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プロローグの目的は3つあること 5

「モリア様、もしできたらですけど、村で竪琴を弾いていただけませんか?」

「ワタシに独奏会(リサイタル)をやってほしい、ということですか」

「いえ、違います」

 だったら何なのかと思ったら、

「村の追悼式でわたしが演説をやることになったんです。そこでですね、ちょっと弁論術のやり方で試してみたい方法がありまして」

「どんな方法です?」

「演説のプロローグのやり方なんですけどね。演説のプロローグで、モリア様に竪琴を弾いていただきたいんです」


 追悼式って「何の追悼式か?」って言いますとね。

 ずっと以前、ワタシが太陽神の宮殿に来るよりもまえのこと。生産村が大型害獣の大群に襲われて、大勢の侍女が喰い殺されたことがあったんです。

 そのことで、太陽神の宮殿の自治組織全体での追悼もやっていましたが、生産村だけでも追悼をやっていたんです。

 その追悼式に演説が挿入されるんですね。


 昔は、きちんとした式典だけでなく、ちょっとした集まりですら、演説や講演があるのは当たりまえでした。みんなが集まる、ということは、集まったみんなに向かって話がされる、ということでした。

 それはちょうど、日本人が味噌汁といったら「出し汁に味噌を混ぜたものである」というのと同じでした。お湯に味噌を混ぜただけじゃなく、昆布にしろ、鰹節にしろ、にぼしにしろ、出汁スティックを使うにしろ、とにかく何かで出汁をとってあるんです。「味噌汁は味噌が入っていればいいんであって、かならずしも出汁をとる必要はありません」と言って出された、あるイギリス人女性の味噌汁は食べられたものじゃありませんでした。

 そのくらい集まりと弁論とは切っても切れないものでした。ワタシの目算ではですが、20世紀になってラジオが普及するまでは、生のしゃべりの重要さは、ラジオ普及以後とは桁違いでした。


 村の追悼式で演説するのは毎回二人でした。前番と後番でしゃべるんです。

 一人はかならず、目つきの悪い小柄な村統轄侍女で、彼女は後番でしゃべりました。彼女、みんなのまえでしゃべるのもそれなりに上手いんです。前番の話し手は、いつも立候補かくじ引きで決めていました。


 もっとも、立候補なんてなかったんですけどね。

 素人が「みんなのまえに出てなにか話せ」って言われると、たいていは「何しゃべったらいいんだろう」とか、「緊張して逆上(あが)ってしゃべれなくなるかも」とかいうふうになるんです。

 生産村の侍女たちはみんな、弁論の訓練なんてうけてませんから素人です。みんなの前で話すのを嫌がりました。

 でも誰かがやらないといけない。ですから、毎回、くじ引きで演壇にささげる生け贄を決めていたんです。

 それを今回は、廿日(はつか)大根の侍女がつとめるわけです。


 彼女が式典でおこなう弁論は、〈演説的弁論〉とか演示弁論とよばれるものでした。

 アリストテレスの定義だと、弁論は三種類に分類されます。議会弁論と法廷弁論と演説的弁論です。

 議会弁論は、(目的)利益不利益を目的におこなわれ、(時制)議題はおもに未来におこなうであろう政策について。(行為)問題となる政策を勧めたり止めたりするものです。

 法廷弁論は、(目的)正不正を目的におこなわれ、(時制)議題はおもに過去の事件について。(行為)事件をめぐって告発と弁明をおこなうものです。

 演説的弁論は、(目的)美醜を目的におこなわれ、(時制)議題はおもに現在の事物について。(行為)その事物を褒めたり批難したりするものです。

 ただこの分類は、たとえば、議会弁論では正不正や美醜をぜんぜん問題にしない、ってことではありません。議会弁論では、一番おもな目的が「利益不利益」で正不正や美醜が出てきてもそれは補助的なこと、という意味です。


 ところがですね。この三分類には、ビジネスでのプレゼンテーションがないんですね。商用弁論とでもいうべきこのタイプの弁論は、現代では弁論の代名詞とっていいくらい、大きな分野になっているんですが。

 この弁論の分類について、ワタシ、考えまして。ビジネスのプレゼンテーションは、議会弁論にふくまれるんじゃないかと。というのは、ビジネスのプレゼンテーションは、「うちの商品(企画)を採用してもらえればこういう利益があります」と言って、これからおこなうであろう企画の実施や商品の購入を、相手に勧めるものです。「目的」が利益不利益で、「時制」が未来、「行為」が勧める・止めるになります。ですから議会弁論の一種じゃないかと。


 議会弁論と法廷弁論は賛成反対など直接の行動を聴き手に要求する実用の弁論です。一方、演説的弁論てのは、ショー的な見世物的な弁論です。聴き手に直接的に行動を要求する弁論ではありません。聴き手はただ聴いて楽しんでもらえばいい。


 たとえば、スティーブ・ジョブズがやってたプレゼンテーションは演説的弁論です。A4サイズの封筒からMacBook Airを取り出して、「こんなの開発してやったぞ。凄いだろ」みたいな。ジョブズは「買ってください」とは言いませんでした。議題は自社で開発した製品で、褒めることが目的でした。もっとも、「ジョブズのプレゼンテーションは演説的弁論の皮をかぶった議会弁論だ」と言われると――ええ、まあ、そうなんですね。「買ってください」とは言わずに、巧妙に要求を隠して聴き手をその気にさせる弁論でもありましたから。


