プロローグの目的は3つあること 3
どうしたんだろう、と思いましたよ。
そのうち、寡頭侍女たちが「ざまぁみろ痴愚神」みたいなメッセージを送ってきました。
手紙じゃありません。
「モリア様、少々聞いていただきたいお話があるのでございますが」
みたいに、メッセンジャー役の侍女が口頭でワタシに言いました。
もしこれが手紙だったとしても、当時はeメールも郵便もなかったので、手紙を相手に届けるための使者が必要になるわけですが。
メッセンジャー役の侍女は穏便な表現で話しました。ここでワタシに向かってあんまり明け透けな表現で話をして、いらない怨みを買うのは彼女にとって損にしかなりませんから。
どういうからくりで、竪琴指南に来られないようにしたかと言うとですね。
正式ルートで取り決めた二つの条件を上手くつかったんです。
(a) 竪琴指南へはかならず証人を同行させる。
(b) 証人は第三者であるよう「別の部署の侍女」とする。
問題は(b)のほうです。「別の部署」っていうのを極大に解釈してきたんです。
たとえば、ある解釈によれば、「馬場の管理係」と「中庭の管理係」でも「別の部署」と言えます。
でも、寡頭侍女たちは、「それは別の部署じゃありません」と言ってきたんです。
「この場合の『部署』というのは、一番大きなくくりのことを言っているのです」
太陽神の宮殿の侍女自治組織の「一番大きなくくり」であるところの部署カテゴリは、四つでした。
第一に侍女統轄(これがいわゆる「寡頭侍女」)、10人。
第二に衛士役、およそ100人。
第三に宮殿管理役、およそ250人。
第四に生産役、およそ850人。
ワタシの竪琴指南にきていた侍女たちは全員、宮殿管理役です。
つまり、今回の取り決めでいきますと、ほかの三役――侍女統轄・衛士役・生産役のいずれかから証人となる同行者を連れてこないといけない。
でもそれは、基本的に無理だったんですね。
侍女統轄は、侍女たちの組織の最高責任者たちです。いわゆる寡頭侍女たち。
彼女たちを誘えるわけがありません。この寡頭侍女たちとワタシは完全に敵対関係にあります。竪琴指南を妨害するのが彼女たちの目的ですから。
衛士役は、宮殿と宮殿のふもとにある生産拠点の防衛をおこなう侍女たちです。太陽神の宮殿は丘の上に建っていまして。高丘城砦というやつです。何から防衛するのかというと、ちょっとやっかいな大型の害獣がいまして。今回の話とは関係ないのでくわしくは説明しませんが、武装した衛士が必要だったんです。
彼女たちも誘えません。衛士役侍女たちのあいだには、「竪琴なんて軟派なことはやめろ」という雰囲気ができあがっていました。たぶん寡頭侍女たちによる仕込みです。
すなわち、「ゼウス様は至高の自由者である。しかるに、ゼウス様は宴で誰かに音楽をやらせることはあっても、ご自分で音楽をやることはない。だから音楽は自由者にはふさわしくない」という論法だそうで。
そう言われると、ゼウス様が音楽をやっているという話は、たしかに神話でも聞いたことがありません。
生産役は、生産拠点であるふもとの村に住居して、麦作、畑作、果樹作、牧畜、機織りなど、生産にたずさわっている侍女たちです。
彼女たちもそうそう簡単には誘えません。丘の上の宮殿からふもとの村まで、直線距離で2キロメートル離れていまして。呼びに行くのに「ちょっと余暇時間に」って言うわけにはいかない。
こんなわけで、侍女たちは同行者を確保できず、竪琴指南に来られなくなっていました。
メッセンジャー役の侍女が言うには、
「なにとぞ、侍女統轄たちとの話し合いに応じていただきたく」
早い話、「竪琴指南を再開したければ、こちらの手下を同席させるようにしろ。竪琴指南は自治組織の管理の下におこなうように」ってことです。
そういうことを言われますとね。
なんか、逆らってみたくなるんです。
どうにか、ほかの方法でやってやれないものか、と。
それに、このころはまだワタシも若かったので、18歳だったので。血の気が多かったというのもあったかもしれません。
「わかりました。話し合いに応じましょう」
「さようでございますか。それではひとまず返事をもち帰り、話し合いの日時と場所を検討したのち――」
と、メッセンジャー役侍女が話している間に、ワタシは立ち上がって部屋を出ました。廊下を宮殿の外廓にむかって早足に歩く。
「あのっ、モリア様どちらへ?」
メッセンジャー役侍女が追いかけてきました。囲いの中の鶏を逃したみたいに。
「侍女棟ですよ。話し合いに行ってあげるんです。今から」
「話し合いの日時はこちらで――」
「いやいや、それも今から自分で行ってあなたの統轄役たちと話してきますから」
