ほな行こか。(8)
それから父は、子供達…主に彼の親戚側にいる小さな子供達に向かって体を屈ませ、楽し気に語りかけた。
「なあ、お嬢ちゃん達も、悪いことよりええことの方が聞いてて楽しいよなあ?嫌なこと話してるん聞いたら、サンタさんかてええ気分にはならへんわ。そう思わへんか?」
子供相手にも大阪弁をゆるめない父に、子供達はきょとん顔だ。
さっき、彼のことを庇ってくれて、悔しいけどちょっと感動したのに、それがサッと引っ込んでしまう。
けれど、子供達はきょとんとしつつも好奇心に電源が入ったようだった。
「かてええきぶん?」
「ならはらへんわ?」
子供達の中でも特に小さな子が、不思議そうに、そして面白そうに訊き返してきたのだ。
確か、今年小学校に入学した子と、来年入学予定の子だ。
もしかしたら、二人とも大阪弁を聞くのははじめてなのかもしれない。
関西以外の子供には、コテコテの大阪弁は魔法の呪文にでも聞こえたのだろうか。
私はすぐに二人にもわかりやすい言葉に言い直そうとしたけれど、輪の中にいた二人よりも年上の子がその役を買って出てくれた。
「”嫌なことを話してるのを聞いたら、サンタさんだって嬉しい気持ちにはならない” って言ったのよ。そうでしょ?」
利発そうな女の子は、彼の姪御さんだ。
その女の子は幼い従弟達に説明したあと、くるっと振り向き、私の父に得意気に確認してきたのだ。
「おおそうやで。大正解や!お嬢ちゃん、大阪弁わかるんか?すごいなあ!天才や!」
オーバーにやたら相手を褒めるのは商売人気質ゆえだけど、言われた相手も嫌な気にはならないだろう。
特に子供は素直に言葉全部を受け取るから、女の子はニコニコ顔だ。
小さな従弟達からも憧れと尊敬の眼差しを向けられている。
「ねえママ、聞いた?褒められちゃった」
女の子が嬉しそうに母親に駆け寄ると、私の父も体を起こしながらワハハと笑う。
「ホンマに素直なええお嬢ちゃんや」
「ありがとうございます」
女の子の母親も嬉しそうだ。
父はワハハ笑いは収めたものの、その分声のボリュームを上げて高らかに言った。
「でも、ここにおるみなさんも、ええ人らやと思いますわ」
私は、いったい父が何を言い出すのか予想もつかなかったけど、なんだか、いつもみたいにそれを制止しようとは思わなかった。
「うちら大阪者は、こっちの人らには嫌われることもようけあるんですわ。ま、がさつやったり声が大きいっちゅーんは、お上品な人に煙たがられても仕方あらへんですな。あ、でも大阪人がみんながさつなわけちゃいまっせ?うちの娘なんかはえらいデリケートなんですわ。一緒にしやんといてやってくださいよ?」
クスリと、誰かが笑う。
嫌な笑いではない。
「せやけど、ここにいる人らはみーんな上品やのに、誰もうちらのこと嫌がってはらへん。そうでっしゃろ?」
「もちろんですわ」
父の近くにいる彼の伯母様が即答をくださる。
「えらいおおきに。せやから、みーんなええ人でなんですわ。ええ人らやから、毛色の違ううちらも受け入れてくれはる。自分と違う人にも優しくできる、そんなええ人だらけの親戚の一員になれるうちの娘は、ホンマに幸せモンやと思います。まだまだ若い二人ですけど、どうか、うちの娘夫婦を、よろしゅう頼んます」
そう言って父が深く頭を下げたとき、私は、不覚にも、泣きそうになるのを堪えなければならなかった。
私の些細な変化を誰よりも察してくれたのは、介添えの女性だった。
スッと寄ってきて、私以外には聞こえないような小声で「お部屋の外に出られますか?」と訊いてくれたのだ。
けれど、私が逡巡してる間にウエディングプランナーが控室に戻ってきて、私を連れ出してくれることになった。
「そろそろお時間ですので、新郎新婦様はここで失礼いたします。みなさまも間もなく式場までご案内いたしますので、お支度をお願いいたします」
まるでこの部屋の出来事を聞いていたかのようなちょうどいいタイミングで、私は安堵を隠し切れなかった。
「それでは失礼いたします」
何かひと言付け加えた方がいいとは思ったけど、何を伝えればいいのか咄嗟には選べず、結局無難なひと言しか口にできなかった。
でもその分、心を込めてお辞儀した。
すると、私を扉に促したプランナーの女性が、ふと大きな窓を見やって告げたのだ。
「ああ、もうすっかり日が暮れたようですね。ご覧ください。冬の澄んだ空気の中、夜景がキラキラ輝いてます」
そのセリフにつられて、控室のほとんどの人が奥の窓を見る。
この控室はそこまでの高層階ではないものの、大きな道路と広い公園に面していることから、窓の外に広がる景色も都会にありがちな窮屈感は一切なく、見晴らしがよかった。
そして公園の向こう側には、高層ビルや街の灯りが溢れかえっている。
大阪も都会だし、こういう光景色に物珍しさを感じることはなかったけれど、この街で見る光の洪水は、故郷のそれとは趣が違って見えた。
同じ光なのに、同じ光には見えない。
そして、それが私の心次第なのだということを、もう私も気が付いていた。
「この夜景を気に入られて夜の結婚式をご希望されるカップルも多くいらっしゃるんですよ。ですが、いろいろな理由で叶えられないことも多いんです。みなさん残念そうに諦めてらっしゃいます。ですので、本日のような夜の結婚式はとても人気なのに実際に行われる機会の少ない、貴重なお式なんですよ。それも、参列される方々のご理解の賜物かと存じます。みなさま、本日は誠におめでとうございます」
プランナーの女性が親族に向かって深々とお辞儀する。
私もそれに倣って頭を下げたけれど、すぐに介添の方に「ではこちらへ」と案内されたので、家族や親戚の反応を見届けることなく控室を後にした。
すると、控室のすぐ外では、彼と彼のお義母様がとても似た笑顔で私を出迎えてくれたのだ。
もしかしたら、二人は部屋の中の会話を聞いていたのだろうか?
