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またね。(5)






印象的な短いフレーズが三周したあと、スッと彼の指が止まった。



「………いい曲ですね」


無意識にそう感想を伝えていた。


「聴いたことない?」

「どこかで聴いたことはあるかもしれません。…なんとなく」


男の人は今弾いた曲を、今度は軽く鳴らしはじめた。

まるで私達の会話のBGM代わりのように。



「ずいぶん昔にイタリアで作られた『SOLEADO(ソレアード)』という曲だ。いろいろ説はあるけど、一般的にはスペイン語で ”日当たりのいい場所” を意味する言葉らしい」

「日当たりのいい場所……」


ママとの思い出をいろいろ思い返していた私にとってそれは、ママと一緒に過ごした実家しかない。

ママは私にとって陽だまりのような暖かさをくれる人だったから。


けれど男の人は、ゆるやかにギターを奏でながら話を続けた。



「ただこの曲、アメリカではまったく別のタイトルになるんだ」

「え?どういうことですか?」

「この曲に英語で歌詞がついて広く歌われているのが、『When A Child Is Born』」

「………子供が生まれるとき?」

「直訳すればそうだけど、キリストの降誕がモチーフになってるそうだ。他の国では知らないが、アメリカではクリスマスの定番曲としてこの時季よく耳にしたな」

「へえ…そうなんですか……」


When a Child Is Born なんて、今打ち明けた義母とのエピソードにリンクしているようで、少し妙な感じだった。



「同じ曲なのに、演奏する人や場所が変わればまったく別のものになる。名前も変わる。意味合いも違ってくる」


義母の話題のあとで聞く説明としては、なんだか深い意味を含ませているような気もしてしまう。

私の考えすぎだろうか……


「……不思議ですね、同じ曲なのに。でも、いい曲だと思います」


彼はそっと指を止め、ギターをトン、と叩いた。


「よし、決めた。今日のアンコールはこの曲にしよう」

「アンコール?」

「このあとディナーショーがあるんだ」


さらりと、男性は自分の正体を暴露した。


「やっぱり有名な方だったんですね。そんな方に無料(タダ)で歌わせてしまったなんて………すみませんでした」


私は急いでソファから立ち上がり、頭を下げた。


「気にすることない。きみが俺の顔を見て誰だかわからないなんて、仕方ないんだから。だって俺、覆面アーティストだし」

「え………覆面?」


想像の斜め上を行く返答に、私はおかしな声を上げてしまった。

だって覆面って、素顔を出さないで活動する人のことよね?

有名な人は何組か知ってるけど、ホテルのディナーショーも開催されてるなんて知らなかった。

え、でもこの人、今めちゃくちゃ素顔出してるけど、いいの?


私は地雷級の秘密告知に冷や汗が出てきそうだ。

それでも、秘密を知ったおかげで閃いたこともあった。


「ああ、それで!それで名前に聞き覚えがあったんだ」

「名前?俺の?」

「……すみません、テーブルの上にあった封筒の宛名を見てしまったんです。それで、なんとなく聞いたことある名前だったような気がしたから……」


ささやかに懺悔すると、男の人は気分を害した様子もなく、でも即座に否定した。


「違う。これは今の俺のアーティスト名じゃないよ」

「え、違うんですか?」


でもそれなら、どうして私はその名前に聞き覚えがあったんだろう……

正直に不思議顔を見せると、彼はフッと息で笑った。

そして丸テーブルから封筒を二通手に取った。


「これは俺の前の芸名。そしてこっちの封筒は、今の俺宛て。どちらも同じファンからのクリスマスカードだ」


若干誇らしげに告げた。


「前の芸名って……」

「俺、数年前までアイドルグループのメンバーだったから」


またもやさらりと明かした彼の素性は、今度も私の想像の遥か上を越えていった。



「ア…イドル?」

「ま、俺はダンス担当で、どうしたってボーカルの方が目立つから、俺個人の認知度はあまり高くはなかったけど。一応、年末の歌番組には毎年出てたんだけど……きみが小学生の頃だから、言ってもわからないか」


