プロローグの目的は3つあること 1
プロローグです。
これからお話しするのは一応、ギリシア神話です。
ワタシが個人的に関係した話と、それに類する話ですね。
ご存知ない方々のために、まずは、ワタシが何者か名乗らせていただきます。
痴愚の女神モリアと申します。
古代ギリシア語でΜΩΡΙΑ。
長音まで反映したカタカナ表記だと、モーリアー。
ラテン語名ではストゥルティティア(Stultitia)。
古代ギリシアの神々の一人です。こだわる人は、「神の数え方は『一柱、二柱……』だ」って言うかもしれませんが。
たぶん、ほとんどの方がワタシをご存知ないと思います。
そうですね。ピカソくらいの有名人だったら、説明の必要はないんでしょう。
「Wikipediaを見てください」
で済みますから。
ピカソほどじゃないにしても、アテナ姉さまやアポロン様ていどでもWikipediaに項目があります。名前を言われれば、「あ、あのギリシアの神か」って、おおよその姿と権能・経歴を想像してもらえると思います。
ところが、ワタシの項目はWikipediaにないんです(2017/4/7時点)。英語版もなかったのはショックでした。
自分ではそこそこ有名神だと思ってたんですけどね。戦国武将の山中鹿介より知られていないとは思いませんでした。山中鹿介には英語版Wikipediaがありますので。
「イチローです」
と言うだけで、どこのイチローで何をしている人なのか、わかってもらえるのがクールなんです。
「痴愚神モリアと申しまして、ルネサンス期ネーデルラントの人文主義者エラスムスの著作『痴愚神礼讃』のヒロインで、古代ギリシアの痴愚の女神です」
なんて、長々と名乗らなければならないのは無様です。
かろうじて、日本語版にも英語版にも「エラスムス『痴愚神礼讃』」の項目があったのが救いでした。
ここまでが話の枕です。
◆
ワタシの生まれは至福者の島々ですね。
その故郷を出たのが8歳のとき。
思うところあって、ヘリコン山のムーサイに弟子入り。以後十年間、ヘリコン山で歌舞弾琴と諸学芸の修行を積み、18歳で皆伝を受けて山を降りました。
皆伝を受ける直前、知り合いを通じて、太陽神から「秘書をやってほしい」と頼まれまして。山を降りたあとは、至福者の島々には戻らず、太陽神の宮殿にお世話になりました。
ところが、太陽神の宮殿で暇をもてあますことになりました。
秘書、のはずだったんですけどね。仕事がなかったんですね。太陽神の一日のスケジュールは一定でしたから。夜明け前に太陽の車駕で西へ出ていって、日暮れどきに東から戻ってくるんです。アイティオプス人の国に人間の女の愛人がいたんで、日暮れあとに出ていくこともありましたけど。毎日、基本的に同じスケジュールの繰り返しです。
ワタシに秘書の仕事があるとしたら、宮殿にお客さんがきたときの対応くらいでしたかね。
ところで、今の話につじつまの合わないところがあると思いました?
「夜明け前に太陽の車駕で西へ出ていって、日暮れどきに東から戻ってくる」っていうの。
どうして、西に向かって出ていったのに、東から戻ってくるのか。
説明いたしましょう。
この当時――紀元前1500年ごろの世界というのは、直径7650キロメートルの円盤状になっていまして。世界の周囲を極洋オケアノスという潮の流れが、反時計回りにぐるぐる廻っていたんです。
太陽神の宮殿はその極洋オケアノスに浮かぶ島に建っていまして。島ごと世界を24時間で周廻していたんです。
ですから、朝、東の果てから太陽の車駕で出発した太陽神が、西に降りてくるときには、浮き島の宮殿は世界を半周して西の果てに来ている。「夜明け前に太陽の車駕で西へ出ていって、日暮れどきに東から戻ってくる」ことが可能なわけです。
この太陽神の宮殿、もしくは宮殿の建っている浮き島を、人呼んで〈周廻宮殿〉と言いました。
周廻宮殿で暇をもてあましたワタシは、宮殿の侍女たちに自由のための芸を教えはじめました。なにしろ、太陽神は昼間はずっと黄道で太陽の車駕を走らせている。そのほかの宮殿の居住者である曙女神その他の神々も、ご飯以外は世話いらず。神々以外に、宮殿には宮殿管理の実務をやっていた侍女たちが1000人ほどいまして。ワタシはその侍女たちの一部と親しくなったんです。この侍女たち、人間じゃありません。〈黄金の侍女〉です。
黄金の侍女というのは、ヘパイストス様のつくった自律人形です。
人間の若い女の姿をしており、材料が金であることから金髪金眼白肌、自分の意思をもち、膂力もあり、いろいろな技芸を覚えることもできます。何万体という数が製造されており、それぞれ神々の住居へ送られて、土地建物の実質的な管理をおこなっていました。
たいへん有能で、ワタシの目算ではだいたい、一人で人間十人前の働きをしました。
何をもって十人前か?
