ごちそうさまでした。(7)
「え?ちょっと待ってください!」
真っ先に夫が引き止めたけど、私だって思わず立ち上がっていた。
「あなたが一緒にいてくださらないと、俺達だけでディナーなんてできませんよ」
「そうですよ!私達はあくまでもあなたのお連れ様の穴埋めなんですから。あなたが帰ってしまわれたら本末転倒です」
けれど男性はなぜかおかしそうにクスクス笑い出したのだ。
「……失礼。あまりにもお二人の表情が似ていたものですから。ですが………そんなあなた方を見ていて、僕も、今日来られなかった彼らに会いたくなったんですよ。僕が会いに行って何か手伝えるわけではありませんけどね。でも、ディナーが終わってからでは遅くなってしまうでしょう?ですから、もうこのあたりで失礼しようかと……。それに、あなた方も、僕がいない方が気兼ねなく話せるでしょう?どうかたくさん話してください。すれ違いでできた溝を埋めて埋めて、小高い丘になるくらいにたくさん」
お友達ご夫婦にはやく会いに行きたいのだと言われては、これ以上引き止めることはできなかった。
例え、後半部分の、”私達夫婦に話し合う時間を持たせること” が男性の意図だったとしても、お友達ご夫婦のことを持ち出されてしまったからには、否定はできない。
私も夫も、引き止める手を下げるしかなかった。
「………わかりました。ご厚意を有難く頂戴いたします」
「いろいろと、ありがとうございました。あの、差し支えなければ、ぜひお名前とご連絡先を……もちろんお嫌でなければ、ですけど」
ここまでよくしていただいたからには、後日改めてお礼をと思ったのだ。
ところが、男性はこれを柔らかく固辞した。
「お互い、名前も、どこの誰かもわからない出会い、というのも、クリスマスらしくていいと思いませんか?正確には、クリスマスには数日早いですけどね。名も知らぬ相手からのクリスマスプレゼント、ということにしておいてください。僕も、今夜あなた方に出会えてよかったです。それでは、そろそろ行きますね。ああ、見送りはいいですよ。もうすぐスタッフの方がいらっしゃるでしょうから。では、メリークリスマス!どうか末永くお幸せに」
男性は晴れやかな面持ちと、クリスマスに似合いの高揚感たぷりに、私達に手を振った。
「あ、メリークリスマス!ありがとうございました」
「本当にありがとうございました。今日のこと、一生忘れません」
私が急いでそう伝えると、男性はちょっとだけ足を止め、「それは大袈裟ですよ」と笑った。
けれどすぐに「それじゃ、失礼しますね」と告げ、部屋を後にしたのだった。
二人きりになった個室は、しんと静かになってしまったけれど、私達はどちらからともなく笑い出していた。
それが何の種類の笑いなのか、私も夫も、はっきりとした理由はわかっていないのかもしれない。
でも、ついつい、笑みがこぼれてしまうのだ。
やがて、女性スタッフがノックとともに戻ってきた。
「失礼いたします。楽しそうな笑い声が外にまで聞こえてまいりましたよ。メニューはお決まりでしょうか?」
笑い声が部屋の外にまで漏れていたことに恥ずかしくなってしまったものの、その後の私達は、楽しくて、あたたかで、幸せなクリスマスディナーの時間を過ごしたのだった。
それこそ、昨日のすれ違いを修復し、小高い丘を登るほどにいろんな話をしながら。
そうして、この上なく優しく穏やかな喧嘩を終えた私達は、お会計のときになって、やっと、このクリスマスディナーの真実を知ったのだった。
※
「え………?」
「ですので、本日のお食事代はある方にすでに頂いておりますので、改めてのお支払いは必要ございません」
夫がテーブルでチェックしてほしいと伝えたところ、スタッフからそう告げられたのである。
この展開において、ある方が誰を指しているのかは明らかだろう。
「いや、それは困ります。個室代はご厚意でいただいたとしても、自分たちが食事した分はお支払いさせてください」
夫がスタッフに食い下がったが、対する反応は芳しくはない。
「ですが、私どももある方から強く依頼されておりますので、その方からのクリスマスプレゼントということで、お受け取りいただけませんでしょうか?」
スタッフの方も困った様子ではあるものの、引きさがる素振りはない。
今日の夫とのやり取りを見てきた中で、この女性スタッフがここまではっきりと夫の主張に異を唱えるのははじめてだ。
それでも、夫は懸命に支払いたいのだと訴えた。
だけど、やはり女性スタッフは受け付けてくれない。
どうやらよほどあの男性の依頼を重んじているようだ。
このままでは押し問答が終わらないように思えて、私は夫と女性の間に割って入ることにした。
「あの……。せっかくのご縁ですので、今日のところはご馳走になるとして、私達もあの男性に ”お返し” をさせていただきたいのですが……」
