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硝子色の王子エラシル・ド・フィレンシア

 戦乱の世が終わり大陸には平和が訪れた。とは言いながらも実際のところ、その至る所に火種はくすぶっていたのである。中でも大陸西部の勢力を二分するグランディール帝国とフィレンシア共和国の冷戦状態はその最たるものと言えた。


 そのため、グランディールによるレアンベルクへの侵攻は、フィレンシアとその周辺国には勿論のこと、大陸中の各国に大きな衝撃を与えるものであったのだ。そして、渦中のフィレンシア城では、国王に謁見する一人の男の姿があった。


「それで、中央議会からの返答は?」

「相変わらず『静観せよ』の一点張りでございました」


 国王の問いに、長髪の色男が答えた。二人は同じ青みがかった銀色の髪をしている。


「そうか……最早彼らの理解は得られそうにないな」

「ええ、グランディールの挑発行為よりも、レアンベルクが先に手を出したということの方が大きな判断材料となっているようです」

「彼らを信じた結果がこれか……やはり人の夢とは儚いものよ」

「そうですね、まさに夢のように刹那的な平和でございました」


 男の皮肉を受け、国王は感傷に浸るようにゆっくりと目を閉じて眉間にしわを寄せる。それから王は別件に話を移すべく、真一文字に力強く結んでいたその口を開いた。


「ところでスタシルよ、地獄絵図への御遣(みつか)いの件は順調か?」


 スタシルと呼ばれたのは、間違いなく先程から国王と言葉を交わす長髪の色男である。彼は終始(かたく)なであったその表情を、少しだけ(ほが)らかにして答えた。


「ええ、万事滞りなく進んでおります」

「であるか。こうして義理立てさえしておけば、万が一の際には彼女を頼ることもできるというもの……」

「万に一つなどということは起こり得ませんよ、父上。私の軍が確実に帝国を滅ぼすと、今一度ここに誓いましょう」


 自信に満ちた彼の態度に、王はたまらずため息を漏らす。


「して、スタシルよ……お前を信用していない訳ではないが、今一度確認させて欲しい。此度の件、エラシルのやつは本当に自ら名乗り出たのだな?」

「ええ、勿論でございます。私が父上に嘘をついたことなどただの一度もないのですから」


 スタシルは余裕ある表情で王の問いに答えると、胸に手を当て軽く会釈をした。彼のその様子を見て国王は少しだけ鼻息を漏らし、またゆっくりと目を閉じた。そこに念を押すかのごとく、スタシルが続ける。


「そして、万に一つもあり得えないことではありますが『自分にできるのは有事の際の保険となることくらいだ……』と弟は申しておりました」

「そうか……あやつらしいといえばあやつらしいが」


---------------------------


 同刻、フィレンシア城の巨大な正門がゆっくりと開く。上空にはぶ厚い雲がのしかかっており、屋外は昼間とは思えないほど薄暗かった。曇天の空からは、霧のように細かい雨が断続的に降り注ぐ。


 そして、今にも城門から()()かんとするは、銀の装飾がなされた豪勢な四人乗りの馬車であった。そこには謁見の間で会話を交わしていた二人と同じ、青みがかった銀髪をした青年が乗り込んでいる。


「雨は……しばらく止みそうにないな」


 彼は、大きな目を細めて呟く。二人に比べると随分若くも見える彼の、その銀髪は中でも特に美しく、透き通る硝子(がらす)のような澄んだ銀色であった。それは、男性ながらも、きらびやかな二頭立てのキャリッジに相応しいと言える壮麗さを兼ね備えている。


 そこに同乗するのは二人の女性と御者が一人。二つずつ向かい合う四つの座席の内、前の景色を見渡せる後部座席に銀髪の青年が、それから、前の座席に女性が二人座っている。


 そして、開いた城門の両側には、見送りの侍女や兵隊が控えていたが、それも若干十名程度の非常にあっさりとしたものであった。


「それじゃあ、行ってくるよ」

「行ってらっしゃいませ、エラシル様」


 銀髪の青年もといエラシルは挨拶も簡単に済ませ、御者に出発の合図を出す。その合図とともに、美しい毛並みをした二頭の荷馬(にうま)が力強いいななきを上げて馬車を引き始めた。


 雨天ということもあって、城門から続く大通りには人もあまりいなかった。そして、車窓から城下町の景色を眺めるエラシルの表情は、その天気に合わせるかのごとく憂鬱そのものであった。


