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またね。(6)






「自分の話をこんなに長々と語ったのははじめてだな」


まるで自分でも意外そうな言い方をする彼。


「でも俺は、きみが言う普通はあくまできみの普通であって、きみの新しいお義母さんの普通とは違うんだって言っておきたかったんだろうな、きっと」


彼は納得したように頷くと、封筒をテーブルに戻した。


「このカードの送り主は、自分の価値観で決めつけないでちゃんと確かめて、考えて、今こうして俺にクリスマスカードを送ってくれてる。彼女の本心は定かじゃないけど、普通はこうなのに、ああなのにと悶々とされるよりは、俺も嬉しい。ただ……」


言いながら、彼はまたギターを抱えた。

指が奏でるのは、さっきの印象的な曲だ。


「この曲のタイトルをひとつしか知らない人にとってみたら、それだけが真実だ。まさか別のタイトルがあるなんて知る由もない。でも、両方の曲を知ってると、なんか得した気がするだろ?特にクリスマスの季節は。……ま、そのクリスマスだって、”無条件で楽しいもの” なんて価値観の押し付けはよくないな。きみみたいに、クリスマスの時期に大切な人との別れを経験する人だっているんだから」


彼は、おそらく私を気遣ってそう付け足してくれたのだろう。

でも……


「でも私、クリスマスにママを想って上手く笑えないこともあるけど、基本的にクリスマス自体は好きですよ。ママも好きだったから。毎年クリスマスはこのホテルで家族で食事してたし、ママがいなくなってからもママの法事のあとは必ずここに来て食事するんです」

「へえ……それはよかった」


彼はフッと口角を持ち上げると手を止め、「さて…」と開いたままの扉を見やった。

そしてそのタイミングを待っていたかのように、スーツ姿の若い男性が部屋に入ってきたのだ。



「お待たせ。そろそろ会場のセッティングが…………え、女子高生?」


男の人は制服姿の私を見るなりギョッとして立ち止まった。


「ああ、大丈夫。彼女は知り合いだから」


そう答えてから、彼はこそっと「さっき知り合ったばかりだけど」と私に目配せする。

クスッと微笑まれて、思わずドキリとした。


男の人は、彼のそんな口から出まかせを丸っと信じたようだ。


「あ、そうなんだ?どうもはじめまして。俺はこいつのマネージャーをして…」

「挨拶はまた今度でいいよ。もう行かなきゃいけないんだろ?ほら手伝え」

「おっとそうだった」


彼がギターをケースに入れはじめると、男の人も手早くテーブルの上にあるものを片付けだした。

すると彼が横から手をはさみ、ひょいっと二通の封筒を拾い上げる。

まるでその二通は特別なんだと言ってるような仕草が、印象的だった。


急いでいるのだろう、あっという間に彼の荷物がなくなっていった。

そして


「じゃあ俺はこれ持って先に行ってるから。遅れないでくれよ?」


そう告げ、男の人は私にもぺこりと会釈して小走りで行ってしまった。

彼は「はいはい」と顔も向けずに返して、丁寧にギターケースを背負った。


「そういうわけだから、俺はもう行くけど…」


残りのギターケースを手に持った彼を前にして、私はタオルハンカチを握りっぱなしだったことに気付いた。


「あの!すみません、これ……」

「ああ、それ、あげるよ。クリスマスプレゼント」

「そんな、いただけません…」


でも待って、私の涙を拭いたハンカチをそのまま返すのもどうだろう。

本来なら洗濯してから返すべきなのだけど………

私が逡巡すると、彼も何か思案を匂わせた。



「………だったら、来年もこのホテルでまた会えたら、そのときに返してくれたらいい」

「え?」

「だって毎年きみのお母さんの法事のあとはここに来てるんだろう?」

「そうですけど、でも必ず会えるとも限らないし、それなら事務所の方に……」


お送りします、と言い終わる前に彼が「いや」と首を振った。


「会えるか会えないかはっきりしないくらいが丁度いい」

「……どういう意味ですか?」

「いや………つまり、俺もまたここでディナーショーを開けるように来年も音楽活動に精進するから、きみも、新しいお母さんとわだかまりがなくなるようにちゃんと話してみたらどうかってことだ。きみが納得できるまで。で、来年もしまた会えたら、ここで互いの成果発表をしたらいい」


彼の提案はひどく曖昧なものだった。

けれど私には、その曖昧に惹かれるものがあった。



「納得できるまで………話せるかな」

「話せないならそれでいい。ただ、何もしなかったら何も変わらないだけだ。ずれた価値観はそのままで、きみとお母さんの ”普通” が混ざることはない。悶々と悩むくらいなら、なぜきみの新しいお母さんがそんなことを言ったのか、きみが納得できるまで話を聞いたらいい」

