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プロローグの目的は3つあること 4

 で、彼女にどんなことを教えたのか、って言いますと。

 こんなことを教えたんです。


「弁論の型の基本は、『主題提起』と『証拠立て』の二章立てです。

『主題提起』は〈問い〉と〈回答〉に、『証拠立て』は〈理由〉と〈裏づけデータ〉に分かれます。

 この型がすべての基本です。根源的なものはすべての用を足します。ですからこの型だけは憶えておいてください。ほかのことは忘れてもいいですから。

 ためしにこの型をつかって、『モリアは痴愚の女神である』という証明をおこなってみます。


 まず『主題提起』です。

〈問い〉モリアとは何者か?

〈回答〉痴愚の女神である。


 つぎに『証拠立て』です。

〈理由〉その理由は次の通り、四つである。

 第一に女である。

 第二に両親が神々である。

 第三に神々の特権である不死性をもっている。

 第四に痴愚の権能をもっている。


〈裏づけデータ〉いま述べた理由を裏づける証拠は次の通り。

 第一の証拠として、モリアには乳房と女性器があり、男性器がない。

 第二の証拠として、モリアの母ヘーベーはモリアを出産した当時、富の神プルートスがはじめてで唯一のセックスの相手だった。

 第三の証拠として、モリアは首を切断されても死なない。

 第四の証拠として、モリアは神々や人間たちを誤謬と錯乱の状態に陥らせることができる。


 以上、性別、血縁、属性、能力の四点から、モリアが痴愚の女神であることが証明されたわけです。


 それぞれの要素について、注意を言っておきますとですね。

〈問い〉と〈回答〉は、できるだけ一問一答になるようにしてください。二つのことを一度に問答しないように。

〈理由〉は必要充分なだけ列挙してください。つまり、漏れもなくダブりもないカテゴリ分けにしてください。幾何学ほど厳密な証明を必要としないなら、いま列挙した程度でいいでしょう。今回は四つ述べましたが、できれば三つのがいいですね。三つのほうがたぶん、聴き手にとってはわかりやすいから。ただ、理由が決定的なものでしたら、ただ一つ挙げるで足りることもあります。

〈裏づけデータ〉には質的なデータと量的なデータがあるのを意識してください。質的なデータというのは、論理による証明、関係者からの証言、物的な証拠といったものです。量的なデータというのは、『みんなの意見の集計』とか『収穫量の年次推移』のような数値的な記録です。今回の挙げたデータはすべて質的なものでした。

 それから、データはできるだけ確実な情報源からとるか、間違いないのが一目瞭然なものにしてください。情報源が怪しいと、『証拠として挙げられたデータが不確かだ』という反論をされますので。

 それと、いまのは型ですので、堅苦しい物言いでした。

 実際の場面で、自然な感じにしゃべるとこんな感じになります。

『モリアというのは、性別、血筋、神々の属性、権能の四点からみて、痴愚の女神です。

 まず、身体が明らかに女ですし、彼女の両親が神々ですから女神です。それに首を切り落とされても生きてますから、神々の特権である不死性を持っているわけです。両親が神々っていうのは間違いありません。モリアが青春の女神へーべーの股の間から出てきてのは確実ですし、へーべーは当時、富の神プルートスとしかセックスした経験がありませんでした。それに加えて、モリアは、人間たちはもちろん神々ですら誤謬と錯乱に陥らせることができる。痴愚の権能を持っているわけで。

 以上のことから、モリアが痴愚の女神であると証明できます』」

 とまあ、こんなようなことをいろいろ話したんです。のちのアリストテレスの『弁論術』に載るようなことを。


 説明したあと、

「何か質問はありますか?」

 訊いたところ、

 廿日(はつか)大根の侍女が、

「二つあります。

 一つは、弁論術を習得すれば、何でも話すことができるようになるのか、ってことです」

「知っていることについては、話せますね。

 知らないことを話すのは無理ですよ。

 自分がぜんぜん知らないことについても話せるようになる、ということはないです。

 話せるのは、自分が知っている……いや、正確には、『自分が思い出せることがら』についてだけです」

「思い出せることがら、ですか」

「そう。

 ですから、少なくとも、話す対象について、人づてに聞いたていどにでも知っている必要があります。そのことがらを聞いたとき、自分がどう思ったか、思い出してください。なんとも思わなかったことがらについては、おそらく思い出せないでしょう。記憶に焼きついてないんです。

 一方、自分がそれについて実際に体験していたり、取り扱ったことはいいです。そのときいろいろ感情が動いたはずですから。リアルに思い出せて、上手く話せるでしょう」

「体験したことも聞いたこともないことがらを話すのは、無理ですか」

「無理です。

 弁論術は、あくまで、(1) 理解を助けるのと、(2) 表現を助けるだけです。

 料理道具だけで料理は作れません。食材が必要です。どうしても食材が見つからないなら、自分の身体から肉を切り取ってつかうしかありません」


 ワタシは廿日(はつか)大根の侍女にさらに、翼ある言葉をかけて、

「もう一つの質問は?」

「弁論でプロローグっていうのは、基本的にはいらないんですか?」

「いりませんよ。いま言った通り、基本は、


 (1) 主題提起(問い・回答)

