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火薔薇の皇女シャルメーヌ・プランシェ

 火の手が上がる町並みを背に、一輌(いちりょう)の馬車が荒野を駆け抜ける。四頭立てのそれは、本来なら荷物を運ぶための大きなキャラバンであるが積荷はささやかに、乗員も数えるほどであった。


 その中でも特に目立つ赤い鎧を(まと)った美少女が、猛々(たけだけ)しく声を荒げる。


「降ろせ……! 今すぐ降ろすんだ!」

「姫様、おやめください……!」

「止めるなリーデ、私にはまだやらなければならないことが山ほどあるのだ!」


 鎧の姫シャルメーヌは一片の躊躇もなく、疾走せし馬車から身を乗り出す。幼き侍女リーデヴェルチが背後から抱きつき、まさに全身全霊をもって押さえ込んでいなければ、彼女は本気でそこから飛び降りていたことだろう。


 ひとまず強行手段を断念したシャルメーヌは、続いて御者台(ぎょしゃだい)で手綱を握る黒い燕尾服(えんびふく)の男を鋭く睨みつけ、そして力強く言い放った。


「シャヘル、今すぐ引き返せ! 私は祖国を捨てて逃げ回るような腰抜けに育てられた覚えはないぞ!」


 燃え盛る(ほむら)が如き姫君の烈烈(れつれつ)たる怒号をその背に受けつつも、白髪混じりの御者(ぎょしゃ)シャヘリザルトは気品すら感じさせる余裕の振る舞いで受け流す。


「なんとか言え、シャヘル!」


 シャヘリザルトは小さくため息をつき、周囲の様子を今一度見回す。後方の月明かりと街の戦火によって、夜の荒野はいつもより明るかった。東へ向かう彼らから見て左右となる南北には、地平線を遮ることなく荒野が続き、彼らの遥か前方には雄大な山脈がそびえ立つ。


 そして、辺りに危険がないことを確認し終えたシャヘリザルトは、とうとう観念して彼女の罵詈雑言に飄々(ひょうひょう)とした様子で応えた。


「姫様や、久方ぶりの外出でございますゆえ、もう少し余裕を持ち、楽しまれてはいかがでしょう?」

「ふざけるな……! 兵も民も家族も、何もかもを見捨てた挙句、それで呑気に笑っていろと言うのか!?」

「いいえ、そうではこざいません。今の内にこのレアンベルクの景色を眺め、聴き、吸い、感じ、想いを馳せ、楽しまれておいた方がいい。なにせ我々は民を救うべく、文字通りの"地獄"へと向かっているのですから……」


 言葉と同時に、彼は少しの(しわ)と歴戦の傷跡が刻まれた勇ましい顔をしかめる。シャルメーヌはというと、全く予想だにしなかった返答に困惑し、その大きな瞳を左右に泳がせた。


「じ……地獄だと?」

「ええ、正しくは大陸中央にそびえるシェオル霊山の、その大渓谷にぽかりと空いた縦穴洞窟の底。世界の(ことわり)たる三王(さんおう)が一角、冥王プトゥルフ様の御座(おわ)す地でございます」

「その冥王……とやらに会って、一体何をどうするというのだ。まさか、今さら戦勝祈願をしに行くわけでもあるまいな?」


 シャヘリザルトは彼女の発言に、全く気兼ねのない大笑いをもって応える。爆破寸前の爆弾のような姫君を、あえて挑発するような彼の応対に、同乗するリーデヴェルチと三人の騎士達は冷や汗を垂らすばかりであった。