「それはそうなんですけど……」


それができたら苦労はしない。

でもまだ家族としては新米な私達には、本心をさらけ出すなんてハードルが高過ぎて。


彼は「ま、はっきりと言葉で聞くだけがすべてじゃないけどな」と言いながらギターケースを肩に掛けなおす。


「クリスマスカードの彼女だって、俺が覆面アーティストをしてることに最初は懐疑的だった。でも自分で確かめて、考えて、結果的には俺の言葉を聞かないままでも俺の選択を受け入れてくれた。少なくとも俺はそう思ってる。そんな人がいるっていうのは、なかなか心強いものだよ」


そして私の前に立つと、ぽん、と肩に手を置いて。


「価値観も ”普通” も、みんな違っていて当たり前だ。他人を傷つけたり押し付けない限りは、どれが正しいとか間違いとかもない。あの曲のタイトルみたいに、どっちも正解なんだ。大切なのは、その差を埋め合わせる努力ができるかどうかだ。大切な人や家族が相手なら尚更な。ま、とにかく、きみときみの新しいお母さんの関係が進展できるよう、ロビーのクリスマスツリーにお願いしておくよ」


どうやらあのツリーは願いを叶えてくれるらしいからな。


彼はニッと唇に笑みを乗せた。


「だったら私も、あなたの活動が来年もその先もずっとうまくいくよう、ツリーにお願いします」


あのツリーにそんなジンクスがあったなんて知らなかったし、そういうのあまり信じないタイプだけど、お返しにそうしたいと思ったのだ。


彼は一瞬表情が止まって、でもすぐにフッと笑った。


「プレゼント交換みたいだな。来年が楽しみだ」


ぽんぽん、肩が叩かれる。



「じゃあ、またな」



軽やかにそう告げると、彼はポケットから取り出したマスクを付けて部屋を出ていった。


本当にまた会えそうな、そんな残り香を置き土産にして。





彼が出ていったあと、私もすぐにロビーに向かった。

あの男の子に教えてもらったおかげで、迷うことなくまっすぐ辿り着けた。


中央には、本物の木を使った大きなクリスマスツリー。

これが、あの子の言っていた願い事を叶えてくれるツリーだ。


私は宿泊客や待ち合わせの人で賑わう中、そのツリーに吸い寄せられるように前に進んでいった。

キラキラとオーナメントが輝いて、でも豪華だけど派手過ぎない、ノーブルな面影のあるツリーは、シャリアピンステーキと並んでママの大のお気に入りだった。

私も物心ついたクリスマスの思い出には必ずこのツリーが登場してきて、付き合いは長い方だ。

にもかかわらず、願い事が叶うなんてジンクスはママからも聞いたことがなかった。

不思議だけど、あの男の子が嘘を言ってるようにも思えなかったし、彼とも約束したし、私はツリーのてっぺんを見上げて、胸の前で指を組んだ。



あの男の人の音楽活動が、来年も、その先も、ずっとずっと上手くいきますように………



そっと目を閉じそう願っていると耳が敏感になり、近くの若い女性の会話が耳に入ってきた。



「あ、この人知ってる。話題になってた人だよね?ディナーショーなんてやってたんだ」

「めちゃくちゃいい声の人でしょ?動画見たことあるもん。あの声なら、テレビとかライブじゃなくてディナーショーでしっとり聴きたいのはわかるわ」

「でも顔出ししないでどうやってディナーショーするんだろうね?」

「さあ?スクリーンとかで仕切りして、シルエット映し出すんじゃない?この人の動画でそうしてるの見たことあるもん」

「ああなるほど。でもさ、せっかくイケメンなのにもったいないよね」

「え?顔知ってるの?」

「噂になってたじゃん。解散したアイドルグループの元ダンサーだよ」

「へえ……でもそれはどうでもいいや。この人、とにかく声が良いから。いくらイケメンでもあの声に合わないチャラい系とかだったら引きそうだし顔は知らないままの方がいいわ。それより、そろそろ予約の時間じゃない?」