だからウエディングプランナーの彼女はああもタイミングよく控室に入って来られたのだろうか?
疑問は浮かぶけれど、私はそれよりも、二人が笑顔でいてくれたことが嬉しかった。
悪意がないからといって、それを聞いた人が傷付かないわけではないのだから。
なのに私は、彼もお義母様も庇うことができなかった。
「そんなことないです」と、たったひと言の否定すら口にできなかったのだ。
あの場で最も二人に近いのは、私だったのに………
そんな臆病者の私の代わりに二人を庇ってくれたのは、父だった。
笑いながら、これから結婚式に参列する親族が揃った控室で、誰も悪者にすることなく二人を守ったのだ。
「ほらね。だから俺はお義父さんが大好きなんだ」
満面の笑みでどこか誇らしげに訴える彼に、お義母様もまったく同じ表情だ。
けれど、それ以上何も仰らないのは、きっと、ご親戚の方々への想いからだろう。
私は、そういう配慮をなさるお義母様の人柄に、好感しか抱かなかった。
「ご新郎様、ご新婦様、そろそろ…」
プランナーの女性に促され、私と彼は扉の前でお義母様に見送られながら一旦私の控室に戻ることになった。
「本当に、とっても綺麗よ」
お義母様からの褒め言葉が、心にダイレクトに響いてきて、胸がいっぱいだった。
※
「それではお時間まであと少々、こちらでお待ちください」
プランナーの女性はそう告げ、介添えの女性とともに退室した。
おそらく、式の前に二人きりの時間を持たせてくれたのだろう。
といっても、予定の時刻まではあと2、3分ほどしかないけれど。
ただほんのわずかでも、二人で時間を過ごせるのは嬉しかった。
そう感じるということは、式の直前にいろんなことがあり過ぎて、心を整える機会が必要だったのかもしれない。
言うまでもなく、彼と過ごす時間は、私の騒がしくなった感情をそっと包み込んでくれるのだから。
今や、両親や妹よりも近くにいる存在で、今日からは、家族になる人。
「泣いてない?」
彼がからかうように言う。
「泣いてないってば」
「でも、泣きそうにはなった?」
顔を覗き込まれて、
「……ちょっとうるっときただけ」
渋々認めた。
まだ式も始まってないのにと、気恥ずかしくなって彼から顔を逸らした。
するとその先、鏡の前に、ちょこんと置かれている小さなクリスマスツリーが目に入った。
「………ねえ、さっき話が途中までになってたけど、お父さんがクリスマスツリーにお願いしたことって、私と妹のことだったの?」
控室で、彼の親族の方々に向けて父本人がそう言っていた。
ただ、それだけでは、彼があそこまで感動したとは言わないだろう。
もしかして他にも何かあったのかもしれない。
彼が心を大きく動かすだけの何かが。
そしてそんな私の推測は正しかったようで。
「きみと妹さん、二人のことと言えばそうなんだけど、それだけじゃないんだ」
彼は心から楽しそうに、その時の父と母との会話を教えてくれたのだった。
※
やがて、時間となった。
私と彼はプランナーの女性、介添えの女性と共に式場の入口まで移動する。
その重厚な扉の前には、数名のホテルスタッフと父が待っていた。
「おうおう、えらい緊張しとる顔やなあ」
ワハハと笑う父に、彼は丁寧にお辞儀する。
父のデリカシー皆無のセリフは、厳かな扉を目前にしてもボリュームが変わらずのようだ。
ある意味、すごいなと感心した。
そんな私に、彼はにこにこしながら
「それじゃ、俺は一足先に行ってるから」
そう告げ、私の父にもう一度会釈だけして式場に入っていった。
このあと私は父にエスコートされて入場し、その役は途中で彼が引き継ぐことになっているので、そのタイミングで彼は父に挨拶するのだ。
私達は式場の中から姿を見られないよう、扉の陰に隠れ、扉が閉じられると、その正面に立ち位置を移す。
介添えの女性が私の衣装とメイクの最終確認をしてくださり、
「とてもお綺麗です」
そう褒めてくださると、プランナーの女性も深く頷いた。
「ええ、本当に。とってもお綺麗ですよ」
決して口先だけでない二人からの褒め言葉に「ありがとうございます」と返していると、
「ホンマに、馬子にも衣装やな」
父が飽きもせずさっきとまったく同じ感想を吐いてきた。
「お父さん、その意味わかって言ってるの?」