侍女棟、ってのは、宮殿の外廓にある建物で、宮殿管理にたずさわる侍女たちが居住している棟です。
追いすがるメッセンジャー役侍女を無視して、侍女棟の入口にいた門番の侍女たちも無視して、まっすぐ寡頭侍女たちの部屋に行きました。プライベートルームへね。
用件を伝えました。
「メッセージは受けとりました。今から話し合いしましょう。
例の件ですけどね、証人は、生産役の侍女たちから連れてくるから心配しなくていいですよ。
でも、もしそれも駄目で竪琴指南がなくなって、ワタシが暇になってしまったら、ほかにやることもないですし、毎日あなたがたの部屋に遊びに来ようかと思ってるんですけど」
あとは寡頭侍女たちの部屋で遊びました。
寡頭侍女は10人なので、一部屋三時間半ずつ、泊まりがけで二日かけて、ゆっくりゆっくり遊んであげました。調子に乗って、多少、部屋のものを壊してしまったりもしました。
寡頭侍女たちは、みんなワタシの要求を呑んでくれました。
ワタシが侍女棟を出て行くとき、まえに文句を言いにきたあの寡頭侍女が「極道女神ッ」とか喚いてました。
とんでもない。本物の極道女神っていうは、ヘーラー様やアテナ姉様のことを言うんです。寡頭侍女たちは本物の恐ろしさをわかってない。
◆
ワタシは、侍女棟を出た足で、丘の上の宮殿から、ふもとの生産拠点の村へ向かいました。
今回の竪琴指南の取り決めには、じつは穴があるんじゃないかと思いまして。侍女棟へ行ったのは、それを寡頭侍女たちに確認するため、ということもありました。
つまりですね。証人は一人いればよく、その一人がずっとワタシの部屋にいればいいわけです。
◆
で、生産拠点の村の政庁で、村統轄をやっている目つきの悪い小柄な侍女に、事情を話して頼んだんです。
「専業使い番をやっている、あの、ちょっと変な侍女を貸してください」
生産拠点の村に、そんな証人に最適な侍女がいたんです。ちょっと、普通じゃない侍女が。
まえから「あの娘はなんだろう」と思って目をつけてはいました。そのときは、べつに証人につかおうと思ったわけではなかったんですが、今回、こういうことになりましたから。メッセンジャー役の侍女から証人の話を聞いて、「生産村のあの侍女でいこう」と思ったんです。
その侍女は、専業使い番をやっていました。
使い番、とはあの戦国時代の「使い番」のことです。伝令ですね。司馬遼太郎とか隆慶一郎の小説に出てくるやつ。この宮殿では普通、使い番てのは手すきの侍女がやるものでして。専業でやってるのは珍しかったんです。もちろん生産拠点の村でもそのはずでした。ほかの使い番は手すきの者のもち廻りです。でもなぜか、彼女だけは専業でやっていたんです。
専業の使い番なんて必要ないはずなんですね。待機時間が多くて効率が悪いから。
実際、その侍女、待機時間がかなり多かったんです。
ですから、待機時間の多い彼女を証人にスカウトして。ワタシの部屋に一日中拘束しても、問題ないだろう、と思ったんです。村の生産活動に支障は出ないだろう、と。
という、ワタシの頼みを聞いた村統轄の小柄な侍女(彼女は寡頭侍女じゃありません)は黙り込みまして。思案したようすを見せてから、目つきの悪い眼をワタシに向けて翼ある言葉をかけてきました。
「彼女を連れて行かれるのでしたら、ひとつだけ条件がございます。かならず、彼女を五体満足で無事に村へ帰していただきたいのです。彼女は少々特別な仕事をやらせている侍女でございます。専業で使い番をやらせているのもそのため。彼女はおそらく、モリア様にたいへんな無礼を働くことでございましょう。怒鳴りつけるのはけっこうでございますが、どうか殴ったりなどはなさらぬよう、お願いいたします」
諒解しました。暴力をふるうつもりはありません。
「できましたらば、ステュクス河に誓ってはいただけませんか?」
「誓いましょう」
ステュクス河というのは冥界に流れる五本の河のひとつです。神々が大見得を切るとき、この河に誓いを立てます。誓いを立てるときは気をつけないといけません。ペナルティが大きいんです。ステュクス河の誓いを破ったら、一年間仮死状態になったのち、九年間神々の業界を追放されます。この九年は神々の会議や宴へ出席できなくなり、神々の暮らしからも遠ざけられて人間に交ざって暮らさないといけません。
こんな誓いまで立てたのは、ワタシがこの目つきの悪い小柄な村統轄役侍女のことをそれだけ信用していたからです。じつは、彼女のことはずっとまえから、この太陽神の宮殿に来るまえから知っていまして。彼女は仕事のわりふりが上手く、その者にあった仕事を的確にわりふるという、適材適所の管理役でした。
