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金・銀・銅(とパンドラの甕)・人・鉄 3

 青銅の時代の人間社会の仕組みがおちついてきたころ、プロメテウス様のところに、弟のエピメテウスが「奉納の犠牲獣が人間たちの負担になっている」という話をもってきました。

 白銀の時代に途絶えた神々への儀式は、青銅の時代になって復活していました。戦いの験かつぎもありましたので。

 負担というのはですね。儀式で神々に家畜を殺して捧げる。それが労働しなければならなくなった人間たちにとってけっこうな負担になっている、っていうんです。〈命の糧〉がなくなって、獣肉が手に入りづらくなってもいましたから。


 ちなみに、ワタシがエピメテウスを呼び捨てにしているのは、彼が人間だからです。兄のプロメテウス様は神で、弟は人間だったんです。このころはたまにあったんですよ。冒頭で話した〈劣性遺伝〉の関係で。ただし、エピメテウスは神々から生まれた黄金の種族に近い人間であって、青銅の種族ではありませんでした。


 エピメテウスからの話を聞いて、プロメテウス様は第二の計略を実行することにしました。ゼウス様の政治方針に対しての批判です。

 政権をとってからのゼウス様が気にかけるのは戦いのことばかりでした。ものごとの価値を量るのに、戦って強いかどうかばかりを見て、美醜とか正当性とかいったことはぜんぜん気にかけなかったんです。ゼウス様自身がティタン神族と戦って政権を手に入れた、という体験も手伝っていたらしくて。

 プロメテウス様は、問題になっている肉の負担を解決すると同時に、ただ一つの基準に基づいて判断することに対するゼウス様へ皮肉をくれてやろうと考えたんです。


 プロメテウス様とエピメテウスによって、計略の準備がおこなわれました。二人は、この計略のために、少し前に起こったある事件を利用しました。

 事件というのはですね。あるとき、死すべき身の人間たちが牧場を拡げすぎて、隣接した神域に家畜が入り込むようになってしまったんです。その神域をすみかにしていた神は怒りました。しかし、青銅の種族はゼウス様のお気に入りです。自分の判断だけで神罰を下してしまうと、ゼウス様の不興を買うかもしれない。そう思って、すぐに神罰は下さず、この件をゼウス様に訴えていました。

 そこへ、プロメテウス様が仲裁に入ったんです。

「その牧場でとれる家畜を毎年、生け贄として受けとることを条件に譲歩してはいかがか?」

 神域の神は譲歩しました。

 ゼウス様、プロメテウス様立会いのもと、和解の儀式が行われまして。和解のしるしに、人間たちが牧場から大きな牡牛を捧げてまいりました。

 捧げものの牡牛を、プロメテウス様は手早くさばいて二つの塊にしました。


 ――片方は、大きな四つの胃袋とそのほか内臓の塊。

 ――もう片方は、(あばら)から肩・もも・背肉の塊で、外側をうっすらと脂肪が包んでいました。


 つまり、えぐった内臓の部分と、それ以外の外側の肉の部分に分けたんです。

 プロメテウス様は、内臓のほうをゼウス様に、肉のほうを人間たちに差し出しました。

 それを見て、ゼウス様は、

「待てプロメテウス。なんたる不公平な分け方をしたものか」

「ご不満か? 量は同じくらいのはずだが」

「質が問題であろう。こちらは内臓ばかり、人間に差し出したほうはつやつやしい肉ばかりでないか」

「ほう。ゼウスよ、見ただけでおいしい肉とそうでない肉がおわかりになるのか?」

「もちろん」

「具体的にどこで見分けられたのか?」

「見た目のつやつやしさに決まっている」

「では好きなほうをお取りになるがよい。この際、今回ゼウスが選ばれる肉の分け方を、今後、人間が犠牲獣を捧げるときの肉の分け方にしたらよいと思うのだが」

「ステュクス河に誓ってそうしよう」

 ゼウス様はモツも嫌いではなかったんですが、牛肉はやっぱりロースとかサーロインを食べないと、食べた気がしなかったんです。迷いなく、うっすらと脂肪に包まれた肋・肩・もも・背肉の塊のほうを取りました。