紀元前の古代ギリシアでは、ショー的な弁論は重要な娯楽でして。そんなショー的演説的弁論を廿日(はつか)大根の侍女は請けたわけです。

 

      ◆

 

 ワタシは折りたたみ椅子と竪琴を抱え、廿日(はつか)大根の侍女と村統轄といっしょに式典の会場へ下見に行って、打ち合わせしました。

 この日は、いつもの亀胴竪琴(リュラ)ではなく、箱型共鳴胴のキタラをもってきました。

 会場は村の中央広場(アゴラ)です。

 二人が中央広場(アゴラ)の境界にある手水鉢でお浄めして、境界内に入る。ワタシは女神なのでお浄めは必要なく、そのまま入ります。

 中央広場(アゴラ)には広く四面に幕が張ってあり、陣地みたいになっていました。

「当日はこの幕の内で式がおこなわれます」

 と言って、村統轄が幕の内へ。ワタシと廿日(はつか)大根の侍女もつづいて入ります。

 幕の内には、演壇と祭壇がしつらえてありました。いつもの中央広場(アゴラ)がいつもの中央広場(アゴラ)じゃないみたいでした。演出的効果っていうんですか。この幕の内だけ日常から切り取られて非日常になったみたいな、普段じゃないわくわく感がありました。

 村統轄から式典のスケジュールを説明されました。

 (1) 村統轄の目つきの悪い小柄な侍女が、開式の辞みたいな簡単な話をする。

 (2) 犠牲獣をささげる儀式をおこなう。

 (3) 焼き上がった犠牲獣をみんなでおいしくいただく。

 (4) 演説(前番・後番)

 以上、閉式。演説は一人15~30分くらい。400字詰め原稿用にして10~20枚くらいになります。けっこう長い。


 そして肝腎の廿日(はつか)大根の侍女の注文ですね。

「この幕のうしろで弾いてください」

 廿日(はつか)大根の侍女が広場に張られた幕をめくって言いました。幕の外側はいつもの中央広場(アゴラ)です。

「幕の外ですか?」

「ええ、みんなから姿が見えないように」

 完全に裏方のあつかいですね。出演者ではなく。

「モリア様の姿が見えちゃだめなんです。曲だけでないと。

 曲の効果なのか、モリア様の見た目の効果なのか、わからなくなっちゃうんで」

 なるほどね。ワタシは幕のうしろにまわり、もってきた折りたたみ椅子を広げてこしかけました。

「どんな感じの曲を弾けばいいんです?」

「派手すぎず、地味すぎず、速すぎず、遅すぎない曲をお願いします。

 かといって、聴き手にあんまり畏まられても困るので、厳粛な感じのもいけません」

「リラックスするような曲ですか?」

「リラックスしすぎて寝入られても困るので、ゆるい感じのもいけません」

「では、その辺を散歩する感じで」

 担いでいた箱胴竪琴(キタラ)を下ろして、ためしに一曲、軽めに弾じました。

「そうそう、そんな感じでお願いします」

「歌うのはありですか?」

「えーっと……ありです」

 

      ◆

 

 と、いうわけで当日。

 注文通り、仕事をやりました。

 生産村の侍女たちが幕の内に入ったあと、ワタシは幕外で椅子に坐ってスタンバイします。

 追悼式が始まって、犠牲獣の儀式のあと、廿日(はつか)大根の侍女が幕外に来て、

「お願いします」

 というので竪琴を弾きはじめる。

 廿日(はつか)大根の侍女が幕の内を何度か確認し、

「もうけっこうです」

 というので演奏を止める。

 彼女が幕の内の演壇へ上がっていって、用意の演説的弁論を一席語りまして。

 弁論自体はとくに解説するまでもない、堅実な型通りのものでした。悪くなかったですよ。このあとにやった目つきの悪い村統轄の語りと比べても、聴き劣りのしない弁論でした。ええ、聴き劣りのしない弁論だった、ってのは憶えているんですが、具体的な内容は憶えてません。あるでしょ、そういうこと。

 で、閉式。


 追悼式が終わったあと、廿日(はつか)大根の侍女に翼ある言葉をかけました。

「結局なんだったんです、この実験は?」

「この実験ですね。モリア様、以前にわたしが『プロローグっていうのは、どういうときに必要なんでしょう?』って訊いたとき、『プロローグの目的は三つある』って言ったじゃないですか。(1) 聴き手にこれから話す内容のサンプルを見せて聴く準備をさせるか、(2) 聴き手をこちらの意図した気持ちに誘導するか、(3) 話し手が調子を整えるかだ、って。

 思ったんですよ。だったら、プロローグ代わりに、わたしの話そうとする弁論に合った曲を聴き手に聴かせれば、それが本論のサンプル代わりになって、なおかつ、聴き手の気持ちも誘導できるんじゃないか、って。言葉をつかわなくてもいいんじゃないか、って。それを試してみたんです」

「で、上手くいきましたか?」

「成功でした。わたしが自分でしゃべらなくても、モリア様の竪琴でプロローグの目的が足りました」

 わかりました。ただ、ちょっと文句がありますね。

「事前に内容を知っちゃいけない実験なのかと思って、目的を訊ねませんでしたけど、それなら事前に目的も説明しておいてほしかったです」


 これが、ワタシと彼女の第一ラウンドでした。

 

      ◆

 

 このあと第二ラウンドがあって、第三ラウンドがあって、最後は第四ラウンドか第五ラウンドまであったんです。

 機会があれば、おいおいお話ししていこうと思います。


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