彼女がそこまで言うのだから、専業使い番侍女にはきっと何かあるのだろう、と思いました。
「もし、『こいつは駄目だ』と思いましたならば、すぐに帰していただきますよう。代わりの侍女を行かせますので」
だったらはじめから代わりの侍女でもよかった気がするんですが。ワタシが自分で選んだ侍女ですし。ひとまずは専業使い番の侍女をたのむことにしました。
◆
専業使い番侍女には朝から来てもらいました。そのまま、夕方までワタシの部屋にいてもらうわけです。いつでも竪琴指南ができるように。部屋に入ってきた彼女に翼ある言葉をかけました。
「部屋の近くにいさえすれば、何をしていてもいいですよ」
そうしたら、
「何でも? それって、マスターベーションしててもいいんですか?」
「いいですよ。宮殿を汚さなければ」
「それはあれですね。『肉をえぐるのはよいが、血は一滴も流してはならぬ』ってやつですね」
そう答えると、彼女ははじめて町に出てきた田舎者みたいにワタシの部屋を見廻すばかりで、一向にマスターベーションを始める気配がなかったので、
「マスターベーションしないんですか?」
と訊いたら、
「汚しそうなんで、やめときます」
こんな調子で、この専業使い番侍女、初日からいろいろ問題を起こしました。
第一に、着のみ着のままで来ました。いえ、べつに、何を着てきてもいいんでしょうけど。ほかの侍女たちはみんな毛織肌着に長上衣を着てきているんです。きちんと下衣と上衣を着てきていたんです。ところが彼女は、薄物肌着一丁にほっかむりで来ました。周りを見て、さすがにまずいと思ったらしく、翌日からは登城は薄物肌着一丁とほっかむりで来て、ワタシの部屋で毛織肌着と長上衣とほっかむりに着かえるようになりました。
第二に、廿日大根をもってきました。朝ご飯です。朝のうちは炭水化物は摂らないようにしているそうで。野菜だけ食べるようにしているとか。先に食べてくればいいのに、どうしてここに来てから食べるのか。
「食べてから動くとうんこしたくなりますから。村からここまで歩いて来ないといけませんので」
第三に、そう言って、動いてから食べたにもかかわらず、ワタシの部屋でお腹を下して排便しました。食べたものが大根だったにもかかわらずお腹を下したんです。もちろんおまるを貸しました。床に直接なんてさせません。古代でトイレがないからって、床に出していいということはないので。
これ以後、彼女のことを〈廿日大根の侍女〉と呼ぶことにしました。
廿日大根の彼女にも、歌舞弾琴を教えました。ただ坐ってるだけだと、彼女も苦痛だろうと思って。
いえ違いますね。むしろ、ワタシのほうが苦痛だっだんです。
ただ坐らせておくのがこんなに苦痛だとは思いませんでた。
彼女は歌舞弾琴については、やってみたいという様子もやりたくないという様子も見せませんでした。「お先にどうぞ」と勧められて、「では遠慮なく」という感じで、ワタシの指南を受けました。
あんまり上手くならなかったです。
参加者のなかでは下の下。まったく下手糞というんじゃありません。ほかの参加者たちが上手かったので、相対的にかなり見劣りがするという感じでした。
そもそも上手くなろうという気がなかったですからね。ほかのやりたくて参加してきた侍女たちと違って、彼女は無理矢理つれてこられて、ただ部屋にいても暇だから、っていうんで一緒に竪琴をやろうかという状況だったので。自分自身に起因するインセンティヴがありませんから。
竪琴を用意するときものろのろ動いているし、ほかの侍女が弾いているときもぼーっとして、髪をいじったり、鼻をほじったり、おならをしたり、あくびをしたりしていました。
このままだとほかの参加者している侍女たちにも悪い影響が出ると思ったので、彼女に訊いたんです。
「なにか興味のある芸はありませんか? 『これは上手くなりたい』と思うような芸がひとつくらい」
ワタシは詩歌女神たちに弟子入りして十年間修行したので、学芸は一通りできました。詩歌女神たちの芸ならだいたい教えられたんです。だから、彼女のやりたい芸があれば、歌舞弾琴よりそっちを教えようと思って。
そうしたところ、廿日大根の侍女曰く、
「そうですね。『しゃべる芸』とか、ないですか? わたし、言われてるんですよ。あの目つきの悪い小柄な村の統轄に。『あんたの話は、腹に頭があって、口の上に肛門がある生き物みたいでわけがわからん』って」
「ありますよ、弁論術というものが。なかなかいい選択肢です。もし修得できれば、ですが」
教えてみることにしました。
「ところでモリア様、『腹に頭があって、口の上に肛門がある生き物』ってどんな生き物ですかね?」
「それは、蛸(あるいは烏賊)です」




