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ありがとう。(5)





その後、俺達はエントランス奥にあるラウンジのソファ席で向かい合っていた。


《 何にしますか? 》


スマホの画面で訊いてきた彼女に、俺も急いで自分のスマホを取り出し、テキストのページを開く。


《 じゃあ、ホットコーヒーで 》


《 一緒にケーキはいかがですか?今日はクリスマスですし、クーポンもあるので。甘いものは大丈夫ですか? 》


「ケーキ?あ、えっと…甘いものは、」


意外な提案に、思わず声が出てしまう。

けれどすぐに彼女には聞こえてないのだと思い出し、指を動かした。


《 大丈夫です 》


《 それじゃオーダーしますね 》


スマホを見せるなり、彼女はスタッフに片手を上げて合図した。

ここは俺がオーダーした方がいいだろうと思ったが、こちらを見た彼女の目は、まるで ”任せてください” とでも言っているようだった。

そしてやって来たスタッフに慣れた感じでオーダーを済ませてしまったのである。

このスタッフは手話こそ流暢ではなかったものの、彼女が話し言葉を使わないということは理解しているようで、簡単な挨拶程度の手話を交えてオーダーを受けていた。


一連の様子からして、彼女は、このホテルにずいぶん馴染みのある客なんだなと思った。


スタッフが戻っていくと、彼女はまたスマホに文字を打ち込みだした。

その指先の爪は薄いピンクやベージュっぽい色が乗っていて、清楚な印象を受けた。

でも、もし彼女のネイルがカラフルだったとしても、それこそ、今日の合コンに来てた女の子のように幼児玩具のような賑やかなものだったとしても、俺は、それはそれで可愛らしいとか思ってしまいそうな気がしていた。

合コンの女の子達には申し訳ないけど。


ピンクベージュの指先がぴたりと止まると、彼女のスマホが俺に向けられた。



《 わざわざ拾って持って来てくださって、本当にありがとうございました。せっかくのクリスマスなのに、ご予定を狂わせてしまったのではないですか?すみませんでした 》


改めて礼と謝罪を言われて、俺もすぐにスマホを操作する。


《 いえ、どうせ暇だったので。無事に渡せてよかったです 》


スマホ越しの会話も、どうにかテンポを掴めそうな気配がした瞬間だった。


彼女はもう一度|《 ありがとうございました 》と言って、

そうして俺達は、ケーキやコーヒーを堪能しながら、指先の言葉で会話を弾ませていったのだった。



同年代に見えた彼女は、俺よりも三つ年上だった。

神戸在住の会社員で、東京には親戚や知り合いが多く、上京するたびにこのホテルは家族でよく利用しているらしい。手話に慣れてるスタッフが多いことから、彼女が一人で宿泊することにも不便はないそうだ。


こんな一流ホテルの常連だなんて、もしかしたらどこかのお嬢様だろうかと思った俺の先手を打って、彼女は、

《 普通のOLの身では、こんなホテルに泊まるなんてかなりの贅沢なんだけどね 》と笑ってみせた。


それから、俺のことも訊かれた。

クリスマスの夜に一人で街をうろついてた理由が、まさか合コンを抜けてきたからだとは言いにくく、俺は《 この近くで用があったから、帰りにツリーを見に寄ったんです 》と誤魔化した。あながち、全部が嘘ではないのだから。

そして話題の延長で、《 あなたは、クリスマスの日に一人でこのホテルで過ごすんですか? 》と尋ねたのだった。


瞬時に、彼女の顔色が変わった。


特におかしな質問ではなかったはずだ。

話の流れ的にも全然不自然じゃない。

ただ、彼女の沈んだ表情を知っている俺としては、自分の選択が正解でなかったことにすぐ気付いてしまった。


”すみません。一人でいる俺がどの口で言うんだって話ですよね”

”こんな素敵なホテルで一人自由に過ごすのも贅沢ですよね。羨ましいです”

”だいたい、日本人は仏教徒が多いのに、クリスマス、クリスマスって、ちょっと浮かれ過ぎですよね”