 彼が憂いを帯びた表情をすること自体は、決して今に始まったことではなかった。しかし、同乗する二人の女性も手綱を引く御者の男までもが皆、通夜にでも行くのかという暗い面持ちなのは流石に異様な光景だと言わざるを得ないだろう。


 特に、エラシルから見て右前に座っている黒いドレスの女性は、馬車に乗り込んでからというもの、すっかり肩を落とし、両手で顔を覆い隠している。


 その隣、つまりエラシルから見て左前に座っている白いドレスの女性は、その中ではまだ瞳に輝きを残していると言えた。彼女はしきりに二人を交互に見やって、ついには沈黙に耐え切れず、目の前で死んでいるかのように力なくもたれかかっているエラシルに話しかけたのであった。


「そ……それにしても、お見送りまで実にあっけないものでございましたね」


 彼女の言葉を受け、窓に張り付いてしまいそうだった華奢な身体を少し起こすようにして、エラシルは応える。


「こんな時だからね、仕方がないさ」


 彼は今にも壊れてしまいそうな微笑を浮かべて、再び窓の外へと目線を移した。城を出て街を抜けるまでの会話といえばそれくらいなもので、その後は彼女もただひたすらに雨粒の数を数えるばかりであった。


 降り注ぐ雨は勢いを増すこともなければ、止む様子もない。それは彼らの醸し出す暗い雰囲気と相まって、ひどく無機質で惰性的なものに見えた。そしてエラシルは、小降りの雨にもかき消されてしまうような、小さな声で呟く。


「雨は降る、風は吹く、人は死ぬ……一々(いちいち)憂いていたらきりがない」


 そんな彼の杞憂をも置き去りにしていくかのように、馬車は城下を抜け、賑わうフィレンシアの市街地を駆け抜けていくのだった。


--------------------------


 やがて、高さのある建物も少なくなり、彼らが向かうシェオル霊山がその雄大な姿を現す。見渡す限り、前方の地平を埋め尽くすその広大さは、まさに壮観であった。さらに山脈の一角には、雲間からスポットライトのように光が差し込み、霊験あらたかなその御姿を引き立たせていた。しかし、エラシルとその一行(いっこう)は、そんな神秘的な情景に心を奪われるといったこともなく、言葉少なに先を急いだ。


 彼らが隣町を抜けてフィレンシア北東部の大森林に差し掛かる頃、所々に晴れ間も見え始め、二頭の馬もようやく本領発揮といったところでスピードを上げる。出発からは既に数時間が経過し、馬車の勢いとは裏腹に各々疲れの色を見せ始めていた。


 そんな彼らの前に、立ち往生する一台の馬車が姿を現わす。降り続いた雨で地面がぬかるみ、車輪を取られていたのであった。その馬車から少し離れたところに一度止まり、御者はエラシルに尋ねる。


「エラシル様、森は迂回して行きますか?」

「いや……あれを助けて、そのまま真っ直ぐ森を抜けよう。国境を抜けるまでは、僕も一応フィレンシアの王子だ。見過ごすことはできないさ」

「かしこまりました」


 彼らは再び馬を動かすと、前方の馬車へ近づいていく。馬車はエラシル一行のものより大きく、六から八名は乗ることが出来そうなものであった。


「もし、そこのお方、お困りのようだが……手助けは必要かな?」


 なかなか動き出そうとしない馬車を遠巻きに見る長身の美丈夫(びじょうふ)に向け、エラシルは声をかけた。召使いが掲げる雨傘からは、美しいブロンドヘアをした男性の目見麗しい顔貌(かおかたち)が垣間見える。その男は、エラシルを視界に入れるやいなや、爛々(らんらん)と目を輝かせて呟く。


「あーら、可愛い人……」


 男の使いの一人が、事情を説明しているその間も男はエラシルを見つめ続けていた。彼もその視線に気づいて一瞥(いちべつ)するも、すぐに(わき)へと目を逸らし、動かなくなった馬車に歩み寄る。


「車輪がここまではまっているとなると、土台を固めて片方ずつ引き抜くしかないですね。できるだけ多く、木くずや石ころを集めてきてください」


 エラシルは女性達を馬車に残したままで、率先してその場を指揮し始めた。


「木くずに石ころ……ですか」

「ええ、いらない布か紙があればなお良いのですが」

「あるわよ……いらない紙切れがたくさんね」


 そう言って男がばら撒いたのは大量の紙幣だった。それを見たエラシル達は皆目を見開いて驚く。それは、貴重な札束を言葉通りドブに捨てるというその行為よりも、その紙幣がよりによって敵国グランディールのものであったことが問題であった。