男の人は苦笑してクリスマスカードの入った封筒をトランプの手札のように持った。

その仕草が信じられないほど様になってて、思わずドキリとしてしまう。


そしてそのポーズと彼の雰囲気に、うっすらと、本当にかすかに、記憶がざわめいた。

”思い出す” ほど明確ではなくても、”見たことある” と思ったのだ。

この綺麗な彼のことを。




彼が言ったように、私が小学生の…何年生だったかは覚えてないけれど、確かに、この人と似た男の人をテレビで見た覚えがあった。

あれは………そうだ、ちょうど今と同じクリスマスシーズンで、音楽特番か何かだったと思う。

ママも一緒にいて、誰かの家でクリスマスパーティー中、たまたま点いていたテレビで見かけたのだ。

まだ子供だった私でも、彼らがとてもかっこよく見えた。


けれど………

そのことは、今目の前にいる本人には話さない方がいいような気がした。

なんとなく。


彼は私が知っていようがいまいが、関係なさそうに、話を続けた。



「でも色々思うことがあって、俺はグループを脱退した。そのあと事務所も辞めた。そのせいじゃないけど、グループ自体も翌年解散になった。俺はフリーになってから、ネットで覆面アーティストとして活動するようになった。そしたら運良くスカウトされたんだ。スカウトしてくれた今の事務所のスタッフは、相手が俺だと知って驚いてたけど、アイドル時代も俺はダンスメインでソロパートをほとんど歌ったことがなかったから、気付かなくて当たり前だと思った。むしろ、俺の顔や経歴を何も知らずに歌だけでスカウトしてもらえたことが嬉しかったんだ。ああ……もちろん、ギターの腕を認めてもらえたことも嬉しかったけど」


封筒を持たない方の彼の手が、優しげにギターを撫でた。


「そういうわけだから、デビューするならこのまま覆面アーティストとしてデビューしたいと俺から頼んだ。事務所は快諾してくれて、俺の素性は一切外に出さないと約束してくれた。今日みたいに人前でパフォーマンスするときも、それは徹底してくれた。おかげで、今のところ一般的にはばれてないはずだ」


その言い方が、ちょっとだけ硬くなったように聞こえた。


「………一般的には(・・・・・)?」


すると彼はひょいっと肩をすくめた。


「どこにでも名探偵は潜んでるらしい。俺がグループにいた頃に珍しくテレビで歌ったほんのわずかなシーンと、今の俺の歌唱動画を比較する動画が時々アップされるようになったんだ」

「それは……」


気の毒だけど、今の時代じゃ、無理もないのかもしれない。

でもそれは当の本人も覚悟していたようだった。


「ま、ある程度は仕方ないと腹を括った。幸い、事務所にも問い合わせが何件も入ったようだけど、マスコミ関係は覆面アーティストという性質を理解してくれて、今のところ無理やり暴くような媒体はひとつもない。だけど………事情を知らない一部の人間が、俺が覆面アーティストになったことを誤解してるんだ。アイドルの経歴があるせいで覆面にならざるを得なかったんだと、何も知らない連中がさも同情するかのようにネットで意見しはじめた。中には俺のことを本当に気にかけてくれたファンもいるだろう。でも俺の見た限りじゃ、ほとんどの人間が、俺は顔を出したくても出せない、仕方なく覆面をしている、覆面なんてかわいそう、普通は顔を出したいだろうに、アイドルやってたくらいなんだから覆面は不本意に違いない、そんな自分の価値観を真実のように語っていた。それを本気にして、今の事務所に連絡してきたファンもいたな。………このクリスマスカードの送り主は、そのうちの一人だ」


彼は少し表情を和らげて二通の封筒を見つめた。



「でも当然、いくら問い合わせされても事務所が俺の素性を明かすことはない。ただ、常識ある問い合わせには、こちらも可能な限りの対応をとった。覆面アーティストとして活動すると決めたのは本人であること、本人は自分の正体を知られたくないと思っていること、そういう差し障りのない範囲で説明して、納得してもらった。そうしたら、その年からこうして同じ差出人から二通のクリスマスカードが届くようになったんだ。一通はグループに入ってた頃の俺が所属してた事務所に、もう一通は今の事務所に。特別なことが書かれてるわけじゃない、ただのクリスマスカードだ。しかもそれは、彼女だけじゃなかった。クリスマスカード…ニューイヤーカードの場合もあるけど、何人ものファンが、以前の俺と、今の俺へ送ってくれるんだ。前の事務所の好意もあって、届けられた手紙やカードはすべて俺のもとに転送されてくる。どれもが、俺の正体のことなんか一切触れず、ただ応援してる、頑張って、体に気を付けて、そんな内容だ。ずっと俺のファンでいてくれた人にとったら、声を聞けば、すぐに俺だとわかるんだろう。でも、俺が何も言わない以上、追及したりはしないで、ただ応援してくれる。ネットのデマや思い込みには腹立つことも多いけど、ちゃんとわかってくれてる人もいる、それがいつも背中を押してくれるんだ。普通(・・)を押し付けない彼女達に、俺はずいぶん救われてきた」



普通(・・)を押し付けない………



私は、彼の言いたいことに、今やっと触れたのかもしれない。













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