「本当だ。行こっか」



ぽんぽんラリーが続いていた声が遠のくと、今度は私の背後からスッと話しかけられた。


「一般の方のご意見は、なかなか厳しくも的確な場合がありますね」

「――――えっ?」


反射的にに振り返ると、さっきのマネージャーさんがタブレット片手に立っていた。


「先ほどはどうも。バタバタしてご挨拶もできませんで失礼しました」

「あ、いえ、こちらこそ……」


さっきのことで何か言われるんじゃないかと、思わず身構えてしまう。

けれどマネージャーさんは「ああ、そんなに警戒しないで大丈夫ですよ。あいつとの関係なんて聞いたりしませんから」と笑った。


「はあ……」


スーツを着こなす若い男性と制服姿の私、周りから見たらやっぱり結婚式帰りかクリスマス関係の参加者に見えるのだろうか。


「実はあなたにお礼が言いたくて」

「お礼、ですか?」


心当たりがなさ過ぎてオウム返しで尋ねると、マネージャーさんはツリーのそばにある催し案内のデジタルサイネージを見やった。

そこにはさっきの彼と思しき横顔のシルエットが映し出されていた。

もちろんシルエットだから顔はわからない。

今おしゃべりしていた女性達はこれを見て話していたんだろう。


「あいつ、この先の活動にちょっと悩んでいたみたいなので………。さっきも一人になりたいと言ってあそこに籠っていたんです」

「そうだったんですか……」


だったらお邪魔してしまって申し訳なかったな。

心の中で詫びたけれど、そんな私にマネージャーさんは意外なことを言った。


「でもあなたと会ってからちょっと心境に変化があったようです。アンコール曲も増やしたいと言って、今現場スタッフと打ち合わせしてますよ。どうやら迷いが吹っ切れたようです。あなたがどなたで、あいつと何があったのかは知りませんが、ありがとうございました」

「そんな、私の方こそ……」

「それで一応、俺の連絡先をお渡ししておこうかと思いまして……」


マネージャーさんがジャケットの内ポケットから名刺を取り出し私に手渡そうとしたときだった。



「うちの()に何かご用ですか?」



尖った詰問とともに、私の前に義母がさっと現れたのだ。

そしてもう一度言った。


「うちの()に、何か?」


はっきりと、私のことを()と、そう呼んだ。

義母にそう呼ばれたのは、はじめてだった。

なんだか慣れなくてくすぐったいけど、悪い感じではなかった。

むしろ………


私には悪印象ではなくとも、警戒全開の義母に、マネージャーさんは慌てて


「いえ、実はお嬢さんがこの電子ポスターを眺めてらっしゃったので、声をかけさせていただいたんです。このアーティストのマネージャーをやらせていただいてますので」


嘘ではないものの曖昧に濁した事情を説明し、義母に名刺を差し出した。

義母は「まあ、そうだったんですか?失礼な態度を取ってしまって申し訳ありません」と恐縮しながら受け取る。


「いえ、お母様なら心配されて当然ですよ。それでは、これで。素敵なクリスマスをお過ごしください」

「ご丁寧にどうも」

「あ、あの!」


大人の挨拶で終了してしまいそうで、私は急いでマネージャーさんを呼び止めた。


「あの、私、頑張りますから!………って、伝えてもらえますか?」


尻すぼみになってしまうのは、ちょっと声が大き過ぎて人目を引いてしまったせいだ。

けれどマネージャーさんはにっこり顔で「わかりました」と了承してくれたのである。


マネージャーさんを見送ったと、義母は「ところでどこに行ってたの?」と私に向き直った。いつものフランクなしゃべり方だ。


「さっきここに来たら見当たらなくて、レストランと二往復しちゃったわ」

「ごめんなさい、ちょっと道に迷っちゃってて……」


余計な心配かけたくなくて、正直に打ち明ける。


「そうだったの?このホテルには子供の頃から毎年来てるからすっかり慣れてるって聞いてたけど……」

「うん。ちょっとぼーっとしてたみたい」

「そう……。それにしても、このツリー、本当に立派で素敵よね」


義母がツリーを見上げて、私も一緒に顔を上げる。


「でしょ?私とママのお気に入りなの」


胸を張って、そう伝えた。

すると義母がとなりで目を細めるのがわかった。


「そう。大切な思い出を教えてくれてありがとう」

「どういたしまして」


私もお返しに微笑んでみせる。

そして笑顔のまま義母に言った。


「あ、ねえ、今度話したいことがあるんだけど、いい?」

「もちろんよ。なんでも聞かせて?」


義母の即答が、嬉しい。


そうやって二人で笑い合っていると、遠くからパパが私達を呼んだ。



「じゃあ行きましょうか」

「うん」


頷いてから、私は今年最後のツリーに別れを告げるようにもう一度振り仰いだ。

すると、




――――――またね。




かすかに、ママの声が聞こえた気がした。



え?っと思う間もなくクリスマス風景の中に溶けて消えてしまったけど、確かにママだったような………


でもママの声が聞こえても不思議はないのかな。

だってママはいつも見守ってくれているんだろうし。

今日だって、きっとお気に入りのこのホテルに来て………ああ、そうか、もしかしたら、私を彼に会わせたのはママだったのかもしれない。

だって、やっぱり私がホテル内で迷うなんて考えられないもの。

ママのせいにした方がよっぽど納得できる。



私はツリーを見上げたまま、こっそりと言葉にせずに「ありがとう」と言った。

そして、ツリーと、ツリー越しに映る彼のシルエットに向かって。



「またね。」










またね。(完)


























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― 新着の感想 ―
[一言] 「普通」という言葉は良く聞きますが、誰もが同じ事を「普通」だと思うわけではないんですよね。 二人が出会った事で、お互いに一歩前に進めたようですね。来年、良い成果発表が出来ることを祈っています…
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