「それは、帝国の……!?」


 紙幣に描かれた絵柄を見て、まず御者がエラシルと男の間に割って入る。それから、反応を示した自らの兵に男は待ったをかけた。一触即発の様相に、馬車で控えていた女性たちも一瞬身構えたが、それはエラシルの合図をもって制止されたのであった。


「うふふ……度胸もあるのね、あなた。ますます気に入ったわ」

「お褒めに預かり光栄ですが、そちらの素性を明かしていただいても?」

「これはとんだご無礼を……私はメリア。グランディールのメリア・フェルナンディアスと申します。実は味方を百人ばかり殺してしまいまして、それで国を追われた、しがない雑兵でございます」


 メリアと名乗った長身の男は、相変わらずの女性口調と怪しげな笑顔をして、エラシルに一礼する。その返答として、彼は一度深呼吸をしたあとで肩の力を抜き、口を開いた。


「帝国の騎士であれば、こちらの自己紹介は不要かな?」

「ええ、手配写真より随分と美しいものだから、最初は気づかなかったけれど」

「その上で敵意は無いと?」

「私はもう、帝国とは無関係ですもの。それに、可愛い男の子に私は優しいのよ……」


 含みのあるメリアの低い声色に、エラシルはため息をつきながら力なく笑う。


「申し訳ないが、先を急ぐものでね」

「あら……察するにそちらも"地獄"へ向かわれるのではなくて?」

「ええ、ただその前に少し野暮用があるのですよ」

「そう……残念。もし地獄で会えたら、またお話ししましょう?」

「楽しみにしておきましょう」

「うふふ……」


 メリア一行の馬車はそれからすぐにぬかるみを抜け出し、再び森の中を進んでいくのだった。軽く手を振るメリアに、エラシルは軽い会釈で応える。そして、彼はそれを見送ると、大きくため息をついて馬車へと戻る。


 馬車の中では、同様に安心し切った表情を浮かべる白ドレスの女性と対照的に呆れた様子の黒ドレスの女性がいた。戻ってくるエラシルを横目に見て呆れ顔の彼女が小さく呟く。


「はぁ……あれで自覚がないっていうんだから、本当に(たち)が悪い……」


 そして、彼女はまたすぐに顔を伏せる。その後、エラシルと御者が馬車へと戻ると、彼らも先を急ぐのだった。

 森を真っ直ぐに東へ抜ければ、シェオル霊山まではもう目と鼻の先であるが、彼らは分かれ道を南へと向かう。もちろん御者の男はそれを事前に命じられていたのだが、二人の女性達には聞かされていないものだったのである。


「エラシル様、シェオルへは真っ直ぐに行くべきだったのでは?」

「いや、こっちでいいんだ」

「この森から南方面となると……」

「ああ、ラーディルトに向かってもらってる」


 "ラーディルト"という言葉を聞いて、小柄な女性が目を見開いて驚く。そして同様に、うなだれていた女性の方も上目遣いでちらりとエラシルの顔を見るのだった。


「お気遣いありがとうございます……!」

「何よ、せめてものお詫びってわけ?」


 黒ドレスの女性は、エラシルを睨むように見つめ悪態をつく。


「僕の興味本位でね。君達の故郷を見てみたくて、それで寄ってもらえるように頼んだんだよ」

「あっそう」


 彼女はそれだけ言うと、再び顔を両手で覆い隠す。エラシルと白ドレスの女性も、その後は一つ二つ言葉を交した後、重たい沈黙を繰り広げるばかりであった。


---------------------------


 大森林を南に抜け、小一時間ほど行ったところで、白いドレスの女性がエラシルに話しかける。


「もうすぐラーディルトですね、エラシル様。今日はこの辺りで宿を取られますか?」


 辺りは日も落ち始め、彼らの馬車には夕焼けが照りつける。


「ああ、そうする予定だよ」

「左様でございますか。では、もし観光をされる余裕がありましたらご案内して差し上げますよ!」

「その時は頼む」


 エラシルはまるで他人事かのように、気持ちの乗っていない言葉を女性へと返した。彼女は軽くため息をついて、再び気まずそうな表情を浮かべるのであった。


 それから彼らは、街の中でも有数の絢爛さを誇る宿屋へ馬車をつけると、早々に宿泊の準備を済ませる。御者の男は馬と馬車の手入れをし、女性二人が宿屋へ行っている間、エラシルはというと、相変わらず車窓と一体化するかのごとく、景色を見る訳でもなくもたれかかっていた。それから少しして、戻ってきた女性達が彼に話しかける。