「なんも深い意味なんかあらへんわ。ただ綺麗やっちゅーことや」
「え……」
意外な反応に、思わず言葉を飲み込んでしまう。
けれど
「人の褒め言葉を素直に聞けんっちゅーのは、人間としてまだまだやな」
ワハハと、豪快に笑われてしまった。
「あのねえ……」
これがまさに今から結婚式を執り行う新婦とその父とは思えない会話だ。
父のがさつさは相変わらずで、声の大きさも場違いで、それら全部を受け入れたわけではないけれど、今の私は、それらを覆って余りある感情で溢れかえっていた。
父の背後、式場への扉の脇には、エントランスとは異なる白いクリスマスツリーが飾られている。
オーナメントはシルバーで、ライトに照らされてキラキラ輝いている。
これから新しい人生を歩き出す二人に相応しい、何色にも染まっていない白の中に灯を広げてるようなクリスマスツリーだ。
私は胸の内で、さっき彼から聞いた、彼と父と母、三人がエントランスのツリーの前で交わしたという会話を反芻していた。
『お義父さんだったら、このツリーに何をお願いされますか?』
『せやなあ、家内安全、商売繁盛は年明けてから十日戎でお願いするさかい、それ以外のことやわな。ほんなら、娘らの幸せにしとくわ』
『お義母さんのことはよろしいんですか?』
『ええねんええねん。こいつは自分のことは自分でしよるさかい。なあ?』
『その言葉、そのまんまお返ししますから。けど、私もお願いするならこの人やなくて娘二人のことやから、そこはお互い様やね』
『せやろ?ま、きみの言うてた、今日来てくれた人らも幸せにっちゅーんは、ホンマええ話やとは思うで?でもな、これだけは絶対忘れてもろたら困る。親っちゅーんはな、子供の幸せが一番やねん。きみかてうちの娘と結婚するんやから義理の息子になるんやけどな、間違うてもろたら困るで?あくまでも娘の幸せが一番や。せやから、あいつのこと、泣かせるなとは言わへん。けどな、絶対不幸にさせやんといてや。今ここで、このクリスマスツリーに誓えるか?』
『もちろんです。このツリーにも、お義父さんにも、お義母さんにも誓えます。どんなに辛いことがあっても、絶対に、一緒に乗り越えてみせます』
『その言葉聞いて安心したわ。あいつはホンマ、父親に似て人を見る目があるなあ。自慢の娘やわ』
「お父さん」
「なんや?」
私は父の腕に手をかけた。
父と腕を組むなんて、これがはじめてだ。
そしておそらく、これが最後になると思う。
私はその人生で一度きりの瞬間を迎えているのだ。
「さっき、ちゃんと言えなかったんだけどね」
「おう、なんや?」
「今まで、ありがとうございました」
「どないしたんや急に」
「だってお決まりでしょ?花嫁が感謝を伝えるのって」
「そうやけどな、それ、母さんにも言ってやったんか?」
「あ………」
「なんや、忘れとったんかい」
「だって、今日はバタバタしてたし……」
「ほんなら、式終わってからでもええからちゃんと言うたりや。お前育てたんは、ほとんど母さんやからな」
「でも、お父さんが一生懸命働いてくれたおかげで、私は立派に育ってきたんでしょ?」
「どないしたんや、なんや気色悪いな」
「いいでしょ、今日くらいは」
「まあ、せやな。人生で一度っきりの日やからな」
「お時間です」
スタッフの合図に、私と父のおしゃべりは終了する。
二人揃って背筋を伸ばし、さあ、新しい人生の道への一歩を進みはじめる瞬間だ。
なのに、ふと、こんな時になって、私は目頭が熱くなってしまった。
でも、扉は開かれていく。
私は今、無性に父に何かを伝えたかった。
”ありがとう” だけじゃない、”今まで反抗的でごめんね” でもない、もっと別の………
「………お父さん」
「なんや?」
さすがに扉が開ききったこの状況では、父もいつもの大声を封印させて。
そんな小声で訊き返してくる父に、私はたくさんの想いを込めて、ひと言だけ告げたのだった。
「ほな行こか」
ほな行こか。(完)
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
毎年お付き合いいただいてる方にも、今年はじめてお読みいただいた方にも、
心から感謝申し上げます。
体調を崩される方が多い時期ですので、みなさまどうぞご自愛くださいませ。




