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ほな行こか。(5)






今度こそノックは介添えの方のもので、私と彼は親族が待つ控室に移動することになった。

結局、父があのクリスマスツリーに何を願ったのかは聞けないままだった。


親族控室までの間に訊こうと思えば訊けたのだけど、介添えの方の「お時間です」というはじまりの合図に、どっと緊張感が押し寄せてきて、それどころでなくなってしまったのだ。


慣れないドレスの裾を踏んでしまわないか、足元を気にし過ぎて姿勢が崩れていないか、今までの人生でこんなにも歩き方に気を配ったことはなかった。

ただ歩くだけ、控室に移動するわずかな時間だけど、自分の控室を一歩出たその瞬間から、想像以上の人から注目を浴びてしまったのだ。


わかってる。私だって、出先で花嫁さんに遭遇したら思わず見てしまうに違いない。

実際にそんな経験も何度もあった。

そのたびに、微笑ましくて、幸せのお裾分けをいただいたような気分に勝手になったりもしていた。

でも、立場が逆転してしまえば、周囲の見知らぬ人々からの視線は、いくら温かくても、緊張感を育てる一方だったのだ。


「うわあ、綺麗!」

「おめでとうございます!」


たまたま居合わせただけの人達から声をかけられる。

私に届くものもあれば、コソコソ声の「キレイだね」「お似合いのカップルね」「ドレスもブーケも素敵」「男の人もかっこいいわね」そんな言葉も聞こえてくる。

私は、彼を褒められて誇らしかった。


介添えの方はずっと付き添ってくださり、途中からはプランナーの女性も合流して、私達は家族と親族が待つ部屋に着いた。


この扉の向こうには、私の両親と妹、彼のお義母様、そして両家の親族が勢揃いしている。

それを考えると、私の緊張感は、また違ったベクトルに広がっていくようだった。


だって、あの(・・)父と、彼のご親戚方が顔を合わせているのだから。

父が、彼のご親戚に何か失礼なことを言わないか、それがたまらなく気がかりだった。


でも、私の不安はこれだけではない。

彼のご親戚は有名大学や大学院を卒業されてたり、留学経験がおありで、お勤め先も一流企業ばかりと聞いている。

中には取締役だったり名誉職に就いてらっしゃる方がいらっしゃったり、とにかく経歴が華やかな方が多いのだ。

もちろん、私は両親の仕事を誇りに思っている。

でも、一部のそういう華やかな職業の人から父の仕事を下に見られたことが実際にあったのだ。

そしてそういう人は、割と高い確率で、地方出身者を下に見がちだということも、経験して学んでいた。


彼のご親戚方がその少数派であるとは思いたくないけど、娘の私でさえ、あの父のがさつな言葉遣いや態度には嫌気が走るのだから、例え彼のご親戚方が父に対してネガティブな印象を持ったとしても、しょうがないと思う。

ただ、今日は父だけでなく他の親戚も大阪からわざわざ来てくださってるのだ。

その親戚が何か嫌な思いをしないだろうか、或いは、彼のご親戚が何か不快に思われないだろうか、その心配が緊張感となって私を取り囲んでいたのだ。



「新郎新婦様のお支度が整いました」


控室の扉を開きながら紹介されると、中にいた両家の親族が一斉に私達に顔を向けてくる。

緊張感がフェーズを上げる瞬間だった。



親族控室は両家とも同じ一部屋だったけれど、中では、だいたい右側が私の親族、左側が彼の親族という具合にわかれていた。


壁に沿って椅子が並べられており、そこに腰掛けてらっしゃる方や、椅子に荷物だけ置いて立ち話をされてる方、室内に飾られたクリスマスツリーや大きな窓に夢中な子供達の世話をしてらっしゃる方、各々が式までの時間を過ごされていたようだ。



「本日は、私どもの結婚式のためにお集まりいただきまして、誠にありがとうございます」


彼が告げ、私達は揃ってお辞儀をした。

決まっている流れはここまでだ。

このあとは親戚の方々に個別に挨拶してまわるので、それぞれに応対しなければならない。

互いの親族とはほぼ初対面で、私は緊張感が爆発しそうだった。

なのに、そんな私を、まるで高いところから軽く笑うかのように、また父が大声を放ったのだった。


「おうおう、ホンマ、馬子にも衣裳やなあ!」


彼の挨拶で一瞬しんとしていた控室に、父のがさつなセリフが轟く。


私達に集まっていた注目も、反射的に父に移ってしまう。

でも父はそんな多くの視線も全く気付いてないかのように、


「ホンマよう似合(にお)とるで。今まででいっちゃんべっぴんさんや」


偉そうに腕を組んで、うんうん頷いている。

せっかくちゃんとした礼装服をレンタルしたのに、言動がまったく伴っておらず、似つかわしくない。

褒めてくれるのは嬉しいけど、それよりも父の大声や場違いな言葉遣いの方が恥ずかしいのだ。


でも、こういうとき、私には長年の経験で培った対応策があった。


「お父さん、そんな大声出さないで」


まずは父本人を(たしな)めてから、


「皆様、父がうるさくしてしまって、申し訳ありません。この通り父は根っからの大阪人でして、ざっくばらんな性格をしております。はじめてお目にかかる皆様には驚かれるかもしれませんが、決して父も悪気はありませんので、ご理解いただけると幸いです」