スタッフの女性は「男性、ですか……?」と意外そうに訊いた。
「ええ、今日このお部屋を予約なさってた男の方です。聞くところによると、毎年こちらのホテルでクリスマスディナーを予約なさってるとか。それでしたら、その男性の来年のクリスマスディナーの食事代を、私達に先払いさせていただけませんか?もちろん、男性のお連れ様の分も含めて三人分のお食事代を」
すると夫もこの案に賛同してくれた。
「それはいい。是非そうしよう。料金が変わってしまう可能性も考えて、今日、多めにお預けしておきますので、それでお願いできませんでしょうか?」
ところが女性スタッフは心苦しそうに表情を歪めたのだ。
「………まことに申し訳ございません。仰ってることもお気持ちも重々承知いたしますが、当ホテルではレストランのご予約を一年前からお受けすることは……」
「では、いつからでしたら予約できますか?もちろん実際に予約されるのは男性ご自身ですが、その代金を私達がお支払いすることは可能ですよね?」
夫が畳み込むよう重ねて問う。
だがそれでも、女性スタッフは顔色を曇らせたままだ。
夫はなおも食い下がった。
「実は私達はこちらのホテルで結婚式を挙げさせていただいたのですが、その際、それぞれの家族の宿泊代は私達に請求をまわしていただいたんです。ですから、食事代でも同じようにできますよね?」
仕事で毎日海外の方と接している夫は、自分の主張をきちんと相手に伝えることの重要さを熟知しているのだ。
丁寧に、謙虚に、でも主張はする。
そこまでして聞き入れてもらえないことなら、こちらの出方を変えるしかない………夫からそう聞いた覚えがあった私は、いまだ受け入れの返事をくれないスタッフに、これ以上お願いしても無理のように思えた。
「…………わかりました。ホテルの決まりごとでしたら、無理にお願いするわけにもいきませんから……申し訳ありませんでした」
「いえ、こちらこそご希望に添えず、まことに申し訳ございません」
私が諦めを口にしたことで、夫が「でもご馳走になったままというのはな……」と肩を落とす。
そんな夫を慰めるつもりで
「だけどあの男の人もお名前は教えてくださらなかったでしょう?きっと、そういう方なのよ。だったら、これ以上私達がしゃしゃり出るのも控えた方がいいわ」
すると夫も「うーん………まあ確かにそうかもしれないけど………」と、納得すうような反応を見せたのだ。
けれど、今度はスタッフの女性が食い気味に訊いてきたのである。
「お待ちください、今、あの男の人が名前を教えてくださらなかった………と仰いましたか?」
目を大きく見開き、信じられないといった態度だ。
「え……?ええ、そう言いましたけど……」
「ではお客様同士はもともとのお知り合いだったということですか?」
「え?ああ、いえいえ、さっきはじめてお会いした方です。私達の予約が通ってなかったと知り、たまたまお連れ様が来られなくなったとかで、同席を提案してくださったんです」
簡単に今日の経緯を説明すると、女性スタッフはさらに驚愕の表情になった………かと思えば、すぐに大きく腑に落ちたときに出るようなしみじみとした笑顔に変わったのだった。
「……………そうでしたか……………そういうことでしたか………………」
ひとりだけで大きく納得する女性スタッフに、私も夫も意味がわからないと顔を見合わせた。
「あの……?」
代表して夫が問いかけると、女性スタッフはにこやかに「失礼いたしました。ご説明させていただきます」と告げ、スッと姿勢を正した。
「結論から申し上げまして、やはり、本日翌年のご予約をお受けすることも、お食事代を代わりにお支払いしていただくことも、難しいかと存じます」
さっきと何ら変わりない返答に、私も夫も「そうですか………」とため息を吐いた。
だが、そこで終わりではなかったのだ。
女性スタッフは穏やかに続けた。
「というよりも、あの方が来年以降、当ホテルでクリスマスディナーをお召し上がりになること自体が、不可能なのです」
「…………え?」
「それは………どういう………?」
「お亡くなりになったのです」
「………………は?」
「………………えっ?」
「本来ならばお客様の個人情報をお伝えすることは厳禁ですが、この件に関しましては、ご本人ならびにご家族のご了承をいただいておりますので、私の判断でお二人にお伝えさせていただくことにいたしました」
私も夫も、女性スタッフの説明がすぐには頭に入ってこなかった。
だが、ややあって。
「え?え?え…………ちょっと待ってください!そんな冗談笑えませんよ。だって今日、ついさっき、我々はその方とお会いしたんですよ?そこで聞いたんです。今夜三人でこのレストランを予約していたけど、お友達のご夫婦が来られなくなったと」