とっさに、いろんな角度からのフォローは思い浮かんだが、どれが正しいのか推し測れない。

こんなとき、口から出る言葉だったら、”あー…” とか ”ええと…” とか、沈黙を埋めることもできるだろうけど、彼女にはそれは使えない。

俺達のテーブルでは、二台のスマホの上でしか言葉は踊らないのだから。


今日会った先輩みたいな人だったら、スマホ越しでも楽しい会話を続けられるのかもしれない。

でも俺は、そんな風にはできないのだ。

けれどだからと言って、この沈黙の終わりをただ待つだけなのは嫌だった。



―――――よし。



心を決めた俺は、さっきまでよりも速いスピードでスマホに文字を打ちはじめたのだった。



《 何かあったんですか?実は俺、さっきホテルの前であなたを呼び止めようとしたんですけど、あなたがなんだか悲しそうな顔をしていたので、思わず声をかけそびれたんです。だから、ちょっとだけ気になってしまって…。もし何かあって、気持ちが沈んでるなら、俺でよければ話を聞きますよ。今日出会ったのも何かの縁ですし、見ず知らずの俺にだったら何を言っても平気ですよ 》


俺のことをよく知ってる人間がいたら、俺の打ち込んだメッセージに驚愕したことだろう。

こんな風に、他人に自ら踏み込んでいく俺なんて、俺自身でもはじめて見たのだから。


でもどうしても、彼女の憂いを払ってあげたかった。

俺に出来るのであれば、の話だが。



彼女はテーブルの上のスマホを覗き込むようにしてメッセージを読むと、俺を見上げ、ちょっと複雑そうな、微かな作り笑顔を見せた。

そして少し視線を逸らしたのち、またあの手話をしたのだった。


”ありがとう”


俺が今日はじめて教えてもらった手話だ。


”ありがとう” と言った彼女は、すぐにスマホを触りはじめると、今日あった出来事を教えてくれた。


その説明によると、今日、彼女は、俺が拾ったキーホルダーのアニメのファンサイトで知り合った人達と会う約束をしていたらしい。

いわゆるオフ会みたいなものだろうか。

そのためにわざわざ神戸から来たわけだが、彼女はファン仲間には自分のことを詳しく明かしてなかったそうで、自分の耳が聞こえないことを気にして、一度は集合場所に行ったにもかかわらず、ホテルに戻って来てしまったというのだ。

集合場所にはそれらしいグループがいて、みんな楽しそうにおしゃべりしていたと。

その中に、私みたいな筆談でしか会話できない人間が参加したりしたら、楽しい空気が台無しになりそうで、だから急に具合が悪くなったとメールして、ドタキャンした。


そこまで文字を打ったあと、まだ続けようとした彼女を、俺はテーブルを指先で叩いて、一旦止めた。

スマホでの会話は、相槌や頷きが難しいのだとはじめて知った。

だが俺の意図は彼女に伝わったようで、指先は止まってくれた。


《 具合が悪いというのは、ただの口実ですか?それとも本当に体調が悪い? 》


急いで打ち込んだので、砕けた文章になってしまう。

すると彼女はパッとスマホから俺の顔見やり、嬉しそうに破顔したのだ。

そして自分のスマホに返事を表示した。


《 ただの口実。体調はどこも悪くないよ。ありがとう。あなたはとっても優しいね 》


「え?俺がですか?」


つい口で返してしまった俺は、右手を振って ”ないない” というジェスチャーをした。

だが彼女はすぐさまスマホで、


《 優しいよ。今も、面倒なのにスマホで会話してくれてる 》


《 それは、俺は手話ができないから 》


《 でも面倒でしょ 》


「まあ、そりゃ…」


呟いた俺を、彼女はじっと見つめてくる。

俺はその目に、何て返すのが最善なのか、分からなかった。


”そんなことないよ” と答えるのは簡単だ。

でも実際、口で話して会話するよりも手間はかかってるのだから、そんな返事は綺麗ごとにも感じてしまうかもしれない。


俺は、にわかに手持ち無沙汰になってしまった指でフォークを握ると、食べかけのケーキをひと口だけ口に放り込んだ。

クリスマス仕様の生クリームケーキは、俺には少しだけ甘すぎる気がした。

そしてまるでその甘さの反動みたいに、俺は、少しだけ苦めのメッセージをスマホに書き込んでいった。










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