いかにも ”娘の私も困ってるんですよ” という雰囲気を出しながら訴えかける。

たいていの場合はこうして先に謝罪しておくことで、ある程度の非礼は大目に見てもらえる。

私が恥ずかしいのを我慢して多少自虐も混ぜてみれば、同情票だって集められるはずだった。


ところが、彼の親戚の方々からは意外な反応が返ってきたのだ。



「あら、ちっともうるさくなんてありませんよ?」


にこにこ笑いながらそう言ったのは、彼の……おそらく伯母にあたる女性だと思う。

これが初対面だけど、事前に写真で教えてもらっていたのだ。

ネイビーのセレモニードレスを身に纏い、胸元には煌びやかなブローチが品よく主張していた。


私は「そう言ってくださると、少し安心できますが……」と、彼の伯母様に苦笑を見せながらも、それが彼女の気遣いだということは承知していた。

けれど父にはそんな配慮や他人の心情の機微なんかがわかるはずもなく、能天気にワハハと声をあげて笑った。


「なんやなんや、お前はそないに何心配しとるんや?今日は結婚式やぞ?シケた顔しとったら縁起悪いやろが」


そんなに大笑いする場面でもないのに、父はまさに抱腹絶倒を全身で表現してみせたのだ。

一躍控室の主役に躍り出た父に、彼の親族も、彼のお義母様も、そして私の隣では彼自身も楽しそうに笑っていて、私の家族と親族はもう慣れた様子で受け流している。


なんだかこの部屋で私一人だけが父に過剰反応してるようで、わずかばかりに居心地の悪さを覚えた。

ただ、逆に、彼のご親族の中に、父のような生粋の大阪人にも、がさつな言動にも、特に何か思う方はいらっしゃらなかったのだと知り、心の底から安堵したのだった。

おかげで、私の緊張感の五割ほどは消え去ってくれたように感じた。


考えてみれば、この優しい彼の親族なのだから、そんなことで他人を上と下に分け隔てる人なんているわけないのだ。

彼自身は関西人と触れ合う機会がなかったみたいだけど、親戚の方もそうだとは限らないだろうし。

もしかしたら友達や仕事仲間に関西出身の方がいるかもしれないし、ご自身が関西に住まわれた経験もおありかもしれない。

今やテレビやネットで関西弁は普通に流れているし、関西以外に在住の人の中にも関西弁や関西弁もどきを使う人も大勢いるらしい。

なのに私は…………


父に対する抵抗感や反抗心が、社会に出てからのいくつかの嫌な経験と混ざり合って、無意識のうちにコンプレックスを作り上げていたのだ。

それを勝手に彼の親族の方々にも当てはめようとしていたなんて、心の底の底から申し訳ないと思った。


……でも、だからといって父に対する抵抗感がなくなるわけではないのだ。



「なんや、うちの娘がえらいすんませんなあ。昔っからごっつ心配性なんですわ。おまけに緊張しいですねん」


厚かましさ全開で彼の伯母様や他の親族の方にも話しかけている父に、本気でやめてほしいと苛立つのはとめられなかった。


「あら、自分の結婚式に緊張しない新婦さんの方が珍しいと思いますよ」

「そうでっか?でもそう()うてもろたら親としてもほっと一安心ですわ。いや、みなさんホンマに優しい人らで、うちの娘は幸せもんですわ」

「まあまあ、こちらこそ、こんな素敵なお嬢さんと親戚になれて、私達みんな喜んでるんですよ。明るくて気遣いのできるお嬢さんだとお聞きしてますもの。朗らかなところはきっとお父様に似てらっしゃるのでしょうね」


父の言う通りみなさんお優しいので、嫌がることなく相手してくださってる。

……父と似てるというのは、ちょっと認めたくないけれど。

でも、もういい加減に父には引っ込んでてほしい。

私は彼と親族に挨拶してまわりながらも内心では父が何か失礼な発言をしないかとハラハラしっぱなしだった。


すると、彼のお義母様が挨拶の合間にススッと近付いてきて、私にそっと耳打ちしたのだ。


「そんなに心配しないでも大丈夫よ」


え?と横向いた拍子に目が合うと、お義母様はにこっと微笑んで、「だって今日からは私達みんな親戚でしょ?」と続けた。


お義母様は彼と似てとても温かな人だ。

私は、この人とも家族になるのだと改めて強く思った。

そして、それをとても嬉しくも思ったのだ。



案じていた父と彼の親族との対面を何事もなく終え、このまま平穏無事にすべてが進行できそうな予感がしていた。

苦痛に感じていた父との入場も、それほど苦い思い出にならずに済みそうだとさえ思いはじめていた。


けれど、しばらくの後、まったく想像していなかった展開によって、控室の空気は一変してしまうのだった。









誤字をお知らせいただきありがとうございました。

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