 (2) 証拠立て(理由・裏づけデータ)


 の二章立てです。


 (1) プロローグ

 (2) 主題提起(問い・回答)

 (3) 証拠立て(理由・裏づけデータ)

 (4) まとめ


の四章立てにするのは、どうしても必要な場合だけです」

「四章立ての場合、プロローグではどんなことを語ればいいんですかね?」


 ワタシは翼ある言葉を発して、こう答えました。

「目的によって、三通りあります。

 第一に情報を伝える──聴き手にこれから話すテーマをわかってもらう場合。

 第二に気持ちを操作する──聴き手の感情や無意識の思い込みをコントロールしたい場合。

 第三に準備体操──話し手が調子を整える場合。

 ただし、これら三つの目的は組み合わされる場合もあります。テーマを話すと同時に聴き手に期待をあたえたりする場合です」

 で、くわしい説明をくわえました。

「第一の情報を伝える場合は、とくに話が長くなる弁論でおこないます。これから話すことがらについて、聴き手が何も情報をもっていなくて、話し手もテーマを簡潔に説明しきれない場合におこなうものです。商品のサンプルを見せて、相手の不安をとりのぞくのと同じようなものです。

 第二の気持ちを操作する場合は、法廷弁論や議会弁論といった聴き手による判定がある弁論でおこないます。こちらに判定が有利になるよう、判定者たち(裁判人や議員)に偏見を植えつけたり、逆に偏見を消し去ったりするんです。判定者たちに対して、本論のまえに布石をうちます。

『わたしはあなたがたの商売敵ではありません。むしろ顧客です』

 とか、

『わたしは皆さんに何かを教えることで、名声を得ようとしているのではありません。わたしのわずかばかりの知識をつかって皆さんの利益を守ることで、皆さんから助力を得たいと思っているのです』

 とか、

『わたしの話を聴くまえに、(わたしの反対者である)彼が何度、皆さんに嘘をついてきたか、思い出していただきたい。たとえそれが結果的に嘘になってしまったのであるにしろ、彼の提案はことごとく間違ってきたわけです。それをふまえたうえで、わたしの話を聴いてください』

 とか語るんです。

 第三の準備体操は、聴き手のためではなく、もっぱら話し手自身のためにおこなうものです。これは演説的弁論でおこなうことが多いです。話し手の調子が出てくるよう、はじめに、何か自分の好きな話をして本章・本論につなぐんです。このときする話は、話し手の一番しやすい話であればよく、本章・本論と関係ない話でかまいません。関係ない話ですから、議会弁論や法廷弁論でやることは滅多にありません。聴き手の迷惑になりますから」


 彼女はワタシの話を、口を半開きにして、ぼーっとしたようすで聞いていました。ワタシが話し終わっても、まだ、口を半開きにして、ぼーっとしていました。まるで、コーヒーに砂糖を入れて、スプーンでかき混ぜることもせず、砂糖が完全に溶けるのを待っているみたいでした。自分の思考にワタシの話が完全に溶け込むのを待っているみたいでした。ようやくコーヒーに入れた砂糖が完全に溶けるくらいの時間がたって、彼女の目の焦点がワタシの鼻にもどりました。

 で、こんなことを言ってきました。

「でも、それ、弁論(議会にしろ、演説にしろ、法廷にしろ)の場合じゃないですか。物語の場合はどうなんでしょう? 物語のプロローグだったら、どんなことを語ればいいんでしょう」


 物語、と来まして。

 弁論と関係ないんですね。

 新しい知識が溶けるのを待っている間にどんな思考展開があったのか。

 まあ、いいですよ。

 ワタシは答えました。

「物語でもいまの三分類が応用できます。

 第一に、受け手に物語のテーマや設定や状況・世界観をわかってもらうプロローグ。

 第二に、受け手に特定の感情やイメージを呼び起こさせるプロローグ。

 第三に、語り手の調子を整えるプロローグ。

 弁論の場合と同じく、以上の複数の目的を同時に達成しようとするプロローグもあります」


 説明を聞いて、廿日(はつか)大根の侍女は毛織肌着(ペプロス)(わき)へ右手を挿し込み、左のあばらを()きながら質問してきました。

「もう少しくわしくお願いします」

「第一の物語の状況をわかってもらうプロローグは、物語のテーマや全体像やどんなことがらが語られるのかが、物語をはじめてすぐには見えてこないような話の場合。つまり、壮大な話だとか、受け手にとって未知の世界観で展開される話の場合で、二、三行ではどんな話なのか世界観なのか説明できない場合におこないます。独立した一章・一節をわりあてて、物語の設定やサンプル、テーマを説明するんです。