力と速さです。
黄金の侍女は人間十人前の力があり、仕事の速さがあるんです。
鉄腕アトムの十万馬力にはいくらか劣るものの、それでも十人力というと、清水の次郎長の乾分の〈桶屋の鬼吉〉と同じだけの力があることになります。これがいかに凄いことか、日本の方にはわかってもらえると思います。ギリシアの女神のワタシにはよくわかりませんが。
速さについてはこんなことがありました。
針に糸を通すんです。十本同時に。
左手に十本針をもって、右手に十本糸をもって、一遍に十個の針穴に糸を通すんです。
はじめて見せてもらったとき、驚愕しました。
ワタシは思わず感想を漏らしました。
「凄いですねえ! 曲芸ですね」
そうしたら十本通しの侍女が、周りにいた九人の侍女たちに一本ずつ、たった今糸を通したばかりの針を渡していったんです。
「縫うときは一人一本ずつなんですか?」
「ええ。腕は一人二本しかございませんので」
それじゃ、一人で十本通ししたって、時間の短縮にも何にもなってないですよ。ワタシは思わず感想を漏らしました。
「だったらはじめから一人一本ずつ通せばいいんじゃないですか」
「ええ。十本通しは曲芸でございますので、実用の役には立ちません」
と答えながら、十本通しの侍女は、アサガオの発芽を早廻しで見せるように、十倍速で縫物を仕上げていきました。
「十人の話を一度に聞き取ったりもできるんですか?」
聖徳太子みたいに。
「耳の穴が二つしかないので無理でございます」
物理的な限界があるものは無理のようでした。
この通り有能な黄金の侍女たちでしたが、彼女たちは自分の意思をもっていますので。暇なときは「暇だ」と感じるんです。侍女の人数というのは、発電所やデータセンターと同じで、多いときに合わせて量を確保してあります。そのくせ電気やデータのやりとりと同じく需要に波があります。仕事の少なくなる時間帯や季節で稼働率が低くなると、せっかく用意した容量が大量に余ってしまうんです。
で、それとは何の相関関係もないんですが、ワタシもたまたま暇でした。
先方も暇、こちらも暇。せっかくの暇でしたから、この時間を利用して、侍女たちに自由のための芸を教える講座を開くことにしました。いや、自由のための芸ってたいそうなこと言いましたけど、早い話、「遊びのための技術」です。それをもっていると人づきあいがし易くなるような芸です。
中世ヨーロッパですと、文法、修辞学、論理学、算術、幾何学、天文学、音楽の七科目なんですけど。ここでワタシが教えることにしたのは、音楽――竪琴でした。当時の状況では、即効性と効果が一番優れていたので。
侍女たちも喜んで習いにきました。
古代ですから。なんてったって娯楽が少なかったんです。
◆
紀元前1500年のミュケーナイ時代の当時、娯楽っていいますと、大まかに分けて四つでしたね。
(1) 誰かと話す。
(2) 歌ったり踊ったりする。
(3) 何かを見たり聴いたりする。
(4) ゲームをする。
誰かと話すのは、もっともポピュラーな余暇の過ごし方でした。ですから面白いネタをもっているとか、話が上手い者はたいていみんなから興味をもたれたわけです。
歌ったり踊ったりするのは、ちょっとみんなで集まったときにやりました。ただ話をするだけにしては人数が多い場合ですね。現代ではもうやらない――いや、日本ですとカラオケがありますか。
何かを見たり聴いたりすることのうち、見るのはおもに花鳥風月のような自然物でした。手品とか皿廻しとかではありません。その手の演芸やサーカスとか演劇とか視覚を主役にして楽しませる創作的な娯楽はまだなかったです。創作があったのは聴覚の娯楽のほうです。たとえば誰かの話や楽器の演奏や歌ですね。ですから聴覚が主役で視覚は補助でした。あ-、でもどうでしょう。建築物とか、着飾った神々の姿を見て楽しむ(人間の場合は、王侯貴族の姿を見て楽しむ)、というのを娯楽にふくめるなら、それらは視覚を楽しませる娯楽でした。
ゲームというのはもちろんテレビゲームではありません。身体一つでやるゲームでしたら、「かくれんぼ」とかですね、「鬼ごっこ」とか、「たかたか坊や」とか。ボールをつかったゲームですと、蹴鞠みたいな、ビーチバレーがもう少しまったりになったボールゲームとでもいいましょうか、つまり『オデュッセイア』6.100前後でナウシカア王女が侍女たちとやってる大きめのボールでやるキャッチボールみたいなやつがありました。
あとはボードゲームで、すごろくっぽい「セネト」というエジプト発祥のゲームがありました。ずいぶん退屈なゲームでした。「セネト」は現在でもAmazonで販売されています。紀元前ン千年前のゲームなんですけどね。ゲームはそのくらいです。カードはありませんでしたし。中世ヨーロッパなら、まだ、バックギャモンがあるんでしょうけど、古代ですからありませんでしたし。
そして、以上の四つを総合したのが、宴でした。
話の上手い者のほかに、楽器ができる者も注目されました。
まず楽器が珍しいものでしたし、習う機会もめったになかったので、演奏できることが珍しかったんです。それでいて、MP3どころか蝋管もない時代ですから、演奏は自分たちでするしかない。そんなとき、楽器演奏という特殊技術をもっていれば、あちこちから引っ張りだこだったんです。
ですから当時、音楽は交際術として重要だったんです。侍女たちの間でも。
このように、かなり需要がありそうだったので、手すきの黄金の侍女たちに、自由のための芸として竪琴を教えはじめたわけで。
まあ、あまり、楽しみとして幾何学や天文学の話をする侍女は少なかったので。ぜんぜん居なかったとはいいませんが。音楽でしたら、だいたいみんな楽しめましたので。客層の一番厚いところを狙ったということもあります。
それに、ワタシは太陽神の宮殿に来るまえ、詩歌女神たちに弟子入りして10年間修行していましたので。痴愚神ながら、歌舞弾琴学芸は一通りできました。
練習につかう竪琴は、ワタシの私的な伝手で用意しました。陸亀の甲羅に革を張った共鳴胴をもつ「リュラ」という竪琴を30本ほど。
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ところが、この、ワタシの竪琴指南に横槍が入りました。




