ほな行こか。(6)
一通り全員に挨拶し、まだ時間があるということで私と彼は控室で親族の方々と談笑していた。
しばらくして彼のお義母様は化粧室に出ていかれ、ウエディングプランナーが彼宛ての祝電のことで相談があるということで彼も控室から出ていった。
私は久しぶりに会った従兄妹達と気安い会話を広げて、父はすっかり意気投合した彼の伯母様と世間話で盛り上がっていたものの、その声がやっぱり大きすぎる。
そのせいで私と従兄妹の話し声さえ聞き取りにくいほどだ。
父の大声に慣れている私と従兄妹はともかく、この部屋には彼のご親族もいらっしゃるわけで、私はもう一度父に注意することにした。
「お父さん、もっと声のボリューム下げて。他の人の声が聞こえないでしょ?お願いだから」
最後は注意ではなく懇願になってしまう。
私は大げさでなく、本気で、この父の声を小さくできるのなら自分の寿命を数時間捧げてもいいと思った。
すると、彼の親族側にいらした男性がおもむろに声を上げられたのだ。
「そんなに気を遣わなくていいですよ」
椅子に深く腰掛けてウェルカムドリンクの桜湯を味わってらした男性だ。
確か、彼のお義母様の一番上のお兄様にあたる方だった。
「あなたはとても細やかな気遣いができる女性だと伺ってますが、我々はもう親戚になるわけですから、どうぞそんなに気を遣わないでください」
長年、有名大学の教授をなさってるそうで、その口調や雰囲気は威厳を感じさせる。
「ありがとうございます。そう言っていただけるのはとても有難いです」
私は恐縮しながらも素直に礼を伝えた。
ここまでなら、結婚式前の和やかなひと時の小さなエピソードだった。
ところが、この男性は予期してなかった方向に話を進めたのだ。
「むしろ、謝らなければならないのはこちらの方ですよ」
「………それは、どういう意味でしょうか?」
私は男性の仰ってることが読み解けず、わずかに迷ったあと、正直にお尋ねした。
「いやなに、今日の ”夜の結婚式” についてですよ」
「……夜の結婚式が、どうかされましたか?」
記憶の限りを探しても、思い当たることが何もない。
にわかに私の返答がぎこちなくなっていくと、控室の方々で咲いていた会話の花が自然と萎んでいった。
この男性から敵意は感じない。
けれど、妙に気持ちがざらついていく。
「夜の結婚式…ナイトウエディングといいましたかな。それを言い出したのはうちの甥っ子だったそうで」
「ええ、そうですが……」
甥っ子とは彼のことだ。
男性の仰る通り、先にナイトウエディングに関心を持ったのは彼だった。
おそらく、この男性は、それを彼本人からお聞きになったのだろう。
男性の話に、控室にいる大人達はほぼ全員が聞き耳を立てている。
こんなとき、関係ないのに首を突っ込みたがる私の父も、珍しく黙って聞いていた。
そしてそれを知ってか知らずか、男性は若干語気を強めて仰ったのだ。
「あなたは参列者の都合を慮ってナイトウエディングに難色を示されたと聞きました。それをあの甥っ子が強行したのでしょう?」
その言い方は、まるで私が反対したにもかかわらず彼が強引にナイトウエディングを決めてしまったと断定しているようだった。
そしてその中に非難が含まれているのを、隠そうとはしてらっしゃらなかったのだ。
「あ……いえ、」
「すみませんね、あいつはどこか世間とずれてるところがあるんですよ」
私はもちろん否定しようとしたけれど、その上から、また別の男性に非難めいたことを言われてしまう。
あれは、彼よりもだいぶ年上の従兄弟に当たる方だ。
「いえ、そんな…」
親しい間柄ゆえの軽口なのだとは思うし、ここで新入りの私があまり強く否定するのも失礼かと、少しの躊躇いが生まれた。
そしてそんな躊躇いの隙間に、最初に彼のことを言い出した男性が「いやいや」と苦々しそうに手を振ったのだ。
「私どもももう親戚になるんですから、気を遣わなくて結構ですよ。やはり甥っ子は片親で育ってますからね、いろいろ目が行き届かなかったところがあるんですよ。そのせいか、意外と頑固で自分の意見を曲げたがらない。あなたにもそれで迷惑かけてるんじゃありませんか」
その発言に、キシリ…と胸が軋んだ。
………今、何て仰った?
つい、彼のお義母様の長兄を凝視してしまう。
相変わらず、私への敵意は感じられない。
でも、例え身内の謙遜だったとしても、ちょっと言い過ぎに聞こえたのだ。
私だって、父のことを話すときはいつも自虐的、批判的な物言いをしてるわけで、偉そうにこの男性を論じることはできないけれど、でも、はっきり言って、不快に思ってしまった。
それでも、この場で面と向かって、初対面の彼の親族である男性に反論できるわけもなかった。
私が言い淀んでいると、今度は男性の奥様が「仕方ないわよ、母子家庭って大変なのよ?子供の躾が後まわしになっても、生活していくのでやっとだったのよ」と、おそらくフォローのつもりで言葉を挟まれる。
悪気はないだろうし、同情も込められているのだろうけど、男性の発言のあとでは、額面通りに受け取ることも難しい。
私はブーケをぎゅっと握りしめていた。
「それはわかってるさ。経済的にも苦労してたのは見てきたからね」
「でも祖父ちゃん祖母ちゃんがずいぶん援助してきたんじゃないの?」
「そりゃ娘と孫だからな。生きていく最低限の手助けは惜しまなかったよ」
「でも、お前達は知らないだろうけど、あの男はうちの実家からも借金して出ていったからな。親父もお袋もあの男のせいで随分苦労させられたんだ」
「え、お義姉さんの元旦那さんって、そんな酷い人だったんですか?」
「ああそうだよ。子育てもろくにしない男で、なんであんな男と結婚したのかって親戚中で不思議がってたくらいだ」
「でも自分で選んだ相手なんだから自己責任でしょ」
「それをわかってるから、あいつもあまり実家や兄弟を頼りたくなかったんだろ?頼ってくれれば、子育ての協力だっていくらでもしてやったのに」
「確かになあ。そのせいで、あいつの躾もおろそかになってしまったんだろう」
「まあ、ちょっと変わってるとこはあるよな。従兄弟の輪にもあんまり入ってこないし」
「片親で一人っ子なんだからしょうがないわよ。あまり責めちゃ気の毒よ」
「そうそう。あいつはちょと変わってるとこもあるけど、悪いやつじゃないし」
「でも、そういう個性的なところがあるから、夜に結婚式を挙げることにしたんじゃないですか?私、夜の結婚式なんてはじめてですけど、ちょっと楽しみです」
「でも小さな子供もいるんだ。そこは相談があってもよかったんじゃないか?」
「まあ、それは確かに……」
彼のお義母様は四人兄弟で、それぞれの配偶者に、成人している子供も含めた大人達が同じ話題について口を開くと、どこにも休符がない状態で話が転がっていく。
みなさん、決して悪意があるわけではないのだろう。……そう信じたい。
だけど、言葉の端々に漏れてくるのは、どこかネガティブな響きだった。
ブーケを握る指先が、じんじんしてくる。
そのときだった。