 第二の受け手の感情やイメージを呼び起こすプロローグは、巻頭で叙情的な心情的な語りをやるんです。あるいは、雰囲気を伝える巻頭詩のようなものを入れる。荘厳な話なら荘厳な詩。悲劇なら悲しげな詩。喜劇なら滑稽な詩。物語の雰囲気とか感情を受け手に伝えるんです。テーマや設定のような物語の情報ではなく。

 第三の語り手の調子を整えるプロローグは、謡い手(アオイドス)が声の調子を整えるために何か歌うんです。練習用の歌とか得意な歌とか」


 と、説明したんですが。説明した当時っていうのが、紀元前1500年くらいだったんです。ですから、具体的な作品事例がなかったんですね。ホメロスどころかオルペウスもまだ生まれてない時代だったんで。有名な叙事詩っていうと、メソポタミアの『ギルガメシュ叙事詩』くらいしか思い浮かばなかったんです。

『ギルガメシュ叙事詩』のプロローグは、ワタシの見るかぎりでは、三分類の第一と第二を組み合わせたものです。ギルガメシュの情報――ギルガメシュの偉大さがどの程度か、彼の具体的な功績、容姿、能力、を説明すると同時に、壮大な物語を予感させる語り出しになっています。


 ワタシは彼女に試しにしゃべらせることにしました。

「あなた、使い番をずっとやってたんですから、使い番のことについてはよく知っているでしょう。いろいろ思うこともあったでしょう。

 ためしに、〈使い番〉のお題で、一分間しゃべってみてください」

「え? ええ……」

 で、彼女が〈使い番〉について、一分間しゃべりました。

 内容はまとまりがなく、絶えず身体をひょこひょこ動かして、視線があっちこっちに動いて。見てるこっちがちょっといらいらしました。

 しゃべり終わったあと、

「モリア様、どんな感じでしたでしょう?」

 と訊いてきたので、

「こんな感じでしたよ」

 と、今なら、スマフォかタブレットかウェブカメラで撮影した動画を見せるところですが、当時は、そういうのがなかったんで、ワタシが物真似をしてみせました。物真似は詩歌女神たち(ムーサイ)の芸の一つです。

 廿日(はつか)大根の侍女の弁論をしゃべり方や声や仕草まで細かく真似てみせて、

「どうですか? 今のワタシの物真似を見て、どんなところを直すべきと思いましたか?」


 侍女一同、返事がなかったですね。

 全員、唖然と……、いや、ドン引きしていました。

 侍女の一人が、

「その……う……上手い、たいへん上手いと思います……」

 廿日大根の侍女が、

「すみません。気持ち悪かったです。

 そっくりすぎて、気持ち悪かったです。

 仕草とか、自分から見てもそっくりだって、わかりました。

 でも、声は似てないように思ったんですが」

 それを聞いた侍女の一人が、

「いや、声もそっくりだった」

 ワタシが解説しました。

「自分で聞こえている自分の声と、相手が聞いている声は違って聞こえるんです。ほかの者からは、あなたの声は今のように聞こえています」

 みんな、「なるほど」っていう顔をしました。

「で、直すべきところはわかりましたか?」

「はい」

 どことどこと、っていう感じで、みんなが直すべきところを指摘して。


「これから毎日、ウォーミングアップとしてこの一分間弁論をやってもらいます。ワタシが毎回ありきたりなことがらでお題を出しますから、その都度、短時間のうちに話の骨子をつくって、一分間しゃべってください。

 最初に何が言いたいかを一言で言って、そのあとはその理由を二つか三つしゃべるようにしてください。一分間の場合はそれでいっぱいいっぱいでしょう」

 

      ◆

 

 誰のどこに詩歌女神(ムーサ)が宿っているかはわからないものです。廿日(はつか)大根の侍女には弁論術の適性があったみたいでした。上達したんです。

 意外にも、彼女は弁論術の基礎ができていました。肺活量と声量と滑舌です。

 もし、これらができていないと、肺活量を鍛え、遠くへ向かって大きな声を出す練習をし、しゃべりに舌を慣らすところから始めないといけないところでした。

 弁論術の基礎ができていたのは、彼女が使い番をやっていたからです。生産村の使い番てのは、村政庁で村統轄から伝言を預かって、村内の報告先部署まで走っていきます。そこで、大声でみんなに伝言を報らせる。使い番は、声が反響しない何も覆いのない屋外で、みんなに聞こえるような大声で、意味がわかるように語句をはっきりと発音しないといけない。廿日(はつか)大根の彼女は、専業で毎日走ることと声を出すことをやりつづけていたので、肺活量と声量と滑舌が鍛えられていたんです。

 基礎的な訓練ができていたので、技術的なことを教えるとすぐに上達しました。

 上達するとその芸を面白いと思うようになります。面白くなると練習が長つづきします。練習が長つづきすると上達します。

 そして、弁論術に関しては免許皆伝、というところまで学習が進みまして。

 免許皆伝したころに、廿日(はつか)大根の侍女からあるお願いをされました。

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