プロローグの目的は3つあること 2
黄金の侍女たちは神々によってつくられ、神々の宮殿に住んではいましたが、自分たちの統治は自分たちで行っていました。自分たちのことは自分たちで決め、神々と交渉する必要があるときは、自分たちのなかから代表の交渉役を出して交渉しました。神々に仕えているのではなく、神々と契約して、衣食住と引き換えに労働力を提供する、という形態をとっていたんです。神々も、侍女たちの自治に対しては直接の干渉はしませんでした。干渉するときは、あくまで交渉役を通じて要求を伝えていました。
こんな、一見、面倒くさいことをどうして神々はやっていたのかと言いますと、二つ理由がありまして。
第一は功利的な理由で、獲得や分配や賞罰を自分たちの責任で決めさせたほうが、侍女たちのモチベーションが上がって仕事の効率がよかったからです。
第二は倫理的な理由で、奴隷に対する主人の支配より、自由者に対する自由者の支配のほうが優れたものであり、行為としても崇高なものだと、神々は考えていたからです。
侍女たちの自治組織は宮殿ごとに独立しており、宮殿によって、寡頭的な場合もあれば、民主的な場合もありました。ワタシがやってきた当時の太陽神の宮殿の自治組織は、かなり寡頭的でした。
ですから支配層の寡頭侍女たちは強い権限をもっていました。
この寡頭侍女たちなんですね、横槍を入れてきたのは。寡頭侍女たちは、ワタシが彼女たちの命令系統に割り込んできたと思ったらしいんです。
「新しくやって来たあの痴愚神が、竪琴指南を通じて侍女たちと仲良くしている。侍女たちを手なずけているみたいだ。侍女たちにわたしたちの命令より痴愚神の指示を優先するように働きかけている」と、こんな恐れをもったらしい。
たしかに、竪琴指南に来ている侍女たちにいくらか融通を利かせてもらったことはありました。それは事実です。ただそのことを大げさに言い立てて、ワタシが宮殿の侍女たちすべてを支配しようとしているみたいに思われるのは心外でした。
そしてあるとき、寡頭侍女のひとりがワタシのところへ文句を言いにきました。
「お付きでもない侍女たちに勝手に命令するのをやめていただきたい」
みたいなことを言ってきたんです。ですから、ワタシは翼ある言葉で言いかえしました。
「ワタシは命令なんてしていません。お願いをしただけです」
「それは詭弁でございます。実質的に命令ではございませんか」
「ございませんよ、実質的にも。
命令というのは、部下だとか家来だとか、命令の権限下にある相手に対してしかできません。その代り、無条件に強制力があります。
一方、お願いというのは、目上の相手でもほかの部署の役職者にでも通りがかりのあかの他人にでも、誰に対してでもできます。そのかわり強制力がありません。きいてくれるかどうかは完全に相手次第です。ときには、言うことをきいてもらうために見返りを用意することもあります。それだとお願いというより取引になりますが。
この定義には同意していただけますか?」
「ええ」と、文句を言いにきた寡頭侍女は同意しました。
「『実質的に命令だった』というなら、ワタシの言葉に無条件の強制力があったことになりますね?」
「ええ」と、文句を言いにきた寡頭侍女は同意しました。
「それは一体、何にもとづいた強制力なんですか? どうしてみんなはワタシの言うことをきいたんでしょう?」
「それは、モリア様が女神であるということで、みんなはモリア様の命令をきいたわけです」
「勝手に命令にしないでください。今の場合、『モリア様の命令』ではなく『モリア様の言うこと』と言うべきです。なぜなら、ワタシの言ったことが命令にあたるかどうかを、今まさに検討しているところだからです。今の台詞を言い直してください」
文句を言いにきた寡頭侍女は、小銭を出し惜しみするように言いました。
「モリア様が、女神である……ということで、みんなは、モリア様の、言うことを、きいたわけです」
「で、女神だと、どうして言うことに強制力が働くんですか? 断ると何かペナルティがあるんですか? 神罰が下るとか。
具体的にそのペナルティの内容を言ってみてください」
「それは……」
文句を言いにきた寡頭侍女は唾を呑んで、視線を右下へそらしました。実際、何もペナルティなんてなかったんです。
「たとえば『ワタシの言うことをきかないと首刈るぞ』みたいに言ったとでも? そんな事実、ないでしょう。ペナルティが『女神の言うことを断ることに対する良心の呵責』だったら、それは友人のお願いを断るかどうかと変わらないじゃないですか。良心の呵責ですから。あきらかに『命令』じゃなくて『お願い』です」
文句を言いにきた寡頭侍女は、うずくまった石みたいに沈黙しました。
「で、確認なんですが」
ワタシは黙り込んだ寡頭侍女に、翼ある言葉をかけて、とどめを刺しにかかりました。斃した敵の首はきちんと切断しておかないと、起き上がって反撃してこないともかぎらないので。
「さきほど、『お願いは誰に対してもできるものだ』ということに同意していただけましたよね?」
「え? ええ」