 ところがその肉を炙るために細かく切り分けようとして、ゼウス様が刃物を入れたところ、

 ――すかっ。

 という空気を切る手ごたえがあったんです。

 じつは、肉の塊と見えたのは、骨に脂肪を貼りつけた張りぼてでした。脂肪の膜が骨を覆っているだけで、中は塩バターパンみたいに空洞でした。

 残りの肉は全部、大きな四つの胃袋に分けて包んでありました。

 プロメテウス様が衆人環視の中、短時間でそういう手品をやってのけたんです。

 うれしそうに肉を切り分けようとして、でも中が空っぽで、ゼウス様は刃物をもったまま固まってしまいました。その様子をヘーラー様は、白けた目で見ていたそうです。

 こののち、犠牲獣を奉納する儀式では、人間は肉を取り去ったあとの骨だけを燃やし、取り去った肉は人間たちが食べることになりました。


 この事件によって、ゼウス様の心に憤怒が入りこみました。

 プロメテウス様に報復して、なおかつ、死すべき身の人間どもにも禍いをくれてやろうと思い立ちました。今回の事件の引き金にもなったエピメテウスにも。

 それまでのゼウス様でしたら、直接的な暴力に訴えたんでしょうが、今回はそうではありませんでした。というのは、この事件のすぐあと、ゼウス様の身に急変があったんです。


 ちょうどこの事件が持ち上がったころのことです。ゼウス様の妻の一人、思慮の女神メティス様が身ごもりました。

 このメティス様からは並外れてすぐれた子どもたちが生まれる定めになっていました。

 一人目は深い思慮と父ゆずりの気性をそなえた娘。

 二人目は傲慢な心をもつ息子で、この息子が神々と人間たちの王となる。

 メティス様は一人目の女の子を身ごもったんです。

 その子どもたちのことについて、原初の神々である大地母神ゲーと天神ウラノスから、ゼウス様に忠告がありました。

「あなたに代わって、ほかの誰かが神々の王になるようなことがあってはならない。メティスを自分の中に取り込んで、彼女の力を自分のものとするといい」

 ゼウス様はこの忠告に乗りました。恐れていたんですね。今の政権は、ゼウス様が戦いのすえ、自分の父クロノス様から奪取したものです。自分の身にも同じことが起こるかもしれないと思っていたんです。

 ゼウス様は、一抱えほどの大きさの甕を用意しました。そして、メティス様を呼び出し、水に変身してその甕に入るように言いました。神々には変身の能力があることがありまして、メティス様もその能力をもっていたんです。

 メティス様は思慮深い女神で、言われたときに何をされるかすぐにわかりました。しかしそれも必要なことだと思い、言われた通り、水に変身して甕に入りました。

 ゼウス様は甕を抱え上げ、メティス様の変身した水を一気に呑み干し、腹の中におさめました。

 ところが、メティス様を呑み干してしばらくして、ゼウス様は激しい頭痛に襲われました。

 智慧熱でした。思慮の女神を呑み干し、自分の中に取り込んだわけですから。

「頭蓋骨の中で何かが膨らんで、脳髄が圧迫されるようだ」

 世界がぐるぐる廻って、胃の腑が裏返るような吐き気をもよおす、わけのわからない激痛だったそうです。のたうち廻ったそうです。

「だったらわたしがその〈何か〉を取り出して楽にしてあげましょう」

 あまりに騒ぐので、いらついたヘーラー様がゼウス様をトリトニスの湖岸に引っ張っていきまして。アルゴス空手でゼウス様の頭をぶち割りました。湖岸に連れ出したのは、飛び散った神血と脳漿をすぐに洗い落とせるようにです。

 すると、頭をぶち割られてピカソのキュービスム絵画のようになったゼウス様の、その頭蓋骨の中から〈何か〉が飛び出してきました。武装した成人の女神――アテナ姉様でした。メティス様が身ごもっていた女の子はゼウス様の脳髄に寄生して、そこで養分だか神気だかを吸収して成長していたんです。

 ちなみに頭をぶち割られたゼウス様は死んだりしてはいません。神々は不死ですので。


 余計な話になりますが、このあと、ヘーラー様はゼウス様が一人で子どもを産んだことに怒って、しばらくセックスを拒否していました。この件は、よほどヘーラー様の怒りの急所を突いたようです。ヘーラー様はセックスを拒否したばかりでなく、自分も受精なしで子どもをつくり、産み落としました。この無精子が、鍛冶神ヘパイストス様です。


