丸くなり、世界は閉じられ、内側と外側に分かれました。時代が下がるごとにあいまいなものはなくなっていき、整然と「有る」と「無し」に分類されていくことになります。


 世界は気まぐれじゃなくなりました。

 昼と夜があることにも、晴れたり雨が降ったりすることにも、人間が生まれてきていずれ死ぬことにも、統一された法則や仕組みがあることが明らかになっていったんです。

 それぞれの仕組みがそれぞれのものを支配するのではなく。

 法則は地上と天上とで別になっているのではなく。

 対象物がどれだけ大きかろうが小さかろうが。

 地上だろうが天上だろうが。

 目盛り幅の変わらないある一つの物差しがすべてのものを支配するようになったんです。これを「原理」といいます。「法則」は正確には、原理より格下のものです。

 地上と天上とで同じ法則が働いているのかどうかは、とくに大問題でして。ニュートンが決着をつけるまで、キリスト教世界じゃ、ずいぶん長く論争がつづいたのはご存じのとおりです。このときに「万有引力の法則」が原理になって――「法則」ってなってますけど「原理」だったんです、ずっとこれを超えるものは登場しなかったんですが。今はたぶん、「相対性理論」が原理になってるんですかね。万有引力の法則は「原理⇒法則」に格下げになりました。

 というわけで、世界の摂理を説明するには、多神教の神々より、一神教の神を持ちだすほうが説明しやすくなったんです。


 ちなみにワタシが産まれたのは、紀元前1500年ごろ。いや、当時の暦と今の暦と違うものですから、正確な年月はわからないんです。その前1500年ごろの、一月一日です。この一月一日、っていうのも適当なんですけどね。「英雄の時代」のけっこう初期のころということになります。

 ひとまずはここまでです。

 あとはまた、気が向いたときに。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