「準備が整いましたよ、エラシル様」


 エラシルは、彼女達の言葉から、少し時間差をもって応えた。


「ああ……ありがとう」


 そして彼は馬車から降り、小さく咳払いをした後改まった顔で口を開く。


「部屋へ向かう前に、君達に渡したいものがある。三人ともこっちへ来てくれるかな」

「渡したいもの……ですか?」


 エラシルは三人を馬車の前へ集めると、懐から小袋を三つ取り出し彼らに渡す。二人の女性は訳も分からず、渡された袋とエラシルとを交互に見やっていたが、一方、御者の男は神妙な面持ちでそれを丁重に受け取る。


「すみません、エラシル様。このご恩は一生忘れません……!」

「全く……僕のことも城のことも、もう忘れてくれと言ったはずだよ」


 力一杯頭を下げる男に、力なく頭を抱えるエラシル。そして、男の背後には女性達はその様子に呆然と立ち尽くす。


「あの……話しが読めないのですが」

「それは、これまで長らく付き合わせたお詫びと餞別(せんべつ)さ。どうか受け取って欲しい」

「餞別……?」


 黒ドレスの女性は怪訝な顔をして、袋の中身を確認する。すると、その中には溢れんばかり宝珠、宝石の類いが詰め込まれているのだった。それは、売れば一生を遊んで暮らせると言ってもいいほど貴重なものばかりであった。


 それから、エラシルは柔らかくにこやかな優しい顔で彼女達の疑問に答える。


「地獄へは僕一人で行く、何も君達まで付き合うことはない。ことがことだったから、先に説明できなくて申し訳なかった」

「はぁ……ちょっと、あんたねえ!」


 彼を睨んでばかりだった黒ドレスの女性が、ついにその怒りをぶつける。


「どこまでコケにしたら気が済むのよ! ただでさえ私達みたいな落ちこぼればかり側付きにして……!」


 (たか)ぶった彼女の目には、うっすらと涙が浮かぶ。


「そのクセ何にも命令しないし、夜だって何もしてこないし、その上でこんな風にされたら、私……もう情けなくてたまらないわ……!」


 感情を露わにしたあと目をそらし、涙目でうつむいた女性。エラシルは彼女の前へと歩み寄ると軽く抱き寄せるようにして、肩を貸す。女性も彼に体重を預け、袋を持っていない方の手で服のすそを強く握り、話を続けた。


「三年前スタシル様のご機嫌を損ねて、私は城から裸一貫で追い出されてもおかしくなかった。今じゃあんたに飼われてるも同然なのよ。何をされても文句は言えないのに、それなのにこんな……」

「ごめんよ、僕はひどい男だね」

「本当よ……」

「どうか僕や城のことは忘れて、故郷で穏やかに暮らして欲しい」

「バカ……」


 白いドレスの女性もエラシルの手を取り、彼を問いただす。


「本当にお一人で行かれるのですか?」

「ああ、もう決めたことなんだ」

「そう……なのですね。私も国王様の壺を駄目にしてしまった時は、生きた心地がしませんでした。この首が今でも繋がっているのはエラシル様のおかげだと思っています」

「はは……大げさだよ」

「そんなことはありません、それくらいに感謝しているのです!」

「ありがとう、君達にそう言ってもらえただけでも、僕はあの場所にいたことを誇りに思えるよ」


 別れを惜しむ二人からの抱擁を受けながら、彼は笑顔とも無表情とも取れる安らかな顔をしていた。それは、この世の幸福を全て諦めたような、この世の絶望を全て受け容れるような、そんな不思議な表情であった。


 翌日、まだ日も上らぬ頃、エラシルは一人馬に乗って目的地へと向かう。相も変わらず憂鬱な表情を浮かべて。


 それから数日後、彼の姿は地獄絵図の入り口にあった。そして、目を見開く彼の視線の先には、多量の血を流す一人の女性の姿があった。

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