「そうですよ!それでちょうどいいからご一緒しませんかと誘っていただいて…………あなたも一緒に会ってますよね?この部屋にも一緒にいましたし、メニューだって………」
「いいえ…………残念ながら、私は本日、このお部屋ではお二人にしかお目にかかっておりません」
「ええ………?」
今一度、あの男性と女性スタッフとのやり取りを思い返してみる。
すると……………確かに、女性スタッフの方は一度も男性と目を合わせていないし、見ようによっては、男性が一方的にしゃべっていただけのようにも見えてしまう。
そして私は、ふとあることに気付いたのだ。
「…………ねえ、待って、あの男の人、お友達のご夫婦のご家族が重病で、容態が悪化した………って言ってなかった?」
私は自分の発言に、血の気が引いていった。
夫も同じく、顔色を蒼くさせていた。
「お三方は、ご家族様でした。とても仲の良いご家族様で、毎年、こちらでクリスマスディナーをご予約されていました。いつも息子様がご予約をお取りになって、お支払いもなさっていました。ですが昨年、ご病気になり、今年のクリスマスは来られるかわからないけど、予約をさせてほしい、そうお申し出があったのが今年の夏の終わりでした。息子様はお仕事を休職されていましたので、もしかしたら今年はご両親が支払うと言い出しかねない、だから先払いにさせてほしいとも仰いまして、三名分のお食事代を多めに預かっておりました。ですが今月に入り、体調が思わしくないのでもしかしたら当日キャンセルになってしまうかもしれない、その場合は返金の必要はないから、代わりに、予約せずに店に訪れた人がいればその方々にご馳走して差し上げてほしいとお電話がありました。その際、どこの誰かもわからない相手に奢られるなんて気味悪いだろうから、必要があれば、自分のことを話してくれて構わないからと、そこまで仰ってたんです」
そのあまりの衝撃に、私と夫は言葉を失うしかなかった。
「そして先週、入院されたと、ご家族からご連絡があり、今日、穏やかに息を引き取られたと………」
女性スタッフの目が、潤んでいるように見えた。
「今日の、正午ごろのことだったそうです」
「え………正午って………」
「あなた様がご予約のお電話をされたというお時間です。そして、先ほどは申し上げませんでしたが、当ホテルの電話予約受付に、男性スタッフは存在しないのです」
「―――――っ!?」
「え…………?」
驚きを重ねるばかりの私達に、女性スタッフは静かに微笑みながら告げた。
「もしかしたら……………かもしれませんね」
女性スタッフはそう言ったあと
「驚かせてしまい、申し訳ございません。お気持ちを整えられる時間が必要かと存じますので、何か温かいお飲み物をお持ちいたしますね。どうぞ、お時間のことはお気になさらず、ごゆっくりお過ごしくださいませ」
と、恭しく頭を下げて部屋を出ていった。
しばらくして、ようやく事態が飲み込めた私は、無意識に夫を見上げていた。
夫も私を見つめ返してきて。
「……………こんなことって………」
「……………信じられない………」
だけど不思議と、怖いとか気味が悪いとかは思えなくて。
「……………ありがとうございました………って、言うのが正しいのかな」
夫がそっと私の手を握ってくる。
私もその手をしっかりと握り返した。
「そうね……………でも、あの男の人の感じからは、『ありがとうございました』よりも、『ごちそうさまでした』の方が喜んでくださるような気もしない?」
「ああ、確かに」
頷く夫の温もりを、今、つないだ指先から、確かに私は感じている。
そしてこの温もりがある日突然なくなってしまう可能性があることも、確かに私は知っている。
「…………ねえ、私達、これからもたくさん、話をしましょうね。重要なことも、些細なことも」
「そうだな。たくさん話そう。未来のことも、過去のことも」
「過去のことって……思い出話?」
「ああ。今日出会ったあの男の人のこととか、ディナーで食べたシャリアピンステーキのこととか、シャイアピンステーキといえば、結婚式前夜にきみがスイートルームでひとりでシャリアピンステーキを食べたこととか………ふたりしか知らない思い出話を、たくさんしよう。ふたりの思い出が増えれば増えるほど、未来にどんなことが起こっても乗り越えられる自信につながるはずだから」
「…………そうね。私もそう思うわ。たくさん話をしましょう。時間は有限なんだから………」
二人で固く誓い合い、それから、空いてる席を揃って見つめて、心を込めて告げたのだった。
「ごちそうさまでした」
「ごちそうさまでした」
ごちそうさまでした。(完)
今年もお付き合いくださり、ありがとうございました。
クリスマスは終わってしまいますが、どうぞみなさま、素敵な年末年始をお過ごしくださいませ。