 そして、ようやく笑い飽きたといった様相の執事シャヘリザルトが続ける。


「それも良いですなぁ。ただ……残念ながら、かの地で執り行われるはこれまた戦争。地獄の領土争いにてございます」

「さっぱり話が読めん……」


 シャルメーヌは目を閉じ、眉間にしわを寄せる。それから、何かに気付いたかのように、目尻をピクリと動かした。


「よもや貴様、このまま私を(たばか)って、気付かぬ内にどこかへ逃してしまおうという魂胆か!」

「ふむ……そうできたのなら、どれだけ良かったことでしょうか。しかし、地獄における"擬似戦争"への参加は、我らが国王様よりの勅命なのですよ」

「父上の……!?」

「ええ、そのご意向をこれよりお伝えいたします」


 姫は固唾を飲んで、シャヘリザルトの言葉に耳を傾けた。


「レアンベルク第一皇女シャルメーヌ・プランシェ以下五名に、地獄絵図の統一および、“冥王の加護”を持ち帰る任を命ずる。それこそが勅命の内容でございます」

「冥王の加護……それがあれば戦況を打開できると?」

「左様。何せかの冥王こそ、大陸に"十年間の完全平和"をもたらした真の立役者なのですからな」


 元々大きな二重の(まなこ)をさらに見開いて、彼女は小さく呟いた。


「大英雄ゲイルが用いたという"王の力"か。噂に尾ひれのついた御伽噺(おとぎばなし)の類いだとばかり思っていたが……」

「その力は確かに実在しています。そして現在かの王は、戦争のし足りない猛者を大陸中から集め、それらを戦わせているのです。自らの力を報酬として……」


 次から次へと語られる逸話の数々に、まるでついていけないといった様子のシャルメーヌ。そして、彼女はその中でも真っ先に浮かんだ疑問を老執事にぶつけた。


「十年前、その冥王が英雄ゲイルとともに戦乱を沈め、その後もくすぶる火種を摘み取ってきたというのは分かった。しかし、それだと今までの十年間、そこでは絶えず戦争が行われていることになる……」

「ですから、そう言っているのですよ……姫様」


 人生の半分以上を平和な時代の中で生きてきたシャルメーヌにとって、シャヘリザルトの語った内容はそう易々(やすやす)と信じられるものではなかった。


 歳の近いリーデヴェルチは、そっと姫君の手を握る。目を合わせ、少し気まずそうに微笑む彼女を見たシャルメーヌは、ようやく肩の力を抜きゆっくりと腰を下ろした。


 そして、冷静な思考と判断力を取り戻し、彼女は口元に指を当て、論理的にシャヘリザルトの話を読み解いてゆく。


「言われてみれば、突如として平和がもたらされた大陸に、これまでグランディールのような侵略国家が全く出てこなかった方がおかしいというもの……」

「ええ、おっしゃる通り」

「しかし、戦争には人員、物資、そして何より金がいるだろう。どのようにすれば、十年間も戦いを続けていられる……それも、シェオル霊山という辺鄙(へんぴ)な場所で」


 姫君はさらに思慮を巡らせた。青い瞳を右へ左へと一往復させると、すぐに一つの答えにたどり着く。


「そうか、先程そなたは"領土争い"に"擬似戦争"と言ったな」

「はい」

「なるほど。冥王の力を借り受けることで武器が不要。そして領土のみを奪い合っているのであれば人も金もいらず、食料だけあれば良いという算段だろう」

「さすがはシャルメーヌ様、八十点というところですな」


 シャヘリザルトは、あくまで真面目に、中立公平な立場で彼女の言葉を評価する。シャルメーヌは前かがみになって、彼の次なる言葉を待った。


「まだ何かあるというのか?」

「ええ……かの地では人が死なぬどころか、腹は空かぬ、瞼も落ちぬで、色さえ好まぬようになるとのこと」

「そんな馬鹿な……いずれも人の最も大きな欲求ではないか。むしろ、それがあってこそ人と呼びうるというものだろうに……」

「ほんに、そうでございますな。ただ、そうあるからこそあの場所は"地獄"と呼べるのかもしれませぬ。なにせ闘争本能だけが人を支配し、ひたすらに傷つけ合うことを余儀なくされるそうですから」


 シャルメーヌは、しばらく考え込むように目を伏せた。隣の侍女と三人の騎士達は、心配そうにその姿を見つめている。

 広い荒野のど真ん中では、彼らの他に音を立てるものもなく、一度(ひとたび)姫が口を(つぐ)めば、馬と車輪が地を駆ける音だけが響き渡った。

 その最中、姫君がどのようなことを考えていたのかは誰にも分からない。ただ、その後沈黙を破ったのは彼女の不敵な笑い声であった。


「作り話にしては、嫌に具体的なものだな……」

「全て真実にございます」

「そうか。いや……そうなのだろうな」


 冷静な口調、表情の中にも、その瞳の奥では確かに炎が燃え上がらんとしていた。先程までの怒りに任せたものではなく、信念と勇猛さに裏付けられた揺るぎない炎が。


「シャヘルよ、(おおよ)そ猶予はどの程度あると考え良い?」

「現状の国力では、もってせいぜい半月というところでしょうな」

「そうか……シェオル霊山までの往復時間を差し引いて、約十日余り。ふふ……無謀だ、無理難題だ……!」


 言葉の重みとは裏腹に、彼女は不敵に笑ってみせた。そして、シャヘリザルトの元へ近づくと、彼の肩に手をかけて彼女は続ける。


「しかし、我々に残された道は、もうそれしかないということなのだな?」

「おっしゃる通りでございます、姫様」


 両者はニヤリと片側の口角を上げ、目を合わせる。


「どうやら覚悟は決まったようですな」

「ああ、貴様の口車に乗ってやることにしたよ……シャヘル。私は何としても冥王の加護を持ち帰り、必ずや帝国からレアンベルクを取り戻すと誓おう!」


 それから彼女は地平線に消えゆく祖国を見つめ、小さく何かを呟く。遠ざかる西の空は、夜更けとともに明るさを増してゆくのだった。

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