「でしたら、ワタシが誰にお願いしていようと、それは正当な行為ですね?」
「ええ……」
「侍女たちに対しても、個人的にお願いするだけならお願いできるはずですよね?」
「……ええ……」
だんだん寡頭侍女の声が小さくなってきました。
「正直なところ、あなたがたは、侍女たちがあなたがたの命令よりワタシのお願いを優先してしまう、ということが気に入らないわけですよね?」
寡頭侍女は回答につまって、
「いえ、それは……」
「現にいま、侍女たちはあなたがたの命令と同じくらいワタシのお願いをきいている。何の強制力もないはずのワタシのお願いを、です。自分たち上役の命令は、強制力がなくなったらきいてもらえなくなるものなのに。それが自分たちのプライドを傷つける。だから気に食わない。
そういうことじゃないですか? いかがです、その通りですか?」
もし、彼女が顎を上向けて(古代ギリシアの否定のしぐさ)「いいえ、違います」と言ったら、もう一度はじめからこの寡頭侍女と一緒に、原因を検討して分析して確認して、いまここでみんなのまえで、問題の根本原因をつまびらかにしようと思っていました。
寡頭侍女は真っ青になっていました。目はうつろで、呼吸は速くなって、いまにも貧血で突っ伏しそうでした。全身に力が入らないみたいで、膝の上においた手が小きざみに震えていました。
「……ええ……」
吐息だか返事だかわからない返事でした。吐息だろうと、とにかく肯定の返事だったので、ワタシは議論をふりだしに戻さず、先に進めることにしました。
「それはあなたがたの組織内の問題でしょう。自分たちの能力が足りなくて部下に言うことをきかせれられない、って、そういうことじゃないんですか?」
寡頭侍女は返事をする力も残っていないらしく、かすかにうなづきました。
「ところで、お願いをきいてくれるかどうかは完全に相手次第、ということにも同意していただけましたよね?」
寡頭侍女がどうにかうなづいたように見えました。
「あなたが今、ワタシにしているのは、命令ではなくお願いですよね? あなたはワタシに対しては何も権限なんてないはずですから」
侍女が船を漕ぐように首を下に振る。
「じゃ、ワタシはあなたにお願いされている相手として、あなたのお願いをきくつもりはありません」
沈黙。
「ワタシの話は以上です。あなたからこれ以上話したいことがないんでしたら、もう、出てってください」
寡頭侍女は、黙って立ち上がり、黙って出て行きました。櫂船を漕ぎ終わった漕ぎ手みたいなおぼつかない足取りでした。
◆
じつは、以上の弁論には詭弁があったんですね。
〈お願い〉の場合でも、親子とか、教師と生徒とか、先輩後輩とか、上司と部下とか、貴族と平民とかみたいに、そもそも上下関係がある場合で、目上が目下に対してお願いするなら、いくらか強制力がありますね。目下のほうは「お願いを断ると自分に何か不利益がある」と考えるから。
いや、ワタシも、しゃべってるときは気がつかなかったんです。相手をどうにか言い負かせてやろうと思うばっかりで。あとで冷静になって、教師から生徒へお願いする場合を考えて、気がつきました。
ただ、今回のことに限って言うと、ワタシと侍女たちには上下関係は……あんまりないです。神々は、侍女の自治組織から割り当てられた正式な〈お付き役〉以外の侍女に対しては、命令はできないんで。侍女のほうも、もし嫌なら、こっちが「むッ」とするくらい堂々と断わってきます。「それはお付き役の侍女に言ってください」って。ワタシから個人的な便宜を引き出そうとして、取り入ってくる場合は別でしょうけど。
◆
と、このように文句を言いにきた寡頭侍女を追い返したんですが。そうしたらですね、今度は正攻法できたんです。
自治組織が神々と交渉するときは代表者を選びます。選ばれた侍女たちの代表者――交渉役が、神側の交渉役と交渉します。太陽神の宮殿では、侍女の自治組織は寡頭制ですから、交渉役は寡頭侍女たちの誰かです。一方、神側は太陽神の妹の曙女神が交渉役をやっていました。
侍女側交渉役から曙女神へ、ワタシの竪琴指南について苦言が行ったんです。
「痴愚女神モリア様がお付きでもない侍女たちに業務外のことで指図しているので困ります」みたいに。
「モリア様は、そのことについて、とぼけているのでございます」
「これからモリア様の部屋に行くときは、かならず、証人を同行させるようにさせていただきたく。また、証人の同行がないときはモリア様の竪琴指南へは行かせないようにさせていただきたい」
「さらに、同行する証人は、できるかぎり第三者であるよう、かならず『別の部署の侍女』ということでお願いいたします」
神側交渉役のずぼらな曙女神が、
「あー、はいはい。べつにいいわよ」
こうして、正式なルートで取り決めがなされたんですね。
「ということがありました」ということを、ワタシはあとで知りました。
気づかなかったんですよ。曙女神はずぼらなので、いちいちワタシにそんなこと教えてくれませんし。こちらから訊かないかぎり。
◆
で、あるときから、侍女たちが竪琴指南に来なくなったんです。