 メティス様を呑みこんでからゼウス様に思慮がつきました。

 すぐに暴力に頼ることがなくなりました。

 そのお蔭で、プロメテウス様への報復にもひとひねり加えることになったんです。

 まず、ゼウス様は〈命の糧〉と同じ口実で、人間たちから火の存在そのものを奪いました。

「青銅の種族はいまだ同族内での調停に殺し合いをつかう。さらなる協力が必要になるよう、〈命の糧〉のつぎに生活になじんだものを奪うとしよう」

 火の存在そのものを奪われた人間は、火を認識できなくなりました。火をほかのものから区別できなくなったんです。そのために、火をつかうことができなくなりました。何かがなくて生活が滞っている、しかし「何かがない」とまではわかるのですが、それが何なのかがどうしてもわからなくなったんですね。今回は〈命の糧〉のときとはちがい、種族存亡にかかわる事態になりました。

 エピメテウスはプロメテウス様に状況を訴えました。かなり緊急だと。

〈火そのもの〉は雷火を楽しむゼウス様の手許にあります。これを盗み出すしかない。しかし盗みを実行すれば、自分は罰せられるだろう。プロメテウス様は腹をくくりました。ゼウス様の手許から〈火そのもの〉を盗み、巨茴香(オオウイキョウ)の茎のくぼみに入れて地上まで運び、エピメテウスに手渡したんです。人間たちはふたたび火を「火」としてほかのものから区別できるようになりました。

 ゼウス様はよろこびました。自分の手許から〈火そのもの〉を盗み出したというので、誰はばかることなくプロメテウス様を罰せられるので。ゼウス様はさっそくプロメテウス様をカウカソス山上の巨石に磔にし、大鷲に肝臓をついばませました。肝臓はつぎの日にはもとに戻るので、プロメテウス様は翌日も同じ苦しみを味わうことになる。のち、ヘラクレスがプロメテウス様を解放するまで、この拷問はつづくことになります。

「こちらはこれでよし。されば、いま一人と人間たちへも――」

 ゼウス様はプロメテウス様を手伝っていた弟エピメテウスへの報復と、人間たちへの禍を準備にかかりました。


 ゼウス様は神々に命じて、人間の女をつくりました。

 それまでは、人間の女はいませんでした。

 ワタシもくわしくは知らないんですが、それまでは人間たちは、男ばっかりだったか両性具有だったか、どっちかなんです。人間が女神と交わる神話が残ってるんで、生殖器がなかったわけではないらしい。

 まず、へパイストス様が土をこねて姿かたちをつくりました。


 ――彼女の能力として、神々が次のものをあたえました。

 アテナ姉様が、家政管理などの技芸と布を織る技術。

 アプロディテ様が、色気、思慕の想い、性欲。

 ヘルメス様が、狡猾さ、弁舌の巧さ、乙女の声。


 ――さらに、装飾品として、神々が次のものをあたえました。

 アテナ姉様が、帯、衣裳、いろいろな飾り。

 典雅女神(カリス)たちが、黄金の首飾り。

 時間女神(ホーラー)たちが、春の花を編んだ冠。


 名前はよろずの神々(パンテス)からの贈り物(ドーロン)だったので、パンドーラーと名づけられました。アッティカ方言だからパンドーラー。イオニア方言だとパンドーレーです。ここでは慣例にしたがって、カタカナ表記の長音は省略して、パンドラと呼ばせていただきます。


 エピメテウスは神々からのこの贈り物をよろこんで自分のものにしました。

 プロメテウス様からは神々からの贈り物にはどんなマルウェアが仕込んであるかわからないから、絶対に受け取れないように言われてたんですけどね。

 人間界に入り込んだマルウェアは活動を開始しました。

 パンドラは嫁入りにあたって、大きな甕を二つもっていきました。箱じゃありません。「箱をもっていった」というのは誤伝でして。ルネサンス期の人文主義者エラスムスがギリシア語からラテン語に翻訳するときに、エロースとプシュケの神話に出てくる〈眠りの小箱〉と間違えたらしいんです。エラスムスって『痴愚神礼讃(原作)』の作者でして。ですからこの件についてはワタシも無関係ではありません。

 パンドラは二つもっていった大甕のうちの一つを地上についてからすぐに開けました。この大甕には〈悪いもの〉が詰められていました。解放されて自由になったいろいろな悪いものごとや災厄は、地上にちらばっていきました。

 もう片方はふたをしたまま手許に残しておきました。こちらには〈善いもの〉が入っていました。パンドラは何かあるたびに、この甕から善いものを取り出して、エピメテウスにあたえました。エピメテウスはそのお蔭で、いつもよい結果を得ることができました。最初に悪いものをばらまいておいたので、お汁粉に一つまみの塩を加えたみたいに〈善いもの〉の効果は抜群でした。

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