金・銀・銅(とパンドラの甕)・人・鉄 1
ギリシア神話における「人間の誕生」についてお話させていただきます。
この前、太陽神ヘリオス様の〈太陽の車駕〉を見ていて、ふと、思ったんです。
「昔の世界は、気まぐれだったなあ」って。
どうして昼と夜があるのか、とか。
どうして雨が降るのか、とか。
どうして人間は生まれて死ぬのか、とか。
決まってなかったんですよ。法則がなかった。
だから、多神教の神々が世の中の摂理や自然現象を説明するために使われたんです。それぞれの担当の神の気分で、そういう自然の摂理が決定したんです。
ところが、多神教の神々って、善悪の判断に使えないんです。
たとえば、ギリシアの神々は、嘘つくし、間違うし、私利私欲を優先するし、感情にまかせて後先考えない行動をとるんで。神々のやることが、かならずしも正しいとは限らない。
測るたびに目盛り幅の変わる物差しみたいなもので、基準になりません。
ゼウス様は浮気三昧。
それでヘーラー様は怒って、ゼウス様の愛人を殺して廻るのに忙しい。
アポロン様は白い鴉に騙されて、自分の愛人(女)を殺しちゃいましたし。円盤投げをやっていて、投げ損じて別の愛人(少年)を死なせたこともありました。
アプロディテ様はヘパイストス様と結婚してたのに、アレス様に浮気しましたし。
おのおの、結婚を司ったり、占いを司ったり、基準的な権能ももってはいるんですが……。
日本の神々とか、エジプトの神々とか、北欧とか、メソポタミアとかもこの傾向があるでしょ。「嘘つく、間違う、私利私欲、感情まかせ」って。正しかったり、正しくなかったり。
「こうすれば、必ずこうなる」っていう、法則性がない。正しい行いをしていても、神々の気分次第でいきなり神罰が下ることがある。
人間は思わず愚痴をこぼす。
◆
まずはじめに、どこから発生したのかわかりませんが、〈黄金の種族〉がありました。
黄金の種族が人間として存在した時代を「黄金の時代」と言います。
一番いい時代です。過剰なストレス反応もうつ病もないため、産まれてきたことを後悔することがなく、老いることがなく、病気にかかることもない。生きるために必要充分なものが手に入り、人々はあるがままを受け容れていた時代です。老子が言うところの「大道」がおこなわれていた時代でした。
このころ、神界はクロノス様が統治していまして。黄金の時代の終わりごろに、ゼウス様が政権を奪取したんです。
いや、逆ですね。
ゼウス様が政権を奪取したんで、黄金の時代が終わったんです。
というのはですね。
ゼウス様は自分の種族が欲しいと思ったんです。この当時、ゼウス様はずいぶん傲慢でした。
ホメロスの『イリアス』を読んだことのある人からは、
「トロイア戦争のころになっても傲慢だったじゃないか」
と突ッ込みが入るかもしれませんが、ヘーラー様に聞いたところ、以前のゼウス様の傲慢さはあの程度じゃなかったらしい。いくらか落ち着いた神格になったのは、思慮の女神メティス様を呑みこんで思慮分別がついてからです。
クロノス様の世代までの神々を〈ティタン神族〉と言いまして、ゼウス様の世代以降の神々を〈オリュンポス神族〉と言います。ティタン神族とオリュンポス神族で何が違うのかというと……。名前が違う以外に何が違うのか、ワタシにもわかりません。
クロノス様とゼウス様は親子なんですが、ちょっと、政権継承のときにごたごたがありまして。戦争になって。神々がクロノス方とゼウス方に分かれて戦いまして。これが世に言うティタン神族戦争なんです。
結果はゼウス方の勝ち。
ティタン神族戦争に勝利して政権を手に入れた傲慢ゼウス様は、強引に黄金の種族を精霊にしてしまい、プロメテウス様に新しい人間を造らせました。
これが〈白銀の種族〉でした。
「わたしは何も悪いことしてないのに」
多神教の神々って、ただのエネルギーか機能だけなんですよ。それでもって、創造主じゃなくて被創造物なんです。太陽そのもの、雷そのもの、大地そのものなんです。局所的なエネルギーや機能なんです。全体の管理者ではなく。
そこへ来ますとね、一神教の神は法則的です。
「これの原因はあれ」という、因果関係がある。不可謬なんです。絶対に間違わない。神がやったことはすべて正しい。もし、一見間違いに見えても、何か深い理由がある。
これなら、基準に使えるんですね。目盛り幅が変わらないから。
基準がはっきりしているかどうかが、善悪の判断に使えるかどうかの分かれ目なんです。
一方、一神教の神は、ひとつひとつの自然現象の説明にはあまり使われません。多少は使われることもありますけど、多神教の神々ほどじゃありません。たぶん、それは一神教の神が創造主で全能で、ときに世界の管理者だったり、オペレーターだったりするからじゃないですかね。一神教の神を自然現象の説明に持ち出すと、何でもありになってしまうので。「神々は世界をこれこれに創った」みたいに全体の仕組みをつくった理由としては使われても、ひとつひとつの自然現象の摂理の説明には使われないんです。
「神がそう決めたからです」以上、となってしまう。
さらに、こうも言えます。
「神は全能なので、昼と夜を逆転させようと思えば、すぐにできます」
「神がその気になれば、死んだ人間を生き返せることもできます」
「神は天候を自由に操作できます」
ひとつひとつの自然現象の摂理は、神抜きで説明するべきでしょう。
一神教では、人間も強引に造ってしまいます。
キリスト教、ユダヤ教、イスラームは『旧約聖書』が共通の聖典なので、人間の発生は『創世記』に載っている通りです。
「(1-27)神は自分に似せて人間をつくった」
仏教と儒教では、人間の発生はどうなってるのか、ワタシは知りません。
多神教では人間の発生については解釈がいろいろです。
エジプト神話では、はじめクヌム神がろくろで人間を造っています。でも、そのうち面倒臭くなったんで、人間の身体の中にろくろを入れて、自動的に造られるようにしました。その「人間の身体の中のろくろ」ってのが、子宮です。この説明は上手いと思います。
日本神話では、はっきりしてません。人間はいつの間にか、湧いてきました。
ギリシア神話も同じです。はっきりしていません。
ただ、ワタシは一つ、ギリシア神話における人間の発生について、見当をつけていまして。たぶん……たぶんですが、神々の劣性遺伝から出てきたのではないかと思います。神性同士――ゼウス様とプレイアデスのエレクトラが交配して産まれた人間イアシオンのような実例がありますので。
どこかの女精かなんかと男神が交わって、劣性形質が出てしまったのではないかと。
そう思うわけです。
ヘシオドスが『仕事と日々』110前後で言っている「神々が人間の〈黄金の種族〉をお造りになられた」ってのはこのことです。卵子と精子とでお造りになられたんです。




